第十一話 橋渡し
「何が……起こってるの?」
絶えることの無いユリシェリナの悲鳴。
ひっきりなしに彼女は自身の顔面を擦るが、涙は一向に元に戻る様子を見せない。
ワカはそれを驚愕の表情で見つめながら、何度も自問自答を繰り返した。
自分が原因か、ユリシェリナ自身によるものか。
これにハバモンドは関係しているのか、何か別の要因があるのか。
これはユリシェリナにとって良い変化なのか、それとも悪影響を与えるものか。
『う……あっ、いた……い。いたいっ、いたいっ』
そうするうちに、ガリ、メリとユリシェリナの身体から尋常でない音がし始めた。
「どうして……」
ワカは唇を強く噛む。それこそ、血が出る程に。
『お、とうさま。おとうさま、きて……いたいっ!』
外見は不思議と何も変わらない。
ただ、何も見えていないかのように揺れる目からは黒い涙。
『やだ……あぐっ、い……たい。おとうさ、おとうさま……どこ?』
お父様、お父様とハバモンドを連呼するその口からも、一筋、黒い液体が滴った。
「お父様ぁ――――ッ」
このままではジリ貧、埒が明かない。
ユリシェリナの容態を見、そう判断したワカは大きく叫んだ。
彼女がどうなっているかはわからないが、何もしないよりは自分の策を。
「お父様っ、来て――――っ!」
あらん限りの大音声。
もうもうと土煙を上げて何かがワカのいる所へ向かってきたのと、それはほぼ同時だった。
「…………げっ」
ワカは上がった視力でそれを確認して、顔をしかめる。
周りの墓にガンガンぶち当たりながらまるで流星のように向かってくるのは――――ハバモンドの、あのオンボロ馬車。
「あああぁぁあ、なんて罰当たりなっ」
そんなことを言っている場合ではないのに言いたくなってしまう。
ハバモンドの馬車は非現実的世界においてさらに非現実的だった。
何てったって、ユリシェリナを探すのにびっくりするほど時間をかけなければならなかったあの道を、数秒数える間に駆け抜けてきてしまうのだ。墓も無残に蹂躙され、元々オンボロだった車体には既にあちこち穴が開いているようにも見える。
ブレーキをかけながら、それでも止まりきれずに、馬なんか顔から地面に突っ込む勢いで、御者をしていた当のハバモンドは、
「ワカあぁぁぁぁぁっ!!」
魔法無しで、空を舞った。
「……とりあえず。早くこっちに」
地面に突き刺さったハバモンドを掘り起こし、ワカはそう呟く。
緊迫した状況が、慌てて戻ってきた。
「う……ん。ワカ?この墓石はどうしたんだ?それにその角……」
三半規管に思わぬダメージを喰らったハバモンドは、くらくらする頭を抱えて引きずられるままにワカについていく。
ユリシェリナの浮いているところまで近づく途中に事情の分かっていないハバモンドが暢気にもそんな質問をするが、もちろんワカはそれを黙殺した。
「お父様、今から言うことを信じて、聞いて」
ワカはユリシェリナの前でハバモンドを振り返り、言った。
今までの様子を見るに、ハバモンドはユリシェリナには気づいていない。
ユリシェリナは、なぜワカに姿を見せてハバモンドには見せないのだろうか。
ワカの頭にそんな余計な思案が浮かぶが、消し去る。
「ん?……あ、ああ。そうしよう」
ハバモンドが不思議そうな顔をしながら首を傾げ、頷く。
半信半疑な上、幼児愛好癖の気があるハバモンドはいまいち信じきれないが、一応言質は取った。
『あ、あぅ……いたいッ』
先ほどから聞こえるメキメキという音が徐々に大きく、強くなってきている。
少なくともこれは決して良い状態ではあるまい、と、背後にその音を聞きながらワカは言葉を紡いだ。
「今ここには、ユリシェリナがいるの。お父様の娘の、ユリシェリナ・ロピリノ・ハバモンドが」
言いながら、自身の手をすっとユリシェリナの横に添えるように動かすワカ。
「リズ、が?」
ハバモンドは怪訝な顔をしながら、そして目をそこに凝らしながら、それでも小さく頷く。
「そう。そして、とても苦しんでいる」
『あぐうぅっ……う……おと、さま?』
ワカの台詞に重ねるようにユリシェリナが声を上げる。
「……ユリシェリナも、聞こえる?今、そこにあなたのお父様がいるよ」
ユリシェリナに話しかける。
聞こえてなくとも良い。聞こえているなら、反応できるなら尚良い。
『おとう、さま……』
ふわりふわり、今までの活力はどうしたのか、まるで怨霊から幽霊に逆戻りしてしまったかのように、ユリシェリナの輪郭がぼける。
しかも、ただぼけるだけではない。
ユリシェリナの着ていたレースたっぷりの服の端々が黒く染まっていく。
彼女をあれだけ苦しめていただろう黒い液体に、塗り潰されるように……侵食されるように。
そしてユリシェリナは焦点の合わない瞳で虚ろに空中を見回し、細くて白い手を持ち上げて、何かを探すように彷徨わせた。
『おとうさま、どこ……』
「お父様、ユリシェリナは――リズは、今とても危ない状態なの。一瞬先にはどうなってしまうかわからないぐらいに」
それを聞いて、今まで曖昧に頷くだけだったハバモンドの顔が少し、真剣味を帯びたものになる。
「だから、今から私の言うとおりにして。信じるだけじゃなくて、私に従って動いて」
言いながらワカはハバモンドの手を握り、自身のもう一方の手をユリシェリナの上に、被せるように乗せた。
「これはリズとお父様、両方の同意が無いと、できないことなの」
ぎゅっと、握った手に力をこめる。
「私に、お父様とリズの橋渡しをさせて欲しい」
私にできることはこれぐらいだから。
ワカの目は、そう雄弁に語っていた。
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