比翼の鳥
孫の声が聞こえる。息子夫婦の声が聞こえる。皆、私を呼んでいる。
「ばあちゃん」「母さん」「お義母さん」
私の名前は愛洲玲奈。今年で九十五歳になった。じいさん、愛洲豪寿に先立たれてから五年も生きてしまった。
大好きな豪寿。孤児だった私に居場所をくれた大恩人。
あの人がいたから、私は人として生きることができた。あの人がいたから、私は幸せだった。
あの人がいなくなって、私は生きる意味を失った。だけど、淋しくは無い。
私の傍には息子達や孫達がいた。子ども達が私を慰めてくれた。みんな大好き。だけど――
やっぱり豪寿が一番好き。
私の脳内に、豪寿との思い出が次々閃いた。これが走馬灯というものか。
豪寿との記憶を巡っている内、子ども達の声が聞こえなくなった。それどころか目を開けることができなくなった。真っ暗闇だ。
それでも、私の心は温かいまま。だって、私には豪寿との思い出が有るから。
ああ、次の人生でも豪寿と一緒に生きたい。
それが私の最期の望みだった。その望みを抱いて、私は――この世を去った。
私、愛洲玲奈は死んだ。そのはずだった。ところが、私の瞼に光の刺激を覚えた。
私は目を開けた。すると、私の視界に煌びやかな世界が映り込んだ。
豪華なシャンデリアを連ねた白亜の大広間。周りには豪奢な衣装をまとった男女が立っている。
私もまた、豪奢なドレスをまとっていた。しかし、私は皆と同じ場所にはいない。
周囲の者は、何故か私から距離を取っている。しかし、全員ではない。
唯一の例外は、私の前に立つ一組の男女。それぞれ一際豪奢な衣装をまとっている。
恋人同士なのだろう。二人は互いに身を寄せ合っていた。対して私は一人きり。
どういう状況?
私は周囲を見渡した。その度に、皆から向けられた冷たい視線を意識した。
皆、私を憎々し気に睨んでいる。その中で、一層厳しい視線を向けている者が、私の正面に立つカップルの男性だ。
何故、そんな目で私を睨む?
訳が分からない。しかし、私は現況に奇妙な既視感を覚えていた。その理由が何なのか? 首を捻った。その直後、私の目の前に立つ男性が大声を上げた。
「レイナリア・レイナード。貴族の身でありながらアイリスに対する卑劣な仕打ちの数々見過ごせん。このときをもって、お前との婚約を破棄する」
レイナリア・レイナード。婚約破棄。それらの言葉を聞いた瞬間、私は現況の意味を理解した。
これ、「きゃんきゃんプリンセス」の断罪イベント!?
きゃんきゃんプリンセス。孫娘と一緒に遊んだ乙女ゲームだ。
私は二作目の「きゃんきゃんプリンセス・プルミエール」まで遊び込んでいる。全ての攻略対象を攻略するまでやり込んでいる。台詞も全部覚えた。
私の記憶の中にあるものと全く同じ台詞が、たった今、目の前に立つ男性の口から飛び出した。
彼は一作目の王太子。
現況を鑑みるに、どうやらゲームの終盤のようだ。婚約破棄、所謂断罪イベント。王太子ルートに入っているのだろう。
なるほど。一先ず納得。いや、拙いぞ、これ。
今の私は悪役令嬢レイナリア。しかも、婚約破棄されたということは、既に試合終了だ。逆転の可能性が一ミリも無い。
どんな保険会社でも、全力で契約を拒む事態だ。私に残された可能性は、アイリスに対する嫌がらせの咎で国外追放の憂き目に遭うだけ。
今後の展開を想像した途端、私の脚から力が抜けた。
駄目じゃん。
私は体を支えることができず、大理石の床の上にへたり込んでしまった。周囲から向けられた冷たい視線を浴びながら、自分の最期を悟っていた。最早逃げる気力も、抵抗する気力も無い。
衛兵達が、私をしょっ引こうと近付いてくる。私は何も言わず、その瞬間を待った。ところが、
「お待ちください」
衛兵の動きを遮って、涼やかな男性の声が響き渡った。その直後、私の前に誰かが立った。その気配を覚えて、私は視線を上げて男性を見た。
暗色の髪。首元から覗く浅黒い肌。その身にまとった衣装は、髪と同じ暗色だ。
全身黒ずくめ。中々の中二病。その人の外観を見た瞬間、私は彼の正体を直感した。
この人――隣国の王太子だ。
隣国の王太子。彼はヒロインの攻略対象ではない。それどころか名前も無い。モブよりちょっと上等なサブキャラだ。
本編では、レイナリアとの絡みは皆無。赤の他人と言って良い。
それなのに、何故、彼は私の前に立っているのか? 何故、私を庇っているのか?
私は「訳が分からない」と首を捻った。すると、隣国の王太子はクルリと踵を返して、私の方を見た。
サブキャラらしい凡庸な顔だ。しかし、それを見た瞬間、私の心臓が激しく高鳴った。
この人――心が超絶イケメン(直感)。
私は隣国の王太子に見惚れた。私の視界の中で、彼の口がユックリ綻んだ。その笑顔に、私は激しい既視感を覚えた。その理由が、見詰める先の凡庸な口から飛び出した。
「助けに来たよ、ばあさん」
ばあさん。その呼称で私を呼ぶ人間は、異世界を含めて全世界で唯一人。その事実を直感した瞬間、私は一つの確信を得た。
ああ、私の願いが叶った。
私の前に立っている人は、私の前世の夫、愛洲豪寿その人だった。その事実を確信した瞬間、私の目から止めどなく涙が溢れた。




