カタミさがし
尾張一郎は、長年勤めてきた会社を定年退職して間もなく、医者から余命宣告を受けた。当然ショックではあったが、気持ちの整理をつけるのにそんなに時間はかからなかった。結婚し三人の子どもを育て、その子どもたちもそれぞれ家庭を持ち、孫にも恵まれた。定年後にやりたいことや趣味などもこれといって無かった一郎は、ここで人生が終わっても決して悔いはないと思ったからである。終活を着々と進め、残された時間を妻とともに大切に過ごしていた…。
そんなある日「急ぎ、相談したいことがある」と、一郎は弟の二郎、三郎を自宅へと呼び出した。
「悪いな、急に呼び出したりして」
「なあに、構わないさ。何でも言ってくれってこの前話しただろ」
二郎はにこやかに答えた。兄弟それぞれ家庭を持ってからなかなか連絡取らなくなっていたが、一郎の余命の話をしてからはこうして会う時間を作るようになっていた。
「あれ、美智子さんは?」
一郎宅のリビングを見回しながら三郎が言った。美智子とは、一郎の妻の名前である。
「あぁ、ちょっと出かけているよ」
「ははーん、読めたぞ。美智子さんに内緒の話ってことは…」
三郎はニヤっと不敵な笑みを浮かべた。
「ち、違う!そういう不埒な話じゃない」
「不埒なんて一言も言ってないじゃないか。…ということは、図星か?」
「まったく三郎は相変わらずだな。まぁそうじゃないにせよ、美智子さんの耳には入れたくない話なんだろ?」
「まぁ…それはそうだ…」
少しの間を開けて、一郎は二人を順に見た。
「笑わないで聞いてくれよ」
一郎は深刻な顔で話始めた。
「静香のことなんだ」
「しーちゃんのこと?」
静香とは一郎の末の娘である。一郎にとっては、四十を超えてから生まれた初めての女の子で、特別可愛がってきた。今は結婚して遠くに住んでいるので、なかなか顔も合わせられないが、余命宣告を受けてからは、時間を見つけては会いにきてくれている。
「しーちゃんに何かあったのか?」
「いや、静香は元気にやってるよ。ただ、昔を約束を思い出してな…」
それは、静香が中学生になったばかりの頃の話だ。
「お父さん!カタミちょうだい!」
とある日曜日、休日出勤から帰ってきた一郎を待っていたのは、静香の無邪気で思いがけない一言だった。
「か、かたみ?」
絵に描いたようなオウム返しをした一郎を見て、妻の美智子はクスクス笑い、そして事の経緯を説明し始めた。
「今日、静香の友達がうちに遊びに来たんだけど、その時に腕時計をつけててね。『素敵な時計ね』って聞いたら『父の形見なんです』って言ってたのよ」
美智子の話によると、その友達のお父さんは一郎よりも十近くも年下であったが、進行性の早い癌で亡くなったのだという。
「『カタミ』っていう言葉がかっこいいと思っちゃったみたいね」
美智子は静香に聞こえないようにこそっとそう付け加えて、またクスクスと笑った。
「ね、いいでしょ。私もカタミ欲しい!」
まるで流行りの服やおもちゃでもねだるかのように、静香は満面の笑みで言った。
「あのね、静香。形見っていうのは、人が亡くなるときに、渡すものなのよ」
返答に迷う一郎の代わりに、美智子が優しい口調で説明した。
「そうなの?」
静香は目を丸くした。
「そうなんだよ。すまんな」
美智子の助け舟にほっとした一郎だったが、少し考えた静香から、
「じゃあ、お父さんが死ぬときにちょうだいね」
と、また満面の笑みで、縁起でもないお願いをされたのだった。
「なるほど、それが昔した約束ってやつか。しーちゃんらしいな」
三郎の言葉に一郎は頷いた。
「今まで忘れていだんだが、ふと思い出してな…。でも何を形見にしたらいいか、全く思いつかないんだ」
