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八面六臂の青い春

作者: 花浅葱
掲載日:2026/05/23

 

「百二十八。なんの数字かわかるか?」

 唐突な問いかけに、私は返事に困ってしまう。


「百二十八、ですか……」

 沈黙を恐れて鸚鵡返しにそう口にしてみるけれど、お眼鏡に適いそうな答えは思いつきそうにない。

 だから、敵わないなと思っていると彼──八面六臂先生もそれを見透かしたのか呆れ、軽蔑するような眼差しを浮かべながら答えを口にする。


「仕方がないから教えてやろう。百二十八。それは、僕がこの家で実行できる完全犯罪の方法の総数だ」

 椅子に深く腰掛けたまま、彼はそう口にする。その目が獰猛な獣のようなものに見えて、思わず私は委縮してしまう。


 どうして、私は八面六臂先生の仕事部屋に案内され、こんな脅しを受けているのか。

 少し時間は遡り──


「待て」

「──はい?」

「ナンセンス。実ーにナンセンスだ。君、今こう考えただろう? どうして私が先生の取材をしなきゃならないんだろう。そう考えたね。そう考えた顔をしていた。そして、誰かに同情を買ってもらおうと自分の過去を追憶しようとした。文化レベルの低ーい島国に生まれてしまったせいで、お前の思考はバレバレだ。そんなんだからお前の出版社からは直木三十五賞受賞作品が出ない。 ──と、失礼。直木賞は僕が作家を始めてからずっと僕が独占していたな」


 そう、今私の目の前にいるスーツに身を包んだ長身痩躯の色男──八面六臂先生は、14歳でデビューして以来15年間、芥川賞と直木賞・本屋大賞を総舐めし続けている凄腕どころか生きる神話のような作家だ。

 若くしてデビューした作家は、年を取るにつれて筆力を落とし、自殺していく──というのが典型なのだけれど、彼は衰えることは知らないどころか常に進歩し続けている。

 キュビズムのような新提案を作品ごとに展開し、これまでの文学と日本社会に対して痛烈な皮肉を投げかけるその革命的な作風でベストセラーを連発していた。

 そんな、一世を風靡する彼であるがメディア露出がほとんど無く、プライベートに関する情報が全く存在していない多くの謎に包まれた男だ。今回、取材に応じてくれたのも理由がわからない──編集長は「気まぐれだろう」と言っていたが、今はその「気まぐれ」で追い出されてしまうかもしれない。


