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リボンワンピース・プリンス  作者: 月島
第三章 未来へ踏み出す夏
43/54

43 帰る場所は、ここに

 (ひびき)と別れて車に乗った(いと)は、夜の町の景色を眺めながら、運転席に向かって声を掛ける。


「なあ、香田」

「何ですか?」

「俺……アメリカに行くよ。父さんと母さんと一緒に」


 (いと)の言葉を聞き、香田はしばらく間を置いて答える。


「それがあなたの本当の気持ちなら、私はいくらでも応援しますよ」

「ああ。俺、一生をかけてピアノと向き合いたいんだ。俺が世界一綺麗な音色を奏でて、それを聴いた(りん)に笑って欲しい。そのための努力は、もう惜しみたくない」

「そうですか。坊ちゃんが、自分自身で納得できる答えを出すことができて、私は嬉しいです」


 香田が微笑んでくれたのを感じ取り、(いと)も表情を和らげた。

 そうしているうちに、車が自宅に到着する。

 家に帰った(いと)は、いつも通り手を洗って食卓に着いた。

 (いと)が座ってから数分も経たないうちに、香田(こうだ)が鮭のムニエルの乗った皿を持ってきた。

 他にも、野菜たっぷりのコンソメスープや、皿に盛られたご飯が食卓に並ぶ。

 他の家でも出るようなメニューではあるのだが、白いテーブルクロスのせいか、豪華で高級な食事に見えてしまう。


「坊ちゃん、どうぞお召し上がりください」


 香田は(いと)の傍に寄ると、小さく礼をして微笑む。

 テーブルの上には(いと)以外の食事は並んでいない。会社付き合いで出掛けている両親の食事はもちろんのこと、香田の分の食事も、だ。彼女はいつも別室で食事をとっている。


「なあ、香田」

「何です?」

「なんで、いつも一緒にご飯食べないんだ?」


 (いと)が尋ねると、香田は静かな微笑みを浮かべたまま答える。


「執事ですから」

「なんで執事だと一緒に食べちゃダメなんだよ」

「主と使用人はともに食事をしない。そういうものなのです」


 香田の平然とした態度を見て、(いと)は寂しそうに目を伏せる。

 両親がいなくなってから、(いと)は一人で食事をとってばかりだった。香田は別室で食事をとるし、姉と兄は(いと)の幼少期こそ一緒にいてくれたものの、現在は基本、仕事で不在。必然的に、(いと)は一人だった。

 今日の昼は(かなで)に羨まれたものの、(いと)も最後に温かな食卓を囲んだのはうんと前だ。

 そのため、そういった食事の場は少し……憧れてしまう。


「たまには一緒に食べたって良くないか」

「良くないのです」

「主命令でもか」


 (いと)が不服そうに唇を尖らせるのを見て、香田は小さく息を吐いた。


「承知いたしました。後で(とおる)様にバレたら庇ってください」

「香田……じゃあ」

「今日だけですよ。私も、まだクビにはなりたくないので」


 香田はそう苦笑いすると、キッチンから自分の食事をとってきて、(いと)の向かい側に座る。

 彼女が向かい側に座ってくれたのを見て、(いと)は顔を綻ばせた。

 そんな彼の嬉しそうな顔が可愛くて、香田も微笑む。


「では、いただきましょう」

「ああ。いただきます」


 二人は手を合わせて、食事に手を付けた。

 (いと)は鮭のムニエルを一口食べ、口を開く。


「香田って、俺の面倒見てくれる前から日和(ひより)家にいたのか?」

「おや、面白い質問ですね」

「面白いか……?」

「執事の経歴を気にする主は経験上はじめてです」


 香田は微笑んでスープを飲む。


「せっかくなので、お答えしましょうか。私は、坊ちゃんがこの家に来るのとほぼ同時に日和(ひより)家に来たのです。以前は、日和(ひより)家と物凄く仲の悪い家で使用人をしていましたよ」

「え……仲が悪い家からうちに来たのか? よく大丈夫だったな」


 (いと)が少し引き気味な顔を香田に向ける。香田はそれにクスリと笑って続けた。


「きっかけは……坊ちゃん、あなたですよ」




 香田――香田(けい)の旧姓は凪鳥(なぎどり)だ。彼女は(いと)の実父、凪鳥幸一(なぎどりこういち)の妹だった。

 凪鳥(なぎどり)家は古くから文月(ふづき)家と呼ばれる家の使用人の家系で、(けい)も例外なくそこで働いていた。

 しかし幸一(こういち)の方は自由奔放な性格で、使用人の仕事をすることもなく、バイトで稼いだ金で海外旅行をしては現地で自分の曲をギターと歌で奏でるといった生活を繰り返していたようだった。

