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神隠しが起こる村 埒外編  作者: 密室天使
第一章 【虚飾症】
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第十一話 〃  11

 気まずい空気が流れる。心なしか部屋の温度が低くなった気がした。

「……帰ってくれ」と憔悴した声で言う。佩刀の視線から逃げるように目を逸らした。

 なぜか鬱屈とした気分になった。

「……白夜様」

「帰ってくれ」と強い口調でいった。「帰ってくれ」

 思ってもいない威勢に押されたのか、佩刀は体を起こした。佩刀の細い足が俺の足を挟んでいる。小動物みたいに無防備な目で俺を見すえる。縋るよう表情。清澄とした瞳は恐れと不安を抱いていた。なにかを堪えているようで痛々しい。

「そんなことをいわないでください……。私、そんなつもりじゃなかったんです。そんなつもりじゃな」

「関係ない。さっきいっただろ。家の人が心配してるって」と無感情な声。永久凍土よりも冷たい。「だから帰れ。家まで送ってやるから」

 佩刀は何もいわなかった。俺の言動に含むものがあるのか、恨めしそうに見る。しかし俺に従順なのは変わらず、いうとおりにした。俺から数歩距離を置いた。

 これでいい、と思った。これこそが本来の距離感だ。つかず離れず。近づきすぎたら今みたいになる。離れすぎては何も出来ない。だからこれでいい。

 腹筋の要領で起き上がる。最近体を使ってないからか、筋肉がなまっているようだった。不自然に体が重い。

 深い森に迷っているようである。頭が落ち着かない。冷静な判断が下せない。別にあそこまで佩刀に辛く当たる必要はなかった。悪いのは全部俺だ。篝火白夜の責任なのだ。履き違えるな。佩刀に罪はない。罰は俺が背負う。

 後で謝ろう。練絹にも佩刀にも後で死ぬほど謝罪しよう。よく分からないが、練絹は傷ついていた。その原因は紛れもなく俺。俺のせいで練絹は悲しんだ。

 練絹玉梓はいい奴だ。こんな俺のために朝食を作りに来てくれた。だから裏切るのはよくない。

 裏切られることは許容できても、裏切ることは許容できない。自分のせいで誰かが嫌な思いをするのは、俺が嫌だ。人を傷つけておいて、知らぬ存ぜぬを通すことは篝火白夜にはできない。

「歪。家までどれくらいある」と容顔を窺いながら問う。佩刀も心に瑕疵(かし)をこうむったのだろう。でなければ、そんな目をしない。

「……二十五分ほどでございます」

「分かった」

 部屋の電気を消す。明るかった室内が暗くなる。残照のように、朝日だけが差し込むだけである。

 廊下には野菜やらなんやらが散在していた。

 空しくなる。

 後で練絹に届けてやるべきだろうか。いや、いい。傷がより深くなるだけだ。ありがたくいただいておこう。冷蔵庫に入れるのは佩刀を送った後だ。金のほうは梅雨利東子を仲立ちにして渡してもらおう。

 佩刀は昨日の下着や制服を脱衣所で回収した。濡れた衣服は洗濯してある。乾燥機で乾かしたから、着れる状態にあるはずだ。

 制服に着替えるのだろう、と予想する。

 佩刀が廊下に出てきた。俺の予想に反して、俺のジャージ姿のままだった。手で制服を携行している。

 俺は靴を履くのをとめ、「制服を着ないのか」と提案した。

「なぜそう思うのですか」

「乾いてるんだろ。そっちを着たらどうだ」

「別にいいです」

「俺のジャージじゃアレだろ」

 アレがどういうものであるのかは説明しにくい。けれど後々のことを考えれば、後難は避けるべきである。なんせ、ジャージには篝火白夜と克明に刺繍されているのだ。下手に見られようものなら、あらぬ噂が広まるだろう。それではいずれ佩刀にも迷惑をかけることになる。

