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リボンワンピース・プリンス  作者: 月島
第一章 学園の王子様には秘密がある
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5 思い出の曲

 中学二年生の秋。(いと)(りん)を助けてくれた花火大会から一ヶ月経つ頃には、彼の生活態度は大きく変わっていた。


 まず、授業中に居眠りしなくなった。課題を忘れることも無くなった。テストの成績も徐々に伸ばしていった。

 そして何より、ずっとサボっていたピアノに真摯に向き合うようになったのだ。


 誰も使わない第二音楽室のピアノの前に座り、(いと)は毎日のように音楽を奏でていた。そして、そこには大体、(りん)の姿もあった。


 緑色だった広葉樹が色づき、ヒラヒラと舞い落ちていく季節。暖房が入らないため少しばかり肌寒い第二音楽室の片隅に置いた椅子に座りながら、(りん)は真剣な顔でピアノを奏でていく彼の表情を見つめていた。


 小学五年生からずっとサボっていたとは思えないほど、繊細で透き通った音色を奏でていく(いと)。彼の音色も、横顔も、(りん)には神聖なものに感じられた。


 やがて演奏が終わり、(いと)が小さく溜息をつく。


「なあ、ふーりん。いつもいつも下手な演奏聞いてて楽しいか?」


 そう眉間に皺を寄せながら尋ねる(いと)に、(りん)はきょとんと首を傾げる。


「何回でも聴きたいくらい上手だったよ?」

「どこがだよ。ぎこちなくてガタガタだっつの」

「いと君は理想が高いんだね」

「高くなんかねーよ。その証拠に、俺は今まで一度も最優秀賞取ったことねーんだ」

「えっ、そうなの?」


 信じられないといった顔をする(りん)を見て、(いと)は目を伏せる。


「そーだよ。いつも、俺より上を行く奴がいたんだ。小一から小五まで、一回もそいつに勝てなかった」


 (いと)は悔しそうに舌打ちする。その様子を見て、(りん)は「でも……」と口を開いた。


「いと君のピアノ、私すごく好きだよ。なんていうか、すごく……綺麗なんだ。いと君の音色は、透き通って感じる」

「どーいうことだよ」

「音楽の授業で先生が弾く演奏とか、CDの演奏とか……そんなのとは比べものにならないくらい耳に心地いいんだ。ずっと、その音色の中を揺蕩っていたいような……そんな気持ちになる」


 (りん)の言葉に、(いと)は照れ臭そうに頭をかいた後、「恥ずかしー奴だな」と吐き捨てるように言った。


「まあでも、ふーりんがそこまで言うなら、これからも聴かせてやるよ」


 そう言って、赤い顔で座り直す。その様子を微笑みながら見ている(りん)に向かって、(いと)は「一曲好きなの聴かせてやるよ。何が良い?」と尋ねてくれた。


「じゃあ、昨日最後に弾いてた曲が良いな。あれ、すごく気に入ったんだ」

「昨日最後に……ああ、リストか」

「何ていう名前の曲なの?」

「『愛の夢』だ」

「愛の夢……ふふ、そんなにロマンチックな名前だったんだ。知らなかった」


 (りん)はクスリと笑うと、「いと君が言うとギャップがあって面白いね」と微笑む。それを聞いて、(いと)は赤い顔で(りん)を睨んだ。


「うるせーよ。てか、そういう曲って意外と多いぞ」

「そうなの?」

「おう。ちったぁ勉強しろ。そしたら、俺の下手な演奏も少しは面白くなるだろ」

「いと君は下手じゃないよ」

「へいへい。そりゃどーも」


 (いと)は適当にいなすと、姿勢を正して鍵盤と向き合った。彼の周りの空気がしん……と静まる。


 最初の音色が奏でられた。そして、流れるような美しい旋律が、夕方色の第二音楽室を満たしていく。


(やっぱり、落ち着くな。いと君と一緒にいる時間)


