9 力になりたい
鈴と弦が仲直りした後、美琴も教室に戻り帰り支度をしていた。2人が仲直りして一安心……と言いたいところだが、正直なところ鈴が以前相談してくれたこと、詳しく言うと「自分を慕う生徒や兄のために弦と付き合わない方がいいんじゃないか」ということは心配だし、しらべの本心も気になるところだ。どれもこれもが心配で、頭が爆発しそうなのが本音だった。
しかし、今日は夕方からご当地アイドルのステージがあるため、急いで学校を出る必要がある。
鞄に荷物をまとめて席を立つと、クラスメイトの派手な金髪の女子が「美琴ちゃん!」と声を掛けてきた。
「これからクラスメイトでカラオケに行こうって思ってるんだけど、美琴ちゃんも行かない?」
「あー、ごめんね! 私これからステージがあって……」
美琴は申し訳なさそうに両手を合わせる。すると、金髪の女子生徒は残念そうに眉を顰めた。
「そっか。残念。まあ、ご当地アイドルだし仕方ないよね」
「うん……ごめんね」
「大丈夫だよ! てか、ご当地アイドルってすごいし! キラキラしてて羨ましいよ。じゃ、応援してるね!」
女子生徒は明るく笑うと、手をひらひらと振って教室を出ていった。
廊下から、彼女と他の生徒たちの声が聞こえる。
「美琴ちゃん、これからステージだってー」「そっか。まあ、いつものことだしなあ」「アイドルしてるなんて羨ましいー!」そんな声が美琴の耳に入ってくる。美琴は思わず顔を顰めた。
「アイドルだって、大変なことはあるんだよ」
小さく呟く。しかし、教室の外で談笑する生徒達の耳には届かない。
こういう目で見られるのは分かってはいた。だが、実際に色々と言われると少しモヤモヤしてしまう。
「……って、こんなことしてる場合じゃない! しっかりしろ、私!」
美琴は勢いよく立ち上がり、教室を走り出た。
ステージが催されるのは木崎町のコミュニティホールだ。今日、美琴達のステージを楽しみにしている地域の人達が沢山待っている。遅れるなんてダメだし、失敗するのもダメだ。
——頑張れ、私。
心の中で自分を励ましながら、美琴は校門を飛び出した。
* * *
木崎町コミュニティホールのステージ裏で衣装に着替えた美琴は、相方の瑠美と一緒に出番を待っていた。
美琴の表情が少しばかり暗いことに気がついた瑠美は、「ミコ、笑顔、笑顔!」と明るく励ます。
「何あったか知らないけど、ステージは楽しまなきゃだよ」
瑠美は切れ長な目を細めてニコッと美琴に笑いかける。
彼女は、他人の問題にあまり干渉しない。その代わり、誰に対しても平等で偏見を持たない性格だ。瑠美の適度な距離感が、美琴は心地よくて好きだった。
「ルミ、ありがとう」
「ううん。あ、そうだ。今日はあの子も来るのかな?」
「あの子?」
「ミコの彼氏。いつもピンクのペンライト振ってる子」
ああ、彼のことか、と美琴はクスリと笑う。今日は特に連絡を取っていないが、来てくれるといいなと思ったら胸が暖かくなった。
先ほどまで諸々のことに悩んでいたのが嘘みたいだ。
「では、お待たせしました! 木崎市のご当地アイドル、スイートレッドのお二人です!」
観客の歓声が聞こえてくる。美琴は瑠美と顔を見合わせて笑った。
「よし、行こう!」
曲のイントロが始まる中、二人は舞台に上がった。元気に歌って踊りながら観客席に笑顔を振りまいていく。すると、こちらが見つけるより先に大好きな声が聞こえてきた。
「美琴せんぱーい!」
男子にしては少し高い声。そして、野球部にしては少し長めのショートヘア。人懐っこく可愛らしい童顔。美琴の中学時代からの彼氏、朝川響が、ピンク色のペンライトを振り回しながら笑顔を見せていた。