 それに、もったいないような気もした。佩刀ほどの麗人がわざわざくすんだジャージを着ることもない。似合わぬわけではないのだが、違和感はある。

「問題はありません」

「俺の名前が書いてあるぞ」

「構いません。むしろこれがいいです。白夜様の匂いがたくさんします」

 佩刀は袖に鼻をうずめた。犬のようにクンクンと匂いを嗅ぐ。その後、自分の体を抱きしめた。

「いい匂いです。心が落ち着いて、幸せな気持ちになれます」

 どうやら佩刀は防虫剤の匂いが好みらしかった。

 佩刀も遅れて履物に足をつけた。あられもなく乱れた衣服を整える。

 暗闇の中、俺の様子を瞥見。やがて呟くようにいった。「白夜様」

「なんだ」

「父上にご挨拶いたしますか」といった。折角だから、といったニュアンスがこめられていた。本人もそれを望んでいるようである。

「しない」

「御意のままに」

 佩刀は扉を開けた。眩しい光が視界を覆う。思わず手をかざした。

 いつものように鍵をかける。

 俺は無言のまま、部屋の門扉に背を向けた。




   ○○○




 日和見神社は荘厳な作りだった。

 百段以上ある石段。鳥井を潜り抜けると、豪奢な春日造の本殿が見えた。猩々緋の庇。注連縄が神前に設けられている。

 俺と佩刀は砂利の敷かれた境内を歩く。互いに一言も発しなかった。

「じゃあ、ここで」と立ち止まる。

 竹林がざわざわと音を立てた。

 周囲は森で囲まれているらしく、敷地の中は閑散としていた。閼伽棚(あかだな)には花が供えてあった。日和見神社には物憂いとした寂寥感しかない。

「それでは白夜様。用心してお帰りください」

 佩刀は深く一礼をして、春風に紛れていった。

 俺は元来た道を逆走した。

 茫漠とした空気の流れが背中を打つ。うつら悲しい気分で鳥井を通過した。そのまま階段を一段ずつ下りていく。

 ポケットの中が震えたのはその折のことである。

 手を突っ込むと、携帯電話がバイブレーションを繰り返していた。どうやらズボンに入れたままだったらしい。画面を見る。そこには見知らぬアドレスがあった。

 悪戯電話だろうか。

 階段を下りながら電話に出る。すると聞き覚えのある声が聞こえてきた。『はてさて問題です。一体全体、私は何者でしょーか? ……ヒント? ヒントなんて当然なし! さあさあ私の正体を当ててみよ!』

 電話を切ることにする。

『いきなり切るってどういう了見よ! 非礼、無礼、失礼、その三拍子! レディーに対してそんな態度はないと思うこの頃、篝火君はいかがお過ごしですか』

「……元気でやってるよ」

 そう答えると、梅雨利東子は電話越しに含み笑いを漏らした。

 面倒や奴からかかってきた、と苦々しく思った。よりによってこのタイミングとは、運が悪すぎる。

『ねえ君。今、運が悪いとか思ったでしょ。思ったでしょ、思ったでしょ、思ったでしょ』

 ……エスパーかよ。

 この女には予知能力か何かが備わっているのだろうか。あるとしても驚かない。そんな意外性があってもおかしくはない。

「おまえ、何かの達人だろ」と試しにいってみる。

『剣道の段位は三段だよ』

 ……ほらやっぱり。妙に隙がないと思ったら、そういうことなのか。

 それ以前に高校生の身でありながら、剣道三段という時点で異常である。

「流派は」

『さあ、中学校のころに少しかじった程度だし。道場主の名伽高嵐(なとぎこうらん)さんか、狭霧(さぎり)先輩に訊けば分かると思うよ』

「……狭霧先輩」

『あれ、知らないの? 名伽家次期領袖(りょうしゅう)、名伽狭霧』

「……知ってるよ。あの人にはちょっとばかし因縁がある」

 すると、梅雨利は笑ったようだった。

『私も狭霧先輩から聞いたよ。なんでも君、先輩に挑戦状叩きつけたらしいね。無謀というか果敢というか……、よく先輩に挑もうと思ったよね』 

「昔の話だ。あのころは荒れてたからな。誰彼構わず、といったところ」

『で、負けたんでしょ。篝火白夜の全勝記録はそこでストップした』

 梅雨利の声は透明だった。背後の喧騒とは無関係に聞こえてくる。脳に直接語りかけているようだった。

『けどまあ、相手が悪かったね。相手があの稀代の武門――名伽の怪物じゃあ、勝てる勝負も勝てない。うひひ』

 名伽狭霧。

 艶やかな銀髪を腰までおろした女。中学校の頃、道場破りをしていた俺を叩きのめした相手だ。あの時期は外界全ての人間が敵だと思っていた。道場破りを決意したのも単純な理由で、周りから悪鬼だとか悪魔だとか呼ばれていたからである。

