<11>
それはウィルが十歳の誕生日を過ぎ、弟であるロイアが六歳の時に唐突に起こった。
「母上?」
ちょうど教育係であるスワナから休憩と言われていた時間であったため、ウィルは突然の母の呼び出しに遅れることなく部屋に着いた。
母が、自分をこういうときに呼ぶことなど滅多になかった。いくら休憩時間であっても彼自ら訪れない限り声をかけてこないのだ。
嬉しさと、何かしてしまったのではないかと不安に駆られて恐る恐る扉を開けて中を覗き込む。
「母上……?」
「こっちよ、ウィル。入ってきて」
いつもなら部屋を開けてすぐに見える椅子に腰掛けていた母の姿はなく、代わりに奥から声が聞こえた。
扉を閉めて声のするほうへと歩み寄る。
部屋の中には先ほどまで飲んでいたのだろう紅茶の匂いが漂っていた。
「母上? どうなさったんですか?」
「――ウィル」
いつもと同じ、優しい声。
けれど、ウィルは目の前の光景に目を見開いた。
「母上!? 何を……っ」
「ねぇ、ウィル」
首元に剣をそえていたのは間違いなく母の姿である。突然のことに動揺し、目を見開いたまま固まったウィルに母は優しく声をかける。
「ウィル。――私を、殺して」
「母……上……?」
言われている意味が、わからなかった。
どこか虚ろ気なその瞳は、ウィルの知っている母の姿ではない。
「お願い、私を殺して!」
甲高い声を出す母を目の前に、ウィルは呆然と立ち尽くしていた。
「何を……おっしゃっているのですか。それに、その剣は……」
現国王と王妃が婚姻を結んだのは十数年前である。王妃である母は下町に住む民であり、たまたま見かけた国王が母を見初め王宮へと寄こした。
側室ではなく、正室として。
けれど、母にはそのとき想いを通じ合っていた男がいたのだ。それを国王は引き離し、母を自分のものにした。そして数年後に生まれたのが第一王子ウィル。
「ウィル。ウィル……!!」
剣を片手に訴えている母。
ウィルの蒼い瞳に映る彼女の姿は、いつものそれとあまりにもかけ離れている。
「お願い、あなたしか……!! 私を殺して、あの人も……!!」
母は、苦痛に思っていたのだろうか。好きな人から引き離され、平民であった自分が王妃の座に着くことに。
自分やロイアを産んでからも、ずっと苦痛に思っていたのだろうか。
――実際、彼女は狂っていたのだろう。
自らの子どもに殺してくれと泣いて懇願するほどに。
「私を殺して、あの人も殺して……!!」
いつも優しかった母が、こんなにも狂った姿になったのは初めて見た。泣いて懇願する姿も。
だから、少年は手にかけた。
母の望みどおり、国王である者に代々引き継がれる剣で。
たった十歳であった彼は、血に濡れた剣を片手に今度は父をも殺した。事前に母が呼んだのだろう、ひとりで来た父が驚きに目を見開く姿を脳裏に焼き付けて、少年は剣を振るった。
なにがどうなって、なにがどうであるのかすらわからなくなっていた。
ただただ泣いて懇願し、殺してくれと自分にすがる母を見て、ならばと望みどおりにしただけだ。
床一面真っ赤に染まった中で、少年はただ立ち尽くしていた。
何が正しかったのかさえ、わからずに。




