第二話 〃 2
俺には親がいない。
俺の両親は八歳のころに司法の手に委ねられ、法の裁きを受けた。銃殺刑。きっと死ぬまであっという間だっただろう。気がついたら死んでた。父母を死刑で失ったのは俺くらいではないだろうか。
両親の趣味はドライブだった。父は昔走り屋をやっていたらしく、ドライピングテクニックには目を見張るものがあった。篝火白夜の揺籃は揺れ動く車内だった。
俺と父親と母親の三人家族。典型的な核家族だった篝火家は世間的に見ても、まあまあ幸せだったと思う。
穏やかな父。優しい母。甘えん坊だった俺。絵に描いたような平和な家族で、経済的にも豊かだった。
ただ。
問題があったとすれば、それは両親の異常なまでの殺人癖だった。とにかく両親は人を轢き殺すのが好きだった。生きがいと断言してもいい。両親の趣味、というか楽しみは、人殺しにつきた。
父は休日に母と俺を乗せて山にドライブに行く。母は張り切ってご飯を作り、俺はその日を心待ちにしていた。
父は道路に人がいたら、逡巡も同情も憐憫もなく、とりあえず轢いた。何人いようとも轢いた。男であろうが女であろうが、若かろうが老いていようが、やっぱり轢いた。
車との衝突で人だったものが吹っ飛んでいく。その光景は爽快で、家族共々喝采を上げていた。
よくぞやってくれた。
父はいつもと変わらぬ笑みで、たんぱく質の塊を称賛する。
それは母も同じで、功労者である死体に馳走を振る舞った。父が見事に轢殺した日の昼は、その死体とともに昼食を食べた。死後硬直の始まった死体は物言わぬ人形となって、俺たちと輪を囲んだ。両親は楽しそうにご飯を頬張り、死者の肩を叩くのだった。
それが異常だと思うようになったのは、両親が死んで一年たったころ。ちょうど善悪の区別がつき始める年頃だった。
ある日両親は警察に勾引された。事前処理を一切やっていない両親が捕まるのは必定だった。そして判決。当然のように死刑。十人以上の人間を轢殺したのだ。しかるべき判決だろう。
当時の俺にしてみれば、両親がいなくなったことよりも、楽しい娯楽が消えてしまったことに喪失感を感じた。あんなに楽しいことはなかった。それはまるで映画のワンシーンのようで心躍った。しかしもう体験できないのだ。
両親の事件は大々的に放送された。世紀稀にみる大犯罪と銘打たれ、マスメディアは湧いた。
俺の名は伏せられてはいたが、すぐに殺人鬼の息子であると周囲に露見した。その時はひどかった。すさまじいバッシング。俺は犯罪者の十字架を背負わされ、手ひどいいじめに遭った。おかげでクラブチームの退部を余儀なくされ、被害者の執拗な恨みを買った。
俺の背中には十人以上の命が乗っている。その業はあまりにも重い。
矢面に立たされた俺は各地を転々とし、やがて閉鎖的な田舎である日和見村に落ち着いた。
優しい親戚の計らいで住むところは提供してもらった。俺が不自由なく生活できるのも親族のおかげなのだ。家を貰い受けたさいにいわれたことは、もう二度と私たちに関わるな、だったが。
眼下には老朽化の進んだアパートがあった。心麗しい親族が与えてくれた家だ。
ポケットには家の鍵があった。ポケットに突っ込んだ右手でそれを握りしめる。
みしみしと鳴る階段。自宅の扉に鍵を突っ込む。
そして。
気付く。
……おかしいな。
扉の右上にある電気メーターがなぜか稼働していた。明かりを点けっぱなしにしたまま登校したのだろうか。倹約がモットーの俺がそんなことをするだろうか。それとも泥棒だろうか。疑問は絶えない。
もし泥棒だとしたら一大事である。ただ俺の家に高価なものは特にない。あるのは卓袱台と布団、それと年代物のテレビくらいだ。付言するなら本やCDもない。趣味らしい趣味のない俺の休日は、寝るかぼーっとするかのどちらかだった。
様々な憶測を一旦しまいこみ、身構える。警戒しながらも開錠。油断せず慎重に動く。
予想通り部屋には明かりが灯っていた。オレンジ色の光が玄関に漏れている。そこで俺は目を見開いた。
――靴。
玄関には見たこともない靴が一足あった。否。それは靴ではなく下駄だった。鼻緒は赤く、巫女や舞妓が履くような代物。なぜ下駄があるのだろうか。
覚悟を決めて足を進める。闖入者の気配は色濃くなっていく。間違いなく誰かがいる。そう確信した。
鬼が出るか蛇が出るか。
そう身構え、奥へと進んだ。
と。
「おかえりなさいませ、白夜様」
呆気に取られる俺を尻目に、目の前の少女は深々と額ずいた。鴉の濡れ羽のような髪がさらさらと垂れた。
数秒間静止して頭を上げる。端麗な面立ちが光に映え、凛々と笑みを浮かべた。なまじ着物姿だったせいか、とみに妖艶だった。
「……どうかいたしましたか?」
かわいらしく小首を傾げる。心底から不思議そうな表情で俺を見た。
「お前は――誰だ?」
「ご冗談を。私のことを“視”てないのですか?」
視る。なんのことだ。何を視るんだ。視ていて何かが変わるのか。意味が分からないぞ、それ。
それ以前にこの女を知らない、という真実。
「白夜様の許嫁でございます」
「……は?」
「もう一度申し上げましょうか」と無知な子供を諭すように、「私は白夜様の許嫁なのです」といった。