「──黙り込んでしまったな。脅したことは謝ろう。申し訳ない」

「申し分ないです」

「──『代々木偽葉』シリーズ、か。君も僕の読者なのかい? それとも、取材をするために斜め読みしたのかい?」


 八面六臂先生は、確かめるように私のことを見る。

 先程の「申し訳ない」「申し分ない」という掛け合いは、『代々木偽葉』シリーズの常套句。

 そして、今の問いかけは同じく『代々木偽葉シリーズ』のコミカライズ版特別読み切りで行われた主人公代々木偽葉から担当編集に対するメタ的な問いかけ。その返答は──


「空気を読んで答えると読者です。行間を読んで答えると、斜め読みです」

「──合格だ。僕はね、博愛主義者なんだ。僕の読者には優しくしてやりたいものだろう? 熱心な読者である君の取材を受けてやろう。何が聞きたい?」


 肘掛けに両肘を置き胸の前に腕を組む彼は、まるで悪の組織のボスを思わせるかのような風格があった。

 私は、乾いた喉を唾を飲み込んで誤魔化して取材を始める。


「──本日は、八面六臂先生の新作を弊社から出版させていただくに当たり、雑誌掲載用のインタビューをお伺いいたしました。本日はよろしくお願いいたします」

「こちらこそよろしく。堅苦しいのも定型文も嫌いだから、愛想笑いはしなくていいよ。早速質問に入ろう。僕の手を煩わせるのは、人類の損失だ」

 八面六臂先生はそう口にして、整った顔で性格の悪そうな笑みを浮かべる。

 顔出ししたら更にファンが増えそうな美貌なのに、ここまでメディア露出が少ないのは何故だろうか。


「では、早速最初の質問に移らせていただきます。まずは、今回の新作についてあらすじを──」

「──すまない。あらすじについては話せないんだ」

「はい?」


 私は、用意しておいた質問の1つ目から答えられるのを拒否されてしまう。これじゃ、タイタニックが出発する前の岬で氷山にぶつかってしまうようなものだった。


「僕はね、事前情報っていうのが心の底から嫌いなんだ。僕も情報収集のためにインターネットは見るようにしてるんだけど、ネットの絵描きにはwipと称して完成していない絵を載せる人がいるだろう? 僕はそれが許せなくてね。完成していない絵を投稿するのは、芸術家として相応しくない。そういう絵描きは、承認欲求に塗れた凡人だ。だから、僕は作品が世に出るまでは作品の話を全くしないようにしているんだ。そして、出版社にもそれをお願い──もとい、命令している。だから、今回の新作だって僕の名前と新作って情報しか出ていないだろう?」

 彼は、あらすじを世に出さない理由を語ってくれる。

 彼が完全新作を出す際は、あらすじやタイトル等も含めて何も明かされないことが多い。彼のこだわりなのだろう。


「こだわり──みたいなものですかね」

「そうだね、そういうことになるかな」


 私は、彼から「こだわり」という言葉を引き出せたことに安堵をする。続けて、彼に質問を投げかけた。


「それでは、他にこだわりはございますか? 例えば、メディアの露出が少ないこととか」

「それは、僕の作品を評価する余計な要素を作りたくないからだ。ほら、僕はこの通り容姿端麗だろう? 僕はね、ただ僕の作品を見て欲しいんだ。不要な装飾は没個性なんだよ。ほら、大学生になってカッコいいから、他の人と差を付けたいからって理由で髪を染める人は皆没個性で声をかけても中身がないだろう? 僕の作品はそれだけで素晴らしいから、付加価値を用意する必要はない。これはこだわりではなく信念──、かな」

「先生の作品に対する熱意がわかりました、ありがとうございます。では、ここは自室ですけどスーツを着ているのはこだわりですかね?」


 新作の話を聞け無さそうな以上、私は先生の「こだわり」を軸にインタビューを続ける。

 彼は、自分の着ている黒いスーツに視線を落とし、右手でその襟をつまむ。そして──


「──これ? これは、僕がスーツしか服を持っていないだけだ」

「──へ?」

「間抜けな声を出してどうした?」

「いやいや、スーツしか持ってないんですか? Tシャツとかはないんですか?」

「雑巾の原材料を着る? この僕が? いい冗談だな、気に入ったよ」

「いやいや、冗談ではないんですが……。もしかして、寝る時もスーツなんですか?」

「そうだよ。僕は朝から晩までずっとスーツだ」

 先生はそう言い切る。私も、仕事で疲れすぎてシャツのままベッドに傾れ込むことが稀にあるけれど、あれは熟睡と言うよりも失神に近い。先生は熟睡できているのだろうか、と心配に思ってしまう。

 これ以上追求しても、共感できない現状が増え続ける気がしたので私は次の質問に移ることにした。


「先生の作品はミステリーが多いですが、どのようにして作品の構成やトリックなどを考えているのですか?」

 用意していた2つ目の質問に、私は手をつける。

 先生の作品の活動初期の頃からほとんどがミステリーであった。


「そうだな、本来は作家生命に関わる企業秘密なんだろうけど、僕に関しては再現性のないことだから特別に教えてあげよう。僕は物語の構成やトリックを考えているわけではない。僕は、なぞっているんだ」