彼の笑顔を見ているだけで、美琴の心に元気が湧いてくる。何だってできるような気がする。
美琴は響に向かって手で銃を作り、バキュンと打つ。すると彼は太陽みたいに笑いながら「今日も最高っす!」とペンライトを振り回すのだった。
彼の笑顔に力を貰い、今日も美琴は最後まで笑顔でステージを終えることができた。
* * *
ステージが終わった後、美琴は衣装から制服に着替えて、マネージャーと瑠美と別れてコミュニティホールを出た。すると、案の定、響が待っていてくれた。
「美琴先輩! おつかれさまっす。今日も最高でした!」
「響君、ありがとう。一緒に帰ろう」
「はい! もちろん!」
美琴は響と並んで、帰り道の住宅街を歩いて行く。初夏とはいえ、もう日も暮れていて、街灯の明かりが道路を照らしていた。
「響君のお陰で、今日も頑張れちゃった」
「ほんとっすか? 光栄です!」
「ふふ。ほんとだよ。響君と一緒にいると、悩みとか忘れちゃう」
そう言って笑う美琴を見て、響は空を見上げながら微笑む。
「忘れられるならいいっすけど、俺、美琴先輩なら悩みも丸ごと受け止めたいっすね」
「丸ごと?」
「はい! 相談とか、いつでも乗ります!」
明るい笑顔で自分の胸をドンと叩く響を見て、美琴の口から本音が零れ落ちる。
「私、大好きな従姉妹の恋を応援してるの。でも、その子の恋を良く思わない人が多くて、心配なんだ」
「良く思わない人?」
「うん。周りの生徒とか、その子のお兄さんとか……だから、どうしていいか分からなくて」
「そうなんすね……」
美琴の言葉に響は顎に手を当てて悩んでいたが、やがて優しい声で答えた。
「できることから進めていくのが良いと思うっす」
「できることから?」
「はい! 周りの生徒さんは人数が多くて大変っすけど、お兄さんは一人だけです。それに、美琴先輩とも親戚なんですよね? だったら、まずはお兄さんから説得してみたらどうっすか?」
「たしかに……それなら私にもできるかも!」
美琴の表情に明るさが戻る。
たしかに、一度に大量のことに手を付ける必要は無いのだ。できることから少しずつ、鈴の力になれたらいい。それだけでもきっと、鈴前進できるだろう。
「帰ったら早速連絡してみるよ。ありがとう」
「お役に立てて何よりっす!」
やがて、美琴の家の前に到着した。響が「じゃあ、また明日!」と笑うのに微笑みながら、美琴は「待って」と彼の腕をそっと掴む。
「忘れ物」
「へ?」
ぽかんとしている響の頬に、美琴は優しくキスをした。その瞬間、響の顔が真っ赤になる。
「み、み、美琴先輩!?」
照れすぎて目を回してしまう響が可愛くて、思わずクスリと笑ってしまう。美琴は彼から腕を離して、家の玄関の前に行って可愛らしく手を振った。
「また明日ね。おやすみ」
「お、おやすみなさいぃ……」
響は赤い顔のまま、フラフラと帰り道を歩いて行った。「付き合ってもう三年目なのに、初心なところも可愛くて好きだな」と美琴は幸せそうに微笑みながら、「ただいま!」と元気な様子で家に入っていった。
* * *
その日の夜。律は自宅へ帰らずに大学の研究室でパソコンに向かっていた。というのも、これから卒業課題の制作が始まるために、その打ち合わせがあるのだ。ゲーム制作を行うことになった律は、仲間の同期三人の話し合いの内容をテキストに打ちこんで整理していた。
「じゃあ、ノベルゲームを作るってことで良い?」
「うん。その方向で行こう」
同期の男子……藤沢大樹と明日川啓人が結論を出した。
「律と歌香さんも大丈夫?」
「大丈夫でーす」
