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漆黒とも言える影が動く。
黒に包まれた服を着るのは年老いた男である。比較的ゆったりとしたその服はすべてが黒で、闇に紛れるためのもののようだった。
細い瞳が揺れる。
年老いた男が見つめる先は、月明りに照らされた主の姿。
長い間傍に寄り添い、けれど何をするまでもなく、その後姿を見守っている。
遠くを見るように上げられた顔は――その瞳は、一体何を見ているのだろう。本当は、もう何も見ていないのかもしれない。
じっとその後姿を見つめていると、ふいに主が動いた。
「――状況は、どうなっている?」
部屋の中を照らすのは窓から差し込む月明りしかない。表情も、感情すら読み取れない声はじっと老人の言葉を待つ。
「……あなた様のおっしゃったとおりです」
「そうか。……あいつは?」
「問題なく」
静かに言った男の言葉を聞いて、月明りに照られた髪――黒髪が風を受けたようになびいた。彼から発せられる空気はこの部屋全体を包む。ピリピリとした空気を肌で感じた。
影を纏った男は普段人目に出ることはない。古くからこの城にいる者は知っているだろうが、数を失った兵士のかわりに入ってきた者は自分の存在を知らない。
それは男にとっては好都合だった。
「――何の用だ?」
低い声にはっとする。
見ると、主の視線は扉にそそがれていた。
瞬間、闇の中でなにかが動くのが見える。
するりと部屋の中に入ってきた男がにやりと笑うと、闇の中にきらりと光る八重歯が見えた。
「報告だよ。……悪趣味だな、こんな部屋で」
腰に剣を携えた男はぐるりと部屋を見渡す。
静かな夜を背後にして佇むのはこの部屋の主。それはすべてを飲み込むようで、そして真っ黒に染まっているようで――ぞわりとした何かが背中を走る。
男は微笑する。
直接対面したことはなかった。今までは使者を通しての文通でやり取りをし、そして話を聞かされたのも違う人物からだった。
――悪くない、と男は思う。
敵にすれば間違いなく殺される相手だ。たとえ味方でも、敵になった瞬間容赦なく殺し、自分の邪魔となるものは徹底的に排除するだろう。
すべてが黒に染まったような男。暗い闇の中に身を投じているのだろう。
「いつまで待てばいい?」
軽く首を傾げてそう聞くと、
「まだ待機しておけ」
と、闇を背後に抱える男は口を開く。
その答えに、満足そうに八重歯の目立つ男が頷く。
そして入ってきたのと同じ扉へと歩み寄り、そのまま部屋を出た。
扉を閉め、ふっと息を吐く。
全身を包む闇がなくなり、広い廊下が姿を現す。
男はきれいに磨かれた廊下を歩き、肩越しに扉を見て微笑んだ。
もう後戻りは出来ない。
深い闇の中にいるような男。そしてそこから出ようとすることもなく、それよりもさらに闇を取り込もうとしていた。
「どこでずれたんだろうな」
にたりと笑う男の歯が薄暗闇の中に浮かび上がる。
わずかな灯りしかない廊下を歩く靴音が、静かな空間に響いていた。




