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歪みの苑  作者: みづき
二章
17/82

<6>

 漆黒とも言える影が動く。

 黒に包まれた服を着るのは年老いた男である。比較的ゆったりとしたその服はすべてが黒で、闇に紛れるためのもののようだった。

 細い瞳が揺れる。

 年老いた男が見つめる先は、月明りに照らされた主の姿。

 長い間傍に寄り添い、けれど何をするまでもなく、その後姿を見守っている。

 遠くを見るように上げられた顔は――その瞳は、一体何を見ているのだろう。本当は、もう何も見ていないのかもしれない。

 じっとその後姿を見つめていると、ふいに主が動いた。

「――状況は、どうなっている?」

 部屋の中を照らすのは窓から差し込む月明りしかない。表情も、感情すら読み取れない声はじっと老人の言葉を待つ。

「……あなた様のおっしゃったとおりです」

「そうか。……あいつは?」

「問題なく」

 静かに言った男の言葉を聞いて、月明りに照られた髪――黒髪が風を受けたようになびいた。彼から発せられる空気はこの部屋全体を包む。ピリピリとした空気を肌で感じた。

 影を纏った男は普段人目に出ることはない。古くからこの城にいる者は知っているだろうが、数を失った兵士のかわりに入ってきた者は自分の存在を知らない。

 それは男にとっては好都合だった。

「――何の用だ?」

 低い声にはっとする。

 見ると、主の視線は扉にそそがれていた。

 瞬間、闇の中でなにかが動くのが見える。

 するりと部屋の中に入ってきた男がにやりと笑うと、闇の中にきらりと光る八重歯が見えた。

「報告だよ。……悪趣味だな、こんな部屋で」

 腰に剣を携えた男はぐるりと部屋を見渡す。

 静かな夜を背後にして佇むのはこの部屋の主。それはすべてを飲み込むようで、そして真っ黒に染まっているようで――ぞわりとした何かが背中を走る。

 男は微笑する。

 直接対面したことはなかった。今までは使者を通しての文通でやり取りをし、そして話を聞かされたのも違う人物からだった。

 ――悪くない、と男は思う。

 敵にすれば間違いなく殺される相手だ。たとえ味方でも、敵になった瞬間容赦なく殺し、自分の邪魔となるものは徹底的に排除するだろう。

 すべてが黒に染まったような男。暗い闇の中に身を投じているのだろう。

「いつまで待てばいい?」

 軽く首を傾げてそう聞くと、

「まだ待機しておけ」

 と、闇を背後に抱える男は口を開く。

 その答えに、満足そうに八重歯の目立つ男が頷く。

 そして入ってきたのと同じ扉へと歩み寄り、そのまま部屋を出た。

 扉を閉め、ふっと息を吐く。

 全身を包む闇がなくなり、広い廊下が姿を現す。

 男はきれいに磨かれた廊下を歩き、肩越しに扉を見て微笑んだ。

 もう後戻りは出来ない。

 深い闇の中にいるような男。そしてそこから出ようとすることもなく、それよりもさらに闇を取り込もうとしていた。

「どこでずれたんだろうな」

 にたりと笑う男の歯が薄暗闇の中に浮かび上がる。

 わずかな灯りしかない廊下を歩く靴音が、静かな空間に響いていた。

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