51 通じ合う想い
コンクールが終わり、鈴は自分の席で呆然としていた。
――すごかった。いと君の音楽……。あんなに心が吸われるような音色、聴いたことない。
「涼風様」
香田に声を掛けられ、鈴は我に返る。
「は、はい」
「もしよろしければ、坊ちゃんに今日のご感想をお伝えしていただけませんか」
「あ、もちろんです! 上手く言葉にできるか分からないけど……」
「それでも構いません。ロビーで待ち合わせることになっておりますので、参りましょう」
「分かりました」
鈴は香田に連れられ、ロビーへと向かった。
ホールの出口の扉を開けると、扉の脇の方に演奏時のスーツを着たままの弦がいた。
しかし、彼は鈴に気付く様子も無く、誰かと話し込んでいる。
扉から出てしばらく歩くと、どうやら彼は両親と話しているらしい、ということが分かった。
「父さん、母さん。俺のピアノ……聴いてくれたよな」
弦が静かに尋ねる。声色が落ち着いており、彼から先日の文化祭の時のような自信の無さは感じない。
弦に問われた両親も、落ち着いた笑顔で頷いていた。
「すごく素敵だったわ。小さい頃の音とは全然違う……曲を聴いていて、弦君の真剣な気持ちが伝わってくるみたいだった」
「ああ。僕もそう思う。やっぱり、君の音色は……世界中の人の心を打つ、透き通った世界を創る音だ。全世界の誰が聴いても、きっと感動するはずだよ」
穏やかに微笑む二人に、弦は真剣な顔で問いを重ねた。
「父さんと母さんは……感動してくれた?」
弦に尋ねられ、二人は顔を見合わせて微笑い合った。
「ええ、もちろん」
「君にピアノを教えて心から良かったと、そう思える演奏だった。素敵な音楽をありがとう、弦君」
二人の温かい笑顔と言葉を受け取った弦は、目を潤ませながら頷く。
――君にピアノを教えて心から良かった。
弦にとって、これ以上の褒め言葉は無かった。
二人の期待に報いることができたこと。そして、二人に認めて貰えたこと……それが、何よりも嬉しかったのだ。
両親との間に空いていた溝。そして、小学五年生から中学二年生までの自分にぽっかりと空いていた穴が、やっと埋まってくれた気がした。
「うん……俺も」
弦は涙を拭って、両親に明るい笑顔を向けた。
「父さんと母さんから、ピアノを教えて貰えて良かった……!」
泣きながら笑う弦を見て、両親は頷き合って彼のことを抱き寄せる。
やっと本当の意味で家族になれた三人を、香田と鈴は微笑みながら見つめていた。
香田は幸せそうな弦の背中を見て、目を閉じる。
(兄さん。透さんに弦君を託したあなたの選択は、間違ってなかったよ)
しばらくの間弦を抱き寄せていた両親だったが、鈴の姿を見て弦から離れた。
両親の視線の先を見て、弦も鈴の存在に気が付く。
両親から「行ってきなさい」というように頷かれ、弦は鈴の元へと歩いて行った。
「鈴……」
弦は鈴の顔を真っ直ぐに見つめて、口を開く。
「今日の演奏が、今の俺の全部だ。今の俺の想い、全部……ピアノに乗せてお前に届けたつもりなんだ。受け取ってくれたか?」
弦の言葉に、鈴はしっかりと頷いて微笑む。
「今日のいと君のピアノ……一音たりとも聴き逃せなかった。君の音楽を聴いてると、心の奥が熱くなるんだ。今までも、今日もそうだった。きっと、これからもそうだと思う。だから……」
鈴は何の迷いも無く、向日葵のように明るい笑顔を彼に向けた。
「これからも私、いと君のピアノを楽しみにしてるから。君がどこにいても、君と離れて何年経とうとも……君の音楽と想いを、ずっと心に留めておく」
「鈴……ありがとな」
弦は鈴に向かって優しく微笑んだ。
その表情には、鈴と同じく迷いなんて感じられない。
鈴の想いを受け取って、弦も自分の信じた道を行く覚悟ができたのだ。
――鈴の喜ぶ顔が見たいから、俺はピアノを弾くんだ。今までも、これからも、ずっと……。
それこそが、弦が選んだ人生の道だった。
誰に何と言われても、決して後悔もしない。曲げることもしない。そんな風に前へと進み続けられる、一生かけて取り組みたいことなのだ。
彼女の笑顔が見られるなら、どんな努力も惜しまない。その根っこの部分は変わらないまま、弦は自分の道を自分で選び、また一つ成長することができた。
鈴や、彼女と一緒にいることで出会えた人たちのお陰で。
「お前が俺のピアノを聴いてくれる……それだけで俺、迷わず前に進めるよ」
「私も……自分の心の中に大切ないと君の音楽があるから、何があっても前に進める。君の道を、ずっと応援できる。その気持ち、私からも伝えさせて」
鈴はそう言うと、鞄から先日買ったプレゼントの袋を取り出した。
「これ、受け取って欲しい」
「これは……?」
「開けてみて」
弦は鈴に頷き、プレゼントのラッピングを開ける。
そして、中から出てきた青緑色の宝石が付いたピアスを見て優しく目を細めた。
「ピアス……ふは、すげー綺麗だな」
嬉しそうに笑う弦に、鈴は微笑みながら口を開く。
「その石、アマゾナイトって言うんだって。別名ホープストーン。夢に向かって頑張る人を後押ししてくれる石みたいだよ。それを知って、これを君に贈りたいって思ったんだ」
「そっか……」
弦はピアスを大事そうに見つめる。
鈴が、自分の夢を後押ししてくれていること。それが堪らなく嬉しかった。
そして、彼女が自分の人生のこれからに存在し続けてくれることも、何にも代えがたいぐらい嬉しかったのだ。
弦は喜びを噛みしめながら、鈴に明るく笑う。
「ありがとな。大事に着ける」
「うん。いと君、頑張ってね」
「おう」
二人が笑っていたその時だった。
パシャッ!
