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神隠しが起こる村 埒外編  作者: 密室天使
第二章 【似非合同】 
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第三十八話  〃  21

「きっかけは五月の中旬、商店街の路地裏から始まった。そのとき転寝鈴蘭は悪漢に襲われそうになったんだ。そこでどうにか割り込んで、ことなきを得た。それはおまえも分かるだろ。それでな、転寝鈴蘭は梅雨利の手を借りて病院に行ったんだ。その際、転寝鈴蘭は眼鏡を落としそうになった。それを梅雨利が拾った。その時に見えたんだよ。――切り傷だらけの、ボロボロの腕がな。それは十中八九、リストカットの傷だよ。まるで縄に絞められたみたいに、まんべんなく皮膚が深くえぐられていたんだからな。つまり、転寝鈴蘭は自傷癖のある少女だってことだ。五月だってのに制服でも私服でも長袖を着ているのは、それを隠すため。雨稜高校は年中、夏服でも冬服でもいい学校だからな。下手に半袖着てリストバンドなんかしても、まず、ばれる。そもそもリストバンド程度で覆い隠せるほど、おまえの傷は尋常でないくらい、病的で、異常で、抑えがたい感情の波があった。転寝鈴蘭が長袖を好む理由はそれに起因していた」

 少女は無言だった。

 語り続ける。

 騙り続ける。 

 少女の表層を剥がすために。

 不毛な行為だと気づかせるために。

「しかし、おまえの腕にはそれが、ない。どこをどう見ても、リストカットの跡なんて見当たらない。それは明らかにおかしいよな。転寝鈴蘭の腕を見たのは二週間くらい前の話だ。そんな短いスパンで傷跡がなくなる道理はない。それ以前に、リストカットを中断できるほど、転寝鈴蘭は強くない。それは断続的にかつ、慢性的に衝動が湧き上がるもんだからだ。止めることは難しい。ますますありえない。勿論、転寝鈴蘭がどんな過程を経て自傷行為に走ったかなんて、本人にしか分りえないことだ。だから、むやみに邪推したり、曲解はしたくない。俺は別に自傷行為自体が悪いなんて思ってもないしな。そういうことでしか、自分を表現できない奴がいるってだけのことだろ。自分の窮状に苦しんで、誰も助けてくれないのが悲しくて、苦悩を分かってもらいたくて――。そんな奴は、この世に一杯いる。俺だってその一人だ。だから、その気持ちを汲み取ってやるくらい、俺にだってできる。できると思ってる」

 それは自らの欠陥を吐露しているようなものだった。自らの弱さを、斗米憐乃の嫌悪する弱さを、俺は人一倍多く持っている。矛盾や醜悪なものを背負って、レールの上を進んでいる。

 転寝鈴蘭もまた、鬱屈した感情を蓄積していた。辛くてきつい生活を送っていて、それがある日、爆発した。自分の体に跳ね返ってきた。

 代償行為という形で。

「次いで、不審な点がもう一つ。それは、眼鏡だ。おまえのつけてるそれ、伊達眼鏡だろ。凹凸が見当たらない。太陽の光が当たっても、全然へこんだところや出っ張ったところがないんだ。転寝鈴蘭は近眼だから、眼鏡のタイプは凹レンズ。中央部がへこんで、縁に従って厚くなる奴だ。当然、光が当たれば斜めに反射する。だが、おまえの眼鏡は反射の角度や位置がおかしいんだよ。そもそも、反射したようには見えない。ということは、その眼鏡は度の入っていない伊達眼鏡だってことだ。転寝鈴蘭は極度の弱視。そんな目の悪い転寝鈴蘭が度のない眼鏡をつけるってのは妙な話だろ」

 襖の隙間から柔らかい斜陽が入りこんでくる。

 少女は、眠っているかのように静かだった。呼吸をしているようには見えなかった。それくらい眼前の少女は、無表情で無音だった。

「そして、これはまあ、俺の個人的な見解だ。聞き流すつもりで聞いても構わない。ひょっとして転寝鈴蘭は、精神疾患を持っていたんじゃないのか。それもその、男性恐怖症のような、そんな感じのものだ」と声量の下げた声でいう。それは転寝鈴蘭と初めて出会った時から抱いていた感覚だった。