「なぞる?」

 先生の発言の意図することが理解できず、私はまたしても鸚鵡返しに聞き返す。すると、先生は少し不快そうな顔をした後にこう続けた。


「僕はね、この世界でないどこかの誰かが行った事件をなぞっているに過ぎない。だから僕は自分の頭の中で考えているわけではないんだ。僕はただ、他の時空で起こった時間を自分の脳みそを媒介に覗き、見た物を見たまんま書いているだけさ」

「成程......? では、実体験などを作品に使用したりと言うことはないのですか?」

「そうだね、明確に実体験を作品に使用したのは過去に一度だけかな。僕の作品はミステリーが多い。自分の経験が役立つことはそう多くないよ」

「そうですよね。身の回りで殺人犯や怪盗がいるわけないですし、奇天烈な館もありませんよね」

「そう言うこと。死ぬのはいつも他人ばかりで、地球は太陽の周りしか回れないのさ」

 先生はそう口にして、深く座り直した。私が次の質問をしようとメモ帳の目配せしたその時──、


 PrrrrrrPrrrrrr


 私の会社用携帯が声をあげる。取材中も電源を切らない決まりではあるものの、その間は連絡しないように徹底されている。鳴ったと言うことは、相当重大な話題だろう。だけど、今の私には八面六臂先生の取材が最優先だ。


「──すみません、すぐに電源を切ります」

「いや、出てもらって構わない。この僕の取材中に電話するとは、余程のことなんだろう?」

「ですが......」

「電話に出ろ。そして、僕に何の話題が教えろ。それが取材を記事にするための条件だ」

 彼は、これまでに見せたことのないような冷たい目で私を見る。私は「こひゅっ」と緊張のあまり喉の奥から息が漏れてしまった。有無を言わせないその物言いに、私は断ることができずに一言断って電話に出た。


「もしもし、城町ですけど」

『あぁ、よかった。繋がった。城町くん、事件が進展したよ』

 携帯の奥から聞こえるのは、編集長の声だった。

 刑事事件を主に担当する私を八面六臂先生の取材に行くように命じたのは、電話の奥にいる編集長本人だ。八面六臂先生の取材が貴重であることは重々承知しているだろうに電話をしてくるとは、どんなに大きなしんてんなあったのだろう。


「進展したとは?」

 編集長の言う「事件」が何のことかは既にわかっていた。電話の奥で、私の問いかけに彼は答える。

『張本君が、遺体発見の前日に御手洗(みたらい)君と会ってることが判明した。犯人は張本君で確定だ』

「......そうですか、私の予想と外れてしまいましたね。わざわざそれを伝えるために電話を?」

『勿論。この事件の犯人は君にとっても重要だっただろう?君は賭けに負けたんだからね、約束通り刑事事件の担当から降りてもらうよ』

「──」


 私が返事をせずに黙り込んでいると、編集長は一方的に電話を切った。その勝ち誇ったような声が、わざわざ電話をかけてくるような嫌らしさが私の心を苛ませる。


「──何の電話だったんだい?」

「編集長から、私が別件で担当している事件についての電話です。犯人が確定したのだと」

「成程、詳しく訊かせてくれるかい?」


 取材をする側とされる側が主客転倒してしまっているような気がしたけれども、話すことを条件にされてしまったのだから仕方ない。それに、この話は遅かれ早かれ記事として書かれるはずだ。


「5日前に殺人事件が起こりました。被害者の名前は御手洗春樹(みたらいはるき)。18歳の高校3年生。自宅で、胸を凶器で一刺しされていることが確認されました。凶器となったナイフは御手洗さんの自宅のものが使用され、被害者が殺された部屋に転がっていました。抵抗の後は無かったことから犯人は被害者の家に招き入れられた人物とされ、親しかった同級生の張本学(はりもとがく)が捜査に浮上。彼の自宅に警察が訪問すると、警察鎌何かを聞くより前に彼は「自分がやりました」と御手洗さんを殺害したことを供述。彼はそのまま留置所に入れられたのですが、一転して容疑を否認。それに、被害者の自宅は家に鍵がかけられていたことから密室殺人という扱いになりました。先ほどの電話で、張本さんが事件の前日に御手洗さんの自宅に行ったことが街中の防犯カメラの映像により判明したため、犯人は張本君で確定したという感じです」