カメラを切る音がした方を見ると、長い黒髪を編み込みにした女性が、こちらにカメラを向けながら満面の笑みを向けていた。
「だ、誰!?」
「瑞葉姉ちゃん!?」
「え、お姉さん?」
驚いた様子の二人を見て、瑞葉と呼ばれた女性がニコニコしながら歩いてくる。
「いっくん、久しぶり! ピアノ超素敵だったよー! ところで、その綺麗な子、彼女!?」
「そ、そうだよ。てか急に写真撮んなよ。鈴は姉ちゃんのブランドのモデルじゃねーんだぞ」
「だって、めちゃくちゃ素敵な雰囲気だったんだもん! あー、今の構図で、私の服着てもう一回写真撮らせて欲しい!」
うっとりとしながら目を輝かせる瑞葉を見て、鈴は戸惑いを隠しきれなかった。
「えっと、あなたは……」
鈴に尋ねられ、瑞葉は我に返って咳払いした。
「急に驚かせちゃってごめんね! 私は日和瑞葉。ファッションブランド「CROWN LEAVES」のオーナーやってます! 簡単に言うと、自分で服をデザインして作って売ってるの。ザ・総合芸術って感じ!」
「CROWN LEAVES……あ! もしかして一昨年できたブランドですか?」
「え、なになに、知ってるの?」
「はい。いつも服を買うお店にそのブランドの服が並んでて……私には可愛すぎるかなって、買ったことはないんですけど憧れてて……」
「わー! まじ!? 嬉しー!」
瑞葉は目をキラキラさせながら鈴に抱き着いた。
「うわ……!?」
「鈴ちゃんだよね? せっかくだから私のアトリエに来てよ! 新作着せてあげるから、モデルやって! いっくんと一緒に!」
「も、モデルですか……!?」
「うん! 写真も、もっと腕のいい写真家がいるから! キレイに撮れたらその写真も焼き増ししてあげるし!」
話がとんとん拍子に進んでいく。鈴がすっかり困り果てていると、隣から弦が瑞葉を引きはがしにかかった。
いくら姉とはいえ、大好きな彼女を困らせるのは許しがたかったのだ。
ついでに言うと、彼女に馴れ馴れしく触られるのも我慢ならなかった。
「鈴を困らせんじゃねーよ! てか、鈴にベタベタ触んな! あと何で俺もモデルやることになってんだよ!」
「注文が多いですなー。いっくん、男の嫉妬は醜いぞー」
「うっせーな! 男女差別すんな! てか俺がモデルやる話は!? 何で!?」
「だってさっきの二人が良すぎたんだもん。ウェディングフォトの予行練習だと思ってさー引き受けてよ」
「ウェ……!?」
唇を尖らせた瑞葉の発言に、弦も鈴も一瞬で顔が真っ赤になった。
二人の満更でもない反応を見て、瑞葉はニシシ……と笑う。
「じゃ、決まり! お父さーん! 船貸して!」
瑞葉が遠くにいる透に声を掛ける。
すると透はニコニコ笑いながら瑞葉の方に歩み寄って来た。
「久しぶりにこっちに帰って来たと思ったら、もう小夏島に戻るのかい?」
「だって、こんなに素敵な二人を見たらいてもたってもいられないし! どうせ、ようちゃんも島にいるから、ブランドの写真撮るにはベストタイミングなんだもん!」
「はは、分かったよ。でも、鈴さんの予定を聞いてから行きなさい。急すぎるから」
「分かった!」
瑞葉は透にニッコリと笑うと、鈴に名刺を差し出した。
「鈴ちゃん、空いてる日が分かったらここのメッセージアプリに連絡して。そしたら家まで迎えに行くから。詳細は、後で、いっくんから聞いてくれればいいから」
「何で俺から……」
「だって、前も何度か手伝ってくれたし! いっくんなら勝手も分かってるでしょ?」
「そりゃそうだけどさ……」
弦もすっかりたじろいでしまっている。こんな彼を、鈴は初めて見た。
これは姉にしか見せない顔なのかもしれない……そう思って、案外仲良しなんだなと微笑む。
彼女の笑顔を見た弦は、不服そうな顔で彼女を見た。
「おい、何笑ってんだよ」
「あ……ふふ。何でもない。とりあえず、予定が空いたら連絡しますね」
鈴の言葉に、瑞葉は「よろしく!」と満面の笑みだ。
その後、夜遅くなる前に鈴は香田に送迎してもらって帰宅した。
そして、兄と父と相談し、八月の第一土曜日に瑞葉のアトリエがある小夏島へと向かうことが決まったのだった。




