<10>
悲鳴。
一般人の逃げ惑う足音と悲鳴が交じり合う。
ウィルはすばやく広間内を見渡す。
一般人の中で殺されたのは、最初の一人だけらしい。けれどその一人も、もっと早く異変に気付いていれば助けることができたのではないかとウィルは顔をしかめる。
あちこちから交戦している音が響き、広間に集まった者たちは悲鳴をあげつつもどうしていいのかわからず、結局は一箇所に固まる形になっていた。
「……ジャン」
今一番大きな扉を確保しようと、敵の兵士と剣を合わせているジャンソンには焦りのような表情を浮かべている。
すべての扉からこの広間へと侵入してきた敵の兵士らはざっと数えて二十人前後。そのすべてが扉を封鎖するような形で位置しているため、力ずくでの突破は難しい。
――刹那。
「うぁっ……!?」
低い唸り声に驚きが混じった声色が、ウィルの耳に届いた。
敵の兵士が一般人を剣で斬りつけ、もう一度その胸に深く突き刺す。じわりと、さぞ値が張っただろう服を真紅に染めていく。
一瞬揺れた男の体はだらりと動かなくなり、床に崩れ落ちた。地面に広がった血にさらに人々は悲鳴をあげる。その中に、雷鳴が混じった。
「……っ」
とっさにウィルは腰に携えた剣の鞘に手を伸ばし、そして目の前の光景に目を見開く。
こちらに駆け寄ってきた、ドレスに身を包んだ女が背後から斬りつけられたのだ。見境なく殺されていく人々に成すすべはなく、己に向かってくる剣を驚愕の表情で見つめることしかできない。
「陛下!!」
瞬間、腕に強い衝撃を感じはっとして視線を向ける。
「こちらに。避難してください!」
「なら一般人が……」
「だめです、敵の数が多すぎる。混乱した中での避難は危険です」
「ジャン!!」
静かに首を振るジャンソンに思わずそう叫ぶと、強く腕を揺さぶられる。
「陛下!! 陛下は国の基盤です。王がいなくなれば残された民はどうするのですか!!」
「そんなもの――」
そんなもの、ここにいる人々を守れなくて何が王だ。
無抵抗に殺されていく人たちを見捨てろというのか。
「残った兵士が必ず民間人を助けます。ですから陛下は私たちと避難を」
腕を掴む力は一向に緩む気配はなく、ジャンソンはウィルの腕を引いてひとつの扉へと近づく。
「一瞬の隙を突くぞ」
ジャンソンの言葉に皆が頷く。
もはや一人一人を倒して逃げ道を作るなどという時間はない。
「――陛下!!」
もみ合ったように交戦する兵士らの中をジャンソンに腕を引かれて突き進む。
それに気付いた敵の兵士がこちらをめがけて剣を振るおうとするが、カルティアの紋章が刻まれた甲冑を着込む兵士に妨げられる。
湿った空気を肌で感じた瞬間、背後で扉の閉められる音がした。中で行われている戦いの音がわずかに聞こえ、ウィルは振り返ってその扉を見つめた。
命を呈して作ってくれた道。
それは兵士だけではなく、まだ中に捕らわれたままの民も含まれている。
「……俺に、そんな価値は――」
はたして、自分にそんなことをされる価値はあったのか。
ぽつりと呟いた声に、聞き馴染んだ声が重なった。
「ウィル様」
ゆるりと薄暗闇の中で現れた人物にウィルは目を見張る。
「ご無事で。申し訳ありません、兵士に混じり扉の突破を試みていました」
闇を包んだ少年は静かに頭を垂れる。
「……なぜ、お前がここに……。――仁和は、どうした」
彼は彼女の元にいるものだと思っていた。だから、心配こそするものの彼がいるなら安全だと思っていたのだ。
けれど、ケトルはここにいる。
「仁和は……!?」
廊下には兵士の足音らしき音が聞こえる。城内にすでに何人の敵がいるのかすら分からない。
彼女の部屋には、彼女の元には――一体何人の兵士がいるのだろう。
仁和を守ってくれる者は。
