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歪みの苑  作者: みづき
二章
14/82

<3>

 男がにやにやと笑う。

 仁和はそっと手に持っていた銀細工を戻す。

「いい服着てるな、あんた」

 薄く汚れた服を着る男の後ろには、数人の男が同じように笑って仁和を見ていた。

 上から下まで眺め、男が近づく。

「どっかのいいとこのお嬢さん?」

 仁和は手元の袋をしっかり抱えなおし、素早く男の姿を見た。剣はすでに手元にあり、空になった鞘が無造作に腰にぶら下がっている。後ろの男たちも同じだ。

 いくら平和な国でも、こういう輩は存在する。

 油断していた。

 まさか王城の目と鼻の先でこんな騒ぎを起こすとは思わなかったのだ。

「……おい、何とか言えよ」

 黙っている仁和の目の前に苛立った男が剣をちらつかせる。

 仁和は身じろぎもせず男を睨みつけた。

 本当は怖い。元いた世界――日本では剣を持ち歩く者などいなく、持っていたとしてもナイフなどだ。ましてやそれを突きつけられた事などあるはずもない。

 男は鼻で笑う。

「おい、今の状況分かってねぇだろ」

 ぴたりと首元に刃を当てられ、その冷たさと感触に仁和はぞっとして身を引いた。

 男はそのまま剣を上げ――部屋にあった適当な布で結んでいた髪を掠める。切っ先にあたって破れた布がひらりと地面に落ち、結んでいた黒髪がなびく。

 大通りから大きく外れた路地裏にいくつも並ぶ露店の店主は関わりたくないと思っているのか、顔を伏せたままこちらを見ようともしない。銀細工を売っていた男店主も同じく、顔を俯かせたままだ。

