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歪みの苑  作者: みづき
四章
60/82

<20>

 次の日の朝、ニナは豪奢な天蓋付きベッドから抜け出した。

 ウィルが朝議から帰ったと聞かされ、ニナは昨日部屋に案内してくれたマリヤとともに王の部屋へ訪れた。

 剣は所持していていいと言われたので、上手く断れば今日にでもここを出て行けるかもしれない。

 ニナはほっと息を吐きながらあたりを見回した。

 今まで様々な国へ足を運んだが、城に入ったのは初めてである。もちろん近づいたこともなく、いつも遠くからその存在を見つめていただけだった。

 王城は国の象徴のようなものであり、国によっては重苦しく威圧さえ感じられるほどの城であったり、逆に明るく人を受け入れるような華やかな雰囲気の城さえあった。

 細やかな装飾の施せる職人がいる国は、一つの廊下にでも労力を惜しまず多彩な模様を刻み、訪れた人々を驚かせる。

 けれどそれとは対照的に、カルティア国はいたってシンプルな装いだった。

 城の中は石で造られた柱が等間隔で並べられ、緩やかに円を描く天井、綺麗に磨かれた床。窓のふちに少し模様があるだけで、あとは使われた石がそのままの状態である。なのに部屋の中に一歩は入ればそこは豪華なそれで、置かれている物も一級品が目立つ。

 お金をかける場所が間違っているのではないかと首をひねってしまうほどであった。

「外から見たのと、あんまり変わらないのかな」

 外装は石の壁で覆われ、どこか無骨な雰囲気だった。華やかさなど欠片もなく、平和を謳っているにもかかわらずなぜか重苦しい。

 まるで、他者の侵入を拒むような。

 矛盾するそれにニナは眉を寄せていると、前方から歩いてくる侍女や兵士らがニナを見て頭をさげた。それにぎょっとする彼女をよそに、マリヤは何も言わずその隣を通り過ぎていく。

 昨日の一件は居合わせた一部の兵士や親衛隊の者しか知らないはずだ。

「もしかして、広まってる……?」

 人に会うたびに道を譲られ頭を下げられる。その状況にニナはぴくりと頬を引きつらせた。

 大方、王が連れ帰ったどこぞの娘とでも噂されているのだろう。

 それを流したのは王か兵士か。

 どちらにせよ、無理やりここを突破しようとしても確実に誰かに捕まってしまう。

「なんなのよ、もう」

 深く息を吐き出して思わず立ち止まっていると、前にいるはずのマリヤの姿が角を曲がって見えなくなった。それを見てニナは慌てて追いかける。

 広々とした城内に内心呆れながら、先を歩く侍女の後姿にニナはちいさく眉を寄せた。

「ねぇ」

「はい」

「……怪しんだりしないの?」

 ぴたり、と足を止めて振り向いた侍女は目を瞬かせている。

「普通は警戒するんじゃないの? この国の人間じゃないんだから、王を暗殺しようと思ってるとか、他国の密偵とか――あなたを、斬ろうと思ってるとか」

 マリヤの瞳を真っ直ぐに見つめて声を低くするニナに、彼女はふっと口元を緩めた。

「ご心配には及びません。これでも私、腕には自信がありますので」

 王が待っています、とマリヤはくるりと背を向け再び歩き出す。

 真っ直ぐに伸びた背筋と、動きに合わせて紺色の服が揺れるのを見つめながらニナは口を開いた。

「何かやってたの?」

「はい。昔、武術を少々」

「武器を持ってる相手に、素手で勝てるほどの自信があるほど?」

「……ええ。もっとも、武器が相手に渡れば立場は逆転しますけど」

 そこでマリヤは足を止めると、一際大きな扉の前に到着した。木製の扉には模様が刻まれており、様々なものをイメージしたのだろうと思わせるほど掘り込まれていて、よく見てみると自然のものが多い。

 木や葉、そして果物や作物。

 カルティアで食べられる物のほとんどは自国でまかなっているらしい。

 そんな扉の前に佇む、甲冑に身を包み槍を持った二人の兵士の視線がニナを貫く。観察するような、警戒するような眼差しだった。

「陛下。お連れしました」

 入れ、とくぐもった声が聞こえるとマリヤは扉を開け頭をさげた。

「私はここでお待ちしております」

 目で促され、ニナは広々とした部屋の中に足を踏み入れる。

 視線をめぐらせると、そこはまさしく国王の部屋というのにふさわしいほど煌びやかな部屋だった。たくさんの物が置かれていても、なお広々としている空間はひとりで過ごすには寂しいだろう。

 大きなベッドの足にでさえ優美な模様が刻まれており、年期を感じさせるも細かな刺繍の施されたソファに椅子、テーブルなどは汚れひとつ見あたらないほど磨かれている。

 そんな中で、ウィルは優雅に椅子に腰掛けていた。

 月明りの下ではなく、太陽の日差しを受けて反射する飴色の髪は思わず触れてしまいたくなるほど綺麗だった。その下に隠れている蒼い瞳も、吸い込まれそうになるほど澄んで見える。

