<15>
すでに雨が止んでいるが、空は相変わらずの曇りである。
湿った空気が森を支配し着ている服でさえも水分を含んで重くなったように感じられた。
「彼女の容態は安定しています。すぐに動くことはできませんが」
ゆるりとウィルの隣に並んだグランディが口を開く。
「そうか」
ウィルの背後には、ちいさな洞窟があった。兵士らが全員は入れる大きさではないが休憩を取る場所には最適であり、火を灯せば十分即席の会議場ができる。
その中に、治療の終えたサリーは横たえられていた。そしてその傍にはサスティがいる。
浅い息を繰り返しているものの顔色も戻りつつあり、グランディもしばらくすれば目が覚めるだろうと話していた。
「城はすべてクラリドに支配された。下町への被害はなし。……完全に上だけを狙っているな」
「どうなされるおつもりですか?」
ウィルは瞳を閉じ、薄暗い洞窟の中へ入っていった。
――ロイアが部屋を出て行き鍵をかけ、気配がなくなったあとも仁和はその扉から視線をはなせなかった。
「ロイアは……ウィルを、恨んでるの?」
たったひとりの兄ではないのか。
幼い頃に両親を失った後、血の繋がる者はウィルだけだったはずだ。
それこそ二人が顔を合わせているところなど多く見たわけではないが、ロイアがウィルに向けている感情が恨みであったなど微塵も感じなかった。
兄上、と呼ぶロイアの声がよみがえる。
親しみを込めて呼んだその声はどこか一線を引いたようにも感じられた。
仁和は震える唇を動かす。
「……ロイア。なにを、しようとしてるの」
深い闇の中にいる少年。
温和で無邪気に微笑む――そんな姿とはかけ離れていた。一体どちらが、本当の彼か。
仁和は視線を扉から離し、そして目を見開いた。
はっとして腰のあたりを触ってもその感覚はなく、部屋を見渡しても見覚えのあるそれは見あたらない。
ベッドを降りてその下を覗き備え付けの棚を開けても、部屋のすみずみまで探しても見つからず仁和は愕然とする。敵に捕まったのだから武器のひとつでも取り上げられているのが普通だろう。
けれど、あの剣がないことに胸がざわつき動揺している自分にさらに困惑した。
とっさに代用できる物を探しても武器になる物などひとつもない。
刹那、扉が軽く叩かれた。次いで、鍵を開ける音。
「失礼します」
ゆるりと部屋に入ってきたのは、漆黒を身に纏った老人であった。
とっさに身構えた仁和にゆるゆると首を振る。
「あなたを傷つけようとしているのではありません。それとも、こんな老人にそんな真似ができるとお思いですか?」
「……」
不審がりながらも警戒を解いた仁和に、老人はドーリックと名乗った。
「ここに来たのは、ロイア王子のことです」
「……っ!?」
「――あの方を、救っていただきたい」
「救う……?」
ドーリックの言葉に息を呑んだ仁和は、続いた彼の言葉に疑問符を浮かべた。
「はい。あの方は――ロイア様は、深い闇の中におられる。それを救うのは、あなた方しかいないと思っています」
「私たち?」
「――ウィル王と、その婚約者であるあなた様。失ったものをよみがえられはしませんが、悲しみを少なくすることはできるはず。どうか、あの方を救ってください」
仁和が口を開く前にそれだけを言ったドーリックはどこか悲痛じみた表情をし、踵を返して扉をくぐった。そして施錠される音がする。
ふらつく足で後退し、仁和はそのままベッドに座り込んだ。
「どう、なって……なにが、どう――」
救ってくれといった。
けれどその対象であるロイアはいまだわからないままであった。ひとつ言いきれるのは、決して仲間とはいえないことだろう。敵であるかと問われれば、それはわからない。
しかし兄を恨む彼が仲間であるなどありえないことだ。
「このこと、ウィルは知らないはず。ネウスのことも」
あの男が裏切ったことは彼の耳には届いていないだろう。そしてどれだけの情報がクラリド国に流れていたのか。
ロイアのことも、彼は敵に捕まったと思っているのだ。
「……クラリドに捕まってないってことは……」
あんなにも自由に動いてた人物が敵に捕まったなど考えられない。しかも、自分をここへ閉じ込めた張本人が。
――それはすなわち。
「クラリド国と、通じてるってこと? ロイアも……裏切ったの?」
国王であるウィルを苦しめるのであれば、やはり国を狙うのが一番だろう。
仁和は扉を見る。
ここから出ようにも扉は鍵が閉まり、外には兵士がいるのが伺えた。扉を破壊しようにもそんなものはこの部屋にない。
途方に暮れる仁和はくらりと歪んだ視界に慌てて体を支えた。
雨に打たれ、濡れたままの体でいたからなのか頭がぼうっとする。
これからのことを考えようにもぐらぐらと揺れる頭ではうまく整理することができない。仁和はそのまま倒れるようにベッドに沈んだ。