 (りん)は微笑みながら目を閉じて、彼が生み出す透き通った世界に身を委ねた。


* * *


 リリリリリ……。


 翌朝、(りん)はスマホの着信音で目を覚ました。時刻は午前八時。寝起きで覚束ない手で、とりあえず電話のボタンを押す。


「もしもし……」

「りんりーん! おっはよー!」


 スマホから、鼻に掛かった明るい声が飛んできた。この「可愛い」を全部詰め込んだような声の主を、(りん)はよく知っていた。


「その声……美琴(みこと)?」


 涼風美琴(すずかぜみこと)(りん)の父方の従姉妹だ。(りん)とは同い年であるものの、彼女は元気いっぱいで無邪気な妹気質。(りん)にとっては妹のような存在だった。


「うん! 美琴(みこと)だよー! おはよー!」

「ううん……おはよ」


 おはようと言うと同時に瞼がとろんと落ちてくる。眠い。寝そうだ。(りん)はこう見えて朝が弱いのだ。


(相手は美琴(みこと)だし、寝てもいいか……)


 (りん)が眠気に負けてスヤスヤと寝息を立て始めると、スマホの向こうから「こらー!」と声が飛んでくる。


「りんりん! 起きてよー!」

「んえ……どうしたの」

「木崎駅前にね、フローラ・フローラが来るんだよー!」

「ああ……あのアイドルの?」


 フローラ・フローラとは、国民的人気を誇る三人組の男性アイドルグループである。美琴(みこと)は彼らのファンなのだ。彼らの「夢を追いかける子って素敵だよね」という言葉に触発されて、思い切ってご当地アイドルのオーディションに応募し、合格してしまったぐらいには、美琴(みこと)にとって彼らの存在は大きかったりする。


「そうそう! なんかね、メンバーの(かなで)君が木崎市出身で、木崎駅五十周年記念のお祝いイベントに来るんだって!」

「そうなんだ」

「反応薄ーい!」

「ごめん……でも、あんまり興味なくて……」


 (りん)は可愛いものが好きな女の子らしい趣味であるものの、アイドルにはあまり興味が無かった。音楽も、J-POPよりもクラシック……もっと言えばピアノ曲が好きだ。それこそ、(いと)が奏でるピアノの音色が好きで……。


 いや、彼を好きになってはいけない。付き合ってはいけない。そうすれば、兄もファンも悲しんでしまう。(りん)は息苦しくなり、首を押さえた。


「うう、まありんりんだからなー……一緒に行きたかったんだけど」


 電話越しに美琴(みこと)の残念がる声が聞こえる。それに申し訳なく思い「ごめん」と謝ろうとした時、「そういえば」と声が聞こえた。


「そのお祝いイベント、うちの高校からも何人か出るみたいだよ。たしか、軽音部と吹奏楽部とダンス部と……あと、あのピアノの上手い子。りんりんと仲が良い王子様」


 その言葉を聞いて、(りん)の眠気がぶっ飛んだ。


 うちの高校の、ピアノの上手い王子様……そんなの一人しかいない。


「いと君が出るの?」


 上ずった声が出てしまった。


「そうそう、日和弦(ひよりいと)君! あ、もしかして、りんりん……興味出てきた?」

「え、えっと……」


 (いと)の演奏は聴きたい。だが、彼の顔を見て、彼を好きになってしまったら……彼と付き合いたくなってしまったら、どうする? そんな不安のせいで、頷けなかった。


「私……遠慮しておこうかな」

「え? なんで?」

「怖いんだ。いと君と会うの」


 (りん)の暗い声を聞き、美琴(みこと)はすぐに「何かあったの?」と尋ねる。


「相談なら乗るし、私、りんりんのこと否定しないよ」

美琴(みこと)……」


 たしかに、美琴(みこと)は今まで(りん)を否定したことが一度も無い。中学生のとき、(りん)が可愛いもの好きなことを打ち明けたときも、笑顔で肯定してくれた。

 美琴(みこと)なら、今回も大丈夫かと……(りん)はそう思い、小さく口を開いた。


「実は、いと君を好きになるのが怖くて」

「どういうこと?」

「えっと……」


 昨日、(いと)に告白されたこと。彼がありのままの自分を好いてくれていること。そして、それが嬉しかったこと。しかし、自分を王子様だと慕う生徒や兄のために、その告白は受けない方が良いんじゃないか、好きな人なんて作ってはいけないんじゃないかということ……(りん)は全て話した。

