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神隠しが起こる村 埒外編  作者: 密室天使
第一章 【虚飾症】
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第十六話 〃  16

「……お、おまえ」と呻く。舌が欠けていて喋りずらかったが、どうにか言葉を捻りだす。「なっ、なん、で?」

「なんでって……決まってるじゃない。あなたが欲しいからよ。あなたの髪、あなたの血、あなたの肉、あなたの骨。全部欲しい。食べたいの」

「たっ、食べる……?」

「そう食べるの。私、好き嫌いが激しくてね。好きな人の肉しか食べれないの。病気なのかな。そういう変な体質なのよ」といって、鈴の音を転がしたように笑った。「もう勘づいてると思うけど、私。あなたのこと好きだったのよ。それはもう、本気で愛してたわ」

 意味が分からない。

 おまえが、俺を、好き……?

 バカバカしい。くだらない冗談だ。

 そう笑い飛ばしたいが、練絹の目は真剣そのものだった。

「きっかけはなんだったかしら。忘れちゃったわ。けど気がついたら、あなたのこと目で追ってて、あなたのことばかり考えてた。――なんで、って顔してるわね。しょうがないじゃない。好きになっちゃったんだから。愛に理由なんていらないでしょう? 好きになったらどうしようもないもの。食べちゃいたくなるもの」

 練絹は続ける。

「前にも話したっけ。私ね、子供のころからピアノしてたのよ。毎日毎日、飽きもしないでお稽古に行ってたわ。それはもう、指が痛くなるくらい頑張ってた。そうすると、お母さんが褒めてくれるの。よく出来たねって、褒めてくれるの。それが嬉しくて、練習に励んでたわ。それでね、私の通うピアノ教室でコンクールがあったの。私、どれにどうしても一位になりたくて必死だったわ。お母さんが褒めてくれる、お父さんが褒めてくれる。おだてられるのに弱いからかな、ものすごく頑張ったわ。けど、私の友達にずっとうまい子がいたの。私よりもはるかに滑らかにピアノを弾くのよ。それが悔しくて悔しくて……。勝てない、って思ったわ。もう褒められない。みんな褒めてくれない。そう思うと悲しかったわ。そして、コンクール前日。不幸か偶然か、その子が事故に遭ったの。ピアノ教室から帰る途中に、歩道を歩いてたら車に轢かれたらしいわ。それで全身が切断されて、バラバラになった。ひどかったわ。凄惨な死に方よ。ちょうどすぐ後ろにいたからよく見えたわ。――その子の死体がね。同情もしたけど、同時に、なぜか嬉しさもこみ上げて来たわ。これで一番になれるって、思った。コンクールで一番になれるって。けどね、私よりもうまい子なんてまだたくさんいたわ。事故に遭った子がいなくなったところで、私が一番になれる確率はほぼゼロ。私の実力では決して一番にはなれないのよ。このままじゃ相手にされない。褒めてもらえない。悲しくなって泣いたわ。周りの人は別の解釈をしたけどね。何回も考えて、考えて、一番になれる方法を考えた。で、思考の末――食べたわ。事故で死んだ子の一部をね。たまたま私の目の前に飛んで来たのよ、あの子の指が。チャンスだって思って、口に含んだの。そしたらどうかしら。おいしかったのよ。これまで食べたどれよりも、甘美で、芳醇で、濃厚で……。格別の味だったわ。それでくしくも、コンクールで一番になったわ。その子のおかげね。死んだその子の技能を寸断された指が受け継いでたのよ。それを食べたから、ピアノの腕が上がった、と考えられるじゃない。それからかな、人の肉に違う意味合いが帯びてきたのは」

 頬に手をそえられる。温かい指。熱っぽい視線に絡みとられて、動けなくなる。

「私にとって、人は栄養源だったわ。愛の――栄養源。私の欲求を満たしてくれるたんぱく質の塊だったのよ。それは動物も同じだわ。私の家ではペットを飼ってたの。ニャン次郎っていう三毛猫よ。私、こう見えても動物好きだから一杯かわいがったわ。だから――食べたのよ、ニャン次郎。ちょっと肉が硬かったけど、やっぱりおいしかったわ。猫のひき肉も結構いけるものよ。何よりうれしかった。大好きなニャン次郎の肉体を摂取して、一体化したその愉悦。異なる二つのものが混ざり合って、一つになる瞬間。興奮するわ。どうやら私、特別な感情を抱いた個体を食べるのが無上の喜びになってたのよ。男女の愛も畢竟のところ――結合でしょう? それと根本は同じよ。私は愛するものと一つになることを求めていたの」

 なんてこった。この女は、練絹玉梓は――

 カニバリズムだったのか。

 日本語でいえば人肉嗜好。人の肉を食べることだ。

 虚言や暴力。そういった単調な悪とは次元を異とするもの。自分を形成する時点で何かが狂ってしまったもの。感情の起源そのものの歪み。

 練絹玉梓は決定的に軋んでいる。

 食べる。

 人を。

 食べる。

 全てが一つになる行為。練絹玉梓はそれに愛を感じてしまうのか。

 奪われた舌端で口の中をこする。ざらざらとした感触。鉄の味がする。きっと口の中は血で真っ赤だ。

「だからかしら。見知らぬ人の指はおいしくなかったわ。いくら瑞々しい赤ん坊の指でもね」といった後、取ってつけたようにいった。「実は私――鬼、なのよ」

「……鬼?」と拙い言葉で問いかける。

 練絹が――鬼?