「エイプリルフールは何日か前に過ぎたぞ」
「ふふふ、冗談がお上手で」
少女はしとやかに笑んだ。切れ目の瞳に優しい光がともる。
「しかしまあ、簡素なお部屋ですね。飾らない白夜様らしいというか、なんというか……。誠に僭越ながら、ある程度掃除をしておきました」
確かに少女のいうとおりだった。薄汚れたフローリングはピカピカに磨かれている。畳のほうも綺麗に清掃されており、さながら新居のように整然としていた。
「月に一回は清掃に努めたほうがよろしいかと。それと空気の入れ替えも。空気が淀んでいます。それでは邪気のたまる一方でございますよ」
「あ、ああ」と狼狽する。
どうなってんだ、と自問。
手狭な部屋。玄関口から向かって左には洗面所と脱衣所。鰻の寝床のように奥行きのある室内にはテレビがしつらえてある。脇には冷蔵庫や台所。
そして。
中央には女がいる。
チグハグな絵だ、と思った。何かが噛み合わないのだ。
少女はゆっくりと立ち上がった。隙のない動き。洗練された所作は、女としての魅力を深く持ち合わせていた。
「またのちほど」
「お、おい、おまえ」
戸惑う。なんなんだ、これ。
「白夜様は確か二組であられましたね。私は一組です。明日学校でお逢いできることを心より願っております」
「待てよ。おまえはなんなんだよ」
「だから許嫁と」
「違う」と遮った。「おまえの名前は」
少女は得心したようだった。頬を釣り上げて嬉しそうに笑う。「佩刀歪。佩刀とは貴人が帯びる刀のこと。歪は――字面通りでございます」
俺は首肯した。抜本的な解決にはなっていないものの、一つの謎が解決された。
もう少し質問を重ねるべきか。
そう悩む。この女は未知なるものだ。それも不法侵入を行う辺り、ますます猜疑心は深まっていく。
知らないということはそれだけで罪だ。
知るということはそれだけで罰だ。
必要以上に関わるのはよくないことだ。不必要なものを背負うことになる。
しかし気になることがある。
言動から推察するに、この女は俺と同学年なのだろう。
ならばなぜ俺よりも早く帰宅しているのか。
おそらく俺が一番初めに学校を出たはずだ。しかしこの女は平然とここにいる。それも着つけるのに時間のかかりそうな和服を身にまとっているのだ。
日和見村に高等学校は一つしかない。つまり俺とこの女は同じ学校に通っているはずである。
「佩刀」
「歪とお呼びください」と懇願するようにいう。
「……歪。おまえは俺と同じ学年だろ」
「そうですが、なにかございますか」
「帰るのが早いな」といった後、「学校はさっき終わったはずだろ」と付け足す。
どうやら俺の疑問を感得したようだ。「簡単なことです。私は今日、学校を休みました」
「……なぜ」
「こうして白夜様の気高い御前に参じ馳せるためです。この着物も専門の業者に依頼してもらったものです。上等な着物でございましょう」
佩刀は袖を掴んで見せた。曖昧に頷いてみせると、嬉しそうに破顔する。
「それだけのために休んだのか」
「重要なことです。嫁入り前の女は必ず行う儀式なのですよ」
「おまえ、結婚するのか」
「はい」
俺と同じ年齢ならば、この女は一六歳ということになる。法律上では婚姻関係を結ぶことのできる年だ。だがそうだとしても変な気がする。
高校生で結婚。
あまり実例がないからだろうか。違和感が拭えない。
現実味の欠けた言動。佩刀歪のいうことは支離滅裂だった。
そもそも誰と祝言を上げるつもりなのだろうか。
薄々分かってはいたが、最終確認のつもりで質問する。「早婚だな。誰とだ」
「白夜様でございます」
「……俺と?」
やっぱり、とは思ったが、一応先を促す。
「先ほど申し上げたように、私と白夜様は切っても切れぬ鴛鴦の仲なのです。佩刀家の女は結婚年齢――つまり一六になるまで相手方と接触を持つことは禁じられています。それまでの年月、どれほど白夜様に恋い焦がれたことでしょうか。すれ違っても挨拶すら出来ぬのです。実に殺生な掟だと恨めしく思いました。しかし禁を破れば佩刀の名字を剥奪され、一生淑女のままで生きることを強いられます。白夜様と逢瀬を交わせぬなど、頭が狂いそうになります。そして私は結婚年齢に達しましたので、こうして参上した次第なのです」
「俺とおまえが……結婚? いつ」
「白夜様が一八歳になられたらすぐにでも」
どうやら虚言や妄言の類ではないようだ。目を見れば分かる。
佩刀は嘘をいってはいない。
佩刀の名で思い出す。佩刀といえば日和見神社の宗家のことだろう。この村の加持祈祷の一切を請け負う神事の血筋だ。長年この村で居住していれば嫌でも耳に入る名前。
佩刀。
転寝。
名伽。
この御三家は日和見村の頭領のような存在だ。
「それでは白夜様」
少女は俺の前を通り過ぎ、フローリングを抜けていった。その折に甘いシャンプーの匂いがした。それが色香となって部屋に残った。
少女は下駄を履き、扉の前に立った。
帰るのだろうか、とぼんやり考えていたところ、少女が何かいいたそうなそぶりを見せていることに気づいた。
帰る気配のない少女。熱っぽい視線が俺を縫いつけた。
「帰らないのか」
そういうと少女はこういった。
「お別れの接吻はないのですか」