8 危機には必ず駆けつけて
しらべに促されて、弦は新聞部の部室に向かう渡り廊下を歩いていた。
ちらりと、しらべの横顔を見て、弦は眉間に皺を寄せる。
——ふーりんの気持ちが知りたかったとはいえ、少し軽率だったか。こんな、知りもしない女子の言いなりになるなんて……。
そう不安に思っているうちに、新聞部の部室前に到着した。しらべが柔らかく「どうぞ」と微笑みながらドアを開ける。ここまで来てしまったら仕方がない。入って話を聞いてやろう、と弦は渋々部室の中へ入って行った。
その姿を、偶然通りがかった美琴が見て、目を丸くした。
「日和君と、たしか新聞部の京さん……あれ? たしか新聞部って」
美琴の顔が青くなる。
(日和君が危ないかも……りんりんに知らせなきゃ!)
美琴は大慌てで、鈴がいるであろう第二図書室に向かって走っていった。
* * *
第二図書室の大きな四角いテーブルを図書部員達が囲んでいる。今日の活動は、文化祭で行う読み聞かせの練習だった。
男女合わせて四人の部員が見守る中、鈴はシンデレラの絵本を読み進めていく。
「シンデレラはガラスの靴を落として——」
「失礼しまーす! ごめんなさい!」
突然大きな声と共に勢いよくドアが開き、部員達は驚いた顔で入り口を見た。すると、美琴が息を切らして立っていたのだ。
「み、美琴……? どうしたの?」
「ごめんなさい、りんりんのこと、借りてもいいですか!?」
「私を借りるって……今、部活中で」
鈴が戸惑いながら部員達に目を向けた。どうやら、他の部員達も困惑しているようだ。
しかし、美琴の言葉で空気が変わる。
「『悪魔の新聞部』に、日和君が攫われたんだよー!」
「あ、悪魔の新聞部?」
鈴は首を傾げるが、他の部員は「まじ?」「やばくない?」とざわめきだす。「悪魔の新聞部」って、そんなに有名なのだろうか。鈴は噂話に疎いため詳しくは分からないが、どうやら良い噂ではなさそうだ。
「あの、悪魔の新聞部って何……?」
鈴の質問に、彼女の向かい側に座っていたハーフアップの女子生徒が答える。
「うちの新聞部ってね、どんな手を使ってでもスクープ取ろうって必死らしいの。過去にこっそり付き合ってたカップルの破局がネタにされて、ちょっとしたトラブルになったりとかしてね。噂だと、隠し撮りとか、脅しや買収なんかもしてるって」
「そうそう、結構危ない部活なんだよー! そんな部活に日和君が捕まったら、あることないこと書かれちゃうかも……」
美琴が大慌てと言った様子で鈴に訴えかける。それを聞いた鈴の額にも、嫌な汗が伝った。
——もし、今その話を聞かなかったふりをして、いと君に何かあったら、私はきっと自分を許せない。鈴は意を決して本を置き、部員達に頭を下げた。
「ごめんなさい。私……いと君のこと、助けてきます!」
顔を上げると、図書部員達は戸惑いながらも「ああ……分かった」と頷く。みんなが頷いてくれたのを確認して、鈴は美琴と共に新聞部部室に向かって走り出した。
その後ろ姿を見て、図書部員達は呆然と呟く。
「鈴さんが特定の誰かのために行動するの、なんか意外だね……」
「うん……。誰にでも平等な王子様って感じだったけど」
* * *
新聞部部室には他に誰もおらず、静まり返っていた。
部室の中央に、二台の長テーブルがくっつけられて長方形の大きなテーブルが作られている。その片側の椅子に弦が座り、向かい側にしらべが座った。
「では、インタビューを始めさせていただきますね」
しらべがニコリと微笑むのを見て、弦はフンと鼻を鳴らす。
「何を聞くつもりか知らねーが、とっとと終わらせろ。俺、帰ってピアノ弾きてーんだよ」
「ああ、まさにそのことを聞こうと思っていたんです」
「ああ?」