 どういうことだ。自分の異常性を鬼と形容しているのか。食人癖の醜悪さが鬼だとでもいうのか。

 と。

 それらとはまったく異なるものが浮かび上がる。

 背中に慄然としたものが走る。その様子を見た練絹は、楽しそうにいった。「そうよ。私が連続切断魔――鬼、なのよ、これが」

 鬼。

 頭の中で巨大な包丁を持った鬼の姿が想像された。そいつが赤子の指や足を切断する。泣き叫ぶ赤子。嗜虐的に笑う鬼。

 練絹が。

 鬼?

「練絹玉梓は実は鬼だったのよ。メディアは体の一部を切り落とす殺人鬼だと騒いでいたわね。けどそれは間違い。私はただ食べたかったのよ。――人の肉が。それには赤ん坊の指がおいしそうだったし、簡単そうだったから、赤ん坊を狙っただけ。連続切断魔の正体は連続食人魔だったってわけ」

 驚いた?

 そう締めくくる練絹は子供のように無邪気だった。とっておきのクイズを出し終えた満足感。練絹に悪意や害意のようなものは見当たらなかった。

 目の前には神隠しの亜種が存在している。発生起源は食人欲求を満たすため。自らの欲望に身を任せ、赤ん坊の手足を切断した。

 それだけのために。

 それだけのために、赤ん坊の手足を切り取ったのか。

 それだけのために、赤ん坊の未来を刈り取ったのか。

 それだけのために、赤ん坊の希望を奪い取ったのか。

「何度も試してみたけど――ダメだったわ。色々調理してみても、全部まずかった。その原因を考えていると、不意にあることに気づいたわ。好きな人の肉じゃないと満たされない、って。コンクールの子は嫌いじゃなかったし、ニャン次郎は大好きだったもの。で、様々な考証をした結果、その考えは盤石なものになったわ」

 と。

 練絹玉梓は言葉を切る。

「それで思ったのよ。あなたを食べればこの欲求は満たされるかもしれないって。思えばこの食人欲求はずっと前からくすぶっていたかもしれないわ。コンクールの時に指を食べてから、ずっと、ずっと、ね。それがあなたという人を認識して再び膨れ上がっただけなのよ」

 練絹の論理は飛躍しすぎていた。一貫して破綻している。

 異形のものがゆっくりと迫ってくる。顔立ちは整っていて、体型もスマート。ただ心は常時とは明らかに一線を画す。食人を愛情表現と思う鬼――なのだ。

「ある意味で拒食症ね。私は嫌いなものを決して食べることができない体になっていたわ。現に魚類はほとんどダメね。おいしくないわ。焼き魚にしろ、煮魚にしろ。あんな不格好なものが食べられるなんてどうかしてると思わない? ――いや、私のほうが異常なのかしら。けど誰にも好き嫌いはあるでしょう? だからそういう偏屈な体質でも文句いっちゃダメよね」

 長い髪の毛が艶やかに流れる。凛然とした瞳は莞爾としてたわんでいた。

 喋りたくとも喋れない。舌がうまく操作できない。これじゃあ、助けも呼べない。体も恐怖でガチガチに強張っている。情けない。動けよ、俺の体。

 ああ。

 何も出来ない。

 練絹玉梓の思考は理解の域を逸している。常識との遊離。馬脚を現す練絹は致命的に異質だった。故に理解できない。そこら辺の不良よりもはるかに恐ろしい。そういう意味では名伽狭霧よりも恐ろしい。

 剣が峰に立たされる。まさに八方塞。

 いや、まてよ。

 音楽の先生は?

 普通に考えれば、音楽室に滞在しているだろう。

 なら希望はある。

 しかし、俺の浅慮を見透かしたのか、「音楽の先生は吹奏楽の監督でいないわよ」と楽しそうにいった。「残念ね。佩刀さんも生徒会らしいじゃない。東子や名伽先輩も美術室にいるわ」

 練絹玉梓は馬乗りになった。

 女は笑った。心底楽しそうに笑った。笑って、当たり前のように、ポケットからナイフを取り出した。刃渡り二十センチ以上の鋭いナイフ。それを首に突きつけられる。練絹は間違いなく騎虎(きこ)の勢いだった。