「ジャンソン、仁和を探す!!」
「陛下!!」
「嫌ならお前は先に逃げろ。俺は行く」
「なりません、陛下っ!! 彼らの思いを無駄にする気ですか!?」
「無事に帰ってくればいいだけだろう。問題ない」
そう言いきるウィルにジャンソンは唖然とした。
「……ジャンソン。他の者を頼んだ――すぐに戻る」
「――陛下っ」
踵を返し、廊下へと駆けていくウィルにジャンソンは足を踏み出そうとするが、それを止めたのは二人の間に入ったケトルだった。
「ケトル!? お前、陛下を一人にさせる気か!?」
「ウィル様は大丈夫です。それよりも、どうなっているのかを確認するのが先です」
敵の数を正確に把握するのは困難だが、おおよその人数だけでも確認しておかなければ対処ができない。そして、なぜこんなことが起こっているのかも。
ジャンソンの前に立ちふさがるケトルの眼差しに、顔をしかめながらもわかったと頷いた。
――どこだ。
彼女は、どこにいる。
ウィルは剣の鞘に手をかけ、辺りを見渡した。
廊下の床に転がっているのは兵士だけで、侍女は一人も見当たらない。
戦力だけを見事に潰されたか。
侍女らはまとめて連れて行かれたか、見逃されたのか――どちらにせよ、まだこの城からは出ていないだろう。
「仁和は……」
無抵抗でいれば、殺されていないだろうか。
それとも、王の婚約者ということで顔を知られているのであれば、見逃される確率は少ない。
床に血に染まって倒れている男たちを見て、嫌な想像が頭を過ぎる。
「無事でいてくれ」
真っ直ぐ前を見据えた蒼い瞳に、一瞬何かを映す。
廊下の角を横切ったそれをウィルは反射で追いかけた。
「――仁和っ!!」
前方を走っていた――ドレスに身を包んだ少女がびくりと立ち止まる。
「ウィル……?」
黒髪を揺らしながら振り返った、ウィルの姿を視界にとどめて呆然と呟く仁和の腕を引く。
バランスを崩した仁和が悲鳴をあげそうになり、けれど伝わる熱に声を飲み込んだ。
「怪我はないか」
低く問うその声に、仁和が戸惑った声で、ないと返す。
腕に伝わる柔らかな感触に、抱きしめるその腕をウィルはさらに強くした。
驚いて固まったままの仁和は次第に体の力を抜き、ウィルにもたれかかるようにして息を吐く。
「……なんでここにいるの?」
「広間から……逃げてきて」
「広間? ――一人で?」
「いや、ジャンソンと」
そう答えた瞬間、
「じゃあなんで今一人なわけ!? ジャンソンは!?」
間髪いれず顔をあげてそう叫んだ。
「……ジャ、ジャンソンは廊下に残して――」
仁和を探しに来た、と続ける前に仁和が再び怒鳴る。
「たった一人で!? 敵が何人城内にいるかもわからないのに……!?」
「す、すまない」
「ちょっとは王の自覚を持ちなさい!! 狙われるのはウィルなんだから!」
王の首を取るのが目的なら、一人の時を狙われるのは明白である。
噛み付く勢いで怒鳴る仁和にウィルが苦笑を返すと、仁和は深く息を吐き出した。
「どうなってるの? これ」
「わからない。襲撃なのは明らかだが……仁和、侍女は?」
「サリーは――逃がした。ウィルの短剣、護身用に持たせて」
剣を振るったことのない彼女がとっさに剣を抜けるのか不安だが、持っているだけでも威嚇にはなるだろう。
しかし最悪の場合が、剣を持っていることで攻撃対象になることだ。
抵抗の意を示し、剣を捨ててくれれば逃がしてはくれなくとも殺されはしないはず。
俯く仁和に、
「ジャンソンは先に行かせておいた。――行けるか?」
と、ウィルが優しげな声色で問う。
頷く彼女にウィルは目で頷き返す。
「あ、でも待って」
忘れている物がある。
そう言う仁和に怪訝な表情をするが、ウィルはわかったと再び頷いた。




