54 君が好きな私のままで
夏休みも終盤。八月最後の土曜日に、鈴は弦の見送りで東京の空港に来ていた。
ここまで連れてきてくれたのは弦の執事の香田だ。故に、彼女も一緒だった。
搭乗案内のアナウンスや、発着音などが鳴る空港の中を、鈴は迷わず歩いて行った。
青と白のティアードワンピースが、歩く度にゆったりと揺れる。胸には、彼から貰ったツバメのペンダントも光っていた。
空港のロビーの椅子に荷物を持って家族と座っていた弦が、鈴と香田に気が付いて歩いてくる。
「鈴、香田。来てくれたんだな」
「いと君のお見送り、ちゃんとしたかったから」
鈴は微笑む。その横で、香田も柔らかい笑みで頷いていた。
「坊ちゃんやお父様たちの留守は、私にお任せください。皆様がいつでも帰って来られるようにしておきます」
「ああ。ありがとう。香田、その……」
弦は香田の顔を見て、照れくさそうに頭をかき、呟くように言う。
「……次会う時はさ、父さんと母さんのお墓参り、一緒に行こうよ。……圭叔母さん」
弦の言葉を聞いて、香田は一瞬目を丸くしていたが……すぐに表情を和らげ、しっかりと頷いた。
「はい。一緒に行きましょう。弦君」
「うん。……約束な」
弦は赤くなった頬をかきながら、微笑む。
その後、彼は鈴の顔を真っ直ぐに見つめた。
「鈴。俺、お前に世界一の音色を聴かせられるピアニストになって帰って来る。今度は何があっても、絶対にピアノから逃げ出さない。約束する」
「うん。いと君なら、きっと大丈夫。だって、君は努力家な人だから。私、ずっと信じて待ってるね」
鈴は優しく微笑む。その笑顔に、作り笑いのようなものは感じない。心から、彼を想って出た笑顔だった。
それが分かっていたから、弦も安心して笑うことができた。
「そんだけちゃんと笑えてたら上出来だな」
「ふふ、君のお陰で、たくさん笑顔になれたんだよ? だから、私ももう大丈夫」
「ふは、そっか」
弦は明るく笑うと、鈴の体に腕を回した。
二人の距離がゼロになる。
弦は鈴の耳元で、小さく口を開いた。
「行ってくる」
鈴もそれに頷いて、穏やかな表情のまま彼を抱きしめ返す。
「行ってらっしゃい」
——積み重ねてきたものはなくならない。どんなに離れても、どんなに時間が経っても、心はすべて覚えている。だから、大丈夫。
鈴はそう信じて、弦のことを送り出すことができた。
ロビーの窓から、彼の乗った飛行機が飛んで行くのが見える。
空は清々しいほどの青で、まるで彼が踏み出した夢への第一歩を祝福してくれているようだった。
鈴はその飛行機と青空を、優しく微笑みながら見つめていた。
* * *
弦を送り出してから十年と数カ月。鈴は東京にある出版社で働いていた。
夜十八時前。担当している書籍の校正を終え、鈴は大きく伸びをする。
すると、隣の席の同僚の女性が朗らかに笑って声を掛けてくれた。
「涼風さん、お疲れ様です」
「華和さん、ありがとうございます」
鈴は微笑みながらそれを受け取る。
もうすっかり冬だが、暖房の効いた室内は少し暑く、鈴はブラウンのニット一枚で過ごしていた。キラリと光る胸元のツバメのペンダント以外は、あまり目立たない色の姿だ。
しかし、鈴の品の良い美しさはそれぐらいでは損なわれない。この部署でも、鈴は有名な美人社員だった。
「あ、ねえ涼風さん。さっき岩瀬さんがあなたをご飯に誘いたいーとかほざいてたよ?」
「そ、そうなんですか……」
鈴は苦笑いする。
岩瀬、というのは、鈴と同期の同僚で、ことあるごとに鈴を口説いてくるチャラついた男だ。
仕事はできるのだが、鈴が何回断っても懲りずに誘ってくる。迷惑な話だが、社内では岩瀬が振られるところまでセットで名物になっているのだ。
「あ、噂をすれば」
華和が部屋の入り口を見ると、丁度岩瀬がスキップをしながら鈴のところにやってきていた。
「涼風さーん! 今日も素敵だね!」
「あはは……」
「その笑顔もすごく美しい! ねえ、今日こそ一緒にご飯行きません?」
爽やかな笑顔で口説かれて、鈴は大変断りづらかった。
しかし、今日は何があっても彼と食事には行けないのだ。この後は予定がある。
「すみません。今日は予定があるので。人と会うんです」
「そうなの? 誰? 友達? もし良かったら、その子も一緒に——」
「大事な人なんです。すごく、大好きな人……」
鈴は顔を赤らめながら呟く。
それを聞いた岩瀬は、笑顔のまま固まった。
「ソ、ソッカア……ダイスキナヒト……」
「はい。なので、ごめんなさい」
「あ、はい……」
