<2>
「ん……」
ゆるゆると双眸を開けた。
もうずいぶんと見慣れた天井からゆっくりと視線を動かす。
カーテンから入り込む光は温かく体を包み、朝を知らせる。
まだ寝ていたいとは思うが、おそらくサリーが先に起きて待っているだろう。
そう思って少女――高浜仁和はまだ鈍い体を起こす。
固まった体をほぐして仁和はあきれるほど豪奢な天蓋付きベッドから抜け出した。
「サリー?」
いつも通り朝食をとり、何をするまでもなくのんびりと過ごしていた午後。
お茶の時間になってサリーの焼いたお菓子を食べていた時、仁和は侍女のサリーを見て小首をかしげた。
「どうかした?」
眉を寄せたまま思案している様子のサリーは感情が表に出やすいらしい。どれほど取り繕っても最終的には顔に出る、そんなタイプなのだ。
「はい。城下町にお遣いを頼まれて。でも、このあと用事がありまして……」
サリーが苦く笑う。
どうしようかと悩んでいるらしい。
仁和は空を仰ぎ、
「ね、それ私が行く!」
とサリーに微笑んだ。
「え、え?」
「サリー忙しいんでしょ? だったら私が行く」
サリーにはいつもお世話になっているのだ。それに、用事があるのなら暇な自分が行った方がいい。
戸惑う彼女に微笑んでそう言うと、サリーは曖昧に頷いた。
初め来た時さえ大人しかったが、本来仁和がそういう性格ではないことを嫌というほど知った。きっと閉じ込めておいても無理やり出てくる、そんな性格なのだ。
城になれ始めた彼女は進んで出かけることが多くなり、最近では危ないからと言って止めることが少なくなった。
それはケトルにも言え、城内を単独で歩いていても危険なことは何もなかったが故に大目に見ているらしい。しかし彼にも護衛という仕事があるので仁和の傍は極力離れない。
そして、どこに行くのかと報告さえすればいいということになった。
「では、お願いしてもよろしいでしょうか」
「うん」
今では主人と侍女という立場ではなく、気軽に話せる友達と言ったほうがいいような関係になってきている。それは仁和にとっても嬉しいことだ。
名残惜しく香ばしく、甘く焼かれたクッキーのような食感の菓子を口に放り込む。その隣には鼻腔をくすぐる匂いを漂わせるお茶がある。それを飲み干して買う物の書かれた紙とお金を受け取り、仁和は意気揚々と部屋を出た。
だらだらと部屋で過ごしていては体がなまる。
やはり閉じこもっているのは自分の性に合わないなと納得して、侍女に扮した仁和は一人で廊下を歩く。
いつもはケトルがぴったりと張り付くか見える範囲でついて来るのが通常だったが、今回は訓練を見て欲しいという頼みがあったため傍にはいないのである。
軽い足取りで通用口を通り城の外へ出る。
近くで見た城壁はがっしりとしており、城を守るのに適切ともいえた。
「凄い」
初めて間近で見る城壁に思わず見つめていると、槍を持ったまま壁に寄りかかっている門番を見つけた。やはりここを通らなければならないのかとため息をつく。
戦いが終わったから気を抜いているのか、けれど戦いが終わったというだけで警戒心を解くには早すぎる――やはり長年平和を保ってきたカルティア国ゆえなのかと思ってだらしなく立つ門番に近づき、仁和が声をかける前に男は眉をひそめた。
「侍女か?」
「……そう」
一瞬間をおいて、仁和が頷く。
保護された少女、という形だけの話は広まっているがほとんどの人が仁和の顔を知らない。城内を歩いた時に出会った人や侍女ら以外は知らないのである。
もちろん、この門番も含めてだ。
「お遣いを頼まれてて。開けてくれない?」
見た目だけなら侍女にも紛れられるはずだ。
出来るだけ質素な服を選び、装飾は一切ない。
じろりと仁和を見つめる門番の男に、仁和はいたって平然とかまえて見せた。ここで怪しむような行動を取っては逆効果だ。
怪しい者ではないと判断したのか、男は門を開けた。
「ありがとう」
そう微笑んで、仁和は堂々と門をくぐった。
しばらく歩き城から遠ざかって、ほっと息を吐く。