「成程ね。簡単に解決すると思ったら、思わぬ沼に嵌ったのが、やっと抜け出せたわけだ。それで、さっき言っていた予想と言うのは?」

 彼は、真剣な眼差しで私から事件の概要を聞いている。やはり、ミステリー作家として興味が惹かれる何かがあったのだろうか。


「私は張本さんが犯人ではないと予想していました。それがどこからかはわかりませんが、編集長の耳に入ったようで賭けを持ちかけられたのです。私が勝てば、刑事事件を私を望むまで扱わせる。編集長が負ければ、私は刑事事件の担当から外れる──というものでした」

「それで、君が負けたと言うわけか」

 八面六臂先生の口から改めて「負け」と言う事実を伝えられ、私は自分でも自覚できるくらいに顔を歪める。


「君の表情を見るに、刑事事件を担当することにこだわりがあるみたいだね。理由を聞いてもいいかな?」

 彼は、これまで取材の中でしてきた苛烈な発言からは想像できないような優しい声で私にそう問いかけてくる。彼になら話してもいい、そう判断した私は自分のことを話すことにした。


「16年前、殺人事件がありました。私の3歳年上の姉が何者かに殺されたんです。犯人の足跡が掴めず、結局今も解決していません。私は当時10歳でしたが、その事件のことがずっと頭に残っています。だから私は、記者となり刑事事件担当になることで姉を殺した犯人を捕まえたいんです! 姉を殺した犯人を捕まえて、姉を殺したことを後悔させてやりたいんです!」

 熱くなって、つい言い過ぎてしまっただろうか。

 私が言葉を慎もうとすると、彼はどこか恍惚とした表情で勢いよく立ち上がり、私に対して賞賛の拍手を浴びせた。


「ブラボー、ブラボー! 素晴らしい家族愛、素晴らしい執念! 僕は君の人生に拍手を送る。ブラボー! ブラボー!」

「......バカにしてるんですか?」

「僕が君をバカにしているように見えるのかい? 見えるのなら、僕の読者失格だ」

「私は先生の作品に支えられてきました! 姉が死んだ後、先生がデビューし私はその作品に支えられてきました! 先生の作品は好きですが、姉を侮辱するのなら先生であっても許せな──」

「張本学は犯人じゃない」


「──は?」

 先生の唐突な発言に、私は耳を疑った。

 今は姉の話をしているのに、どうして御手洗春樹の名前が出てくる。もう彼は犯人だと確定したのに、どうして犯人じゃないと言える。


「君が刑事事件担当から外されないことに協力する。これは、僕が送る君と君の姉への最大限の敬意だ」

 彼はそう口にして、ゆっくりと回転椅子に腰を下ろす。


「ですが先生、張本さんは前日に御手洗さんの家に足を運んでいたんですよ? それに、凶器は事件現場の隅に落ちていたし警察が何かを言う前に御手洗さんが死んだことを知っていた。もし彼が犯人でないとしても、他に御手洗さんを殺す人がいません」