失恋を理解した岩瀬が、真っ白な石になってサラサラと崩れていく……華和はそう錯覚した。
丁度定時になる。普段なら残業することも少なくないが、今日は外せない予定がある。鈴はピンクのテーラードコートを着て、荷物をまとめて「お疲れ様でした」と部屋を出て行った。
外に出ると、刺すような冷たい空気が街を満たしていた。
しかし、クリスマスを控えた東京の街は賑やかで、道行く人は皆笑顔だ。
鈴が急ぎ足で歩いていると、不意にすれ違った女子高生たちの話し声が耳に入って来た。
「ねー! 奏君、結婚しちゃったんでしょ! まじでショック! 慰めてえ」
「えー。でも、奏君ってお父さんのことで一時期炎上して大変そうだったじゃん。そんな状態だった人がやっと幸せになれるんでしょ? ほら、推しの幸せを祝え」
「ううー……じゃあ、クリスマス一緒にお祝いしてよ! チキンとケーキ爆食いするから!」
「仕方ないなあ」
先日のことだ。フローラ・フローラの周防奏が、一般女性と結婚したというニュースが話題に上がった。
相手の名前は公表されていないが、奏が発表した文書によると、「ありのままの自分を受け入れてくれた人」らしい。その言葉を読んで、鈴は彼の結婚相手になんとなく察しがついていたが、二人のために誰にも言っていない。
ただ、二人が幸せだったらいいな……と、願っているのみだ。
二人の他にも、鈴の周りの人達はどんどんと幸せになっていっている。
たとえば、去年、律と歌香の間に二人目の子どもが生まれて、涼風家はすっかり賑やかなこと。姪と甥が可愛すぎて、鈴はついつい二人に服を買ってしまうのだ。この前はそのことで律に「あんまりお金無理しちゃダメだよ」と注意されてしまった。
他にも、美琴が彼氏と結婚式を挙げたこともあった。美琴は結婚を機にアイドルを引退し、今では歌手として活動している。夫の方は、営業部署で日々頑張りながら美琴の活動を全力で応援しているのだとか。
歩いているうちに、雪が降って来た。
クリスマスイブに雪……なんてロマンチックなシチュエーション、いかにも彼が好きそうだ。
(早く会いたいな……)
鈴ははやる気持ちを抑えながら、都内にあるコンサートホールへと歩いて行った。
* * *
コンサートホールに入り、鈴は予約しておいたステージ近くの席に座る。
予想はしていたがホールの中は満員だ。さすが、世界的な若手ピアニストのコンサート。物凄い人気だ。
定刻になり、コンサートが始まる。今日の主役が、ステージに出てきて美しく礼をした。
明るい茶髪は昔と違ってオールバックに整えられており、耳にはアマゾナイトのピアスが光っている。
そして、澄んだ瞳も昔のままだ。
(いと君……)
ステージから、彼が鈴の姿に気が付くことは恐らくないだろう。これだけの観客だ。一人一人の顔なんて分からないはずだ。
弦はピアノの前に座り、静かな表情で音楽の世界に意識を落としていく。昔から変わらない、神聖で美しい横顔。しかし、今の彼には中学高校時代に一緒にいた「同級生の日和弦」の面影はない。
今は大勢に向けたコンサートなのだから当たり前なのだが、鈴はそれがほんの少し寂しかった。
最初の音が鳴る。透き通っていて、この世界の何よりも美しい音。
それを聴いて、鈴は彼が何を弾こうとしているのかすぐに分かった。
(リストの「愛の夢」……)
中学時代から、彼の隣でずっと聴いてきた曲。あの頃とは段違いに美しい音色になっているのに、鈴の脳裏に不思議と当時のことが蘇ってきた。
いつも第二音楽室で見ていた彼の横顔が、ずっと大好きだった音楽が、鮮明に思い出されたのだ。
(どんなに上手になっても、いと君の音楽は昔と何も変わらない。いつだってすごく、綺麗だ……)
鈴は泣きそうになるのを必死に堪えながら、微笑みを浮かべて彼の音楽に身を委ねていた。
ピアノの音色を聴く度に、愛おしい思い出が蘇っていく。
彼のことが大好きな気持ちが、時を越えて大きく膨らんでいく。
——やっぱり、繋がってるんだ。どんなに時間が経っても、私は君のことが大好きだった私のままなんだ。
鈴はそう思い、幸せそうに微笑みながらステージ上の彼を見つめていた。
* * *
コンサートが終わり、夜もすっかり深くなった。
明日からは年末年始の休みだが、仕事の関係で出社する必要がある。弦に会いたいところだったが、きっと彼も忙しいだろう。お互いのためにも、早く帰らなくては。
鈴はコンサートホールの玄関を出て歩き出した。
その時だった。
「鈴」
ぶっきらぼうで、でも優しい声に呼び止められた。
