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選んだ服に着替えて、仁和は制服をかばんの中にしまう。
ふう、と息を吐き出して部屋の中を見渡した。
広い部屋はとても仁和ひとりではもったいないと思うほどで、置かれている家具はすべて傷一つなく、よく掃除されているのか埃一つない。
壁には風景の描かれた絵画や棚の上には壷、無駄に金をかけすぎたと言ってもいいくらいのものが置かれている。
「こんな部屋使うの、いやだなぁ」
万が一にでも壊してしまったら、とてもじゃないが弁償できるようなお金はない。もっとも、ここで日本の通貨が仕えるとは限らないが。
煌びやかな置物や装飾品を一通り見て、仁和はかばんを抱えた。
さらりと伸びた黒髪はここでは幸い目立たない。服も生地を見れば一級品だとわかるが装飾は少ないのでサリーたち侍女にまぎれることもできるだろう。
仁和はそっと扉に歩み寄り、少し開けて廊下をのぞく。
ぱたぱたと走る侍女が何人かいるが、隙はつける。
ひとりの女が部屋を横切ったのを見計らって仁和が扉の間を滑り込む。
「どこにいかれるのですか」
ほっと安堵した瞬間、抑揚のない声にびくりと震えた。
「え、あ……」
首をひねると、部屋のすぐ隣に声の主がいた。
黒が中心の服に身を包んだ男、というよりは少年に近い。
いつからいたのか、気配など全くしなかった。
「しばらくは部屋の中にいろとのことでしたが……なにかありましたか?」
「あ、べ、別にっ……」
まさか出てすぐ見つかってしまうとは。
きょろきょろと目を泳がす仁和に近づいてくる少年は、小さく礼をした。
「ケトルと申します。本日からあなたの護衛をさせていただくことになりましたので、なにかあれば侍女か俺に」
そう言ってあげた顔は仁和とそう歳は変わらないように見えた。
その動きは一切無駄がなく、揺れる黒髪は闇に溶け込んでしまいそうなほどである。
だが、問題はそこではない。
ケトルと言った少年の腰には剣が差さっている。
「ご、護衛……?」
「はい。ちなみに、陛下からの命です」
また陛下。
仁和は眉を寄せた。
サリーによれば陛下とは初めて会ったあの男のことらしい。
強引にここに連れてきては部屋に案内し、さらには護衛。普通ではないと思う。
見ぬ知らずの、ここではまったく別の服装をしている仁和になぜここまでするのか。
「あの、陛下って……今どこに?」
「今は会議中です」
「会議……」
ということは、邪魔をしてはいけないのか。
「それっていつ終わる?」
「あと数時間かと」
うーん、と仁和は唸る。
会議中に詰め寄って色々問いただすのも気が引ける。どっちにしろ、国王陛下というからには国の一番偉い人なのだ。
「どうしよう」
勝手にこんなところに連行していることに文句は言いたいが、今はそれが叶わない。
数時間後ということだがそれまでここで大人しくしているのも、少し違うような気がする。
「ところで、先ほどはどこに行こうとされていたのですか?」
ぐるぐると考え込んでいた仁和にケトルが問う。
「え……あ、ちょっと外に……」
「なぜ?」
うっと言葉が詰まる。
部屋の中からでは外の様子が見えないのだ。幸い窓はあるが見える範囲は限られている。
まずは外に出て、どんな様子かだけでも見てこようと思ったのだ。
あわよくば、ここから出て家に帰る方法を探そうとも。
何しろ、小高い丘の上からの様子しか見れていない。王城に来る時はそれどころではなかった。
「どんな理由にしろ、今外に出るのは危険です」
「なんで?」
「戦争が終わったばかりです。崩れている場所もありますし、がれきも多い。罠だってまだ仕掛けられている可能性もあります」
「――戦争?」
仁和は目を見開く。
戦争など仁和のいた日本では長い間なかったもの。その単語ですら聞くことが少なくなってきたのだ。
平和だと謳われてきた日本。国際化や近代化が進み、さまざまなところが発展してきた。
だが、便利になった裏ではそのぶん悪影響が及び、自然にさえも踏み込んでいく。
「はい。長い時を経てようやく終止符を打った戦いです」
どこか悲しそうに言うケトルの言葉にさらに仁和が絶句する。
確かに王城は一部が崩壊し、城下に広がる町も崩れていた。新しい建物を建て始めているところもあればがれきの処理をしている場所もあった。
本当に、戦争があったのだろうか。
日本という戦争が長い間行われていなかった国にいた仁和には少し信じがたい話だった。
「ここにいると邪魔になります。部屋にお戻りください」
扉を開けられ、そっと中に押しやられて素直に部屋の中に戻る。
「部屋の外にいますので、なにかあれば言ってください」
そう声をかけられて静かに扉が閉まった。
その音にはっとして振り返り――もう一度扉を開けようとして、やめた。
抱えていたかばんを床に置き、しわひとつないベッドに腰かける。
体を包み込んでくれるような感覚にわずかに瞳を細め、そのまま後ろに倒れた。
細く息を吐き出して、仁和はちいさく唸る。
このまま寝てしまえば、明日になったら元に戻るというのはないのだろうか。
すべてが夢で、目が覚めたらいつもの日常が戻ってくるのではないか。
そう考えて仁和はゆるく首を振る。
「そんなわけないよね」
何もかも夢だったら。そう思うのに、そうではないと確信している自分がいる。
ただ、学校に行っただけなのに。
私物を持ち帰ろうと、ただ行っただけなのに。こんなことになるなんて、思いもよらなかった。
「まずは、あの陛下って人と話さないと」
彼女を連れてきた張本人は今会議中だ。さすがに会議の時に押しかけるようなことはしたくない。
無駄に目立ってしまうこともあるが、大事な会議だ。
とりあえず彼に会って話がしたい。聞きたいことも山ほどある。
背中に伝わる柔らかな感触に眠気が襲ってきて、仁和はゆっくり目を閉じた。