「おいおい、それでも僕の読者か?知能指数が低い日本だとは言え、僕は僕の読者には少々の期待をしていたのだがな。正直言って、呆れたよ」

 彼は天を仰ぐように上を向き、右手で顔を覆う。


「先生は何が言いたいんですか?」

 私は、怪訝な顔をして先生のことを見る。


「犯人がわかった。最初からそう言っているだろう」

「私から話を又聞きしただけで、ですか?」

「あぁ、そうだ。事件現場に行く必要なんてない。事件は全て、私の頭の中で起こっている!」

 彼はそう口にして、私の顔をしっかりとその双眸で捉える。私は、先生と目を合わせた後ですぐに逸らす。逸らしたままで、私は聞いた。


「では、先生。誰が御手洗さんを殺したんですか」

「答え合わせをするのは簡単だ。これは小説なんかじゃない、まずは推理を聞くのが筋なんじゃないか?」

「──何が最初でも構いません。犯人なら犯人を、推理なら推理を聞かせてください」


 私は、急かすようにして先生に言葉を投げかける。

 余裕そうな態度でいる先生と、焦り続けている私は対照的だった。


「君が焦る気持ちもよくわかる。だがね、焦っていても頭は回らない。小説家に、探偵に必要なのは余裕だよ」

 先生はそう口にすると、回転椅子を回して私に背を向ける。そして、引き出しの中から何かを取り出し、引き出しを勢いよく閉めたのちにその手の中のものを私に投げてきた。


「っと......!」

 咄嗟に投げられたそれを、私は咄嗟にキャッチする。

 自分の手の中を見ると──


「──きゃあ!」

 私は悲鳴をあげ、すぐに手の中のものを放り投げる。

 先生が私に投げつけたのはゴキブリ──


「──安心して、死体だよ」

「安心できません! なんですか、急に!」

 私は糾弾するように、思わず金切り声を出してしまう。既に、先生に対する尊敬は半減していた。


「すまない、それで落ち着くと思ってね」

「──詭弁です」

「そう、詭弁だ」

 詭弁だと言いながらも、私の意識はゴキブリの死体に持っていかれたからか少し落ち着きを取り戻していた。いや、取り戻せてはいない。ゴキブリに意識が持っていかれただけだ。


「──で、だ。話を続ける。君のくれた情報に一つも嘘がない場合、僕の頭の中で御手洗春樹を殺した犯人は特定された。この事件の始まりは、張本学が御手洗春樹の家に足を運んだところから始まる」


