<4>
大通りを出て路地裏に入る。再び喧騒の声がちいさくなり、活気づいた並びが遠く見える。
慣れた足取りで進むウィルの背中を追う仁和はふと眉をひそめた。
「――ウィル」
呼びかけに返事はなく、代わりに少しだけウィルが振り返る。
「変なところに行くわけじゃないよね?」
仁和のために空間を――おそらく無意識に作ってくれた男は小首をかしげる。
「鍛冶屋は……変なのか?」
「え? 鍛冶屋?」
今度は仁和は首をかしげた。
きょとんとするウィルに苦く笑いながらも首を振り、仁和は黙ってその後をついて歩いた。
「いらっしゃい」
「頼んでいたものはあるか?」
何度か角を曲がった先にあったのは、ウィルの言葉どおり鍛冶屋だった。
だがその風貌は簡素な普通よりも大きい露店で、言われるまで鍛冶屋だとは分からないほどである。
慣れ親しんだ様子の男店主はあぁ、と頷いて店の奥に消えた。そして再び戻ってきた時にはその手に布で包まれた細長いものが持たれていた。
ごつごつとし、まめが出来ている男の手から差し出されたものを受け取る。
「これでよろしいですかな?」
ウィルは布をめくり、その状態や形状を見て、
「あぁ。いつもどおりいい仕事をするな」
と、満足げに頷く。
「いえいえ。女性用にとのことでしたが……あちらの方へ?」
「そうだ。――仁和」
興味深げに店の奥を見つめる仁和に声をかけ、手に持っていた物を差し出すと、少女はぎょっとして身を引いた。
「どうした?」
一瞬見ただけでそれが何かを判断したらしい。
ウィルの手にある物をじっと凝視し、後ろに下がろうとする仁和に苦笑する。
鞘に入っているのだから大丈夫だと、それ――短剣をもう一度差し出す。
「仁和のだ」
「い、いらない」
「持っているだけでいい」
「そ、それ剣!!」
「知っているが」
じりじりと近づくウィルと、それに応じて後ろに下がる仁和との奇妙な防戦。それを見ていた男店主は呆れたように笑う。
路地裏で男たちに剣を突きつけられても微動だにしなかったのになとウィルは首をひねりながらも仁和に近づく。
そして仁和はそれを必死で逃げる。
誰かが剣を持っているのを見るのと、自分が持つとのではわけが違う――気がするのだ。おかしな言い訳だとは思う。それに、短剣を持って近づいてくるウィルがどこか楽しそうなのである。
「受け取ってくれないのか?」
仁和が頑なに拒否していると、ぴたりと足を止めてそう呟くウィルにぎくりとし、
「け、剣なんて持たなくてもいいでしょ!?」
と、元の世界では包丁すら持ち歩いたことがないのだからと少しずれたことを思いながら叫ぶ。
鍛冶屋と言われたときに気付くべきだった。だが、それはウィルが自分用に買うのだと思っていたのだ。まさか自分へだったのだなどと、わかるはずもない。
「……俺があげたものを持っていて欲しかっただけなのだが……」
「え?」
「装飾品では持っていてもらえないだろうと思い、実用向けの短剣にしようと思ったのだが」
短剣でもだめか、と呟いて布を巻いた。
「では、装飾品なら受け取ってくれるか?」
「……そ、それなら」
短剣よりはましだろうと思って仁和は頷く。身につけているだけでいいと言うのなら、それで構わない。
「いい店がある。――その前に、これを持っていろ。やはり物騒だ」
満足げにウィルは微笑み、そして布で巻いた短剣を仁和に渡す。とっさに受け取ってしまった仁和は弾かれたようにウィルを見上げた。
「ウィル!?」
「持っているだけでもいいだろう」
「言ってることと違う!」
「その短剣は装飾品とも見える。いつもはドレスで隠しておけ」
仁和はウィルを睨みつける。
騙された。いや、からかわれていたのか。
手の中にある短剣は装飾品に見間違うほどのもので、とても実戦向きではない。
しかし、細かな模様の入った柄を握って恐る恐る抜いてみた剣は研ぎ澄まされ、少し上下に揺らすと光に反射して刃がひらめく。
「……」
人を傷つけるものなのだと確認させられた気がして、仁和はそっと鞘に戻した。
そして鍛冶屋の前を通り過ぎ、ふたたび大通りに出る。活気づいた大通りは喧騒が止むことはない。客を呼び込むための声が両側から聞こえる中、ウィルは人ごみの少ない道を進み、ある一店の前で立ち止まった。
「彼女に似合うものを」
「はい」
並べられている装飾品に見とれていると、隣からそんな声が聞こえた。
見た目では三十代――中年らしき男店主は銀細工や髪飾りが並べられている中から一際目立つ首飾りを手に取る。
「こちらなどはいかがでしょう?」
差し出されたのは細かな模様が入り、はめ込まれている蒼い石ととてもよく合っていた。
