<13>
こつりと、廊下に自分の足音が響き渡る。
異様なほど静かな、それでいて遠くからざわめきの聞こえるこの廊下はまるで自分の心のようだとロイアは思う。
黒い髪を揺らしながらロイアはそっと瞳を伏せた。
戸惑った様子の仁和は、寸分の狂いもなく似ている。
さぞ驚いたことだろう。目の前で失ったと思っていた者と、まるで瓜二つのような者が現れれば。
すべてはロイアの思っていた通りに進んでいる。
死んだと〝誤認〟していた彼は、たとえ別人であろうとも大切に扱う。彼にはもう、確認する術もないのだ。
そして、それをするだけの心も。
「王子」
しがれた声が聞こえ、ロイアは足を止めた。
柱の陰から出てきたのは、闇と見紛うほどの老人である。
「どうした?」
「……使者が」
黒く染まった年老いた男――ドーリックが短くそう告げる。それだけで理解したロイアは、ドーリックの言った方向へと向かった。
カルティア城の背後には大きな森がある。中庭から少し奥、普段使われぬ小さな空間にはしっかりと武装した男が一人立っていた。
あまりにも無防備だが、この場所を知っているものはごく限られていると知っているからなのか、男は平然としている。
しかしロイアが近づくと、男は明らかな警戒心を見せる。内心、疑っているのだろう。
どんなに口で言おうとも、本当は隙をついてわが国を滅ぼそうとしているのではないかと。いくら主から話を聞かされていても、簡単にこの少年を信じきることはできない。
緊張した面持ちで男は口を開いた。
細々と、小さく開いた口から言葉が漏れる。それに対してロイアが短く言葉をつむぐ。
その会話は、二人から離れていたドーリックには届かないほどのもの。
「……使者はお前一人か?」
「あぁ」
先ほどより表情が和らいだ男が頷いた時、その耳にわずかな布擦れの音が聞こえた。
なんだと思い、視線をめぐらそうとした次の瞬間、強い衝撃を感じて男は低く呻いた。
「……っ!?」
思わず膝を折り、視界に映ったものを辿ると、そこには無表情に自分を見下ろすロイアがいた。
深々と突き刺さったそれは鎧の繋ぎ目の間に上手く入り込んでいる。
べったりと血のついた剣は細く、そして目を見張るほど優美なもの。一見すれば護身用にも、もしかすれば人さえも斬れないのではと思うほどの剣である。
それが、男の横腹に突き刺さっている。
「ぐっ」
何の前触れもなく引き抜かれ、男はうめき声をあげて地面に崩れ落ちる。
「な……にを」
片膝をついて、男はロイアを見上げた。
自分はただの使者だったはずだ。要件を伝え、そして相手の言葉を持ち帰って主に伝える。
それだけだったはずだ。
なのに、なぜ自分は殺されかけなくてはならないのだ。
こんな一片の情もなく、何の感情も持たないような瞳で見下ろす男に殺されなくてはならないのだ。
霞みはじめた視界の中で、男は朦朧と考える。
避けなければと。逃げなければと。
無表情に剣を振りかざすこの男は、何の感情もなしに自分を殺す。
噂は本当だったのだな、と男はぴくりとも動かない体に必死に力を入れながら思う。
表立った噂は人懐こく、温和な性格だというものである。年齢とは裏腹に臣下たちを困らせていると聞く。
だが、それとは違う彼の噂をこの男は知っている。
自分の邪魔となるものは、たとえ味方であろうとも排除する。
冷徹で残酷な――カルティア国の第二王子。
それは争いを嫌うカルティア国にはあまりにも似つかわしい、王子の姿だった。
空気が揺れる。
森を背後に剣が振り下ろされ、それが己に向かっていくのを見届けた男はそのまま意識を手放した。
ゆらりと、草が揺れる。
わずかに吹く風が血臭をさらっていき、それが頬をなでた。
ぴくりとも動かない、血に染まり地面に横たわる使者を見下ろしていたロイアは視線を上げる。
腐臭が漂い、それが風に乗って鼻につくころ、ロイアは剣についた血を払う。
地面に生えた草が血に染まり、それでも風が吹けばさわさわと踊る。
血に染まった男であった肉の塊と化したものを見下ろしてロイアはちいさく呟く。
「ねぇ、仁和。もう何もかも遅いんだ。――すべて、動き出したんだから」




