<10>
「覚えられない……」
仁和は眉を寄せる。
丁寧に順を追って説明し、案内してくれるがさっぱり覚えられない。
広すぎるのだ。無駄と言っていいほど。
「そうか。では覚えられるまで、俺と毎日城内を歩こう」
手はずっと繋いだままの状態で、ウィルがふっと笑う。
「え!? そ、それは遠慮しておきます」
「遠慮するな」
「します。それに、王が単独で歩き回ってたら駄目でしょ」
今二人の周りには誰もいない。
ついて来なくていいと言われた臣下たちが実はどこかに身を潜めているのかと思ったが、どう注意深く見てもそれらしき人は見当たらない。
「単独ではない。仁和もいる。それに、自分の身くらい自分で守れる」
どこか自慢げに剣に手をかける。
あれからどれだけ注意深く見てもウィルの手が赤く染まることはなく、一瞬のあれはなんだったのかと眉を寄せた。
「では次は、訓練場に行くか」
「訓練場?」
聞いたことのある名前に仁和は小首をかしげる。
確か、今日ケトルが行くといっていた場所。もし鉢合わせにでもなったら、間違いなく怒られるだろう。
前に城下へ行こうとしたのがばれたとき、こっぴどく叱られたのだ。声を荒げるのではなく、静かな低い声なのだからさらに怖い。
そのときのことを思い出してわずかに身震いした。
けれどそんな仁和の様子に気付かず、ウィルはさっさと歩き出す。
慌てて後を追い、廊下を曲がって少し歩くと、
「外?」
青空の下に出た。
「ああ。天気がいい日は外でやってる」
そう言うウィルの後をついていくと、前方から野太い声が耳朶を打つ。
皆が自分の剣を握り、大きく振りかぶっている。見た目が重そうな剣も鍛え抜かれた兵士なら振るのも容易いのだろう。
その集団に近づいていくと、皆が目を見張ってこちらを見つめた。
当たり前である。
兵を連れずに王が一人で歩いているのだ。さらに隣には、保護されたという少女が一人。
「ウィル様、仁和様!?」
一番早く反応したのはケトルだった。
珍しく声を荒げたケトルが汗を拭い、素早くこちらに駆け寄ってくる。
「な、なぜこのような場所へ……護衛は……」
「置いてきた」
「置いてきたって、ウィル様」
「仁和に城内を案内していたのだ」
「城内を? 仁和様、また部屋から出て――」
「ご、ごめん!! でも今日は城下じゃなくて城の中だし、安全だし!!」
険しくなっていくケトルの表情に慌てて両手を横に振る。
眉を寄せるケトルに必死で弁解すると、仕方がないとため息を漏らされた。
「俺と一緒に、部屋に戻っていただきます」
「え、でも……」
ケトルの後ろをちらちらと見る。
鍛えているのか、剣を持っている兵士が気遣わしげにこちらの様子を伺っている。
国王がここにいるのが気になって仕方がないのだろう。
仁和は真っ直ぐ見つめてくるケトルに視線を移した。
もう少し見て回りたい。
それに、訓練する様子も気になるのだ。
「もうちょっと、だめ?」
「だめです」
きっぱりと言い切るケトルに肩を落とす。
仁和の護衛をしている彼は、案外強情らしい。
「ウィル様も、お部屋に――」
「少しだけだ。少し見たらすぐに行く」
「ウィル様!」
咎めるようなケトルの声を無視してウィルは仁和の手を引いて、ざわめきを起こす集団に向かっていく。
「少し見てるだけだ。続けてくれて構わない」
「陛下、ですがここは危険です」
一番体格のいい男――バロンは首を振る。
一定の距離を保っているが、曲がりなりにも剣を振っているのだ。万が一、ウィルを傷つけてしまったら、ただごとではすまない。
焦ったような声を出す男にウィルは薄く笑う。
「問題ない。俺だって剣くらい使える」
聞き分けのない国王に周りは困惑する。
その様子に、
「う、ウィル。迷惑になってるから」
仁和が言えた立場ではないが、さすがに申し訳なくなってウィルの服を掴んだ。
困惑する兵士たちがおろおろとこちらを見ている。
「もう行こう」
「――なぜだ? お前が見たいといってきたのに」
「私のせい!?」
「……わかりました。ですが陛下、くれぐれも気をつけてください」