 すると、電話越しに「いやいやいや!」と大きな声が返ってきた。


「それ、もう好きじゃん!!」

「へ?」

「だって、周りの意見を気にしなかったら、りんりんは日和(ひより)君と付き合いたいってことじゃん!」


 興奮した声でズバリと言ってのけられて、(りん)の顔が真っ赤になった。


「あ、あう……そうなのかな」

「そうでしょ! 認めなさいよ!」

「うう、でも……」


 「まだ分からないし……」とゴニョゴニョ言う(りん)に、美琴(みこと)はハッキリした声で告げる。


「りんりん、イベント行くよ。そんで、日和(ひより)君に会おう」

「え……で、でも……」

「会って確かめるの! 自分がどうしたいのか、日和(ひより)君をどう思ってるのか……全部確かめよう」


 「ついでにフローラ・フローラにも会う!」と美琴(みこと)が力強く言うので、(りん)は苦笑いしてしまう。

 なんだか上手い口実で連れ出されたように感じてしまうが、美琴(みこと)(りん)のことを考えてくれているのは事実だ。


「そうと決まれば、準備しよ! イベントは十時からだから、お洒落して駅前に集合ね!」

「分かった」

「ぜーったい、可愛い格好してくるんだよ! パーカーとジーンズは無しだからね!」

「うう……分かったよ」

「よろしい! じゃあ、後でね!」


 電話が切れたのと同時に、(りん)はベッドからむくりと起き上がる。

 美琴(みこと)と会えるのは嬉しいし、(いと)の演奏を聴けるのも嬉しい。しかし……イベントに行って良いのか、自信が持てない。


(緊張するな……)


 (りん)は小さく溜息を吐き、ベッドから降りて身支度を始めた。


* * *


 (りん)は悩んだ末に初夏らしい緑のカクシュールワンピースにブラウンの革靴を合わせて木崎駅に向かった。

 駅に着くと、駅前広場には簡易ステージができており、関係者と思しき学生達も集まっている。できれば見つかりたくない。


 早く美琴(みこと)を探して、広場の隅に行こうと思ったが、肝心の彼女はまだ来ていないようだった。どうしたものか。

 とりあえず、広場の隅で待っているとだけ連絡しておこう。(りん)はそう思い、スマホにメッセージを打ち込んでステージから早足で遠ざかる。

 幸い、木崎学園高校の生徒の喋り声から(りん)の名前は聞こえない。よし、バレてない。このまま離れて──。


 ドン!


 不意に、(りん)は向こうから走ってきた人物とぶつかってしまった。


「うわっ!?」


 (りん)は尻餅をつく。少しばかり痛かったが、すぐに「ごめんなさい、大丈夫ですか?」と謝りがら相手を見て、目を丸くした。

 相手は目の前で両膝をついて、呆然とした顔でこちらを見つめていたのだ。黒髪に金のハイライトが入った、いささか派手なパーマヘアの間から、その男性の甘い目元が覗く。世間的に見ても「イケメン」と言って差し支えないだろう。

 しかし、呆然とした表情を見る限りだと、大丈夫では無さそうだ。


「あ、あの……大丈夫ですか?」

 念のためもう一度聞いてみる。

「……だ」

「え?」

「運命の人だ」


 彼は目を輝かせながら、(りん)の手を自分の口元に持って行き、優しくキスする。突然の出来事に、(りん)はビックリして頬を赤らめた。


「な、何を……!?」

「今日の星座占いで言ってたんだ。『目の前で転んだ人が、あなたの運命の人』って。君のことだ」


 彼はそう言うと、柔らかく微笑む。

 顔は格好良いのに、言っていることが意味不明すぎて怖い。(りん)は慌てて手を引っ込めた。


「う、占いなんて当てになりませんよ。第一、私たち初対面じゃないですか」

「いや、違うよ。きっと君は僕を知ってる」

「知りません」


 ピシャリと言い切ると、彼は悲しげに眉をひそめた。


「そんな……僕、国民的アイドルなのに」


 何を言っているのだろう。この人、やっぱり危ない人なんじゃないか。

 しかし、そんな疑問も次の瞬間には覆る。


周防奏(すおうかなで)って言っても分からない?」

周防奏(すおうかなで)……(かなで)?」


 ──メンバーの(かなで)君が木崎市出身で、木崎駅五十周年記念のお祝いイベントに来るんだって!