「日和君。あなた、小学校高学年から中学二年生までピアノを辞めていましたよね。なぜです?」
しらべは柔らかい笑顔を崩さないまま尋ねた。
弦は痛いところをつかれた顔をして、黙り込む。
「答えられない理由ですか?」
「赤の他人に教えるつもりはねーよ」
「では、涼風さんの気持ちの話はしなくて良いということですね?」
「う……」
その話を出されると敵わない。そもそも、鈴の本心が知りたくて得体の知れない女子生徒に付き合ってやっているのだ。なのに、このままではその行動にも意味が無くなってしまう。
弦は観念して、口を開いた。
「俺の力じゃ、一番になれないって思い知ったからだよ」
「一番に……優勝できないとか、そう言った意味ですか?」
しらべは興味津々といった表情を浮かべた。その表情からは、先ほどまで感じていた得体の知れない怪しさは感じられない。まるで、純真無垢な子どものようだ。その表情に油断を誘われて、弦の口が滑らかになっていく。
「小一からピアノを始めて、コンクールにも出るようになった。でも、俺は一度も最優秀賞を取れなかったんだ。……一度も、勝てないやつがいた。そいつは俺の一学年年上で、常に小学生の部の最優秀賞を掻っ攫うようなやつだったよ。そいつがいる限り、俺のピアノには……価値なんて生まれないと思った。だから、小五の春にピアノを諦めたんだ」
「価値が生まれないなんて……そんなことありません!」
しらべが声を荒げる。弦はそれに目を丸くした。——こいつ、昔の俺のピアノを知ってんのか? そう疑問に思ったが、弦が尋ねるよりも先に、しらべが「すみません」と静かに頭を下げたので、聞けなかった。
「取り乱してしまいました。忘れてください。……もう一つ、お聞きしてもいいですか?」
「何だよ」
「あなたが中学二年生で、ピアノを再開した理由は?」
真剣な顔で尋ねられて、弦は言葉に詰まった。ピアノを辞めた理由は情けなく恥ずかしいものだったが、ピアノを再開した理由も別のベクトルで恥ずかしいものだったのだ。
弦が赤面して固まっているのを見て、しらべはクスリと笑う。
「涼風さん絡みですね」
「う……」
「私が好き勝手に妄想して記事を書く前に、真実を教えた方が身のためですよ」
しらべの言葉を聞いて、弦は舌打ちした。変な理由で脚色された記事を書かれるわけにはいかない。言うしかないのか……と、諦めて口を開く。
「ふーりんが好きだったからだ。あいつは何でもできて、性格も優しくて、周りからは王子って言われてて……完璧な人間だった。だから、ふーりんの隣に立つには、俺も立派な人間にならなくちゃいけないって思った。でも、俺は何でもできるような器用な人間じゃねーし、性格もふーりんみたいに優しくない。俺が唯一、普通の生徒よりできることは、ピアノしかなかったんだ。だから、ピアノを再開した」
「なるほど。では、学園の王子様になった今もピアノを続けているのは?」
「ふーりんが俺のピアノを好きだって言ってくれてるからだ」
「……そうですか」
弦の答えを聞き終え、しらべは満足げに笑い、手帳から一枚の写真を取り出す。
「いいお話をありがとうございます。お礼の写真です」
しらべから手渡された写真を見て、弦は目を見開いた。
そこに映っていたのは、悲しそうな顔をして駅前広場を見つめている鈴の姿だったからだ。
「おい、これ、いつの写真だ」
「木崎駅のイベントの後、あなたが涼風さんと別れた後の写真です。……どうして、彼女はこんなに悲しそうな顔をしているのでしょうか。私には……誰かを恋しがっているように見えますけど」
「は……?」
弦が状況を整理しようと写真を見つめていたその時。
「いと君! 大丈夫!?」
新聞部部室がガラリと開いて、鈴と美琴が飛び込んできたのだ。
「ふーりん!?」
「変なこと、聞かれたり書かれたりしてない!?」