 そして、彼の口から想像を超えた想像に近い推理が繰り広げられるのだった──。


          △▼△▼△


 下着が肌に張り付く感覚が不快だった。

 冷房のイマイチ効いていない春樹の部屋で口を開くのは、春樹本人。


「──賭けをしよう」


 春樹に唐突な提案が多いのはいつものことだが、今日のはかなり抽象的だった。だから、学は鸚鵡返しに問いかける。


「賭け?」

「そう、賭けだ。ギャンブルだ」

「んなまた唐突に。そもそも、何を賭けるんだよ?」

「そんなもん決まってる」

「まさか、お金とか言うわけじゃないよな?」


 いつだって好きに生きている春樹は、もう今月のお小遣いを使い切ってしまったのかもしれない。学は、眉を顰めてその提案を一蹴しようとした。しかし──、


「違う違う。俺達が金を賭けたって大金にはならない。でも、俺達は金より価値あるものを持ってるだろ?」

 学は、春樹が何を言っているのかわからなかった。

 だから、より一層深く額に皺を寄せて春樹のことを見る。


「金より価値のあるもの──、それは青春だよ」

「──」

 春樹の発言がよく理解できず、学は何も口にできなかった。

 彼が何に影響されたのかわからないが、「青春を賭ける」ことに確かない憧れを持っているようだった。


「百歩譲って青春に金より価値があるってのはいいとして、青春を賭けるってどうするんだよ」

「簡単だよ」

 そう口にして、春樹は両の手首をトントンとぶつける。それだけで、学は「逮捕」と言いたいのだとわかった。


「──ッ! な、なんで急にそんな!」

 全てを察した学は目を見開き、声を荒げる。笑みを保ったままの春樹の瞳の奥には虚空が見えた。


「──もう、疲れたんだ。受験に──いや、全部に」

 笑顔のままでそうこぼす春樹の言いたいことが、学には理解できた。


「俺の親、あんなだろ?だから、もう疲れたんだ」

「──春樹」

 学は、親友の名を声が震えるのを感じる。親友のためにできることは、彼を食い止めることか? いや、違う。彼が選んだ結論は──、


          △▼△▼△


「青春を賭けるって......作り話としか思えません」

 まるで先生の書く小説の内容のような展開だったので、先生の饒舌が収まった時に私はそう口を挟む。

 すると先生はこう言った。


「そうかもしれないね。これは、僕の頭の中の作り話かもしれない。それなら、それでいいんだ」

「──それなら」

「でも、だ。僕の瞳は世界を見通し、僕の頭は全てを識る。僕の口から語られた出まかせのように君は思うかもしれないが、これは紛れもない事実だ。もっとも、節々の言い回しは僕の好みが反映されているがね」


 自信満々に先生は言い切って見せるけど、私は半信半疑だった。だって、これは「推理」ではない。「推測」だった。


「百歩譲って、先生の推測が正しかったとします。それで、御手洗さんは賭けに負けたってことですか?れ

「いいや違う、御手洗春樹は賭けに勝った」

 私の予想と違った返事が返ってきて、私の頭の上にはクエスチョンマークが浮かぶ。


「賭けに勝って死んだんですか?」

「賭けに勝って死んだんだ」

「どうして?」

「簡単だよ、彼らが賭けたのは青春。負けた側は、残り少ない青春を刑務所で過ごすことを約束した。捕まる方法はいくらでもあっただろう、万引きでも空き巣でも、高校3年生の頭でも思い浮かぶようなものは沢山あるだろう」

「──それでは、どうして御手洗さんは死んだんですか?」

「簡単だよ。張本学が賭けに負けた代償を──即ち、青春を払おうとしなかったからだ」

「それって......」

「君の想像の通りだ」


 先生は、小さく頷き目を細める。その反応が、自分自身を信じるに値するだけの証拠だった。


「賭けに負けた張本さんは、青春を払うことなく御手洗さんの家から逃げた。だから、それを面白くないと思った御手洗さんは死んだ──ということですか?」

「御名答。御手洗春樹は自殺した。自分の胸を凶器で突き、意識を失う前に凶器を投げ捨てる。それならば、密室であったことも張本学が御手洗春樹の死亡したことも察することができた」


 考えてみれば警察が来た時に「私がやりました」と自白したと報告があったが、彼自身は「やった」とだけ口にし、何をしたのかは言っていない。

 賭けに負けて何らかの罪を被り、刑務所で数年を過ごす──青春を賭けることだけを理解していた張本さんがそう自白してもおかしくはないだろう。


「今回の事件は自殺に見せかけた他殺──ではなく、他殺に見せかけた自殺というわけだ」

 人騒がせな話だ。そう思ったけれど、私はそれを口にはしない。


「僕の話を警察にでもして見なよ。そうすれば、話は覆されて張本学が犯人であることはなくなる。それは即ち、君が刑事事件の担当から外れることがなくなるということだ。警察を信じ込ませるのは、君の手腕次第だね。自分の未来は、自分で掴み取れ」

