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男に投げつけ、だめにしてしまった果物を買い、仁和とウィルは王城に戻った。
出て行くときと同じ門へ行くと門番の男は神妙な顔をし、そしてウィルから仁和が保護した少女だと聞かされ目を丸くした。
どうやら仁和のことを丁寧に扱えと言っているらしく、それを聞いて仁和は納得する。
保護されたということを知っている人やすれ違う兵士からやけに優しくされる気がするのだ。そんな立場ではなく、ましてやこの国の、世界の人間ではないのにと不思議に思っていた。
そのことを深く追求する気にはなれず、不思議に思いながらも生活していた。
「私お客じゃないんだけど」
扱いが普通ではないのは最初からだったが、どうにも不に落ちない。
眉を寄せていると、
「俺は寝所に戻るが……仁和はサリーのところか?」
と、いつの間にか立ち止まっていたウィルが問いかける。
「あ、うん。買ってきたもの渡さなきゃだし」
「そうか」
ちいさく頷いて寝所へ続く廊下を歩くウィルの背を見送って、仁和も自室へと戻る。
ウィルの眼前には一際目立つ大きな扉。他の部屋の扉よりもはるかに目立ち、そして一つの芸術品とも言える国王の部屋の入口。
それこそ、ここが国王の部屋であると示すようなものである。扉の前に佇む甲冑を着込んだ二人の兵士はウィルを見て頭を下げた。
いかにも重そうな甲冑は見た目とは裏腹に軽く作ってあり、そして頑丈なのだ。兵士の手に持っている槍にはカルティア国の印が刻まれていた。
戦いを好まず平和であろうと思い続ける、そんな思いの込められた印は、蔦が中心に描かれた剣に絡みつくようにして渦を巻いている。それはカルティアにいる兵士らすべてが持っている剣に刻まれているもの。
ぎし、とちいさく鳴る木造の扉を開けるとウィルは城下町に紛れ込むために着ていた服を脱ぎ捨て、傍らに佇む侍女に渡す。
「城下へ行ってらしたのですね」
ウィル付きの侍女になって十数年。幼少の頃から仕えていた侍女長でもあるマリヤ・カルツェはそう言って微笑んだ。
彼女ひとりいればウィルの世話はすべて出来てしまうため、マリヤ以外国王付きの侍女はいない。
「……ジャンソンは?」
「大丈夫です。ですが陛下、休憩の時間なのでしたら大丈夫なのでは?」
「最近は問題ごとが多くてな。ピリピリしているんだ」
しわ一つない、肌触りのいいシーツのひかれた豪奢なベッドに腰かける。
部屋の中には調度品と絵画や装飾品――そして親しく交友している隣国からや捧げられた献上品などが置かれている。それでも収まりきれない物は隣の部屋に並べられていた。
その多くはウィルの気持ちとは反し、親衛隊長のジャンソンや兵士が置いているのだ。あまり物に執着心がないウィルにとっては休む場所である寝所までも飾り付けられては迷惑この上ない。
どれほど苦情を言っても改善されることはなく、かわりにいくつか装飾品が増えていくのだ。
ウィルはふっと息を吐き出す。
マリヤは服をたたんでそっと脇へ置き、主に向き直った。
「城下へはお一人で?」
「いや、仁和とだ」
「……あの娘ですか」
じっと部屋にいることを嫌う少女。どういう経緯で保護したかまでは聞かされていないが、あの少女を一目見たときは驚きを隠せなかった。
「また抜け出されたのですか?」
「今回はお遣いらしい」
ウィルの脳裏に、一見しただけではただの町娘か侍女にしか見えない仁和が映る。
後先考えずに行動し、門番の男に睨まれているとも知らず堂々とする仁和。加えて路地裏で男に囲まれていた時でさえも、微動だにしない。
いや、おそらくは怖かったのだろうが、そんな素振りは表情に一切出さなかった。
「……どこまで」
静かに目を伏せる。
息とともに吐き出された言葉は扉を叩く音にかき消された。
短いノックの後、
「兄上、今よろしいでしょうか」
そう言ってするりと部屋に入ってきたのは、第二王子であるロイアだった。
ウィルの弟である彼はそっとマリヤを見、視線を戻す。
「……マリヤ、すまないが席をはずしてくれ」
「はい」
そう言ったウィルに頭をたれ、次いでロイアにも頭を下げて静かにマリヤが部屋から出て行く。
それを見送った後、ロイアは細く息を吐き出した。
「お疲れ様です、兄上。城下へ行ってらしたんですね」
「あぁ」
ゆっくりと歩み寄るロイアに軽く頷く。
「ジャンソンが聞きつけたら怒られますよ」
「……そうだな」
ウィルは苦笑する。
あまり考えたくはない光景だ。ジャンソンは腕は確かだが基本短気なのだ。部下からの信頼も厚く尊敬されているのだと感じるときが多くある彼は大げさというほど心配する。そしてもう少し国王の自覚を持って欲しいと懇願されるのである。
かすかにロイアの口元も笑みを形作られ、一見すれば普通の兄弟の会話に見える。
けれどロイアの視線はただまっすぐウィルに向けられ、一瞬たりとも外さない。そしてウィルも、そんなロイアの眼差しを受け取っていた。
奇妙な空気が部屋を支配し始めた時、前触れもなくロイアが動く。
「これから公務と聞きましたので、俺はこれで」
「あぁ」
踵を返したロイアに、再びウィルは頷いた。
ゆっくりと扉が閉まるまで、息が詰まりそうな空気が消えることはなかった。
「本当……なぜああも身構えるのだろうな」
ロイアの出て行った扉を見つめ、苦笑する。
公務に忙しくロイアと顔をあわせることもあまりない。こうして部屋に訪れることさえ滅多にないのだ。
そして部屋に訪れたかと思えばロイアは常に身構えている。表情に出さずとも、構えていなくとも、それはありありとわかるほどに――まるで構えているのをわからせるかのような行動である。
深く息を吐き出してからウィルは扉から視線をそらす。
その時ふと脳裏をよぎったのは仁和の姿。
部屋に閉じこもり、じっとしているのを嫌う性格のためか頻繁に城内を散策していると聞いた。その場を何度か目にしたことはあるが、声をかけられる距離ではなく、そして彼女も物珍しそうに興味津々な瞳であたりを見渡している。
歪みの研究は続けられているがグランディいわく進展はなく、行き詰っているらしい。どういう原理でかもわからないのだ。頭を抱えている彼の姿が目に浮かんだ。
ウィルは空を仰ぎ、そして自分の考えに自嘲じみた笑みをこぼす。
「生きて――」
生きていてさえくれればいい。
そう呟いたウィルの口元は、薄く笑っていた。




