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リボンワンピース・プリンス  作者: 月島
第一章 学園の王子様には秘密がある
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6 君が教えてくれた「好き」

 駅前広場から出た先の歩道で、(りん)はしゃがみ込んだ。両腕の中に顔を埋める。

 ――いと君はずるい。あんなに堂々と私のこと「好き」って言えて、私に何かあると迷わずに駆けつけてくれる。私がそれでどんなに悩んでるのかも知らないで……。私には何もできないのに、ずるい。


「りんりーん?」


 不意に名前を呼ばれ、(りん)は真っ赤な目で声の主を見上げた。すると、青と白のリボンで茶色い髪を2つお団子にした少女……美琴(みこと)と目が合った。(りん)の従姉妹というだけあって顔立ちは綺麗に整っているが、(りん)とは違って可愛らしい雰囲気だ。服装もリボンのついた青いジャンパースカートとガーリーだ。

 美琴(みこと)はジトッとした目で(りん)を見た後、ふっと妹に向けるような優しい表情になり、しゃがみこんで(りん)と目を合わせた。


「そろそろ、日和(ひより)君が演奏するよ。行かなくていいの?」


 小さな子どもを諭すように尋ねられる。しかし、(りん)は「行けないよ」と小さく返すことしかできなかった。美琴(みこと)はそれに嫌な顔を見せずに、優しく彼女の手に触れる。


「でも、日和(ひより)君はりんりんに聴いてほしいんじゃないかな。さっき日和(ひより)君が司会の人と相談してる声が聞こえたんだけど、弾く曲を変えるって言ってたよ」

「え?」

「リストの「愛の夢」に曲を変えたい。この曲が好きな親友が来てるんだって言ってた。その親友って、りんりんのことじゃない?」


 (りん)は目を丸くした。(いと)が、自分のためだけに曲を変えてくれようとしている。何か下心があるんじゃないか、なんて思う訳もなかった。(いと)は、ピアノを(りん)にアピールしたり、好きになって貰ったりするための道具になんて絶対にしない。きっと、ただ(りん)を元気づけたいと思っているに違いない。だって、彼はピアノに対して真摯で誠実なのだから。


「りんりん、このまま逃げちゃっていいの?」


 美琴(みこと)に問われ、(りん)は涙を堪えながら首を横に振った。


「私、いと君のピアノが聴きたい」

「うん」

「いと君に、ありがとうって言いたい」

「うん、そうだね」

「言いに行ってもいいのかな?」


 (りん)が伏し目がちに尋ねるのに、美琴(みこと)は明るい笑顔で頷いた。


「いいに決まってるでしょ! 王子だからとか、好きになっちゃダメとか、関係ないよ。大切な人に『ありがとう』って言うことの何が悪いのよ」

「……そうかも」

「ね? そうと決まれば行くよ!」


 美琴(みこと)に手を引かれて、(りん)は立ち上がった。広場に歩いて行く足が重い。でも、このまま逃げてしまったらこの先ずっと後悔するだろう。

 ――行かなくちゃ。聴かなくちゃ。大切ないと君の、大好きな音楽を。


* * *


「プログラム六番。私立木崎学園高等学校二年、日和弦(ひよりいと)君によるピアノ演奏です。演奏してくれる曲は、リストの『愛の夢』。では、お願いします」


 そのアナウンスが聞こえてすぐ、(りん)は広場の隅でステージを見つめた。

 そこには普段は駅の待合室前にあるストリートピアノがステージ上に設置されていて、その前に(いと)が静かな表情で座っている。あの表情は、彼が演奏を始める前の集中しているときのものだ。現実世界から、音楽が創り上げる世界に意識を飛ばす、その直前の表情だ。

 昔と何も変わらない。(りん)にはそれが神聖で美しいものに見える。


 最初の旋律が奏でられた。その音色を聴いた瞬間、駅前の空気が一気に変わる。誰もが彼の音楽に心を奪われたのだ。

 前の方に待機していた軽音部の女子生徒が「綺麗……」とうっとりとした溜息をもらす。――ああ、そうだな。本当に美しい。


(やっぱり、好きだな。いと君の音楽)


 彼の奏でる音色を聴いているだけで、さっきまで荒れていた(りん)の心が落ち着いていく。不思議だ。あんなに彼の魅力に触れるのが怖かったのに、今は全部受け入れられる。ただ「好きだな」と思える。


 思えば、昔からそうだった。中学生の頃、(りん)はファンからの遊びの誘いには目もくれず、(いと)がいる第二音楽室に直行し、日が暮れるまで彼の音楽に耳を傾けていた。あの時間が、(りん)にとって他の何にも代えがたいぐらい大好きな時間だった。(いと)がピアノを弾くという日は、可愛いもの巡りも我慢して彼の音楽を聴くことを優先していた。