光の入り具合で変わる石を守るように渦を巻く模様が刻まれた首飾りは思わずため息が出るほど綺麗だ。所々に何かの花をあしらった模様も刻まれている。
「こちらの石は希少価値が高く、そうそう手に入るものじゃありませんよ」
深海を連想させるような蒼い石はウィルの瞳によく似ていた。
可愛らしく繊細で、人の目をひきつける、そんな首飾りをまじまじと見つめていた仁和ははっとし、
「ウィル、私向こうのお店のでいいからっ」
「向こう?」
首飾りに満足している様子の彼女を見て、お金の入った袋を取り出そうとするウィルを慌てて止めそう叫ぶとウィルが怪訝な顔をする。
「うん、路地裏の」
はめ込まれた石はどう考えても宝石だ。値段も高いに決まっている。そんなものを首からぶら下げて平然としていられるほど宝石に慣れていない。
部屋に所狭しと並べられている装飾品も、専用の宝石棚に入れられている宝石もどれも身につけていない。どれもこれも高価そうで、お金の使い道が違うのではないかと唸ってしまうほどだったのだ。
「路地裏……あぁ、あそこのはだめだ」
「え?」
「そうですねぇ。あのあたりで売っているのは大抵流され回された物でしょう」
ウィルの言葉に目を瞬くと、男店主も頷いた。
「あんなに綺麗だったのに?」
貝殻を模した首飾りなどは一見質素だが可愛らしかった。他にも綺麗な装飾品はたくさんあり、これを貰えたらさぞ嬉しいだろうと思っていたのだ。
それがだめだと言われる理由がわからない。
「誰が作ったのかも、どこでかもわからない。きっとどこかの旅人が売ったものだ。いくらいい品でも、あそこのは少しわけが違う」
「カルティアは珍しい物も流れ込んでくるんですけどねぇ……なんというか、あそこに集められているのはいわく付きの物ばかりなんですよ」
「……いわく付き」
そのせいかどうかはわからないが、あの路地裏の空気は少し淀んでいたように思う。
「じゃあ、私の見てたあの首飾りも? 普通に見えたんだけど」
仁和は首をかしげた。
いたって普通の、装飾品を扱う店なら置いてあるだろう一品だった。いわく付きだと言われるような雰囲気は皆無だった。
「普通の物もあるんですよ。ですがいわく付きも混ざってますからたいていの人は何も思わずに買ってしまいますね」
男店主はそう言って、蒼い石のはめ込まれた首飾りをウィルに手渡した。
見ると、ウィルはすでに布の袋からお金を出して店主に渡している。
止める暇もない。
「……高くないの? 後で払えって言われても私お金持ってないんだけど」
迷いもなく買っているウィルにそう言うと、
「払わなくていい。あと、これはそれほど高くない」
「そうですよ。どこかの旅人が置いていったものでして。前に行った国ではまったく値段がつけてもらえなかったそうで……おそらくここでも同じだと思ったのでしょう。いらないからと置いていかれました」
「え。そ、それって勝手に売っていいの……?」
「はい。ですから、この装飾品は高価でありませんのでご安心を。うちが仕入れたものではないですから」
「……はぁ」
にっこりと微笑む男店主に、仁和は曖昧に頷いた。
いいのだろうか。それで。
しかるべき所へ持っていけば、もっと高値で買い取ってくれるのではないのか。
あまりお金に執着がないらしい店主は何でもなさそうに言うのだ。
仁和は差し出された優美な首飾りを手で包んで視線を落とす。可愛らしいが上品でもある首飾りを見つめ、そして顔を上げるとじっと見つめてくるウィルと目が合った。
つけてくれないのかと問うような表情に仁和はそろりと首飾りを持ち上げ――ウィルを見た。
「どうやってつけるの……?」
鎖をまじまじと見つめ、首をひねっているとウィルが首飾りを奪い、仁和の髪をまとめて手早く首飾りをつけた。
動くのと同時に跳ね、胸元を飾る鮮やかな蒼い石。吸い込まれそうな石を指でそっと触れた。
「あ、ありがとう。ウィル」
「あぁ。いつもつけているといい」
満足げにそう言ってウィルがふわりと笑う。
柔らかな笑顔にとくりと心臓が跳ねた。それにぎょっと目を見開き、とっさに胸に手を当てる。
不思議そうな顔をするウィルに首を振り、仁和は深く息を吸う。
わずかに跳ねる心臓にさらに混乱が増した。落ち着けようと胸元の服を掴むと指先に首飾りがあたり、それを見てさらに仁和は動転した。
それは小さな、小さな変化。
視線を上げるとウィルがこちらを見つめていて、視線をそらすと見慣れない、夕日の色に染められた町並みがある。ぼんやりと、それに懐かしい景色が重なった。
記憶にある景色とは違う町。行き交う人々。
手の下で跳ねる心臓に合わせ、それらが少しずつ、色づき始めていた。




