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背中がごつごつとして仁和は身じろいだ。
頬を時折掠める柔らかな感触。そして布越しに伝わるひんやりとした冷たさに双眸を開ける。
「……え」
目の前に広がる光景にしばらく動けず、そして勢いよく起き上がった。
教室にいたはずだ。
いつもの見慣れた空間に。
なのに――
仁和は呆然とあたりを見つめた。
眼前にあるのは雲一つない澄み切った青空。そして下には見慣れない建物がいくつも並んでいた。
すべてを一望できる丘の上に少女は立っていたのだ。
混乱と戸惑いの入り混じった瞳で周囲を見渡して、さらに仁和の混乱が増す。
どこなのだ、ここは。
行ったこともない、知らない場所だった。
「なに、が……」
震える足で後退すると肩に硬いなにかがぶつかり、驚いて首をひねると聳え立つ一本の巨木が目に入る。
大きく、存在を主張するかのように立つ木は丘の中心に植えられていた。
仁和が両手を広げてもあり余るほど、幹は太い。風が吹けば青々とした葉は揺れ、時折空を舞う。
ふと、仁和は動きを止めた。
ゆっくりと吹く風は心地いいと感じさせる温度で、寒いと思う温度ではない。
今は二月真っ只中。雪が降る日も多く、積もる日だってあるほどだ。
なのに――仁和は思わずコートを掴む。
温かな風は春を感じさせ、防寒対策ばっちりの仁和には少し暑い。
どうなっているのだろう。
そう考えた瞬間、脳裏に意識を失う寸前の光景がよみがえった。
教室の片隅にあった〝歪み〟。空間を、空気そのものを取り込んだような歪み。
底の見えない、ただ恐怖のような不快感が押し寄せてくるもの。
「あれは、なに?」
渦を巻くような歪みに触れてからの記憶が無い。
はっきりと記憶に残るその光景がひどく不快だった。
いまだ混乱の収まらない頭を軽く振って仁和は巨木から離れ、丘の端へそろりと足を踏み出す。
小高い丘の上から見えたのは、紛れもなく見たことのない景色だった。町のようなそれはところどころ崩壊し、けれどすぐ傍で新しい建物が建てられ始めている。
そして一際目立つ建物に目を留めた。
「――城」
がっしりとした面持ちの城――王城だ。
石造りの巨大な城は一部が崩壊し、けれど町同様に修復されている最中だった。
特に装飾のない外壁は石で造られ、窓のようにくり抜かれた場所もある。さらには天井と思しき場所は一部が尖っていた。
威圧感の漂う城はまさしく歴史の教科書や資料本でみるようなもので、街中に堂々と建っているものではないはずだ。
ぞっと、悪寒が背中を走る。
得体の知れない恐怖に細く悲鳴を上げ、喉が干上がっていく。
幸い手元にあった鞄をきつく抱きしめて仁和は僅かに後退した。
その刹那。
「陛下!!」
焦りの混じった男の声が背後で聞こえ、弾かれるようにして振り返るとそこには駆け寄ってくる途中の男の姿が視界に映る。
がさりと音を立てながら青々とした草を踏みしめて、男が仁和と対面し息を呑んだ。
高価そうな白い布地をふんだんに使った服は金の糸で綺麗に刺繍がされている。他にも煌びやかな布地を惜しげもなく使い、丈の長い服は仁和からすればさぞおかしな服――中世のヨーロッパを彷彿とさせるようなものだった。
普通に街中を歩いていれば間違いなく好奇の目で見られる服装である。
ミュージカルや舞台でしか目にかかれない服を男はそれが当然とでも言うかのように、ごく自然に着ている。
やはり、と思う。
仁和の体を駆け巡る得体の知れない恐怖は当たっていたのだ。
両手で慣れ親しんだかばんと震える体を抱きしめて、仁和は蒼い瞳を見開いて呆然と見下ろす男を見上げた。
飴色の髪は柔らかそうに風になびき、まとう雰囲気もそれにあった優しいものだった。
けれど、その瞳が今は動揺に揺れている。
真っ直ぐに見つめてくる蒼い瞳の奥を、仁和は知らずに凝視していた。
「――こいつを」
男が後ろから追いかけてきた兵士に低く呼びかける。
「城に連れて行け」