 転寝鈴蘭と図書室で出会った時の反応は、明らかに異質だった。尋常でなく狼狽していたし、悪夢にうなされているような目をしていた。瞳孔は大きく見開き、足は小刻みにふるえ、わなないている。

「あれはきっと、外部からの精神的ショックによるもの――つまり、強姦だ。その、転寝鈴蘭は、過去に、男に暴行を加えられた経験がある。違うか? だからあそこまで異常に男を恐れていた。俺に声をかけられたときの転寝鈴蘭は、間違いなく錯乱していたんだ。幸い、姉である棗によって、精神は正常を取り戻した。転寝鈴蘭は、俺たちバカな男どもに人生を狂わされた被害者の一人だったんだ。外れてほしい。こんなクソみたいな最低な話、本当に外れてほしいよ。全世界の被害者の女性に向けて、全世界の男どもを気のすむまで殴りたい。俺も含めて、殴りたい」

 もしこれが斗米憐乃の蔑む矛盾や醜悪の正体であるとするならば、なるほど、確かにこんな社会、腐ってるだろうよ。

 こんな生物ピラミットみたいに上下が厳格で、ありえない食物連鎖が成立するような、馬鹿げた世界は。

「だから、転寝鈴蘭は極端な男性恐怖症を患っていたんだ。にもかかわらず、おまえはそれほど抵抗するまでもなく、俺に肌を触らせた。強姦された経験を持つ人は、普通それだけでパニックになる。だかおまえは、そんな態度は見せなかっただろ。俺が男として信用されているから、なんてうぬぼれ、抱かない。自分の身の丈くらい、分かる。女にとって、男は全て敵だよ。俺だって下等な男どもの一人だしな」 

 自嘲して、少女の顔を見た。

 沈黙が下りる。

 それに準じて、めりめりと、めりめりめりと、何かがふるい落とされる。少女は上体を上げたまま、虚ろな目で俺の背後を見ていた。

 じわりと、じわりじわりと、落ちていく何か。

 ゆるりと、ゆるりゆるりと、溶けていく何か。

 どろりと、どろりどろりと、剥げていく何か。

 少女は。

 もう、ころ合いかな、と小さく、呟いて。


「あーあ。やっぱりばれてちゃってたんスかねぇ」


 と。

 快活そうに笑って、大きく伸びをする。とたんに部屋の中が明るくなる。

「いやー、すごいっスねぇ、本当。まさかこんなにあっさりと見破られるとは思ってなかったっスよ、先輩」

 少女は自らの腕を、生地越しにさすった。一転して、病弱な令嬢から、アクティブな少女へと変貌を遂げる。

「おまえ、視力は悪いのか」

「そうっスねぇ。2.0っス」

「なら、眼鏡は外していいんじゃないか」といってみる。「だろ、転寝棗」

 そういうと、目の前の少女――転寝棗はかわいらしく舌を出して、「あはは、眼鏡は外しませんよ。これは私の覚悟の証なんスから」というのだった。

 少女はニヤニヤと笑う。

「なんだ、先輩って思ってたよりずっと、賢いんスね。不良なんて、社会に順応できないクズだと思ってたっスけど、ここにきて価値観が一変したっス。ゲシュタルト崩壊ってやつですよ」

「ゲシュタルト崩壊は違うだろうが」と苦言を呈す。まあ、別の意味で、この少女はゲシュタルト崩壊まっ最中なのだろうけど。

「先輩の推理、推理小説としては三文もいいところっスけど、大体当りっスよ。それよりも私は、先輩の呆れるくらい鋭い勘のほうに驚きっス。推察するに、先輩。それ、直感っスね?」

