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床に転がった兵士の腕を布で縛りつける。
「あ、おい、てめっ……!!」
すでに足も拘束されている男は、じたばたともがきながら叫ぶ。仁和は近くの部屋にあった布の一部を男の口に突っ込み、残りを今度は男の顔に巻きつけた。
「っ……!!」
一瞬で視界が白に染まった男はもごもごと何かを訴えているが、口の中に入った布のせいで上手く言葉を発せていない。
「これで大丈夫」
廊下のわずかな灯りに照らされて輝く甲冑の周りには白い布。ぐるぐる巻きにされ、もがきながらも床に転がっているその姿は先ほどの怖さなど微塵も感じられない。
仁和は満足げに頷き、暗闇に染まった廊下の奥を見据えた。
ケトルがここにいないということは、おそらくウィルの傍にいるのだろう。そしてそこには、親衛隊隊長であるジャンソンもいる。
少なくとも、どこかに隠れているよりかは安全なはずだ。
「ウィルはたぶんまだ広間に――」
仁和は床に転がった兵士にちらちらと視線をやっているサリーを見て、小さく頷きその手を取った。
「サリー、ここから一番近い門ってどこ?」
「え」
「門じゃなくてもいい、ここから一番近い、外に出れる場所ってどこ?」
「も、門じゃなくて……侍女だけが使う通路でしたら、ここを真っ直ぐ行って、右の方に……」
「そこまで走れる?」
問うと、サリーの瞳が揺れる。
そしてわずかな間の後、ちいさく頷いた。
仁和は短剣をベルトに固定し、それを確かめてから視線を落とすと、宝石の散りばめられた派手なドレスにはわずかに血が付着していた。
この格好で上手く走れるのかと不安が過ぎったが、仁和は侍女の手を取って足を大きく踏み出した。
「全力で走って!!」
もともと体力には自信があったほうではない。体育の授業でも、全体で見れば真ん中の方だった。
しかし、もつれそうになる足を緩めれば気がついた敵の兵士に斬りつけられる恐れがある。できるだけ気付かれないように移動し、それにサリーも必死について来る。
廊下を走ってサリーの言うとおり右に曲がり、少し行くとちいさな扉が見えた。
「こ、これです」
近寄って、サリーの震える手から鍵を受け取り扉の鍵穴に差し込む。手ごたえを感じて扉を開ければわずかに開いた隙間から湿った風が漏れ、相変わらずの雨が入り込んでくる。
「サリー、行って」
「え?」
「逃げて。ここは危ない。下町に紛れ込めば安全だと思う」
真っ直ぐに見つめてくる女主人に、サリーは首を振った。
「だ、だめです! 私だけが逃げるなんて――だったら仁和様も!!」
「私は……ウィルのところに行く」
「でしたら私も……!!」
「だめ。剣も持ってないでしょ? 私なら大丈夫。私、戦えるみたいだから」
それは、予想ではなく確信。
意識せずにとった行動は、普段の自分なら決してとらないだろう行動。それは己を守る術。
どうしてなのかはわからないが、不思議と納得できるような思いが仁和にはあった。
「で、でも……っ」
なおも首を振るサリーに、
「これ持っていって」
と、細かな装飾が施された短剣を差し出す。
「こ、これはっ」
「これを持って、逃げて。少しは威嚇になるし、相手に小さな傷くらいはあたえられるはず」
「仁和――」
「だめだと思ったら剣を捨てて、抵抗の意がないのを示して。見逃してくれるかもしれない」
「仁和様!!」
強引にサリーの手に短剣を押し付け、仁和は彼女を外へ押し込んだ。すかさず扉を閉め、足に固定したベルトからもうひとつの剣を抜いてドアノブに振り下ろす。
高い金属音が鳴り響く。何度も叩きつけ、ようやく剣を下ろした。
もう、この扉は開かないだろう。
サリーが扉を叩いているのだろう音が聞こえ、仁和は瞳を伏せる。
「早く、逃げて」
誰かが逃げたなど知られてはいけない。せっかく逃がした彼女までも、敵の手にかかることになる。
――何もわからずここへやって来た自分に、理由も聞かず優しく接してくれた人。
そんな彼女を、死なすわけにはいかない。
逃げて、と仁和は心の中でつぶやく。
逃げて、生きて。
仁和は体を反転させ、がしゃりと剣を構えた。
それはここに来る前に手短な部屋から拝借してきたものである。少々心ともないが、ないよりはましだ。
仁和は目の前の兵士――敵に視線を合わせた。
わずかな廊下の灯りに光り輝く甲冑は見慣れたカルティア国のものではない。
数人の男たちはいっせいに剣を引き抜く。
「ごめん。私こういうの得意みたい」
〝仁和〟はゆるく微笑んだ。