 たしか、美琴(みこと)がそう言っていた……ということは。


「まさか、フローラ・フローラの?」


 (りん)が尋ねると、(かなで)はぱあっと表情を明るくした。


「そう。僕はフローラ・フローラの周防奏(すおうかなで)。奏でるスマイル、周防奏(すおうかなで)。よろしく」


 丁寧に自己紹介の口上まで述べた後、再度(りん)の手を柔らかく握り、優しく握手をする(かなで)。どうやらこの人は他人との距離感が私と違うのだ、と(りん)は苦笑いする。


「ところで、君の名前は?」


 (かなで)に尋ねられ、(りん)は戸惑いながらも「涼風鈴(すずかぜりん)です」と答える。


「なるほど、(りん)ちゃんって言うんだね。可愛い名前だ」

 

 可愛いと言われたことが少しばかり嬉しくて、思わず顔が綻ぶ。その反応を見た(かなで)は、微笑んだまま「笑顔も可愛い」と続けた。


「やっぱり、(りん)ちゃんは僕の運命の人だよ。こんなに心が躍る可愛さの子、今まで出会ったことが無い」

 

 運命の人、と言われて(りん)は我に返る。いけない。どれほど「可愛い」と言ってくれても、彼は初対面で、運命の人なんて変なことを言う危ない人なのだ。絆されたら危険だ。

 

「い、いや……流石にそれは大げさです」

「大げさなんかじゃない。君だって、僕の言葉が嬉しかったくせに。付き合ったら、いくらでも言ってあげるよ?「可愛い」って」


 柔らかい微笑みは国民的アイドルの名に恥じない甘さなのに、やはり怖さがぬぐえない。(りん)の表情が引き攣る。どうしよう。どうしたら彼から逃げられる?


 心臓がバクバクと音を立てる。不意に、中学二年生の花火大会がフラッシュバックした。強引に迫られ、本当に怖くて、怖くて……。


 ――また同じ目に遭うんじゃないの?


 恐怖のあまり、動けなくなってしまう。

 以前は彼が助けてくれた。でも、今はこの場にいない。自分で逃げないと。早く逃げないと……。


 しかし、その時。

 (かなで)の顔面に、紫色の表紙の雑誌サイズの本が直撃したのだ。


「へぶっ」

「うわ!?」


 本が地面に落ちる。一瞬ぱらぱらと見えた中身は、ピアノの楽譜だった。

 となると、やはり持ち主は彼しか考えられない。


「ふーりん、無事か!?」


 後ろから(いと)が駆け寄ってくる。(りん)はその姿を見て、安心して力が抜けてしまった。


「いと君……」

「何もされてねーよな?」

 

 (いと)が心配そうに(りん)の傍にしゃがみ込んで顔を覗き込んでくる。

 

「え、えっと……」


 (りん)はなんと答えれば良いか迷った。

 万が一、(りん)が手の甲にキスをされた、とか「運命の人」と言い寄られた、とか……正直に言ってしまったら(いと)(かなで)を殴り飛ばしてしまうだろう。国民的アイドルに暴行を働いた、となると大事件だ。明日のネットニュースに流れてしまって大炎上だろう。


 (りん)が何も言えずにいる前で、(かなで)がククッと笑いだした。


「相変わらず、君は乱暴だな。(いと)

 

 (かなで)は甘い目元をニコリと細める。その、どこか好戦的な笑みと、先ほどの口ぶりから察するに、彼は(いと)を知っているのだろう。


「へっ、お前は相変わらずタラシだな。(かなで)。小学生の時とまるで変ってねー」

「いい男って言って欲しいな」

「どこがだよ。スキャンダル男」


 静かに火花を散らす二人を、(りん)は戸惑いながら見つめていた。やはり二人は知り合いなのだ。しかし、ただの知り合いではなさそうだ。一体どんな関係なのか。


 (りん)が考えていたことを察したのか、(かなで)はにこっと笑いながら口を開く。


「僕と(いと)はライバルだよ。昔、ピアノの腕を競い合ってたんだ。まあ、(いと)は一度も僕に勝てなかったけど」

 

 そう言えば昔、(いと)が「一度も勝てなかった相手がいる」という話をしていた。それが(かなで)なのか。

 

「うっせーな。昔の話だろうが。今ならお前になんて負けねえ」

 

 (いと)(かなで)を鋭く睨みつける。それに彼はクスクスと笑って、「どうだろうね」と言った。


 短気で素直すぎる(いと)と、無意識に彼を煽り倒す(かなで)。見れば見るほど、二人の相性は悪そうだ。(りん)は苦笑いする。


「まあ、今回も負けないよ。(いと)