背後に構える王城を見上げ、次に前方に視線を移し――仁和はたじろぎながら目を見張る。
広場から大通りに出ると、思った以上の人で賑わいを見せていた城下町は戦争の終わったあととは到底思えなかった。もっとも、戦いが終わってからかなり経っているのだが。
それでも笑顔を見せ、客を引き込むために大声を張り上げている店主らを見ているとたくましいと尊敬してしまう。
仁和は手元の紙に視線を落とし、近くにいた人に声をかける。
「すみません」
「ん?」
「果物の売っているお店ってどこにありますか? ここに書かれている」
そう言ってサリーに書いてもらった紙を見せると、女はあぁ、と頷く。
「この店なら、ここの通りの……あれだよ。五番目の」
「ありがとうございます」
指差す方を確認して、仁和は礼を言い戸惑いながらも人ごみの中に入っていく。
人で埋め尽くされている道は思ったように進めず、立ち止まれば途端に人に押されて流されてしまう。人を掻き分けるように手を伸ばし進もうとするが、思うように進めない。
あちこちから聞こえてくる呼び込みの声や客との会話が耳に入ってくるが、いちいち注意を向けてられず、やっとのことで目的の店の前につく頃には額に汗が浮かんでいた。
並んでいる店はどれもしっかりしているが、もう少し奥のほうへ進むと露店の方が多いように見える。
ぐったりとしていた仁和は紙を見て、笑顔を向ける男店主に告げていく。
色鮮やかでおいしそうな果物を手にとって眺め、店主に渡す。そしてお金を支払って、毎度と言った男店主から果物の入った袋を受け取ると、
「王城で働いているのか?」
「え?」
突然の問いに仁和は店主を見た。
「見たところ服もいいようだし、どこかのご令嬢じゃないだろ?」
「……えっと、はい」
少し怪しんでいた門番でさえも気付かなかったのに、やはり商人は違うのだろうか。
自分の着ている服をちらりと見て、仁和は頷いた。
「じゃあやっぱり国王陛下ってのは、噂通りの人なのか?」
「噂?」
「いつもは遠くからしか見えないから分からんが……陰のある男だって噂だ」
「陰……」
陰のある。そう言われればそうなのかもしれない。
「そんな話が広まってるんですか?」
「ん? あぁ。何年か前に突然――ってな」
「それって、隣国との戦いで?」
「いや、そうじゃない」
仁和は眉を寄せた。
ウィルがああなったのは、やはりなにか理由があるのだろうか。
以前は公務で忙しく、国と多くの民の生活を支えているため心を壊してしまったのかと考えていた。
「あ……」
そこでふと、思う。
「ウィル――じゃない、国王って、両親はいないんですか?」
齢二十三。そんな歳で一人で国を支えているのに違和感があった。
前国王はウィルの父親であるはずなのに、その気配は微塵もない。
そして、気まぐれで拾ったと言われる仁和への対応について咎めるようなこともなかったではないか。
男店主は小首をかしげ、
「王城で働いているのに知らないのか? 前国王と前王妃はウィル王とロイア王子が幼いときに亡くなられたんだ」
と、仁和を見つめる。
「……え」
その事実に、仁和が目を見開く。
「――そうだったんだ」
仁和はしっかりと果物の入った袋を持って、ふたたび混雑する大通りを見る。
人で溢れかえるこの中にまた入っていかなければならないのかと思うと苦笑いになる。
そしてふと視線が露店に止まる。
大通りから抜けて少し奥に行くと、表のしっかりとした店とは裏腹に簡素な露店が並んでいた。
その一店を見て仁和は歩み寄る。
「いらっしゃい」
「綺麗ですね、これ」
小さな貝殻がいくつか付いている首飾りや光の入り具合によって色を変える石。そしてそれを使った銀細工などが並んでいた。
細かな部分まで装飾の施されている首飾りや指輪はどれも高く、けれどそれに見合った値段といっていいだろう。
店主は視線を彷徨わせる。
先ほどから仁和の顔を見ることもなく、俯き加減になっている男店主はそわそわと落ち着きがない。
不審に思いながら銀細工を手にとって眺めていると、
「姉さん」
薄ら笑いを含んだ声が聞こえた。