 なら本当の悪鬼、悪魔になってやろう、というわけだ。

 ただやってみると面白いほどに連勝を重ねた。おそらく日和見村の道場の大多数は俺が潰したのではないだろうか。

 その例外が由緒正しき武家――名伽家だった。

 詳細は梅雨利の話したとおりである。遡行してみれば、笑えるくらいあっさりとやられた。年齢は相手のほうが上とはいえ、女性である。体格や筋肉量に履せない差があるはずだ。だが鎧袖一触(がいしゅういっしょく)のごとく、ねじ伏せられた。

『本当、生徒会メンバーは独特だね。個性的すぎて破綻してるっていうか、いや、逆? 個性的であるあまり、一つの組織体系を形成してる、といったほうが正しいかな。佩刀歪もそうだしさ。篝火君は知ってるかな? 狭霧先輩も一応、生徒会の人間なんだよ。あまり生徒会室には出入りしないけどね』

 別に興味はなかったが、訊いてくれと口吻に漏らしているので、やむを得ず訊いてやる。「なんでだ」

『よくぞ訊いてくれました。狭霧先輩はね、著名な美術コンクールに作品を出展するんだよ。そのために生徒会活動は一時中止。生徒会長も了解してる。五月ごろに発表するんだって。本当にすごいよね、狭霧先輩。やっぱり御三家には特殊な人が多いよ。生徒会もそういう格式高い家柄で構成されているしね』

 生徒会など知ったことではないが、なんだか奇々怪々とした集団であることは分かった。

 それよりも気になることがあった。

「……おまえ、もしかして美術部員なのか」

 肯定の返事が返ってくる。

 気がつけば階段を下り終えていた。当然目に映る光景は変化している。眼下には変わり映えのしない田畑が広がっていた。振り返れば雄偉たる石段が天に伸びている。

「で、梅雨利」と仕切り直す。「俺に何か用か」

『ああ、そうだった。忘れてたよ本来の目的。随分と脱線しちゃったなあ』

 はははと笑う。なんとも軽薄な笑みだ。

 梅雨利東子の第一印象はストイックである。凛冽とした器量が感じられ、一筋縄でいきそうにない人間。それが梅雨利東子の見解だ。

 しかしある程度の会話を重ねていくと、この女ほどメチャクチャな人間はいないように思えてくる。顔つきはやや幼いが、得体の知れないものと対峙しているような不安に襲われるのだ。例えるなら、魔球を隠し持っていそうな女である。それもギリギリまでそれを隠し通し、土壇場で一気に蹴りをつけるタイプだ。

 純朴だが面妖。

 放蕩だが律儀。

 酷薄だが温和。

 そういった二律背反とした認識が、俺の中で定着しつつある。

 話し方も歯に衣着せない。思ったことをずけずけと言い放つ。それが時々確信を突くのだから、始末におえない。色々と考えさせられる。思慮が深いのか浅いのか、浅いのか深いのか、判断しずらい。

 何かと謎の多い女だ。

 そもそも。

 なぜ俺のメールアドレスを入手できたのだろうか。

 様々な憶測が浮かんできたが、どうでもいいと一蹴。いまさら知ったところで何かが変わるわけでもない。無駄な労働はしない主義だ。

『それはそうと、白夜君。断っておくけどこれからが本題だからね』と一旦区切る。『んで、玉梓の体はどうだった? 柔らかかった? 甘かった?』

 梅雨利のいいたいことが理解できなかった。俺は呆けるように、「あー、うん」と曖昧な一言を漏らす。

『ふーん。その様子だと私のいいたいことが理解できてないみたいだね。据え膳食わぬは男の恥、ってことわざ知ってる? 据え膳なだけに、せっかく私がお膳立てしてあげたのになあ……』

「お膳立て?」

『うんうん、なんでもない。こっちのお話』

 電話口から狼狽した声が聞こえてきた。言葉をもういくつか取り繕われる。なんとも不審な態度だった。

 そういえば、と練絹のことを思い出す。とたんに影が落ちる。心臓が嫌な具合に締めつけられた。

「梅雨利」

『ん? 何、そんな真剣な声出して……』 

「おまえに頼みたいことがあるんだ」

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