第三十九話 〃 22
ゆるやかに時が過ぎていく。まるでここだけが現実の時間軸から外れているような錯覚を覚える。
「それは幼いころからずっと思っていました。全く同じ成長、まったく同じ容姿、全く同じ背格好。まるでもう一人の自分がいるように感じて、鈴蘭の存在はさながら、私のスペアみたいに思ってたっス。あるいは、鈴蘭が本体で、私がスペア、だったのかもっスけど。まあ、どちらにしろ本体に何かがあっても取り換えが効くような、代替品っスね。そういう意味では、やっぱり代償行為だったんでしょうね、それは」
恍惚の表情を浮かべる。
俺は黙って、少女の独白を聞く。
「それまではそれでよかったんです。幸せでした。隣に鈴蘭がいて、私がいて、幸福でした。けど、あの事件をきっかけにその幸せは瓦解しました」
「……あの事件」と思いつくものは一つしかない。「強姦か」
「その通りです。何の因果か知りませんけど、中学校の頃、鈴蘭がどっかのクズに純潔を奪われちゃったんです。それで先輩も知ってると思うっスけど、それが原因で自傷癖がついちゃって。来る日も来る日も自分の腕をカッターナイフで加工してたんス」
「……それがリストカットのきっかけだったのか」
「そうっス。んで、度重なる自傷で心身ともにボロボロになった鈴蘭は、いつ箍が外れるかも分からない日々を過ごしていたんですね。女だから一層、分かるんです。好きでもない男にそんなことされたら、私、死ぬと、思います。……すみません、話、戻しますね。そのせいで男の子と関わることも出来なくなって、友達の数も目に見えて減りました。先輩には想像もできないと思いますけど、私の《~っス》っていう口調、実は鈴蘭も使ってたんスよ。それを私がパクって、けど、オリジナルの鈴蘭のほうは色々な面で閉鎖的になっちゃって、口調もだんだんと変化していって……。本の虫になったのも、その時期からかな。強姦される前は私以上に元気で人好きする子だったんスけどね」
「だからなんだっていうんだよ」
「怒らないでくださいよ。分かりませんか? 腕に傷がついたら、合同じゃなくなるじゃないですか。転寝棗と転寝鈴蘭は、同じじゃなくなるじゃないですか」
「……は?」と思わず呟く。何がどういうことなのか、うまく咀嚼できない。
「私、嫌だったんス。鈴蘭が傷物になったせいで、私たち姉妹は完璧な双子から、単なる似た者同士に凋落してしまったんスよ。そんなの、意味ないじゃないですか。鈴蘭が私と一緒にいる意味と、私が鈴蘭と一緒にいる意味が、ないじゃないですか」
「意味が、ない?」
「はい。鈴蘭の存在理由は私ありきで成立するんです。また、その逆もしかり。鈴蘭は私と同一だったから、生きる権利を有することができた。あるいは、鈴蘭がいたからこそ、私がこの世界で存在することを許された。私と鈴蘭との関係はそれくらい密で、断ち切れない鎖で繋がれていた。けど、今の鈴蘭では、見る影もない。鈴蘭は私以外の何かに零落してしまったんス」
だから。
「だから、殺したのか? 強姦されて心も体も傷つけられて、そんな妹の姿が、自分のようじゃないから、殺したのか?」
「そうっスね。あれは鈴蘭じゃないっスよ。私の皮を被った鈴蘭じゃないです。私でもない、鈴蘭でもない、紛い物。だから鈴蘭と似て非なる鈴蘭を天体観測部をネタに唆したんです。鈴蘭は前々から自殺願望があったようっスから。それで、二週間くらい前の集団自殺計画について話すと、興奮したようでした。私が天体観測部に入部したのも、全てはこのためっス。確かに斗米先輩は妙な催眠術を使ってましたけど、あれ、自殺願望を増幅させるためだけのものなんスよ。元から自殺願望皆無の私に効果を望めるわけもない」
「けど、転寝鈴蘭には」
「効果抜群っすよ。ど真ん中に引っかかったみたいで、集団自殺の前にも私になり済まして受けてもらったんスけど、効力はすさまじかったっス。斗米先輩は斗米先輩で多分、私が私でないことに気付いてたんでしょうね。けど、先輩にとってはどっちでもよかったんですよ。私であろうが鈴蘭であろうが、きっちりと自殺してくれればそれでいいんスから。むしろ、自殺願望の大きい鈴蘭のほうがやりやすいと思いますし。先輩の目的はただ、自殺する私たちが見たいだけっスから」