「俺は呆れるくらい鋭いお前の勘に驚きだよ」

「なるほど。要するに先輩は、勘に頼るだけの、三流の直感探偵であると、そういうことっスね」

「直感探偵だなんてかっこいいじゃないか。エスパーっぽくて」

「侮れないっスねぇ、直感探偵白夜」

「それに推理小説でよくあるだろ」と皮肉るようにいって、「双子が出たら双子トリックを疑えって」と結んだ。

 転寝棗は苦笑したように顔をしかめた。「決め手はそれっスか? それが私の正体を見破った決め手だったんスか?」

「どうだかな」とごまかすように笑う。

 へらへらと。

 笑う。

 笑って、「苦い経験があるんだよ」と再度笑みを取り繕った。

「苦い経験……?」

「ああ」と三度笑い、「苦い経験だ」と四度笑った。「俺の人生は人を死なせてばかりだよ」

「それは呪われてますね。事情はよく分からないっスけど、その、人でも殺したことあるんスか?」

「あるよ」

「……」

 さすがに面喰ったらしく、唇をへの字に曲げる。

 しばらくして、少女は乾いた口調でいった。

「へえ。人、殺したこと、あるんスか」

 曖昧な笑みを浮かべる。

 少し話題をずらす。

「人が死ぬことに慣れてるのかは分からないが、多分心のどこかで理解しちまうんだろうな。近くに禁忌を犯した奴がいるって。何かを履き違えた奴がいるって。そんな小さい心の違和感が、だんだん肥大化していって、気がつけば、そいつの本質に気づいちまう。俺の異常者レーダーは半端なく感度がいいんだよ、これが」

「でしょうね。なんせ、私たちの歪みに気づけちゃうんスから」

「私たち?」

「そう、私たちっス」と断言するように、いう。「私と、彼女で、私たちなんスよ」

「はぁ?」

 転寝棗は俺の疑問符に答えず、まったく別のことをいった。「間違い探しって、あるじゃないですか」

 突然の方向転換に戸惑うも、「そりゃあるだろうな」と返す。

「二つの絵が先輩の前にあると仮定してください。その二つはとある少女の肖像画っス。その肖像画にはいくつかの間違いがあるっス。唇の形であったり、鼻の形であったりといった、身体的な変化。そしてピアスであったり、眼鏡であったりの、装飾品的な変化。それらによって、二人の少女が区別される。しかしながら、この二人の少女が双子だったとしたらどうです? 身体的な変化はほとんどないっスよね。そういう観点で見れば、それによる区別は望めない。次いでそこからピアスや眼鏡を取り除いてしまったら、差異なんてなくなりますよね?」

「なくなるだろうな」

「では、その瞬間にそれらは間違い探しとしての本質を失うことになるっスよね。つまり、その二つの絵は合同になるということです。あらゆる面で同じ。等価。同等。それこそが事の発端なんです」

「それが今回とどう関係するんだ?」と疑問を投げかける。

 少女はやはりそれには答えず、話を進めた。

「私と鈴蘭はイコール、というわけではありません。それはあくまで似ているというだけで、同一、というわけではないんです。その違いというのは、プラスなのかマイナスなのか。その程度の違いなんだと思います。差し詰め、マイナスに絶対値を掛ければ、プラスになるような、そんな繋がりなんスよ、私たちは。ある程度の相違点こそあれど、ゼロからの距離は同じ。それらは決して合同にはなりえません。相似の関係にこそなれど、合同にはなりえないような、非対称的なシンメトリー」 

 対象とシンメトリーは同じ字義のような気もするが、突っ込まずに先を促す。

「多分先輩は、不思議だったんだと思います。なぜ転寝棗は転寝鈴蘭の皮を被るのか。なりすましは何に起因しているのか。真相にうすうす気づいていた先輩は、不毛であると分かっていて、私の正体を喝破し、穴だらけの直感で、私の上辺を剥ぐことに成功した。私が思うに、斗米先輩の自殺の件も、先輩が一枚噛んでいると睨んでるっス。私のもとに行きついたのも、斗米憐乃の本質に気づいた結果、芋づる式に辿り着いたんでしょうから。違うっスか?」

