<18>
深夜に近い時間の城内は薄暗く、明かりを灯していても足元は心ともない。
そんな中をニナは強制的に連れられて歩いていた。その腕をつかんでいるのは、カルティア国の国王ウィルである。
「放して! どこ連れてくのよ!?」
静まり返った廊下に叫んだ声が響き渡る。後ろからついてくる兵士たちも無言で、けれど気配はただ王の行動に戸惑っていた。
助けてはくれないのかとニナは八つ当たり気味に肩越しに彼らを睨む。
「入れ」
突然歩みを止めたかと思えば、腕をつかまれた状態のまま開け放たれた部屋の中に乱暴ともいえる手つきで押し入れられた。
体勢を崩したニナは反射で踏みとどまり、掴まれた腕を軸に反転する。そしてもう片方の腕でウィルの拘束を解き、彼の手に握られている愛剣へとすばやく手を伸ばした。
「陛下!」
王の後ろで佇む兵士らがとっさに反応する。
後ろへと飛んで後退したニナは手に伝わる感触にほっと息をつき、愛剣を再び握りしめた。
剣がニナへ渡ったことに警戒してか身構えた兵士らを横目に、ウィルはちいさく息を吐く。
「やめろ。剣を降ろせ」
「それ、私に言ってる? それともその人たち?」
「どちらもだ。俺はお前を傷つけるためにここへ連れてきたんじゃない」
「強引に連れてきてよく言えるわね。剣まで取り上げて、カルティア国の王がこんな人だとは思わなかった」
剣が戻ればこちらのものだ。もとより剣がなくとも戦う術はあるが、やはり武器があるのとないのでは違う。
手にかかる重さを心強さにニナはきっとウィルを睨みつけた。
「陛下、このような小娘をどうするおつもりですか! それも身元もわからないような……!!」
一人の兵士が悲鳴に似た声を上げる。
ざわつく彼らを制し、ウィルはニナに視線を合わせ口を開いた。
「取り引きしないか?」
「……取り引き?」
訝しげに眉を寄せたニナに、ウィルが頷く。
「剣を返す代わりに、俺の王妃になれ」
さらりと言われた言葉に目を瞬き、その言葉を頭の中で咀嚼し――そして思わず目を剥いた。
「王妃!?」
「あぁ」
「な、なんでよ!? そ、それに剣はもう取り返したから、そんな取り引きしない!」
「……そうだな。ならここに住めば衣食住は保障する。その代わり、王妃――いや、王の婚約者になれ」
「王ってあんたでしょ!? しかも王妃って、婚約者って……!!」
ぎゅっと胸の前で剣を抱きしめたままニナは首を振る。
再びざわめき出した兵士たちを一瞥し、ウィルは一歩ニナに近づいた。
「婚約者といってもフリだけだ。本当に婚約しろとは言っていない。その代わり、お前には安全が保障される。悪い提案ではないだろう?」
ぐ、と思わず言葉が詰まる。
確かに城にいれば男たちに狙われる心配もなく、お金に困ることも寝る場所に困ることもないだろう。
毎日神経を張り巡らせる生活は、慣れたとはいえ楽なものではなかった。大通りを抜ければ待っていたと言わんばかりに男たちに出くわす。
お金が目的の者ももちろんいる。けれどそうではないものもいるのだ。
十の半ばの少女がひとりでいるのだ、絶好のカモだろう。腕ひとつでひねり上げ、捕まえられるとたかをくくられていた。
治安が悪い場所では到底寝ることすらままならず、そんな生活にこの先どうなるのか不安だったのは嘘ではない。
けれど。
「ありがたいけど、やめとく」
「なぜだ?」
「今まで剣一本で生きてきたの。これからだって大丈夫。それに、あんたの世話にはなりたくないの」
母から受け継いだこの剣一本で何度も死線をくぐり抜けてきた。
生きるために、強くなるために。
強くウィルを見つめると、ふっとその口元が緩んだ。
「今は、な。これから先も同じように行くとは思うな。今でこそ数え切れないほどの男たちに狙われているんだ、その先どうなるかはわかるだろう?」
「……それでも」
「今すぐ答えを出せとは言っていない、考える時間をやる。――マリヤ」
口元に微笑をたたえたウィルは踵を返し、扉に向かって声をかける。
するりと部屋の中に入ってきた二十代と思しき侍女はウィルに向かって頭をさげた。
「こいつを部屋に」
「はい」
「部屋!? ちょっと、私は……!!」
「部屋にあるものは自由に使うといい。必要な物があれば遠慮なく言え」
そう言い残したウィルは、いまだ王の行動に困惑の表情を浮かべている臣下たちを連れて扉の向こうに消え、ニナは部屋に取り残された。
いるのはひとりの侍女だけである。
「お部屋にご案内いたします」
艶やかな黒髪をひとつにまとめ上げている侍女――マリヤは微笑んで、呆然とするニナにちいさく膝を折った。
――しんと静まり返った、薄明かりに照らされた廊下を歩きマリヤに連れられたどり着いたのは驚くほど広い部屋だった。
町中にある宿の一室とは比べものにならないくらいで、隅々まで見渡すと壁にはどこかに繋がっているのだろう扉まである。