おっとりとした声で間延びした返事をしたのは、四宮歌香。律の高校時代からの同級生で、茶色いセミロングの髪と優しい二重のタレ目が可愛らしい美人である。
ただ一つ欠点を上げるとすると、少し……いや、かなりのマイペースであることだろうか。
「シナリオは乙女ゲームで良いですか?」
「え?」
「私、シナリオが描きたいなーなんて」
歌香の唐突な発言に、藤沢と明日川は目を見合わせた。
二人が戸惑っているのを見かねて、律が静かにフォローする。
「乙女ゲームにするかは置いといて、方向性は決めておいた方がいいかも、どのくらいのボリュームにするか、とか」
「あ、ああ。確かにそれはそうだよな」
「じゃあ、もう少し話し合うか」
二人が議論に戻っていったのを確認し、律は小さく溜息をついて歌香を見た。すると、彼女は案の定、こちらを見てニコニコと笑っていた。顔に「律君はよく気が付くなー」と書いてある。自分のためにフォローが入ったとは思ってもいないだろう。
そんな能天気な彼女に、高校の時から振り回され続けている律だったが、どうしてか彼女のことを放っておけないのだ。
(歌香さん見てると、どうしても面倒見てあげたくなるんだよな……はっ、これが父性か……)
自分の中でそう思い込んだまま、律は打ち合わせの内容の記録を続けた。
二十分後、結局、歌香の提案通り乙女ゲームを作ることになり、シナリオは歌香と律が協力することになった。その代わり、残りの二人がキャラクターイラストを担当してくれることになり、プログラミングは全員で、ということで意見が一致し、打ち合わせはお開きになった。
時刻は夜十九時。そろそろ鈴も図書部の活動を終えて帰ってくる頃だろうし、夕飯を作るために帰りたいところだ。
そう思っていた矢先のことだった。
「意見もまとまったし、決起集会しませんか?」
歌香が唐突に挙手して、そう提案した。
「みんなで、お酒を飲みに行きたいです!」
恐らく、そっちが本音だろう。
歌香の言葉に、藤沢と明日川は笑顔で頷く。
「いいよ。どうせ明日は授業入ってないし」
「俺も。律は?」
明日川に尋ねられ、律はほんの少し眉間に皺を寄せた。
正直、帰って鈴の食事を用意してやりたい。鈴も料理はできるが、いつも美味しそうに自分の作ったご飯を食べてくれる姿を見ていると、やはりまだ子どものような気がしてしまう。自分が彼女を守らなければ、と律は思ってしまうのだ。
みんなには悪いが、帰らせてもらおう……と思った時だった。
ピリリリリ!
律のスマホが着信音を鳴らした。
もしかしたら鈴からの電話かもしれない。
「ごめん。電話出てくる。ちょっと待って」
「うん。分かった」
律は研究室を出て、廊下で電話を取った。
「もしもし、鈴? ごめん、帰り遅くなって……」
静かな声で早口で謝ると、電話の向こうから「りっつーん!」と元気な声が返ってきた。大きな声に怯んで、思わずスマホを耳から話して睨みつける。すると、画面には「美琴」と文字があった。それを見て、律は目を丸くする。
「え、何。美琴?」
「もしもし! りっつん、美琴だよ! 今、時間いい?」
「ああ……少しなら」
「あのね、りっつん」
美琴は電話越しで一呼吸置き、力強く律に言い切る。
「りんりんの恋、応援してあげて欲しいの」
「は……?」
「りんりんから聞いたよ。りっつん、りんりんが日和君と付き合うの反対なんでしょ? どうして、りんりんのこと応援してくれないの?」
美琴に問い詰められて、律はぐっと息を飲む。
「だ、だって……鈴も日和君もまだ高校生で、子どもじゃないか。恋愛なんてして、トラブルにでもなったら大変だろ。そうなったら、二人とも傷つくだけじゃなくて、親友って呼べるほど仲の良い相手を失うことになるんだぞ? 美琴はそれでいいの?」