「兄貴が使ってた物だったら何でいいんじゃないか?それこそ同じ腕時計でも」
二郎の提案に、一郎は首を振った。
「その友達の父親の形見ってのがな…」
一郎は海外の有名ブランドの名前を口にした。
「えぇっ!そんな高級品だったのか?」
「若いのに相当やり手だったんだな、その父親」
思わず感心してしまう弟二人を見て、一郎はやりきれない思いで溜息をついた。
「それに比べて俺のは、近所のデパートで売られてた安物だ。そんなもの渡せるわけないだろ」
一郎は今まで自分の持ち物へのこだわりが無く生きてきた。子どもたちの学費や習い事の会費のために、自分の鞄や名刺入れを新調するときはセール品を探したり、とにかくお金をかけないことを心掛けて生活してきた。そのため一郎の周りには必要最低限の物しかない。先に述べたように趣味もこれといって無い。唯一仕事の付き合いでゴルフを少しやっていたが、道具一式は会社の先輩から譲り受けた物だった。そのゴルフ道具も、すでに後輩に譲ってしまっている。
「俺の人生って、なんてちっぽけなものだったんだろう…」
話を進めながらどんどん落ち込んでいく一郎を見て、二郎は元気づけるように声をかけた。
「大丈夫だって。形見っていうのは値段で価値が決まるもんじゃない。しーちゃんだってもう大人なんだから、そんなことくらい分かるさ」
「いや甘いよ、二郎兄ぃ。むしろ大人になったからこそ、気をつけなきゃいけない。しーちゃんはもう立派な女性なんだから、ブランド云々の知識は俺たちより断然上のはず。そう考えると下手なものはあげられない」
「でも兄貴はそんな高級品は持ってないんだぞ。どうすればいいってんだ?」
二郎の問いに、三郎は少し間を置いて答えた。
「…偽るしかないな」
「えっ?」
「これからしーちゃんが満足するようなブランド品を買って、それを兄貴が使ってた物だって言い張るんだ。しーちゃんはしばらく一郎兄ぃと暮らしてないから、たぶん信じるはずだ。もしお金が足りなかったら俺たちが出すよ」
「いやお前、それって形見じゃなくて、ただのプレゼントだろ?」
「仕方ないさ。一郎兄ぃが理想の形見を渡したいってなら、これしか手段が無い」
「待て、そんなのやるべきじゃない」
「なんだ、二郎兄ぃは可愛い姪っ子のために金出したくないってのか?」
「そんなことない。俺はしーちゃんのためならいくらでも積むさ。でもそれを形見として渡すんだとしたら、道理に反するだろ」
二郎と三郎の議論がどんどんヒートアップしている側で、当の一郎は頭を抱えたままである。平凡で冴えない人生を送ってきたにも関わらず、今から高級な形見を遺したいなんてとんでもない我儘だと一郎自身思う。でも、大切な娘との最後の約束だから、どうしても叶えたいのだ。
「どうすれば…」
一郎が呟いたとき、玄関へと続く扉が突然開いた。
「ただいまー」
入ってきたのは、なんと静香だった。
「うわあああっ!!」
驚いた三人は一斉にのけぞった。一郎は余命が一か月くらい縮んだ心地だった。
「あ、二郎おじさん、三郎おじさん、こんにちは」
「や、やぁしーちゃん、お邪魔してるよ」
三郎が尻もちをつきながらも、にこやかに片手をあげて挨拶した。
「静香。どうしたんだ、急に」
「連休もらえたから会いに来たのよ。お母さんから聞いてない?」
「兄貴、そうなのか?」
「いやぁ、そんなこと一言も…」
「兄弟そろって何話してたの?なんか形見がどうとか聞こえたけど」
一郎はドキッとした。あの一連の会話が筒抜けだったのである。
「あ、いや、それは…」
口ごもる一郎に、二郎がそっと助言した。
「兄貴、話そう」