 囲まれるように立つ仁和は眉を寄せた。

 逃げられない。

 男は全部で七人。振り切って逃げたところでこれだけの数がいれば容易に捕まる。仁和の足では振り切ることさえも難しい。

 大声を出したとしても、ここからでは大通りには聞こえないだろう。大通りで響き渡る喧騒の声もまったく聞こえないのだ。助けを呼ぶこともできない。

 仁和は果物の入った袋に視線を落とし、これでも投げつけてやろうかと思う。みずみずしく、甘い匂いを漂わせる果実は硬く、十分鈍器になる。

 命は落とさずとも気を失うくらいはするだろう。

「怪我させんなよ。傷が付いたらどうすんだ」

「ちょっとくらいいじゃねぇか」

「久しぶりのお客さんだしなぁ」

 下品に笑う男たちは常識というものがないらしい。いや、そんなものはとうに捨てているのかもしれない。

 なにしろ、王城のすぐそばでこんな騒ぎを起こし、女子供を物としか思っていないような男たちなのだ。

 仁和は音を立てないようにひとつ果物を取り出して感触と重さを確かめる。

 本当は、食べ物を粗末にしてはいけない。けれど今は目をつぶってもらおう。

「ねぇ」

「あ?」

「果物は好き?」

「は――?」

 にっこりと笑ってそう告げ、仁和は腕を振りかぶる。

 この先に起こることがわかったのか、驚く男たちに投げつけようとし――

「こんなところで何をやっている」

 と、耳元で声が聞こえたのと同時に腕を掴まれた。

 ささやかれた声に聞き覚えがあるなと思ったのと同時に首をひねり、仁和は目を剥く。

「はぐれるなと、あれほど言っただろう」

 穏やかな声は緊迫したこの空気にはあまりにも似つかわしく、そして、ここにいるにはあまりにも不自然な人物がそこに立っていた。

「……っ!?」

 仁和は叫びかけた名前を慌てて呑み込んだ。

「ああ? お前、邪魔すんじゃねぇよ」

 一人の男が前に出る。

 仁和は苛立った男の声に耳を傾けず、背後に立つ男を呆然と見つめていた。

 薄汚れた大きめの服と、すっぽりと被ったフードは髪色と瞳の色を隠すためだろう。わずかに零れ落ちたのは太陽の光に反射して輝く飴色の髪。

 緊迫した空気とは裏腹に、彼はいたって平然と構えていた。

 それが男の神経を逆なでしたのか、剣を構えなおしてウィルに歩み寄る。

「悪いが、俺の連れだ」

「連れだ!? そんなこと知るかよ! こんなことしてただですむと思って――」

 ウィルを斬りつけようとした男の言葉が不自然に止まり、続けて唸り声が耳朶を打つ。

 一瞬だった。

 男の腹にめり込んでいる柄を視界にとどめると、容赦なくさらに強い一撃が加えられる。

 低い唸り声を発している男はそのまま地面に転がった。

「てめぇ……!!」

 男たちがいっせいに剣を構える。

 緊迫した空気が殺気へと変わった。けれどそんな中でも彼はやはり平然とし、突っ込んでくる男たちを一撃で地面にひれ伏していく。

 目の前で崩れる巨体に驚きつつも、彼の言葉は本当だったんだなと感心してしまった。

 転がった男たちは唸り声を上げながら起き上がり、彼を睨みつけてよろよろと走り去っていく。

 打ち付けられたところが痛いのだろうか、その背中はあまりにも無防備だった。その一番最後に走って行った男を見て、仁和は握り締めていたものを投げつけた。

「ぎゃっ」

 孤を描くように男めがけて飛んでいく果物は見事頭に当たり、男はそのまま地面に倒れこんだ。

「……や、やりすぎた?」

 ぴくりとも動かない男に仁和は苦笑する。

 やられっぱなしでは気がすまないと思ったのだが、どうやら当たり所がよかったらしい。

「そう、みたいだな」

 苦く笑って彼が頷く。

 死んではいないだろうと勝手に納得し、仁和はしっかりと抱え込んでいた袋に視線を落とした。

「どうしよう……お遣い頼まれたのに」

 せっかく買った果物を無駄にしてしまった。

 最初から投げつけるつもりだったが、またさっきのと同じものを買ってこなければ。

「お遣い?」

「そう、サリーが忙しいからって――」

 怪訝そうな顔をする男に、仁和は途中で言葉を切る。そしてはっとし、

「って! なんでウィルがここにいるの!?」

 と、フードから零れ落ちる飴色の髪を慌てて押し込む彼に詰め寄った。

 突然の登場と、一瞬のうちに男たちを打ちのめしたのは国王であるウィルだった。

 質素な服は国王が着るにはふさわしくなく、けれど代々受け継がれるという剣だけは服に隠れるようにして腰にぶさらがっている。こうして見れば、彼が国王なのだとは気づかないだろう。

「公務が終わったんだ。今は休憩中だから問題ない」

「そうじゃなくて!」

「仁和が城下に行ったと聞いたんだが……ケトルも心配してた」

 覗きこむように体を曲げるウィルの瞳が濁っていないのを見て仁和は凝視する。

 深い深海を思わすような蒼い瞳。あれ以来公務に忙しく、こうして話をする時がなかった。ウィルを見つけたときはいつも遠くからで、あの不可解な言葉の意味すら聞く時間がなかった。

 しかし今こうして聞いてみようかと考えると、またウィルの様子が変わってしまうのかと思ってしまう。

 瞳だけではなく、光に反射して鮮やかに揺れる飴色の髪でさえくすんでいるように見えてしまうのだ。

 それを見るとなぜか心がざわつく。

 それなら――

「報告したんだけど」

 今のままのほうがいい。

 仁和はむっとした表情でウィルを見上げた。

 報告すればいいと言われたのだ。

 なのにまるで監視するようについて来られたら意味がない。

「あぁ」

「……誰に聞いたの?」

「サリーだ。念のためにと教えてくれた」

「か、帰りなさい!」

「なぜだ? 今は休憩中だ」

「そ、それでも、危ないでしょ」

 自分も危ない目に遭っていたのだが。

 けれど、一国の王とどこにでもいるような少女とでは話が違う。

「それは仁和も同じだろう。なぜ逃げなかった」

「に……逃げようと思ったけど、無理だったし」

 囲まれるように立っていた男たちを振り切るのはどう考えても無理そうだった。下手に逃げてつかまったときのことを考えれば、この方がいいのだろう。

「……やはり必要か」

「え?」

 なぜかひとりで納得している様子のウィルに小首をかしげる。

 頷くウィルに腕を引かれ、ついて来いと言うなりさっさと歩き出す。慌てて後ろを追い、また人で溢れかえる大通りを歩く。流されないようにと足に力を入れていたのだが、先ほどよりも歩きやすかった。

 仁和は前方を歩く男の背中を見上げた。

 先を行くウィルは慣れない仁和が歩きやすいように空間を作ってくれているらしい。迷うことなく進み、前だけを見ているかと思っていたウィルはどうやら仁和のことを注意して見ているらしく、少しでも離れると肩越しに彼女を見る。

 彼の作ってくれる道が歩きやすく、同時になぜか温かくなる。

 監視されているようだと思ったが、あの人ごみの中から、ましてや路地裏に入った仁和を見つけるなど無理に等しい。この中ではぐれれば再び落ち合うことは難しいのだ。

 なのにウィルはいたってすんなりと仁和を見つけた。

 追って来てくれたのだろうか。

 城下町に不慣れな仁和を心配して。

 思ったよりも、いい人なのかもしれない。

 今は国王に見えないウィルの背中を見つめ、仁和は微かに微笑んだ。

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