これ以上部屋が必要なのかと思ってしまうニナが庶民的なのか、この城がおかしいのか――あきらかに前者だろうが、マリヤは特に気にした風もなく部屋に足を踏み入れた。
「部屋にある物はすべてお好きに使って構わないとのことです」
ろうそくの灯りを灯していくと同時に部屋の中が明確に浮かび上がる。いままで暗闇の中でぼんやりとしか見えなかった家具たちが目に映った。
「な、なにここ」
最初に一番目についたのは豪奢な天蓋付きベッドである。滑らかそうな肌触りの布地がふんだんに使われているそのベッドは、今までニナが見たこともないようなものだった。
そしてベッドの傍にある小ぶりな白い棚は細部まで模様が彫りこまれていて、それでいて派手ではなく控えめにそこに鎮座している。
床に敷かれている絨毯もテーブルも、可愛らしい椅子もクローゼットも宝石棚もすべてがニナの理解を超えている。たったひとつの部屋にこれほどまでお金をかけるのも珍しいのではないかと思ってしまうほど、置かれている物はすべて一級品だ。
呆れてものが言えないニナに、マリヤは膝を折った。
「何か要りようのものがあれば遠慮なくお申しつけください」
「……あのウィルって人、カルティアの国王なんだよね?」
「はい」
「国王がこんなことしてて、誰も止めないの? 私はこの国の人間じゃないし、そもそも脅される形でここに来たんだけど」
好き勝手に言い、あげく剣を人質にしてこの国に連れてきたと思えば取り引きとして婚約者になれという。そのあまりの横暴さに思わず苛立った声が出る。
あの青年が国王ならば、周りの者が止めるのも一苦労なのはわかる。けれど仮にも国を導いていくのは国王であり、その国王が普通ではないことをしたのなら止めるべきだろう。
齢十四だと聞いたが、中身がわがまますぎるのではないか。
マリヤは苦く笑い、首を振る。
「何も考えずになにかをなさるお方ではありません。何か考えがおありなのでしょう」
「こんな、数回しか会ったこともない私に王の婚約者になれっていうのも?」
「……それは、わかりません。明日になれば何かお分かりになるかと思います」
今日はお休み下さい、と頭をさげてマリヤは部屋を出た。
思えば今は普通なら寝ている時間帯である。その時間にこうして起こされているのだから、彼女も大変なのだろう。
周りをあまり気にしない性格なのかと思うとよりいっそう苛立ち、ニナは柳眉を寄せる。そして視線と落とし、腰に携えた一振りの剣を軽く撫でた。
これは大切なものだ。
もう探しても見つからない、どれほど叫んでも戻っては来ない――母の唯一の形見だ。
それを奪われたときはさすがに頭に血が上ってしまった。なんの感情もなく剣を掴むウィルに腹が立ち、それを人質に使われることにも苛立った。
あまりにも身勝手な言葉と行動の数々。
国は平和を保っているのに、その中心にいる王はあんな男などと誰が思うだろう。
温和な性格なのだろうかと思っていたニナはその違いに驚いた。
それに。
「ここの人って、警戒心なさすぎるの?」
国王の手からすでに剣を取り戻しているというのに、先頭を歩いていたマリヤは警戒心の欠片も見せなかった。時折剣が擦れて音がしてもまったく動じず強張った様子すらない。
「いくら国王が連れてきたって言っても、武器を持ってる相手に警戒しないなんて……」
長く平和だった国がゆえなのだろうか。
少し心配になりつつもニナは首をかしげ、そして改めて部屋を見やり深くため息をついた。
「休むって言ってもこれだと……こんなのが全部の部屋にあるの?」
長い間使われていなかったわけではなさそうなこの部屋は、ほこりひとつ見つからない。毎日ではなくとも、綺麗に掃除されているのが伺える。
なのに使われていないとはどういうことか。国王のお金に対する価値観に呆れ、ニナはソファで寝ようかとちらりと視線を移す。
本当は剣を取り返したのだからここに用はないはずだ。
しかし、今出て行けば間違いなく連れ戻される。敵意のない人を斬るのはあまり気分が進まない。
ここは我慢して今日はその部屋で休み、明日改めてウィルのもとへ向かおうと決めたニナは、豪奢な天蓋付きベッドに再び眉を寄せた。
「こんなのより、普通のベッドの方が寝れると思うけど」
しかし、明日ここを出ていけるかもわからないのだ。どうしても無理なら実力行使するしかないが、とにかく体は休めておかなければならないだろう。
ウィルの気配に起こされ、中途半端にしか寝れていないニナの体はぐらりと揺れる。
しばらくうろうろとしていたが、結局しわひとつないシーツがかけられているベッドに倒れ込んだ。
体を包み込むようなその柔らかさに次第に睡魔が訪れ、ニナはいつしか小さな寝息を立てていた。