「そうなるとは限らないでしょ。それに、子どもなのは、りっつんの方だよ!」
美琴に断言されて、律は目を見開き、何も言えずに固まってしまった。
反論が返って来ないことを確認し、美琴が言葉を重ねる。
「りっつんが、りんりんを心配する気持ちは分かるよ。だけど、いい加減、妹離れしなさい! りっつんがそうやって制限ばっかりしてたら、りんりんはいつまで経っても恋愛ができなくて……大人になれないよ」
「……それは、そうだけど」
「ねえ、りっつん。恋愛って、りっつんが思うより危ないものじゃない。すごく……素敵なものだよ。だからさ、りんりんの成長、応援してあげよう?」
美琴の頼み込むような言葉に、律は黙り込む。
脳裏に、先日の皿を拭いていた時の鈴の顔が蘇る。
——だから、私の話じゃないし。いと君とは付き合わないよ。
あの時の、無理して作った笑顔。
本当は、弦が好きな自分を認めて欲しかったんじゃないか。だってきっと、弦は鈴の初恋だ。王子としてもてはやされて、中学の時には男子に嫌な思いをさせられた鈴が、初めて好きになった男子だ。
鈴の、成長の証だ……。
律は息を詰まらせながら、静かに頷いた。
「……美琴の言う通りだね」
「あ……じゃ、じゃあ!」
「鈴のこと、応援するよ」
律は小さく笑いながら、そう美琴に告げる。すると美琴は電話の向こうで表情を明るくさせ、胸元でガッツポーズをした。
「やったー! あ、りんりんにも、ちゃんとそれ伝えてね! りんりん、ずっと気にしてたんだから!」
「うん。分かった」
「じゃあ、りっつん、またね!」
美琴は元気にそう言うと、ガチャリと電話を切ってしまった。全く、本当に嵐のような従妹だ。
律は電話帳を開いて鈴のアドレスを選択し、今度こそ鈴へ電話を掛けた。
「……もしもし、お兄ちゃん?」
「鈴、ごめんね。帰り、遅くなりそうなんだ。研究室で飲み会があって。夕飯、自分で何とかできるかな?」
尋ねると、電話の向こう側から柔らかい笑い声が聞こえてきた。
「大丈夫だよ。私、いつまでもお兄ちゃんに頼りきりの子どもじゃないんだよ?」
その言葉を聞き、律は思わずクスリと笑ってしまった。
ああ、本当に、美琴が言った通りだ。こちらが助けてばかりだと、鈴の成長を邪魔してしまうだろうし、成長していることにも気づけない。
「そうだったね。……ねえ、鈴」
「何?」
「日和君とのこと、俺も応援してるよ」
「え……? な、何、急に」
「いや、鈴も、いつまでも子どもじゃないんだなって。だから信じることにしたんだ、鈴と日和君のこと」
しばらく、電話越しに沈黙が流れた後、小さな声で「ありがと」と返ってきた。
「お礼なら、美琴に言って。美琴の言葉で、やっとそう思えたから」
「……うん」
「じゃあ、またね」
「うん。飲み会、気を付けてね」
「ありがとう。それじゃ」
律は微笑みながら電話を切り、研究室の中に戻っていった。
「おまたせ。時間かかってごめん。俺も飲み会行くよ」
「わあ、本当ですか!」
歌香が顔を綻ばせながら、律に歩み寄っていく。
「じゃあ、楽しまなきゃ、ですね!」
「そうだね」
二人が笑い合っていると、それを見ていた藤沢と明日川が照れ笑いで顔を見合わせていた。
「ねえ、律と歌香さんって、やっぱり……」
「うーん、本人たちは無自覚っぽいけどなあ」
こそこそと話し合っている2人に、歌香が明るく声を掛ける。
「ほら、藤沢君も明日川君も、みんなで行きましょう! お酒! お酒!」
鼻歌を歌いながら研究室を出ていく歌香を追いかけながら、律たちは「歌香さんが飲み過ぎないように気を付けないとな……」と苦笑いしたのだった。




