52 君に見惚れて
八月二日土曜日、鈴は弦と瑞葉と共に小舟で海を渡っていた。
もともとは日和家の事業でよく利用している船と運転手を手配してもらう予定だったのだが、予定が合わずにそれができなかったのだ。
しかし、それだけの理由で計画を頓挫させるほど瑞葉の頭は悪くない。もともと瑞葉は小舟の運転免許を持っており、大きな船と運転手が手配できなかった時は自分で運転するという
代替案をとるつもりでいたのだ。
よって、ブランドの新作の写真を撮る旅行は無事に決行できたのだが……。
「姉ちゃん運転荒い……酔う……」
「だって大きい船は借りられなかったんだもん。小さくて軽い舟の分、多少の揺れは我慢して!」
「多少ってレベルじゃねえよ……」
瑞葉の運転は、控えめに言っても荒いものだったのだ。
弦が舟のヘリに掴まって手で口を覆っているのを見て、鈴は苦笑いしながら景色を見渡す。
どこまでも広がる青い太平洋。そして、入道雲が遠くに見える晴れた夏空。
爽やかな夏の青色と潮の香りが鈴を包み込んでいる。
(いい空気だなあ……)
船酔いに苦しむ弦の向かい側で、鈴は船旅を満喫していた。
しばらくして、前方の方に島が見えてくる。
「あ、見えて来た。もうちょいで着くから! いっくん、ラストスパート!」
「早く着いて欲しい……」
「分かってる。じゃ、スピード上げるから!」
「姉ちゃん! 揺れがやべーって! うう、気持ち悪……」
弦の限界が来るギリギリで、舟は小さな島の港に到着したのだった。
ふらふらとしながら下船する弦を支えながら、鈴は眼前に広がる景色を見て目を輝かせた。
港から見える住宅街は、鮮やかな色の家々で彩られていて異国情緒がある。
それに調和するように、道に暖かい地域に生える変わった形の木々が植わっている。まるで南国のリゾート地のようだ。
港ではウミネコが羽を休めている。こんな風景も、海の無い木崎市ではおおよそ目にすることはできない。
ワクワクした様子の鈴を見て、瑞葉はニィっと笑いながら彼女の前に躍り出る。
「小夏島へようこそ! 短い間だけど、ぜひ満喫していってね!」
瑞葉に案内され、鈴は弦を支えながら彼女のアトリエへと歩き出した。
* * *
瑞葉のアトリエは、島の住宅街の奥にある三階建ての白い塔のような家だった。
「私達のアトリエへようこそ! とりあえず上がって」
「は、はい!」
鈴は弦と共に玄関を上がる。どうやら、一階はリビング兼キッチンになっているようだった。
オレンジ色のマットに白を基調とした椅子やテーブルが置かれているリビングと、ダイニングキッチンが一緒になっている。冷蔵庫も電子レンジも鈴の家の物より大きく、ミキサーなど鈴の家では使わない家電もあった。それを見て、鈴は改めて日和家の豊かさを実感した。
「長旅で疲れただろうし、二人共とりあえず座って。飲み物出してあげる。バナナジュースとブドウミックスどっちがいい?」
「えっと、じゃあブドウの方で……」
鈴が答える。その隣で、弦はぐったりと机に突っ伏しながら「水でいい……」と呟いていた。
「おっけー。……いっくん、すごく酔っちゃったんだね」
「誰のせいだよ……」
「ごめんごめん! 水飲んだら少し横になったら? ゲストルームのベッド、ようちゃんが整えてくれてたはずだし」
「そうする……」
瑞葉は力なく頷く弦の前にグラスに入った水を出してあげた。
弦はそれを飲み、三階のゲストルームへ向かって階段を上って行ってしまう。
それを心配そうに見ていた鈴の前に、瑞葉がブドウミックスジュースを出して微笑んでくれた。
「おまたせ。どうぞ」
「ありがとうございます」
鈴はぺこりと頭を下げ、ジュースを一口飲む。
瑞葉はバナナジュースをコップに入れて、鈴の向かい側に座った。
「いっくん、昔からよく乗り物酔いしてたんだよね。でも、毎回楽しいことがあるとすぐ復活してたから、あんまり心配しないでね」
「あはは……あ、そういえば、中学の修学旅行もそうだったかも」
「お! そうなの?」
「はい。いと君、奈良に行く途中のバスで酔っちゃったみたいで、自主見学前は顔色悪かったんです。でも、公園で鹿を見た途端に元気になって……」
「あはは! 何それ! いっくん鹿が好きなんだ。可愛いー!」
瑞葉が大爆笑するのを見て、鈴もつられてクスリと笑う。
「ふふ、いと君って、そういうところが素直ですよね。だからかな。一緒にいて、すごく落ち着くんです」
「ほほう、そうなんだ。確かに、いっくんを見てる鈴ちゃんは超穏やかな笑顔だね?」
「あ……ほんとですか?」
「うん! 端から見たら付き合いの長い熟年カップルって感じ!」
瑞葉の言葉を聞いて、鈴は頬を染めながら照れ笑いした。
「熟年カップル……確かに付き合い自体は長いけど、恋人になったのは今年に入ってからなので……」
「え! そうなの? うーん、じゃあ、二人の関係値は昔からの積み重ねだったのかあ。ふふ、なんだか素敵だね」
「えへへ……ありがとうございます」