 整った顔立ちの青年は小首を傾げた。

「名は何だ? 昨日は訊きそびれた」

「……ニナ」

「そうか。――ニナ、よく眠れたか?」

 ウィルの言葉に返事をせず、ニナは無言で彼の前まで足早に近づく。

「ああ、訊く必要はなかったな。――寝癖がついてるぞ」

 目の前に来たのと同時にウィルはくすりと笑って手を伸ばし、横髪からわずかに飛び出している一房の黒髪をそっと撫でた。指先に絡ませて髪を梳いたその手をニナはとっさに弾く。

「と、取り引きはしません!」

 わずかに朱に染まった頬にウィルが満足げに微笑んだ。

「気に入ったか? あの部屋は」

「……何が目的なの」

「言っただろう。取り引きだ。その提案以外になんの目的がある?」

「私をここに住まわせるかわりに婚約者になれだなんて、おかしいと思わないとでも?」

 瞳を細めてウィルを見るニナに、どこか楽しげに彼は口角を上げた。

「十分すぎるほどの理由だと思うが。……最近は隣国や親交の深い国から娘をぜひにと言ってくるんだ。そうなれば周りもあれこれと――どんなに断っても、話が絶えなくてな」

 そこで、とウィルが言葉を続ける。

「お前に婚約者のふりをしてもらえば、諦めてくれるかと思ってな」

「そんなの、一時的なものでしかないでしょ」

「ああ。だが相手がいるのといないのでは違うだろう? いい加減、周りの者たちがうるさい」

 齢十四。

 彼と同い年であるニナに結婚などまだ先のことで、この歳で結婚する人はいない。

 けれど王であるウィルにとっては身を固めるのに適した年齢なのだろう。今からどこかの王女を婚約者として迎え、いずれは結婚するのだ。

 両国との間で同盟が結ばれ、自国の繁栄とともにその身を差し出す。王族にとって政略結婚はあたりまえのことであり、国と国との契約のようでもある。

 それならなおさら。

「身分の高い人の方がいいんじゃないの? 王女とか」

「……あれは嫌だ。媚びることしか能がない。その点、お前は問題ないだろう?」

「そ、んなのっ……」

 そんな理由で決められてはたまらない。

 しかも仮にも一国を統べる王が、そんな理由で婚姻を結ぶなど。

「もうちょっと王の自覚を持ったらどうなの。王の結婚は国王だけのものじゃないのよ!? 国のためでもあるの!」

「だからお前を選んだ。一時的なものだ、形にこだわらなくてもいいだろう?」

「一時的なものだからでしょ!? しかも正室にそんな、身分も高くない人を迎えるなんて――」

「前例はある」

 じっと、蒼い瞳で見つめられ思わず言葉が詰まった。

「周りの反対を押し切って、結婚した。身分は高くなく、下町に住むただの娘だった」

「それ……」

 誰のこと、と続けようとした言葉はウィルによってかき消された。

「で、どうだ? 婚約者になる気になったか?」

「……い、いや!」

「正室が嫌なのか? だったら側室でも構わないが」

「側室なんてもっといや!!」

「わがままだな、お前」

「どっちがわがままよ――!!」

 体を震わせながらそう叫ぶニナに、呆れたようにちいさくため息をつく。その仕草にさえも苛立って、行き場のない怒りだけが募っていく。

「どうしてそんなに嫌なんだ。王の婚約者、いずれは王妃になる地位だ。何の不満がある」

「好きでもない人と結婚するのが嫌なの! しかも取り引きでだなんて……!! 私は王妃なんて立場欲しくない!」

 どうしてわからないのだ。

 例え仮であっても、嘘であっても、婚約者という立場に変わりはない。

 ニナはきつく目の前の青年を睨んだ。

「――そうか」

 ふっと、わずかにウィルの表情に陰りができる。

「想いを寄せていない相手との結婚は、そんなに嫌か」

「……あ、当たり前でしょ」

 あまりにも急な変化に戸惑っていると、ゆるりと深海を連想させる瞳を向けられる。

 どこまでも深く、吸い込まれそうな蒼い瞳。その奥が、ちいさく揺れているような気がしてニナは目を凝らした。

「ここに、いてくれないか」

 ぽつりと呟かれた言葉は思わず聞き逃してしまいそうなほどのものである。

「……ウィル?」

「ここに、いてくれ」

 一体どうしたのだと、あまりにも急激なウィルの変化に初めて彼の名前を呼ぶと、今度ははっきりとそう告げられる。

 ここにいて欲しいと。

 まるで縋るようなその声にニナの瞳が揺れた。

「ウィル」

「……同じことを繰り返すかもしれない。それでも、いいか」

「ウィル? 何を――」

 そのとき、ニナの服の袖が引っ張られる。ほんのわずかにそれを掴むその手は、目の前で小さく項垂れている人。

 先ほどとは打って変わって消極的で、控えめな言動と態度。その理由と原因がわからず、ただただニナは混乱していた。