「ああ?」

「可愛い(りん)ちゃんは、僕が射止めるから」

「はあ!? ふざけんじゃねーよ! お前にはやらねえ!!」


 (いと)は顔を真っ赤にして怒鳴った後、(りん)を後ろから抱き寄せた。がっしりとした腕の中に引き寄せられ、(りん)は思わず赤面する。


「ふーりんと付き合うのは俺だ!」


 (いと)は大きな声で、はっきりと言い切った。

 それを見て、(かなで)はニタリと微笑んで告げる。


「じゃあ、勝負しよう。どちらが先に鈴ちゃん(お姫様)を射止めるか、ね」

「おーおー、望むところだ。お前には負けねえからな」

「ふふ、君の悔しそうな顔を見るのが楽しみだよ」


 (かなで)は立ち上がり、「またね、(りん)ちゃん」と言い残して舞台裏に歩いて行く。それを怒った番犬のようにグルルル……と睨みつけた後、(いと)は溜息をついて(りん)の手を引き立ち上がらせた。


「腐れ縁のバカが迷惑かけたな。大丈夫だったか?」


 (いと)に尋ねられるも、(りん)は真っ赤な顔で俯くことしかできなかった。だって、あまりにも(いと)の気持ちが伝わってきてしまって、こっちまで恥ずかしかったから。

 抱きしめられたのも、堂々と交際宣言をされたのも、照れくさくてどうしようもない。――いと君も、他人との距離感が私と違うんだな。そう思いつつも嬉しさを感じている自分が悔しかった。


「大丈夫なわけないでしょ。だって、あんなに堂々と……」

「あ?」


 ぼそぼそと何か言う(りん)に、(いと)は不思議そうな顔で首を傾げる。


「よく聞こえねーよ。もっと大きい声で言え」

「う……」


 (りん)は真っ赤な顔で(いと)を睨むと、小さく口を開いた。


「いと君のばか」

「は、はあ……?」

「天然タラシ」

「は!? おい待て、(かなで)と一緒にすんじゃねー!」


 心の底から納得いかないという風に、(いと)は焦った声で反論する。しかし、それを受け入れる気にはならなかった。

 

 ――もし、私がいと君を好きになったとしたら、全部いと君のせいだ。 そう思い、(りん)はつい、口走る。


「いと君のせいで、私が私じゃなくなる……」


 顔を真っ赤にし、潤んだ瞳でそう呟く(りん)を、(いと)は呆然と見つめた。彼の驚いた顔が見るに絶えず、(りん)は早足で広場から逃げ出した。


 その後ろ姿を追うこともできず、(いと)は地面に落ちた楽譜を拾い、小さく呟く。


「情けねえな、俺」


 彼女に想いを告げてから、ずっと浮かれていた。

 もし、彼女も俺と同じ気持ちになってくれたら――そんな期待だって大きかった。

 しかし、今の彼女の言葉。

 ――私が私じゃなくなる。

 きっと彼女は、今まで通りの自分でいたいのだ。「王子様」としての自分のままで。

 それを俺は変えようとしてしまっていた――。

 (いと)は小さく息を吐き、ステージの方に引き返す。

 彼女を泣かせないためには……彼女をもう一度笑顔にするためには、どうしたらいいのだろう。

 そう考え続けて、やがて一つの答えに辿り着いた。

 ――親友に戻るべきなんだ。

 そうすることで、自分に嘘を吐くことになるのは理解している。

 しかし、それでも……(りん)が笑ってくれるなら、そっちの方が良かった。

 (いと)はイベントの開催準備にあたる司会進行役の人の元へ行き、尋ねる。


「あの、今日弾く曲、変えても大丈夫ですか? 時間的には元の予定とあまり変わらないのですが」

「ああ、それならいいですけど、何の曲にするんですか?」

「……リストの『愛の夢』。この曲が好きな親友が来てるんです」


 (いと)の言葉を聞き、司会は明るい笑顔で頷く。


「分かりました。変更しておきますね」

「お願いします」


 (いと)は頭を下げ、舞台裏から広場の方を覗いた。

 (りん)の姿は無い。もしかしたら、帰ってしまったのかもしれない。

 しかし、どうか……この曲だけは聴いて欲しい。

 どうか、彼女の耳まで届いて欲しい。

 中学時代にいつも聴かせていた、二人の、思い出の曲を――。

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