何を言っても聞かないウィルに深く息を吐き出して、バロンはそう言い集団の輪の中へ入っていく。
「ほら! 続きだ!!」
パンパンと両手をたたく音と叫ぶ声にはっとし、兵士はそれぞれ剣を構えなおす。
それぞれに対峙した兵士らは一斉に剣を振った。
瞬時金属音が鳴り響き、当たるか当たらないかの距離で剣が相手の体を掠める。
練習だからといって、手は抜かない。
戦いが終わり平和を取り戻した今は、兵士らの存在意義が問われている。元々争いの好まなかったカルティア国は、この状況を期に兵士を減らそうと考えているのだ。
もちろん兵士らが黙っているはずもなく、隊長であるジャンソンが日頃掛け合いに勤しんでいる。
――一際高い金属音が鳴る。
ぼんやりとしていた仁和はその音にはっとし、次いで目の前で金属音がして息をのんだ。
「陛下!!」
「大丈夫か?」
慌てた男の声に続いてウィルが顔を覗き込む。
突然のことに驚いてぎこちなく頷くと、ウィルの手に剣が握られているのが視界に映る。
そして視線をめぐらし、少し離れたところに剣が地面に突き刺さっているのが見えた。
対峙していた相手の剣を弾き、ここまで飛んできたのだろう。そしてそれを、ウィルが防いだのだ。
ずっしりと重量のありそうな剣がそれほど飛ぶのかと驚きつつも、ウィルが庇ってくれなかったら今頃自分は――そう考えてぞっとした。
「すみません! お怪我はありませんか!?」
走り寄ってきた兵士が突き刺さった剣を見て真っ青になる。
「あぁ。仁和も無事だ」
「おいお前! 陛下に怪我でもさせたらただじゃすまされないぞ!!」
大股で近づいてきたバロンは兵士に怒鳴りつける。
別にいいと言ったウィルの言葉に聞く耳を持たず、見た目からして三十代半ばの男は青ざめる兵士に詰め寄った。
「違います。僕のせいです!」
「あ?」
「申し訳ありません。僕が剣を弾いちゃったので」
人を掻き分けて進んでくるのは少年と呼ぶにふさわしい容姿をしていた。歳はまだ十代半ばか――それより少し上かもしれない。
太陽の光を浴びてわずかに色を変える髪を揺らして、少年は男の前に立った。
「サスティ・アランか」
どこか堂々とした雰囲気の少年を見て目を細め、
「……わかった。次からは弾くな。押さえ込め」
「はい」
詰め寄っていた兵士から離れた。
胸倉を掴まん勢いで詰め寄られていた兵士はほっと胸を撫で下ろす。
「陛下。お怪我はございませんか?」
「ああ」
「よかった。……えっと、保護された方ですよね?」
ウィルを見上げて、次にサスティは仁和を見て小首をかしげる。
「あ――はい」
「初めまして、サスティ・アランです。陛下とは顔見知りで以前良くしてもらいました」
ふわりと笑うその顔はやはり幼い。
男と向かい合っていた時は凛とした表情だったが、笑うと一段と幼くなる。
成長途中の背はまだまだ伸びそうである。
「陛下の護衛をするのが夢で」
「そのときはよろしく頼む」
「はい!」
大きく頷いて、ではと頭を下げ、集団の輪に入っていく。
ふたたび再開された練習を遠巻きに見つめて、
「ウィルって剣できたんだね」
心なし自慢げに語ってきた様子からみても、せいぜい少しできるといったくらいだろうと思っていたし、腰に下げられた剣は代々受け継ぐといったものだが、飾り物程度だとも。
国王は守られるべき存在であり、王がいなくなれば国は回らない。
そのウィルがまさかあそこまで早く反応できるとは思っていなかった。
「まぁな。数人の兵士相手なら簡単に倒せる」
「練習してるの?」
まさか一人で剣を振っているわけではないだろう。
こういうことは、実践してこそ身につくのだ。
「いや、ジャンソンが相手になってくれてな」
そう言って笑い――次の瞬間、瞳が陰る。
ウィルの纏う雰囲気が変わり、仁和は驚いて見上げた。
「ウィル?」
「……そうだ……どうしてお前が生きている……?」
意味の解さない言葉に仁和は呆然とした。
「何を……」
「俺の目の前で――死んだのに」
澄み切った蒼い瞳は淀んでくすみ、どこか虚ろになっていく。
感情の読めない瞳が仁和を捕らえる。
楽しいと感じ始めた時間が、あっさりと幕を閉じた。