「え?でも…」
「このまま俺たちだけで話してても何も解決しない。それだったら、しーちゃんが今望んでることをちゃんと聞いてあげたほうがいいんじゃないか?」
二郎に背中を押され、一郎は渋々、事の顛末を静香に話した。静香は最後まで聞き終えるとクスクスと笑い始めた。笑い方がいつの間にか、美智子そっくりになっている。
「笑っちゃうよな。渡せるような形見が無い人生なんて…」
「そうじゃないの。ちょっと来て」
静香は微笑んだまま立ち上がり、一郎たちを手招きした。
招かれたのは自宅の庭にある物置だった。大した値打ちの物は入れてないので、鍵はつけていない。静香はガラガラと扉を開き、何かを探し始めた。
「あったあった」
奥から引っ張り出したのは箱…。昔、お歳暮かお中元か何かでもらったクッキー缶だった。当然中身はクッキーではないが、その後何を入れていたかは、全く分からない。静香は表面についていた砂埃を軽く払って、蓋を開けた。
「私が欲しかったのは、これよ」
クッキー缶の中を覗くと、そこには石ころが入っていた。
「何だい?この石ころは」
三郎が不思議そうに尋ねる横で、
「これって、もしかして水切りの石か?」
と、二郎が言った。よく見ると、確かに平べったく丸みを帯びた形をしている。二郎の問いに、静香がコクンと頷いた。
「お父さんが子どもの頃に近所の大会で優勝したんだって、よく話してくれてたの。一回だけ家族でキャンプに行ったときに見せてくれて、石が水の上を弾んでいくのがきれいで、お父さんすごいなぁって思ったんだ」
一郎の中で記憶が蘇ってきた。子どもの頃、田舎町に住んでいた一郎が夢中になったのが水切りだった。よく友達や弟たちを連れて近所の川へ行っては暗くなるまで遊んでいた。大会といっても仲間内で行なった小さなものだったが、人生で一番になれたのはそれが最初で最後だったので、それが一郎にとって唯一自慢できることだったのである。
「そんなこと、覚えてたのか」
忘れていた。そんなに誇りに思っていた水切りのことも、その石を大事にとっていたことも。でも静香は、ちゃんと覚えてくれていたのだ。
「お父さん」
静香が一郎に微笑みかける。
「カタミ、ちょうだい」
一郎は零れそうな涙をグッと堪えた。そしてクッキー缶を持つ静香の手に、自分の手を重ねながら言った。
「あぁ。大切にしてくれよ」
「そう、そんなことがあったの」
美智子は一口飲んだ紅茶のカップをそっとテーブルに置きながら言った。
「そうなの。可愛いでしょ、お父さん」
話を終えた静香は、自分の紅茶を手に取った。二人が座るリビングテーブルの上には一郎の遺影——。四十九日が終わりしばらく経ったある日のことである。
「本当にあんな石ころ欲しかったの?」
「まさか。だってカタミが欲しいって約束してたのも忘れてたのよ。あの日お父さんから話を聞いて、ぱっと思いついたのがそれだったってだけ」
静香はふふっと笑った。
「男の人って、なんであんなに人と比べたがったり、意地を張ったりするのかしら?」
「そういう生き物なのよ」
美智子もまた、ふふっと笑った。
「人の価値って、物の値段では決まらないのにね。『大したものを遺せなくてごめん』って言ってたけど、私はお父さんと結婚したからこそあなたたちに恵まれて、お金も時間も家族のためにって言いながら費やしてくれた。そんな優しい人と人生を共に出来て、本当に幸せだったわ」
「お母さんにそう思ってもらえるなんて、最高の人生だったろうね。ね、お父さん」
静香は遺影に語りかけた。額の中の一郎は、この世に未練は無いと言っているような清々しい表情で微笑んでいたのだった。
END




