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神隠しが起こる村 埒外編  作者: 密室天使
第二章 【似非合同】 
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第二十七話  〃  10

 転寝鈴蘭はなんで病院を出たのだろうか、と思う。礼をいいに来たのだろうか。それとも別の理由があったのか。

 今となっては分からない。

 それと梅雨利と転寝棗の行動も同じで、いまだに真意が読み取れない。

 梅雨利のメールはバスの中で見た。中身は先に帰るね、といったものだった。バス停にはすでに梅雨利の姿はなかったから、予想はできた。だからか、さほど驚きはしなかった。

 バスから降車した俺は、しばらくベンチに座ってぼーっとしていた。それで十分間くらい使った。

 宵闇は凛冽とおりている。

 田畑は茫漠と広がっている。俺は耕作地に沿うように歩いた。

 虫の蠕動(ぜんどう)する音や、木々のざわめく音が聞こえる。菖蒲(あやめ)杜若(かきつばた)が清楚にそよいだ。

 空気は虚ろ。

 頭上では月がさめざめと煌めいている。それと相克するように、道の橋に篝火が焚き上がっていた。

 虫送りだろうか。

 夜に篝火を焚いて、寄ってくる虫を駆除するのだ。またその際、一切の光を灯してはならない。虫が篝火の一点に集中して集まるようにするためだ。

 そのせいか、月光と篝火以外に光源はない。

 否。

 消し忘れていたのか、誘蛾灯が何本か灯っている。

 月の帳と火の粉。そして、誘蛾灯の(ほむら)が夜を見事に彩っている。

 風は地面を滑空する。それがざわざわと草木を揺らした。

 誘蛾灯には蛾が群がっている。

 灼々(しゃくしゃく)と揺らめく火。綽々と飛ぶ羽虫。

 光に近づきすぎた蛾は、灼熱に我が身を焦がした。

 そして。

 墜落した。


「憐れなものね。憐れ憐れ憐れ。なんて憐れな生き物なのかしら」


 弱いことへの憐憫。

 醜いことへの同情。

 儚いことへの哀惜。

 夜色の少女は溜息を漏らした。


 満月。

 月の光が暗黒を照らした。

 寂々たる静謐。

 少女は視線を下に移した。

 妖しげな誘蛾灯の光に照らされ、蛾だったものがもがいている。空を飛び立つはずだった羽は焼け、子を宿すはずだった腹を無くし、神から賜った体を失い、その命の灯火は消えかかる寸前だった。

 それでも。

 全てを失うはずだった蛾は、篝火のほうへと触覚を向けた。光を察知した触覚は淫猥に蠢き、ゆっくりとだが、痛んだ体を前進させた。

 そして。

 もうひとつ。

 蠢動する。

 何か。

 それは黒蟻だった。

 蛾同様に触覚を動かし、獲物の気配を推し量る。大群をなした蟻たちは、洪水のごとく、瀕死の蛾に押し寄せた。

 羽交い絞め。

 蛾の体を貪る。

 地を這う蟻にすら、己の体を食われる。

 それでも。


「愚かだわ。(おの)が肉体を犠牲にしてまで、暗闇の中に光を求めるのかしら――」


 蛾は篝火に向かおうとしていた。

 節々の肉は蟻に蹂躙されている。羽の繊維から、肉の一筋まで、全てをむしり取られている。

 なのに。

 なのに――。


「本当に救いようがないわ。自らの死期を早め、自らの死地を求め、自らの死没を選ぶ。度しがたい。くだらない結末ね。初めからこういう風にできているのかしら。種の属性として甘受して、己の属性だと諦念して、我の発露だと興奮して、全ては予定調和じみていて、結局のところ、死ぬことに変わりはなくて――。ふん、己の死すら変えられないなんて、報われない生き物ね」


 蛾の肉体の半分は崩壊している。炎に焼かれ、蟻に食われ、体の器官は完全に引き裂かれ、朽ちている。その姿は無様で無益で無意だ。

 やがて。

 蛾は。

 死んだ。

 この世界から消えた。

 徒労なのか。しょせんは無意味なのか。蛾は光に辿り着くことなく、志半ばに――死んだ。

 変わらない。どちらとも死ぬことに変わりはない。だから結末は不動。終わりは概して――死、だ。

 我が命脈を()してまで得られるものはあるのか。

 得られたとしても、それで何かが救われるというのか。

 いや。

 そんなはずは。


「救われるに決まってるだろ。こいつは愚かでもないし、くだらなくもない」

「へえ。意見の相違ね。私には玉砕の美学は分からないわ」

「考えてもみろよ。もし世界が今みたいな暗闇で、この光が唯一の光だったとしたら。たとえ自分という存在が業火で焼かれようとも、この炎に飛びこむ。そうして火の穂で体が燃え尽きて、汚れた存在に落ちぶれて、自分が自分だという存在が消えようとも、地面に這いつくばって光を追い求める。羽をもがれて、泥まみれになって、我が身が滅びようとも、炎の中に辿りつく。それが生きるってことだろ」

「――なるほど。あなたって結構詩人なのね。よくできたお伽噺じゃない」


 パチパチ。

 火が弾ける音。


「けど、光なんて世の中には腐るほどあるわ。あなたはただ盲目なだけよ。世界が今みたいな暗闇だとしても、目を開ければ案外、光はあるわ。勿論毒々しい光もあれば、楚々とした光もあるわ。あなたは現実が嫌なだけ。中途半端で役立たずの自分がふがいないだけ。早く自分の体を焦がして、現実から逃げたいだけなのよ。そもそもあなた。そんなかっこいい生き方ができるほど高尚な存在なのかしら?」