「おお……ピアノのこと、少し聞かれたぐらいだ」
「そっか……じゃあ、変な秘密とかは聞かれてないんだね。良かった……」
胸を撫でおろす鈴を見て、しらべの目がキラリと輝く。
「日和君には、変な秘密があるのですか?」
「ねーよ! んなもんある訳ねーだろ!」
「でも、年頃の男の子ですし……」
「妙なこと捏造したら許さねーからな!?」
真っ赤な顔で、しらべを制止する弦を見て、鈴は寂しそうに呟く。
「仲いいね……」
弦との関係をぎくしゃくさせてしまったのは自分のせいだと分かっているのに、いざ彼が他の女子と話しているのを見るとモヤモヤとしてしまう。
悲し気な鈴の顔を見た弦は、慌てて立ち上がって彼女に詰め寄った。
「あのなあ! 俺が一番大事なのはお前だからな!?」
「え……?」
「俺は、お前が笑ってくれるなら何だってする。もしお前が付き合いたくないってんなら、俺だって無理に付き合ったりしねーよ。でも……お前が寂しい顔するくらいなら、俺は何差し置いてでも傍にいてやる。そう思ってんだ」
弦の真剣な顔を見て、鈴は頬を染めて俯く。好きな相手にそう言ってもらえて、嬉しくないわけがなかった。しかし、その好意を受け取る勇気が、まだ出せなかったのだ。
自分の気持ちを聴いて尚、何も言わない鈴を見た弦は、頭を掻きながら、少し怒った顔で「なあ」と続ける。
「ふーりん。俺が何をしたら、お前は笑ってくれるんだ? 俺、お前の笑顔が見たいよ」
これが、弦の気持ちの全てなのだ。
彼女が笑顔でいてくれるなら、なんだってできる。
恋を諦めた方がいいなら、死ぬほど苦しいがもう彼女に言い寄ることだってしない。
弦の真の願いは、大好きな彼女の、大好きな笑顔が見ることなのだから。
鈴もまた、弦の表情から自分を思ってくれていることが強く伝わってきて胸が締め付けられた。
——お前の笑顔が見たい。
そんな風に言ってもらえて、本当に幸せだった。そして、そこまで言ってくれる人に、自分の気持ちを伝えずにいるなんて、失礼な気もした。更に言えば、弦の優しさを信じたいと思った。
「これからも、隣にいて欲しい」
か細い声で、やっとそう言えた。
「色んな人の意見とか、視線が気になって、ずっと迷ってた。でも……私、やっぱり君が好きなんだ」
震える声でそう言いながら、鈴は必死に笑顔を作る。
「許されないかもしれないけど、いと君が好きだよ」
その言葉を聞いて、弦は顔を真っ赤にしながら目を伏せた。
ずっと待ち望んでいたはずの言葉なのに、いざ聞くと照れくさい。恥ずかしくて、でもそれ以上に嬉しくて胸がいっぱいだ。
しかし、浮かれたらまた彼女に迷惑を掛けてしまうと思い、弦は喜びを堪えながらぶっきらぼうに答える。
「あ……あんがと。じゃあ、これからもお前の隣にいてやるよ」
彼の表情は不愛想に見えて、喜んでいるのが滲み出ていた。そんな様子の弦に、鈴は恥ずかしそうに微笑んで頷く。
「うん」
やっと通じ合えた想いを噛みしめる2人を見て、美琴は微笑んだ後、「京さん」と彼女に声を掛けた。
「このこと、全校のみんなには内緒だよ」
美琴に釘を刺されたものの、しらべは笑顔を崩さなかった。その笑顔を見て、美琴は何か企んでいるんじゃないかと勘繰ったが、彼女の口から出た言葉は意外なものだった。
「分かってますよ。そんなことしません」
「ほんとに?」
「ええ。私の目的は達成されましたし」
しらべはそう言って、鈴と向き合う弦の背中を見つめる。
(弦君のことを知ること……それが、私が彼と同じ学校に入った目的なのですから)
しらべはフッと微笑んで、美琴に笑いかける。
「見守ってあげましょうか。二人のこと」
「……う、うん」
その笑顔にどこか違和感を感じながらも美琴は笑顔を作って頷くのだった。