斗米憐乃の企図は、転寝棗の言説通りだった。斗米憐乃は自殺さえ観測できれば、それでよかったのだ。そのための犠牲が入れ替わろうとも、支障が出ない限り、些事でしかない。後々何らかの矛盾が露呈する可能性もあったが、斗米憐乃も最終的には自殺するつもりだったならば、そんなこと関係ない。
だから、不用意に事を荒げることをしなかった。
斗米先輩は斗米憐乃で。
転寝棗は転寝棗で。
銘々水面下で行動していた。
「結果、鈴蘭は自殺しました。葬式で出棺された遺骸は、鈴蘭のものだったんス」
「…………」
転寝棗と転寝鈴蘭の入れ替わりの真相、その過程、動機は分かった(ような気がする)。理解の範疇を越えているが、理解しようと思えば、できる。
「後は警察の網をどう潜り抜けるか、でしたが、これは一番簡単なことでした」
「転寝家の威光、か」とあまり考えたくないことを、いう。
転寝棗は少し驚いたようだった。「よく分かりましたね。さすがは直感探偵白夜」
「褒めてんのか、それ」
「マジで褒めてるっスよ」
己の妹の中に垣間見える自分に恋した少女は、屈託のない笑みを浮かべた。
「しかしながら、やっぱり転寝家の威光は並じゃないっスね。よもや死体の隠蔽くらい、朝飯前ってことっス」
「ははは、そいつは怖いな」と嗄れた喉で笑声を上げる。
国家機関への手回しは、前回の一件で予想していたので、それほど以外ではない。畏怖を覚える程度。
それよりも。
「おまえはそれでいいのか。転寝棗としての自分を捨て、転寝鈴蘭として生きるのか」
転寝棗の愛の根底は自分。なにも転寝鈴蘭に変身する理由にはならない。
「勿論っスよ。私は転寝棗の名を捨てて、これから転寝鈴蘭として生きることにするっス」
「それだったら、通用しない。おまえの論理は立ちいかなくなるんじゃないのか。おまえの求めているのは転寝鈴蘭越しに見える自分だろ。決して転寝鈴蘭そのものではない」
「まぁ、そうっスね」
けど、と転寝棗は強い口調で反駁した。
「けど、それはそれでいいんですよ。確かに私は自分が好きです。堪らなく好きです。けど、それ以上に、不愉快だったんスよ。二人の間にできた相違が」
「腕のことか?」
「腕もですし、眼鏡や性格もそうです。私は一切合財が同じだった私と鈴蘭に違いができることが嫌だった。だから、鈴蘭を抹消したんス。そうすれば、オリジナルは一人になる。贋物の鈴蘭が健在だったら、どうしても偽物が生まれるっス。私が本物なのか、鈴蘭が偽物なのか。それとも、私が偽物なのか、鈴蘭が本物なのか、分からなくなっちゃいます。私にとって、偽物はいたらダメなんスよ。常に本物だけいればいいんス。けどそれには、私か鈴蘭の存在が邪魔です。見た目の違う双子の二人がいる限り、偽物は消えない。だったら、一人に絞り込めばいい。この世界からどちらかを抹殺すれば、残った一人は対比物のない、本物になれるっス。偽物は自動的にいなくなるじゃないですか。勿論自己愛です。自己愛ですけど、私がわざわざ棗であることを捨て、鈴蘭を選んだのは、単純に憧れだったから。幼いころの天衣無縫な鈴蘭は私の憧れでした。この口調もこの髪形も、幼少期の鈴蘭をまねたものっス。私にとって強姦される前の鈴蘭こそが本物で、強姦された後の鈴蘭はただの贋作でした。それを私は強姦以前の鈴蘭に自らを投影し、かつ鈴蘭になることにしたんス。私は好きですよ。今の体」
転寝棗は眼鏡のずれを直した。伊達眼鏡のそれは、転寝鈴蘭であることへの証明として、転寝棗の付属品となっている。
「ある意味で私の望んだ合同の一つの形っスね。これも一応は合同じゃないっスか。比べる相手がいないっスから、合同とか相似以前の話っスけど。これで紆余曲折はあったっスけど、唯一無二の存在として、比較する対象がいない存在として、私はオリジナルになれた。同時に転寝棗が偽物になることも防げた。今ここにいるのは本物の鈴蘭っスけど、かといって棗が偽物というわけでもないっス。両者両得。両方とも本物としてあり続けるという、理想的なエンディングっスね」
少女はからからと笑った。
間違いを矯正した結果、その歪みは強大になっていく。
「私って、世界最大のシスコンっスよね。なんせ、その本人になるくらい愛してたんスから」
転寝棗、否、転寝鈴蘭は口元に手を当てて、たおやかに笑んだ。
一つ一つはおかしくはない。転寝棗の論理はおかしくない。むしろ整合性に富んでいる。
