<11>
渡り廊下を歩く足がふと緩む。
「――どういうこと?」
死んでいると言った。
目の前で、自分が。
「似てる人と間違えてる……?」
仁和は柳眉を寄せる。
ぼんやりとした瞳は虚ろで、どこか危険さを感じた。目を離せば、気を抜けばすぐに崩れ去ってしまうほどに。
ウィルは何を言っているのだろう。
自分は生きている。そもそも、この世界の人間ではない。
それはウィルも重々承知しているはずだった。
「間違えた、だけ?」
けれど何か引っかかる。
漠然とした違和感はそれが何であるかわからず、ただ仁和の心を埋めつくしていく。
早足で部屋に急ぐ。
部屋に帰ればサリーに怒られるのは目に見えている。しかし、そんなことは今の仁和の頭にはない。
おかしな人。
初めて会ったときから普通ではなかったような気がした。
そそがれる視線は時に何か思い悩むように色を変え、そしてまた元に戻る。
何かの拍子で光から影に入れ替わるように――ウィルの様子が変わった。
何も映してない、濁った瞳。
それが脳裏をかすめ、仁和は瞳を閉じた。
――狂っていく。
形の成さない何かがゆっくりと、けれど確実に。
そんな感覚がして仁和は無意識に肌触りのいいドレスを握る。
そっと双眸を開け、くり抜かれた窓に手をかけた。
ウィルは素早く異変を感じ取ったケトルによって城内に戻らされた。虚ろな瞳は何かを探すようにあたりを彷徨わせ、それはケトルに腕をとられて歩き出していた時でさえも止まることはなかった。
「ウィルってやっぱり……変」
変というのには、少し違うかもしれない。
けれど、それ以外に当てはまる言葉が見つからなかった。
楽しいと感じ始めた時間。
当たり前のように繋いでくるウィルの手は心地よく、守られているのだと感じた。城内を歩き、ふとしたことに笑って――そんな些細な、楽しいと感じた時間はあっさりと消えてしまった。
「仁和」
ぼんやりと流れていく雲を見つめていると、不意に名を呼ばれてはっとした。
「どうしたの? 浮かない顔してる」
小首をかしげながら近づいてくるのは、ウィルの弟でありカルティア国の王子であるロイアだった。
穏やかに吹く風を受けてロイアの黒髪がさらりと揺れる。
「兄上と城内を歩き回ってるんじゃなかったっけ? 仁和一人なの?」
ロイアの服はウィルよりも派手ではないが、それなりに高級感がある。装飾はほとんどなく、ひらりとなびく服は王子という立場には似つかわしかった。
仁和はロイアの問いに目を瞬く。
「知ってるの?」
「ジャンソンが会議遅れるって騒いでたから。今日は大事な話し合いだったのにって……そのあとにもいくつかあるみたいだし、時間調整するの大変なんだって」
「ロイアは?」
「あぁ、だめだめ。今回のは王である兄上じゃなきゃだめだってさ」
時々ロイアも駆り出されるときがある。
だが今回はそうはならないらしい。
「……兄上は?」
「え、あぁ……ちょっと」
あたりを見渡して不思議そうな顔をするロイアに仁和は苦笑いを向ける。
どう説明すればいいのか分からない。
誰から見ても様子がおかしいと分かるウィルの行動を、弟のロイアにどう話せばいいのか分からなかった。
「体調崩したの? 最近は色々揉め事があるらしいから。忙しいみたい」
「――そうなんだ」
と、仁和が頷くとロイアは石造りの壁にもたれかかる。
かすかな金属音が耳朶を打った。
「……剣?」
それを視線で追い、ぽつりと声を漏らす。
ロイアの腰に携えてあるのは細い剣。見ただけで軽そうだと思うその剣の柄には細かな模様が入り、あまり目立たないがかなりいい腕のものが作ったのだろう。
「これね、献上品。兄上がいらないって言うから貰っちゃった」
笑ってそっと服の上から撫でる。
「貰っていいものなの?」
「うん。飾る場所もないみたいだし」
あまり装飾はないが品があり、斬るための物と言うよりは装飾品といった方が当てはまるような剣である。
「飾り物程度でも威嚇にはなるでしょ? 仁和も持ってたほうがいいよ」
「え、私は……。そういえば、ウィルもそんなこと言ってた」
剣が欲しいのかと尋ねられ、違うと言えば短剣の方がいいだろうと笑った。
「へぇ。そっか……でも、持ってたほうがいいと思うけどね」
そう言った仁和にわずかに瞳を細めて薄く笑う。
「……どうして?」
戦争は終わったはずだ。
どういう経緯で終わったのかは知らないが、平穏を取り戻したカルティア国は争いの雰囲気など皆無だった。
城内は今でも慌しい時があるが比較的穏やかで、そしてそれは窓から見えた城下にも言えた。
争いなど起こる気配は微塵もなく、ウィルもそれらしきことを言った覚えもない。
「うん。そうだね」
薄く笑うロイアはそれ以上何も言わず、仁和はそっと見上げる。
外を見つめるその瞳からは感情が読み取れない。
「仁和は関係ないんだ。……いや、あるのかな?」
「ロイア……?」
ゆっくりと振り向くロイアを仁和はただ呆然を見つめた。
口元に笑みを刻んだその表情は形容しがたく、仁和は知らずに後退していた。
「じゃあ、またね。――仁和」
ふっといつもの人懐っこい笑顔に戻り、ひらひらと手を振るロイアに仁和ははっとして頷いた。
いつの間にかあの奇妙な空気は消えている。
遠くなっていく背を見送って、仁和はサリーが待つ部屋へと向かう。
以前部屋を抜け出した時は追いかけてきてくれたが、今回はウィルが一緒にいると知っているからか追いかけては来なかった。
きっと部屋で待っていてくれているのだろう。
仁和の身を案じ、そしてなぜ国王であるウィルに保護されたのか、奇妙な服を着た彼女に一体どこから来たのか――聞きたいことはあるはずなのにそれには一切触れず、サリーはただ黙って傍に寄り添ってくれた。
異国の地に放り出され、内心戸惑い、不安だった仁和の心を読むように、サリーは親身になって世話をしてくれたのだ。
「帰ったら、お礼言わないとね」
そう一人ごちて、待っていてくれる彼女の元へと急いだ。