ゆっくりと振り返る。するとそこには、先ほどまでステージ上にいた彼が不愛想な顔で立っていた。
「いと君……」
「お前なあ、何も言わずに帰るんじゃねーよ。夜道危ないだろ」
「私がここいるの、よく気づいたね」
「俺がお前を見つけられない訳ねーだろうが」
弦はそう言いながら、鈴の方に歩いてくる。
不機嫌そうな声だったが、頬がほのかに赤くなっていた。少し照れているようだ。
この十年で、二人を取り巻く世界は変わった。
鈴は可愛いものが好きな自分を隠さないようになったし、弦もピアニストになるにあたって、大人っぽく落ち着きのある雰囲気が増したのだ。
二人の関係も、時間を経るごとに形を変えていった。
会えない期間が長かったときは寂しくて、お互いを恋しく想う気持ちが強くなったし、大学時代に久しぶり再会したときは少し大人になったお互いに照れつつも、そんな変化も愛おしく感じたのだ。
しかしどんなに時間が経っても、不愛想な癖に、結局優しくて照れ屋な弦の根っこの部分は高校生の時と何も変わっていない。それが分かって、鈴は嬉しくて微笑んでしまった。
「ふふ、ありがとう」
「おい、何笑ってんだよ」
「いと君が昔と変わってなくて嬉しかったんだ。ぶっきらぼうだけど、優しいいと君のまんまだね」
「おーそうだよ。何年経っても、お前のことが好きな俺のまんまなんだ。この十年、ピアノを弾いててそれを思い知った」
弦はそう言うと、鈴の色白な右手を手に取り優しく微笑む。
「お前が、俺のピアノを聴いて笑ってくれる日が来る……そう思ってたら、どんなに大変なことも乗り越えられた。この十年、色んな人に会ったけど、お前が一番大切な気持ちは全く揺るがなかったよ」
弦は鈴の手にそっとキスをし、顔を上げて明るく笑う。
「これからも、俺のピアノ聴いててくれ。誰よりも傍で。誰よりも、笑顔で」
「いと君……」
鈴は顔を赤くしながら、潤んだ瞳を細めて優しく微笑んだ。
「うん……!」
二人は手を絡めながら、東京の街を歩き出す。
「駅まで送る前に、指輪買いに行くぞ。好きなの選んでいいからな」
「ふふ、ありがとう。いと君、私どんなのが似合うかな?」
「ああ? 何着けても似合うに決まってんだろ。お前が一番好きな指輪が正解だ」
「そっか。いと君が言うなら、きっとそうだね」
二人の穏やかな会話が、雪の降るクリスマスイブの空に吸い込まれていったのだった。
『リボンワンピース・プリンス』を最後までお読みいただき、ありがとうございました。
この物語のテーマは「『私』を見つける物語」です。
この作品の登場人物には、みんなそれぞれ「色んな面」があったかと思います。
たとえば、涼風鈴は学園の王子様なのに、可愛いものが好き。
日和弦は不良っぽいのに本当は素直でピアノの天才。でも、大事な部分で自分に自信がなかったり、だとか。
自分に色々な面があると、どれが本当の自分か見失ってしまうこともあるかと思います。
周囲に笑顔を振りまく自分は偽りの自分で、家で好きなものを楽しんでいる自分の方が本当の自分なのか、とか……そういった悩みに、私自身も振り回されたことがありました。
でも、その悩んでいた日々から時を経て思ったのは、周囲に対する自分も好きなものが好きな自分も、どっちも「本当の自分なんじゃないかな」ということです。
この物語でも、登場人物が見せてくれた全ての表情が、「本当の彼ら」なんだと思います。
わざわざ「これは嘘の自分」「これは本当の自分」と分ける必要は無くて、どれも自分の頭で考えて行動して、色んな経験を経て作られていった「本当の自分の一部」なのだと私は思っています。
そんな風に、色々な「自分」を見つける物語が、この作品です。
読んでくださった方が、少しでも楽しむことが出来たり、ほんの少しでも勇気が出たとか、そういうことがあったら……それだけで十分書いてよかったなと思います。
長い物語でしたが、最後までお読みいただきありがとうございました!
月島
【追記】
こちらの作品は、エブリスタとNolaノベルに掲載していたものを、コンテスト応募のために修正したものです。
そのため、他のサイトとは章立てや文章が少し違う箇所がありますが、おおまかな内容に違いはありません。
ただし、エブリスタ版では別の番外編の一部として執筆したエピソードにつきましても、なろう版では全て本編に組み込んでいます。
よって、エブリスタ版の本編には収録されていないエピソードが、なろう版には一部含まれております。ご了承ください。