 違わないよ、といって、整容を正す。

 いう気になったのだろう。

 なぜ自らの存在を消去してまで、転寝鈴蘭になろうとするのか。

 そして。

 斗米憐乃との裏の関係性も。

 葬式まで上げたはずの転寝棗が生きていて、その実、転寝鈴蘭のほうが死んでいて。

 二人のうちどちらが投身自殺をしたのか。棺に納められた遺体ははたしてどちらのものだったのか。

「簡単な話っス。入れ替わったんスよ、私と、鈴蘭は」

「……入れ替わった」

「そうっス。推理小説でよくあるでしょう? 死んだのは実はもう一人の双子の方割れだったっていう展開。どうやら世間で自殺したのは転寝棗ってことになってるらしいっスけど、それは、違うんですよ。自殺したのは、鈴蘭のほうだったんスね」

 少女の口から語られる物語。

 斗米憐乃によって計画された、天体観測部集団自殺。天岩戸なる自殺サイトで予告された、死にゆく者の予定調和。しかし予定調和ながら、その実情はいささか異なる様相を呈している。

 まず主犯格である斗米憐乃。彼女はなにも、自分が死にたくて集団自殺計画を立ち上げたわけではない。自殺する人の姿が見たいから、計画した。自殺観察願望、と本人はそういっている。その歪んだ欲望に端を発して、何人もの部員が墜落死した。

 そして、その中に、転寝棗がいた、ことになっている。

 事実葬儀は粛々と執り行われ、眼前の少女も転寝鈴蘭として参列したはずだった。

 こうして転寝棗は世間から抹消された。

 しかし当の本人は普通に生きていて、あまつさえ俺の目の前にいたりもする。まずいえることは、ゾンビ説は採用されないということ。加えて、どう警察の目を欺いたのかも気になる。

「どういう意味だよ、それ」

「先輩はどこまで知ってるんスか? それで説明する内容とその量が変わるっスからね。で、斗米先輩の願望というか、悪癖というか、知ってます?」

「全部知ってるよ。斗米憐乃がぶっ壊れた自殺崇拝者だってことくらいな」

「……へえ。先輩の面目躍如といったところですねぇ。となると、やっぱり斗米先輩の自殺は――」

 俺は壮大な溜息をついた。「多分、俺のせいだろうな。俺が立ち入ってはいけないところに足を踏み入れた結果だろうよ」

「ということは、裏で動いてたのは先輩だったんスね。なら、斗米先輩の中見、覗いたんスか?」

 無言で頷く。頭の中にストンと消える少女の姿がよみがえった。 

「おまえも、知ってたのか? 天体観測部がどういう背景で発足されたのかを」

「大方分かってたっス。斗米先輩からは私と似たようなにおいがしましたから」

「におい?」

「はい。においっス。それも己の(ごう)掣肘(せいちゅう)を受けた獣のにおいが。きっと同類だったんでしょうね。私と斗米先輩は」

「どういう点が、だよ」

 それと、掣肘の意味を注釈してくれ。

「両方とも破綻してるってことっスよ」とにこやかに相好を崩した。「私も斗米先輩も、狂ってたんでしょうね。斗米先輩は自殺大好き人間だったし、私は私で、妹好き好きーの大のシスコンだったんスから」

 ぶるっと身震いする。転寝棗のいう「好き」には、何か家族愛を越えた何かがドロドロと蠢いていたような気がした。

「……禁断の愛か」と溜息。

「ご明察。私は、転寝棗は、妹の鈴蘭のことが大好きだったんス。それもただの愛情じゃないっスよ。ライクじゃなくて、ラブのほうっス」

「なら」と我慢できなくなって、「ならなんで殺した? そんなに好きだったんだろ。ならどうして」と問いただす。

「愛ゆえ、ですよ。何も私は単純に鈴蘭のことが好きだったわけじゃないんです。それはつまり、一体感。私はあらゆる面で鈴蘭と同じであることに愛を感じてたんス。私は鈴蘭と合同であるということに愉悦を覚えていたんです。自分でいうとあれっスけど、一言に要約すれば自己愛ですね。水面に映る自分に恋するナルキッソスみたいなものです。私は一辺倒に鈴蘭本体が好きだったわけじゃなくて、鈴蘭越しに感じ取れる自分、そして自分越しに見える鈴蘭が好きだったんスよ」

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