それが全体性を持った瞬間、こうも異質なものとして映る。
壊れた部品単体では、それほど違和感は、ない。けれど、その壊れた部品が一点にそろえば、とたんに明確な違和感を表出させる。
「先輩、帰るんスか?」
「帰る。飯食って寝る」
「もう少しくらい付き合ってくれてもいいじゃないっスか。二人だけの秘密を抱えた仲じゃないっスか」
「そんないかがわしい仲じゃないだろ」
「けど、あれっスよね。秘密の共有って、なんだか恋人みたいですね」
「もしくは共犯」
「あるいは神父と懺悔を求める咎人」
「おまえが一度でも許しを求めたか。むしろ嬉々として喋ってただろ」
「うるさいっスねぇ。たまには人を信じてみるのもいいかなって思っただけっス。……て言うか、私のほうが咎人側なんスね」
「当たり前だろうが」
「どちらかっていうと、先輩のほうが咎人っスよね。佩刀先輩と鈴蘭、二人の心を絡め取っておきながら、無関心だなんて」
「んなこと知るか。俺は帰る」
「また明日っス、先輩! これからは鈴蘭として接してくださいね」
「……はいはい」
俺は襖を開けて、渡殿を出た。
見上げてみると、綺麗な夕空だった。
憎たらしいくらい、綺麗な、空。
○○○
今宵、舞台に上がるは三人の役者。
自殺にあくなき興味を持つ女――斗米憐乃。
妹に行き過ぎた愛を投じる女――転寝棗。
秘密裏に己が体を傷つける女――転寝鈴蘭。
そして、四人目の道化師は――。
誰も救うことの叶わなかった男――篝火白夜。
破綻者はしかるべき動機で破綻し、しかるべき手段で破綻する。破綻者は理由もなく破綻しない。破綻せざるを得ないような、一貫した理由がある。これだけは絶対だと、自分の中で確固たるルールを持っている。
破綻することでしか自分を維持できない奴なんて、割といる。この世界の何割かはそんな奴だ。もしかしたら、そんな奴が地球を回しているのかもしれない。
誰だって、救いを求めている。
何だって、助けを求めている。
何かできたらいい。
篝火白夜は、いつも、そんなことを思っている。
何かできることがあればいい、とも思っている。同時に、諦念を感じている。自己に対する諦めを感じている。
篝火白夜は誰も救えない力を持て余して、ただ生きている。
強くなりたいとか、誰かを救いたいとか、そういうことじゃない。
何かできることはないか、自分にできることはないかと、そう思っているだけだ。
善行を積めるほど人がいいわけでもない。かといって、悪行を重ねられるほど肝が座っているわけでもない。
善でも悪でもない。
悪でも善でもない。
篝火白夜は、そういった曖昧な人間なのだと、自分でもそう思っている。
善にも悪にも徹しない、そんな人間なのだと、思っていたりもする。
◆キャスト
・篝火白夜
十六歳。男。存命。
特技――喧嘩が強い。教科書速読。昼寝。
人生観――やりたいことは分からない。けど、やりたくないことは分かる。
・佩刀歪
十六歳。女。存命。
誓ったこと――白夜と一生添い遂げること。
趣味――白夜の寝顔を眺めること。手を握ってあげること。
・練絹玉梓
十六歳。女。存命(通院中)。
長所――あり過ぎて困る。
短所――なさ過ぎて困る。
・梅雨利東子
十六歳。女。存命。
体質――果汁飲料で酔う。
言いたいこと――お金でなんでも買えるなら、奇跡だってお金で買えるんじゃないの?
・名伽狭霧
十七歳。女。故人。
人生の教訓――動静動、すなわち、静動静。
作者に言いたいこと――出番が少ないのだが。
・転寝棗
十五歳。女。存命。
趣味――星を見ること。
特技――その気になれば五十メートルを八秒台で走れる。
・転寝鈴蘭
一五歳。女。故人。
趣味――読書。
特技――その気になれば本の一ページを八秒台で読める。
・斗米憐乃
一七歳。女。故人。
好きな人種――不可能を可能にする天才。
嫌いな人種――不可能を不可能のままにしておく凡人。
神隠しが起こる村 埒外編 これにて終了です。
相変わらずの稚拙な文ですが、お楽しみいただけたでしょうか。甚だ不安です。
キャラが多くなったので、整理の意味も込めて、跋文に登場人物のプロフィールを載せました。
中途半端に終わってしまった感がすごいです。伏線も全て回収し切れていない。自分が不甲斐ないです。
それでは。