「──ありがとうございます!」


 私はそう口にして、深く頭を下げる。いつの間にか、先生の推理に盲目的になっていた。先生の作品を読んでいる時のような不思議な感覚だ。


 取材も半端に、私は先生の書斎を飛び出す。

 そして、私は真相を抱えて走り出した。


          △▼△▼△


 もう、認めてしまおうか。

 窓のないこの部屋に詰められて何時間だろうか。規則正しすぎる機械的な生活を強いられ、発狂しそうになった学は静かにそう決意する。


 次、次だ。

 次に刑事が来たら言おう、やっぱり俺が殺しました、と。そうすれば、そうすれば俺は──。


 学が下唇を噛みながらそんなことを考えていると、固く閉ざされた扉が開かれる。そこに立っていたのは、無表情の刑事。彼は、学と対面する椅子に腰掛け──


「──賭けに、負けたのか?」

「──え」


 静かに一言、そう問われる。

 思いがけないその一言に、下唇を噛んでいたその口とその目がゆっくりと開かれる。そこから何かが溢れることはない。ただ、開かれる。


「御手洗君は自殺、君は殺していない。違うか?」

「──違、いません」

「そうか。君が御手洗春君の家で何を話したか教えてくれる?」


 ──18歳の持つ青春はもう既に色褪せていた。

 チップにならない青い春は、張本学の自白で静かにその灯火を終わらせる。


          △▼△▼△


「先生の推理は正しかったようですね。疑ってすみませんでした」


 後日、私は再度先生の下へ足を運んだ。

 今日もスーツに身を包み、回転椅子の上に座った彼は興味の無さそうな顔を浮かべてペンを動かしている。


「御手洗さんの親は所謂毒親で、大学受験でかなりの期待を背負っていたらしいです。それで、その期待を裏切るために犯罪を行おうとしたけど、それができなかったから張本さんを巻き込んで賭けを行ったようです」

「興味ないよ、終わったことの話なんて。それで、今日は何をしに来たんだい? 取材の予定なんて入れてないはずだけど」

 私の方に顔を向けることなく、先生はそんなことを口にする。何をしに来たのかという疑問に理解出来なかったから、私は小首を傾げながらこう答える。


「何をって、さっきの事件の結末について話に来たんですよ」

「はぁ? あのねぇ、僕の手を煩わせることは人類の喪失だと言ったよね? 君の無駄な行動が、この世界の価値を下げているんだ」

 ひどい言葉を投げかけられた私は、眉を下げ唇を尖らせて意見する。


「そんなに言う必要ないじゃないですか。私は先生に助けられて感謝してるって言うのに」

 私は、あの後張本さんの無実を警察に伝えた。

 最初は取り合ってくれなかったけれど、先生と出版社の名前を出したら渋々ながらも理解を示してくれたのだ。


 御手洗さんの自殺が出版社向けに公表された時、編集長は驚きが隠せていなかった。私は私の賭けに勝ち、今後も刑事事件担当でいられる事に決まったのだ。


「──と、そのことなんだが」

 先生はふと顔を上げ、私の方を真剣な眼差しで見る。

 容姿端麗な先生に見つめられると、どこか恥ずかしい。


「君、僕の下で働かないか?」

「──え?」

「いや、何も君にマネージャーを頼もうって話じゃない。煩いのは嫌いだからな。君は、僕に時間を持ってきてくれればいいんだ。そうすれば僕が時間を解決してやろう」

「──解決してくれるのはありがたいですけど、先生の暇つぶしや好奇心に付き合わされるのは嫌なんですけど」

 私が反論を口にすると、先生は少し考えた後に何かを思いついたのか不敵な笑みを浮かべる。


「なら、交換条件だ。君のお姉さんを殺した犯人を見つけてやる。これならどうだ?」

「──ッ! 姉を殺した、犯人を!」


 願ってもない話だった。姉を殺した犯人を見つけてもらう。そうすれば、私の復讐は一気に進む。だけど、私は──


「──お断りします」


 私は、ゆっくりとそう口にする。先生は、その表情を崩して驚いたような顔をする。


「──どうして」

「小説家の先生でも理解できませんか? 教えてあげます、私は私の手で姉を殺した犯人を見つけたいんです。先生の提案は嬉しいですけど、それじゃ私が満足できません」

「非効率だ。理解できないな」

 私と先生は睨み合う。でも、今度は目を逸らさない。

 すると、数秒もすれば先生の方が折れて目を伏せた。


「──理解はできていないが、納得はしたよ。バカのくせにプライドが高い。バカの典型だ」

「はい。バカはバカなりの方法でやらせていただきます」

 私はそう口にすると、立ち上がって先生の書斎を後にする。開けた扉を閉めるところでふと思い立って足を止めて、そして──


「また、伺います。今度は先生を楽しませることができるような事件を持って」


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