 動かない飴色の髪を見つめ、

「……わかった、ここにいるから」

 気づけばそう呟いていて、すると袖を掴む力が強くなった。

 目の前で揺れる髪にそっと手を乗せ、軽く撫でる。柔らかな感触にもう一度撫でると、ウィルの頭が寄りかかってきた。

 先ほどまであんなにも反発していたのに、嫌悪さえ抱いていたのに――不思議と嫌な気持ちにはならなかった。

 力なく頭を垂れる姿がまるで小さな子どものように思えて、今度はしっかりとウィルの頭を撫でた。

「――そうか。それはよかった」

「……え?」

 瞬時、撫でていたはずの頭がむくりと起き上がり、口角を上げているウィルの表情にニナは目を瞬く。

「部屋はあのまま使うといい。――言っておくが、もう訂正はできないからな」

 取り引きは成立だ、と意地悪気に微笑むウィルは軽く伸びをした。

 そんなウィルに、この状況についていけていないニナは固まったままである。

「え……は? なにが……」

「ここにいると言ったんだろう? 婚約者のフリをする代わりに、衣食住を保障する。城の出入りは自由にしていていいが、仮にも王の婚約者だ。いずれ民にも知れるだろう、あまり身勝手な行動はするな」

「……ウィル?」

「ああ、剣はそのまま持っていて構わない。――まだ何かあるのか?」

 椅子に深く腰掛け、軽く足組みをするウィルに次第と混乱していた頭が落ち着いてくる。

 何もないなら帰っていいぞ、と手で追い払う彼にニナはぴくりと頬を引きつらせた。

 騙された。

 態度が急変したのは、言質を取るためか。

「……ふ、ふざけんな――!!」

 広い部屋に、震える拳を握ったニナの叫び声が響き渡る。

「もういい! 信じらんない!!」

 くるりと踵を返して大股で扉の前まで引き返し、やや乱暴にその扉を開ける。

 開けたその先に、来た時と同様に静かに佇んでいたマリヤに帰ります、とだけ言って廊下を突き進む。

「あの、どこへ……」

「部屋です!」

 慌てて追いついてくる彼女にそう告げると、ほっとしたような表情をする。それを見てニナはかすかに眉をひそめた。

「ずいぶんと、身勝手な王ね」

 ウィルに対する苛立ちが口調にそのまま現れる。棘のあるニナの言葉に、マリヤはただ困ったように苦笑しただけだった。

 ――そしてマリヤに部屋まで送り届けてもらうと、彼女は何かあればと言い残して部屋を出た。

「もう! なんなのよあいつ!! 落ち込んだふりして言質取るとか最低――!!」

 しんと静まり返る、誰もいない部屋でニナは行き場のない怒りに震えていた。

 ニナは連れられた部屋に置いてあるクッションを力いっぱいソファに投げつける。肌触りのいいクッションはソファに柔らかく受け止められただけで、それが余計に苛立った。

 空いている部屋だからと言われたここは、とてもじゃないが長い間使われていなかったようには思えないものであった。

 豪奢な天蓋付きベッドも、細部まで模様の彫り込まれたソファもさりげなく置かれている椅子も。おそらく何も入っていないであろう棚も、何もかもが見たことのないようなものばかりである。

 ほこり一つなく、しわのないシーツは誰かが毎日にでも掃除をしに来ているのだろう。使ってもいない部屋にここまでするのかと思わずため息を漏らしてしまうのは、ニナが庶民的なのかあの青年がおかしいだけなのか――そこまで考え、ニナはちらりとベッドを見やる。

 朝起きた時にしわが寄っていたベッドは綺麗に整えられていて、その傍に置かれているのはドレスだった。

 白を基調としたそれはたっぷりの布でできており、さらにはその布を使ってちいさな花まで作られている。控えめながらも可愛らしいそのドレスは侍女が置いていったものだ。

「……これを着ろってこと?」

 国王からです、とひとこと添えられていたのにはさすがに驚いた。

 触れてみると滑るような肌触りに思わず瞳を細める。基本的には動きやすく、長持ちのする服ばかりで見た目よりは機能重視の物ばかりを買っていた。

 だからこんな、可愛らしく綺麗に整えられたドレスなど目にすることすらなかった。

 心地いい滑らかな生地をもう一度撫で、ニナはベッドから離れて柔らかなソファに腰かける。

 物音一つしない空間。

 常日頃から音に包まれていたニナにとってそんなことは久しぶりで、こうしていると次第にウィルに対しての怒りも静まっていくようだった。

 これから自分はどうなっていくのだろう。

 ぼんやりと、ニナはソファに身をあずけた。

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