 首を振った。

 そういう生き方もあるかな、と思っただけだ。実現するつもりはない。それにその言葉は、名伽狭霧がいっていた言葉だった。

 名伽狭霧は光に溢れていた。だから、その言葉には力強いエネルギーがあって、それは自然と心のどこかに刻まれていた。それはきっと、俺もこういう生き方をしてみたい、という願望の表れだったのだろう。

 できるはずないのに。

 いつだって理想と現実は離れている。理想が現実に追いつくことはない。現実は理想を待ってはくれない。

 

 朽ち果てた死骸は嫌おうなく死を連想させる。荼毘(だび)に付し、体を犯され、惨たらしく死んでいく。それはひどく嫌なことだった。

 篝火白夜の場合、はたしてどうなるだろうか。

 老死か、病死か、横死(おうし)か、自殺か。

 全部ありえる。可能性は、ある。

 篝火白夜最大の目標は、楽に生きる、である。何事にも無頓着に生きていたい。何事にも縛られずに生きていたい。悲しみも痛みもなく、平穏に生きていたい。

 望みや願いが叶わなくとも、いい。野望や希望を掲げることもしない。ただ、生き続ける。それが人生の理想。

 なぜそうまでして無味乾燥とした生き方を好むのか。それは一重に、篝火白夜が弱いからだろう。

 弱ければ弱いほど選択の幅は狭まる。世相の公衆はそれを不幸なこと、悲しむべきことだと認識している。そして、社会はそういう奴を唾棄し、発破(はっぱ)にもかける。

 ただ。

 篝火白夜においては、残された道と望んだ道が、偶々合致していただけだ。

 単調な人生。

 望むところ。

 なし崩れに応じた結果、自堕落に生きた結果、篝火白夜は今の廃れた生き方を選んだ。不良になったのも、そうしたほうが楽だったからだ。社会に反抗したいだとか、大人が気にくわないだとか、そういうことではない。そんな思春期特有の、無邪気でいてすねた考え方が根底にあるわけでもない。

 多分、自分の弱さと不良の無粋さが合致しただけなんだと、思う。堕落した毎日を送っても咎められない。そうした一つの形態が不良だったというだけの話だ。

 しかし。

 そんな俺でも、平和な家庭を築く未来があるかもしれない。所帯を持って、子供を持って、それなりに幸せな日々を送れるかもしれない。

 ああ、と慨嘆。そりゃ無理だ、と否定。ありえない、と否認。そんな未来はやってこない。それを知ってる。だから、そんなことはありえない。それは絵に描いた餅のように不確かで、現実性を欠いている。

 この蛾のように死んでいく。泥や土にまみれて、死ぬ。少女のいうとおり、世界には光が満ちている。ただ、それに気づけないでいるだけ。篝火白夜は光を見ることもなく、死に絶える。光を追い求めたところで、それは純然たる死に過ぎない。そもそも光とは、人生の終着駅のようなものなのだ。

 地面に残った、何かの残りカス。それは不穏な瘴気を放っている。

 死。

 誰にでも訪れるもの。

 なぜか寒気がした。

 不快な何かが、背筋にまで迫っているように感じる。

 その様子を見た少女――夜は――くすりと笑った。


「死を恐れることはないわ。死はもっとも原始的な生産行動なのよ。(もく)()()(ごん)(すい)。すなわち、陰陽五行(おんようごぎょう)の理。その五気によって、ありとあらゆる事象を説明できるわ。盛衰消長(せいすいしょうちょう)。その中でも、死という概念ほど蠱惑的で退廃的なものはない。死と生は相反するものではないわ。むしろ逆。相生しているのよ。けど、愚昧なる人間どもは、それらの森羅万象をまったく異なるものとして解釈しているわ。木は火を生じ、火は土を生じ、土は金を生じ、金は水を生じ、水は木を生ず。木は燃えて火になり、火が燃えた跡には灰――土が生じ、土が集まった場所は山となりて、鉱物――金が産出し、金は腐食して、水に帰り、水は木を成長させる糧となる。あるいは、水は火に()ち、火は金に克ち、金は木に克ち、木は土に克ち、土は水に克つ。水は火を消し、火は金を溶かし、金で作られた刃は木を切り倒し、木は土を押しのけ成長し、土は水の流れをせき止める。五行相生・五行相克。死はその一部分でしかない。そう思うとぞくぞくするわ。あなただって感じるでしょう? この背徳的な法悦。後ろめたい歓喜。反倫理的な愉悦。それは遍く人間が持っているもの。死を生へと繋ぎ、生を死へと繋ぐ、輪廻転生の輪を担う悦び。それは決して、不幸なことでも痛ましいことでもないのよ」


 それとあなた――


 少女は小ぶりの唇を卑猥に曲げた。

 篝火は炎々と燃え盛っている。叢生(そうせい)からは虫の色めきたった羽音が聞こえた。


「――背中に死神を(まと)わせているわよ」


 心臓がきゅっと締まる。まるで鎖で雁字搦(がんじがら)めにされたみたいに。


 濡れたような黒髪がはためく。

 夜はくるりと背を向け、去っていった。


 何やら不吉な言葉を残しながら。

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