「二人のこれから、姉として楽しみにしてるから! さて、手始めにウェディングフォトの予行練習からね。素敵な服着て、いっくんの船酔い治してあげよう!」
「ふふ、はい」
二人は飲み物を飲み終えた後、二階にある瑞葉のアトリエへと向かった。
* * *
塔の二階は中央をパーテーションで仕切られていた。向かって右側には色とりどりの服が掛かったハンガーラックと大きな机にミシン、試着室があり、向かって左側では、様々な風景写真が飾られた壁に囲まれて、長い黒髪を下の方で纏めた男の人が熱心にパソコンを操作していた。
「ようちゃん、ただいまー!」
瑞葉が声を掛けると、「ようちゃん」と呼ばれた男の人が振り返って切れ長な目で微笑んだ。
「姉さん、おかえり。あ、その子が弦君の彼女さん?」
「そうだよ! 鈴ちゃんっていうの。鈴ちゃん、彼、私の弟の耀太。今回写真を撮ってくれることになってるんだ」
瑞葉に紹介された耀太は、透とよく似た優しい笑顔でお辞儀をした。
「はじめまして。写真家の日和耀太です。普段はこの島の風景を撮ってます。たまに海外に行って写真を撮ることもあるよ。今日はよろしくね」
姉とは対照的に穏やかな雰囲気の耀太を見て、鈴もリラックスしながら頭を下げる。
「涼風鈴です。よろしくお願いします」
「よし! 挨拶も済んだことだし、早速私の服を着てもらおっかな!」
瑞葉はパチンと指を鳴らして、鈴の背中を押しながら自身のアトリエへ向かう。
ハンガーラックに掛けられている服を物色しながら、瑞葉は「むむむ……」と唸った。
「新作全部着て欲しいけど、時間的に多くて五着ぐらいかなあ。あ、今日はブランドの新しいシリーズの写真が撮りたいんだ。来年の夏に発売するシリーズの告知で使いたいから、写真のお披露目も来年になるんだけど……」
「新しいシリーズって、どういうものなんですか?」
「『Vivid Memories』っていう名前のシリーズなんだ。コンセプトは、『大切な人と過ごす思い出の一ページ』。かけがえのない一瞬を彩るようなイメージで作った服ばっかりだから、鈴ちゃんが知ってるうちのブランドの服と比べてドラマチックなものが多いかもね」
瑞葉はそう言いながら、透け感のある白い七分袖カーディガンと、水色のサンドレスを手に取った。
「これ、試着してみてくれる?」
「あ、分かりました!」
鈴は瑞葉から服を受け取り、試着室の中で服を着替え始めた。
水色のサンドレスは深い青のグラデーションが入っており、上が薄く、下が濃い色になっている。まるで、ここに来るまでの海を切り取って洋服にしたようだ。
そして白いカーディガンは軽く透け感のある素材で作られており、膝裏まで丈がある。風に靡いたらきっと美しいだろう。それこそ、ウェディングベールのようにロマンチックであるに違いない。
鈴は胸をときめかせながら着替え終え、試着室のカーテンを開ける。
「瑞葉さん、どうですか?」
鈴が尋ねると、瑞葉は目をキラキラと輝かせながら小さくジャンプした。
「すごい! めっちゃ似合ってる! この服って鈴ちゃんみたいな子に着てもらうために生まれてきたんじゃない!?」
すっかり興奮してしている瑞葉を見て、鈴は恥ずかしさのあまりはにかんだ。
「あ、ありがとうございます……」
「うんうん! こちらこそ感謝感激! これはいっくんに見て貰わなきゃ! 三階行こ!」
「あ、ああ……はい」
瑞葉の勢いに気圧されながらも、鈴は三階のゲストルームに向かった。
部屋に入ると、一台あるベッドの上で弦がぐったりと横向きで眠っていた。
流石に起こすのはまずいかも……鈴がそう思ったのも束の間、瑞葉は弦の身体をガンガンと揺さぶる。
「いっくん! 起きて!」
「う、うう……」
苦しそうに呻く弦が可哀そうで、鈴は慌てて止めに入る。
「瑞葉さん、もう少し寝かせてあげた方が……」
「ん……鈴……? どうかしたのか?」
鈴の声を聞いた弦が、頭を押さえながらゆっくりと体を起こす。
そして、まだ少し青い顔で鈴のことを見つめて……目を丸くした。
「綺麗だ……」
「へ……」
呆然と呟く弦に、鈴は思わず顔を赤らめる。
そんな彼女の反応を見て、弦の顔もボッと赤くなった。
「い、いやごめん! 変な意味じゃねーよ! ただ、すごい綺麗だったからつい口に出てたっていうか!」
「わ、分かってる分かってる! ごめん、私も急に言われてびっくりしちゃって!」
とんでもなく照れながら謝り合う二人を見て、瑞葉はニシシと笑う。
「いっくん、船酔いは治りましたかな?」
「あ、あれ? そういえば……」
「元気になってよかったよー! さて、もう少し鈴ちゃんの服を考えたら、いっくんの服も決めるから! ちょっと待っててね!」
瑞葉はそう言うと、鈴の背中をポンと押して階段を下りていく。
部屋を出る直前、鈴は弦に照れくさそうに笑った。
そんな彼女の笑顔に見惚れてしまい、弦はベッドの上で赤い顔のまま呆然としていたのだった。
その後、無事に二人の服が決まり、四人はブランドの写真撮影のために島へ繰り出した。




