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窓から差し込む光が優しく部屋の中を照らす。
ここ最近天気がよく、晴れが続いているのだ。それは城内と同じで、戦いが終わったばかりだというのにカルティア城の中は不思議なほど賑やかである。
不思議なほどのんびりと過ぎていく時間に仁和は妙な違和感を感じながらも、高価そうな椅子に座っていた。
ふと傍らに佇んでいたサリーが、仁和の胸元を鮮やかに飾る首飾りを見て微笑む。
「いつも身に付けておられるのですね」
その言葉に仁和が視線を落とすと、深海を思わす蒼い石のはめ込まれた首飾りがちいさく揺れた。
城下町へ行ったときにウィルに買ってもらった首飾りは、こうして変わらず仁和の胸元を飾っている。
「綺麗ですね、それ。よかったですね、仁和様」
タオルを畳んでいたサリーににっこりと微笑んだ顔でそう言われ、仁和は気恥ずかしさに俯いた。
毎日つけようかは迷ったのだ。けれど、外そうとするとどうしてもあの時のウィルの表情が浮かんでしまう。
何度か微笑んでいる顔は見たことがあった。しかし、どうしてかあの表情が離れないのだ。
脳裏に浮かぶあの柔らかな微笑みを思い出すと、首飾りを外すのを躊躇ってしまう。
「……短剣も、だし」
装飾品に見間違うほどの優美な短剣。部屋から出るとき以外は机の引き出しに置いてあるが、やっぱりいらないとつき返す気にはなれなかった。
深いため息を吐いて仁和は項垂れる。
「……ちょっと散歩してくる」
椅子から立ち上がってサリーに断りを入れて、のろのろと扉へ向かう。
そして細かな模様の入った扉を開け――妙な奇声を発してびくりと肩を揺らした。
「仁和?」
開けた先にいたのは、何人もの臣下を連れたウィルがいた。目を見開く仁和はしどろもどろになりながらそそくさと部屋から出る。
「どうした?」
「な、なんでもない!」
明らかに挙動不振な動きをしながら仁和は首を振る。不思議そうな顔をするウィルから慌てて視線を外し、身を翻す。
逃げるように長い廊下を走るその後ろ姿を見て、ウィルと臣下はぽかんとしていた。
仁和は長く続く廊下を走り、角をまがって中庭に出る。
緑の生い茂る中庭の一角に、たくさんの花が植えられている花壇がある。色とりどりの花は見事に咲き誇り、自己を主張していた。
仁和は浅く息を吐き出しながらあたりを見渡して、ふと人影に目を留める。
「グランディ?」
「……仁和様」
中庭に佇む白衣にも似た白い服を着るグランディはこの景色に溶け込んでしまいそうだった。
年老いた男は軽く頭を下げる。
「こんなところでどうしたの?」
「それは仁和様もですよ。あまり歩き回られては陛下が心配されます」
「……あー、私は、ちょっと……」
仁和は苦く笑う。
「仁和様。少しお時間をよろしいでしょうか」
視線を落とす少女に妙にかしこまった様子でグランディがそう言い、仁和は怪訝な表情をしながらも頷いた。
二人で中庭の地面に腰かける。
「――帰りたいですか?」
グランディの突然の問いに、仁和が目を見開く。
「歪みの研究は進んでいません」
「……」
「帰りたいですか?」
再び問う。
どこに、など聞く必要もない。
黙ったままの仁和に視線を向け、それから空をあおいだ。
「あまり帰りたがる素振りがなかったものですから」
とにかく、とグランディは続ける。
「研究は続けます。今のところ何の進展もないですが、そうするしかありませんので」
では、と服に付いた砂を払って立ち去るグランディをぼんやりと見つめ、仁和は視線を落とした。
帰りたいのかと、グランディは聞いた。
――帰りたいと思ったことがなかったわけではない。
親も友達も――大切な人たちや生活を、ふとした時に思い出すのだ。
こことは全く異なる世界。文化も、生活も、すべてが違う世界。けれどそれでも、元の世界のことを思い出しても、帰りたいと強く思わなかったのはきっと――。
がさりと、何かが擦れるような音が耳朶を打つ。
はっとした仁和は視線を彷徨わせ、いつのまにか隣に立っていたロイアを発見した。
「ごめん、立ち聞きするつもりはなかったんだけど」
苦笑しながら仁和の隣に腰を下ろすロイアは、相変わらずその地位には似合わないような気がした。
「ロイア、こんなところにいてていいの? 仕事は?」
「今はちょっと休憩中。っていっても、教育係には黙って出てきたんだけど」
腕を伸ばして固まった体をほぐすように伸びをする彼は、ばれたら怒られるなぁと呟く。
自由奔放なロイアに周りが困惑しているのを知ってか知らずか、王子である彼は無邪気に笑う。
その様子に、肩を寄せて一国の王子と座り込んでいるなどおかしな光景だなと仁和は胸中で苦く笑った。
「――帰りたい?」
ぽつりと、ロイアが口を開く。
「え?」
「元の世界」
元の世界、とその単語に仁和は目を見開く。それは確かグランディが口にしなかった言葉だったはずだ。
話を聞かれていても核心の部分は分からないだろうと踏んでいたのだが、
「し、知ってたの……?」
ぎょっとして隣を見ると、ロイアの微笑んでいる顔が視界に映る。
「言ったでしょ? 仁和のことなら何でも知ってるって」
「……」
「歪み、進展していないんだってね?」
「あ、うん。だから――」
「帰りたくないならここにいるといいよ。きっと喜ぶと思うよ? ――兄上もさ」
ロイアと視線を合わせず黙りこむ仁和から視線を外し、服に付いた砂を払って立ち上がり、城内へと続く渡り廊下へと戻っていった。
柔らかな布地に細かな刺繍の施された服をなびかせて歩く王子の後姿から視線を逸らし、仁和は複雑な表情で空を見つめる。
どこまでも晴れが続くその空に、一陣の風が吹いた。