 ——好きなんだ。いと君との時間が。私が王子じゃなくて、みんなが認めてくれるんだったら、私は何も迷わずいと君の隣にいることを選ぶ。


 曲が二番から三番に移る。甘やかなメロディーが、駅前広場を満たしていく。

 (りん)は、真剣にピアノを奏でていく(いと)の横顔を見つめていた。


 ――この表情は君の全てではないけれど、私は君のその真剣な顔が、昔からずっと大好きだったんだよ。


 いつか、言えるだろうか。

 言えるといいな。


 演奏が終わり、しんとした静寂が訪れる。(いと)はその美しい静寂を観客に届けた後、静かに立ち上がって、ピアノの前で頭を下げた。

 すぐに拍手喝采が巻き起こる。「綺麗だった」「かっこよかった」そんな興奮した声が拍手の音に混じって聞こえてきた。

 (いと)はゆっくりと顔を上げた後、広場の隅にいる(りん)を見つけて、頬を赤らめた。必死に照れ隠ししようと眉間に皺を寄せて目を伏せる。


「ありがとうございました! 日和弦(ひよりいと)君でした!」


 司会の台詞を聞き、(いと)は静かにステージを降りた。

 舞台裏に回ると、次の順番を待つフローラ・フローラの三人が待機していた。その中にいた(かなで)は、(いと)を見るなりニコリと笑う。


「リストの『愛の夢』を弾いたんだね。君には似合わないロマンチックな曲だ」

「うっせーな。似合わなくてもいいんだよ。この曲が好きなヤツがいるんだ」


 (いと)(かなで)を睨みつける。それにクスリと笑った後、(かなで)は静かに微笑んだ。柔らかい笑みなのに、どこか冷たく、張り詰めている。彼の仲間たちは緊張のあまり息をのんだ。


(りん)ちゃんが好きなんだ」

「おー、分かってんじゃねーか。そうだよ。今の曲はふーりんに届きさえすればいいんだ。お前の嫌味ったらしい感想なんざいらねーんだよ」


 (いと)(かなで)の冷たい笑顔に怯まず、ハッキリと言い返す。二人の間の空気がピリピリと張り詰める中、司会の前口上が終わり「では、本日最後のゲストになります! フローラ・フローラの皆さんです!」という興奮した声が広場に響いた。

 (かなで)はふっと笑い、舞台裏からステージに向かって歩いて行く。もちろん、(いと)の刺すような視線にも気が付いていた。


「……ほんっとうに、腹立たしい」


 (かなで)は笑顔を崩さないまま、ぼそりと呟いた。


* * *


 フローラ・フローラの登場に沸き立つ会場内から、(りん)はこっそりと離れた。

 もちろん、美琴(みこと)には「みんなが私に気づく前に帰るね」と断りを入れてある。

 ただ、「日和(ひより)君と会ってから帰りなさい!」と釘を刺されてしまったので、(りん)は広場から出た歩道で(いと)にメッセージを送っていた。


 ——さっきは逃げてごめん。ピアノ、綺麗だった。もう帰ろうと思ってるんだけど、その前に会えるかな?


 そう送ってすぐ、「どこにいる?」と返ってきたので、「広場から出たところ」と答える。すると、フローラ・フローラの歌に混ざって地面を走る音が聞こえてきたのだ。振り返ると、案の定息を切らした(いと)がいた。


「はー……待たせたな」

「そんなに待ってないよ。ごめんね、急かしちゃったかな」

「お前は早く帰りたいだろうなって思ってたから急いで来たんだ。急かされたとは思ってねーよ」


 (いと)は深く息を吐き、呼吸を整えると、小さく口を開いた。


「悪かったな。色々」

「え?」

「俺の都合で、お前のこと困らせちまってた。お前は王子のままでいたいのに、それを無理やり変えようとしちまった」


 (いと)の脳裏に、先ほどの(りん)の涙目が蘇る。


 ──いと君のせいで、私が私じゃなくなる……。


 ――ふーりんのことは好きだ。大好きだ。親友じゃなくて、恋人になりたいぐらい好きだ。そのためのアプローチは惜しみたくなかった。でも、それはふーりんを泣かせてまですることなのか?

 そんな疑問を、(いと)は彼女が逃げ出してからずっと考えていた。

 そして出た答えは、ノーだ。彼女を泣かせたら本末転倒だ。なぜなら、(いと)(りん)の笑顔が好きだったからだ。


 だからこそ、今回の演奏で(いと)はリストを弾いたのだ。

 二人で、親友とし、仲が良かった頃に聞いていた、リストの「愛の夢」を。あの頃に戻ろう。だから、笑ってくれ、という気持ちを伝えたかったから──。

 

 (いと)は頭を掻くと、「だから」と続ける。


「親友に戻ろう」

「え……?」

「もう、ふーりんには迷惑かけねー。(かなで)は勝負だとか言ってるけど、あいつのことは俺が止めとくから。だから……お互い王子のままで、一緒にリスト聴いてた時に戻ろう」


 そう言ってカラリと笑う(いと)を見て、(りん)は呆然としてしまった。何と言葉を掛ければ良いのか分からなかった。


「じゃあ、気を付けて帰れよ」


 (いと)はそれだけ言って、広場の方に戻ってしまった。

 それをただ見つめることしかできない自分が、そして、それが何故か苦しくて堪らない自分が、ただ情けなかった。


「私は……」


 胸の痛みが証明している。


 私は、いと君が、好きなのだと。

 今さら認めるなんて、遅すぎた。


 後悔と苦しさが、立ち尽くす(りん)の内に渦巻いていた。


 この時、(りん)は自分のことでいっぱいいっぱいだったから、気がつかなかった。


「……いいのが撮れましたね。ふふ」


 黒い三つ編みのメガネを掛けた生徒に、自分と(いと)が一緒にいるところを撮られていた、ということに。

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