 ひんやりとした感触。あと数センチ動かせば、俺の首は飛ぶ。戦慄。その簡易さ、簡単さに驚愕する。

 指を少しずらせば。

 俺は。

 死ぬ。

 軽い命。

「あなた、佩刀さんとどこまでしたの? ねえ、どこまでしたの。キスだけで済むはずないよね。あんな体勢じゃ、絶対最後までいってるわよね……。答えてよ。答えてよ!」

 ナイフが少し進む。縮まる俺の命。脆弱な篝火白夜の灯火。

「何かいってよ! どこまでしたって訊いてるの! 嫌だよ。なんで私以外の女とそんなことするの。……ダメ。白夜君を犯していいのは私だけよ。ほかの女は触れちゃいけないのよ。私だけが犯していいの……。犯して犯して、食べるの。安心して。すぐには食べないから。白夜君の体を十分に堪能した後、その時に余すところなく食べてあげるから。私だってあなたとしたいわ。一杯体に出してもらいたい。当然でしょう? やっぱり、好きな人とはそういうことしたいに決まってるじゃない」

 布がこすれる音。練絹が制服を脱ぐ音。はらり、と上着が落ちる。

 あらわになる肢体。ブラジャーに包まれた乳房。たわわな二つの肉。

 練絹の体は綺麗だった。思わず見とれた。こんな時でも情欲は湧き上がる。しかし、それ以上の恐怖が体を支配した。

 それはあてがわれたナイフが証明している。

「夕方っていい時間帯だとは思わない? 風景がより一層美しく見えるわ。けど夕方が好きな理由はそれだけじゃないの。なんだと思う?」

 突然の質問に困惑するも、なんとか首を横に動かす。

「それはね、あなたの髪と同じ色で世界を照らしてくれるからよ。夕日を浴びてると、あなたの体内にいるようで安心するわ」

 練絹玉梓はびっくりするくらいに澄んだ笑みを浮かべた。

 と。

 激しい衝撃。ナイフが床を滑る音。俺はしたたかに体をぶつけた。コンマ一秒の間、視界が真っ黒になる。

「お怪我はありませんか」

 机の群れに突っ込んだ俺の聴覚は、聞き覚えのある声を拾っていた。

 静まり返る音楽室。

 佩刀歪は視線をこちらに向けて、にっこりとほほ笑んだ。

「おまえ……な、んで?」

「話は後で。まずは外敵の駆除が先かと」

 唇を引き締め、凛呼と前を見すえる。その先には顔を歪めた練絹玉梓の姿があった。

 亡者のように力なく立ち上がる練絹。乱れた前髪から見える瞳は切れそうなほど鋭利だった。

「佩刀――歪」と忌々しげに呟く。千鳥足を踏む足は血が流れ出ていた。しかし、それを気にもかけず、佩刀を射殺すように見つめる。先ほどの強襲で背中を打っているはずだが、それを表に出すことはなかった。

 壁に背におののく篝火白夜。

 篝火白夜の前に立つ佩刀歪。

 佩刀歪と対峙する練絹玉梓。

 練絹の手にしていたナイフはどこかに消えていた。佩刀が蹴り飛ばしたのだろう。盛大に瓦解した机のどこかにうもれているはずだ。

「練絹玉梓。白夜様に手を下した罪、万死にも勝る」

 そういって、見たこともない構えを取る佩刀。後ろから見ていても隙はなく、ものすごい気迫が空気を震わせた。

 練絹も不審なものを感じ取ったらしく、瞳を凝らしていた。しかし、油断はしていないらしく、重心を整えているのが分かる。確かに佩刀の雰囲気は尋常ではない。嵐の前の静けさといった風だ。

「降伏してください。今なら間に合います」

「すると思う?」

「でしょうね」と溜息をつくと、床を蹴った。それを狼煙に戦端が切って落とされた。

 佩刀の拳が練絹の腹部を捉える。間一髪でかわす練絹。練絹も相当の手練らしく、佩刀の排撃を巧みにさばいていた。実力は伯仲しているようである。

 対する俺は置いてけぼりを食らった感があった。

 わけも分からず練絹に襲われ、わけも分からず佩刀が現れ、わけも分からず二人が争っている。

 眼下では二人の少女が戦野を駆けていた。

 と。

 視界の端に不吉な光を視認する。

 ――ナイフ。

 二本目のナイフが練絹の右手に握られていた。

 横薙ぎにはらわれるナイフ。それをバックステップで回避する佩刀。しかし、そこで隙が出来てしまった。

 能面のような顔つきで、佩刀に蹴りを入れる練絹。佩刀は体をくの字に曲げて、後ろに吹っ飛んだ。

 咄嗟に体をスライドさせる。俺は佩刀をスライディングキャッチした。と同時に、背中に強烈な痛覚。痛みを蓄積した体は悲鳴を上げた。

 それでも佩刀を全身で包み込んで、床の上を転がる。佩刀が傷をおわないように、優しく。

 停止。

 ほっと一息ついたと思ったら、前と後ろから机が落ちてきた。佩刀を庇うように、強く抱きしめる。

 大丈夫大丈夫、と佩刀の髪を梳く。後は俺がどうにかする。もう心配しなくていいから。安心していいから。

 後頭部と背中に机の端がのめり込んだ。

 体内で小気味よい音が聞こえた。

 それが骨の折れる音だと理解する前に、気を失う。そのまま意識が遠のいていった。

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