 そんな兄との兄妹関係は、常にぎくしゃくしていた。なぜなら、(けい)は彼のせいで肩身の狭い生活をしていたからだ。

 更に言うと、彼の分の仕事も(けい)は肩代わりしていたのに、彼から礼を言われることなど一度も無かった。

 そんな兄のことが、(けい)はあまり好きではなかった。

 しかし、日和透(ひよりとおる)は違ったのだ。彼と幸一(こういち)は小学生時代からの幼なじみで、物凄く仲が良かった。彼の歌声を(とおる)は高く評価し、彼の歌を世界に届けるべくアーティストプロデュースの会社を起業してしまったほどだった。

 文月(ふづき)家と日和(ひより)家は仲が悪い。そのこともあり、幸一(こういち)文月(ふづき)家とも凪鳥(なぎどり)家とも縁を切った。それが、(けい)の二十五歳の時だ。

 縁を切られてしまった以上、幸一(こういち)の情報を手にすることはできない。

 しかし、幸一(こういち)が歌手としてデビューし、にわかに話題に上り始めるようになったからは、彼の生活が耳に入って来た。

 結婚して子どもが生まれたことも、風の噂で聞いた。それが、(けい)が二十七歳の時だ。

 彼が幸せに生活をし、自分の好きなことで評価されるたびに、(けい)は彼が嫌いになっていった。


 そんな生活が続く中、(けい)も結婚し、「香田」という苗字になった。

 しかし子どもはできること無く、ただ冷めた結婚生活を送っていた。

 そういう生活をしていく中、やはり幸一(こういち)への憎しみは増していったのだった。


 そして、五年後。圭が夫と離婚した一週間後のことだ。

 幸一(こういち)が交通事故に遭った。車で、文月(ふづき)家に向かっている時のことだったらしい。

 夫婦が亡くなり、子どもだけ助かった。

 この時の(けい)は、ただ衝撃で……悲しいとか、辛いとか、そんなことすら考えられなかった。かといって、ざまあみろとも思えなかった。


 それから数日後……彼が亡くなってしばらくして、(けい)が買い物をしに外を歩いていた時。日和透(ひよりとおる)が、彼女に話しかけてきたのだ。


香田圭(こうだけい)さん、ですね?」

「え……は、はい。あなたは?」

「僕は日和透(ひよりとおる)文月(ふづき)家の方ならご存じかもしれませんが……あなたのお兄さんの友人です」

「あ……!」


 (とおる)の言葉を聞き、(けい)は身構えた。

 自分の主が目の敵にしている人物で、かつ自分が憎んでやまなかった兄の、親友だったからだ。

 (けい)が警戒する様子を見て、(とおる)は慌てて両手を振って彼女を宥めた。


「ああ、大丈夫です。僕にあなたをどうこうするつもりは無いし、文月(ふづき)家の弱みを握ろうとか、そういうつもりも無い。ただ、あなたに幸一(こういち)君の話をしたかっただけです」

「兄の話を……?」

「はい。少しで良い。お時間をいただけませんか」


 (とおる)は穏やかに微笑んでおり、敵意も悪意も感じなかった。

 しかし、今は主に申しつけられた買い物の途中だ。こっそりお茶なんてしたら(けい)も無事では済まない。

 (けい)は少し逡巡した後、週末に彼の話を聞くことに決めた。

 そして、その当日。木崎駅近くのカフェで、(けい)は彼と再び会った。

 その日は雨で、窓際の席には繊細な雨音が鳴り響いていた。


「あの、兄の話、とは」


 (けい)が緊張した面持ちで尋ねると、(とおる)は柔らかく微笑んで自身のスマートフォンに新品の黒いイヤホンを繋ぎ始めた。


幸一(こういち)君が事故に遭った日、彼は縁を切ったはずの文月(ふづき)家に向かっていたんですよ。文月(ふづき)家の前の道で事故に遭ったと聞いた時、あなたも不思議に思いませんでしたか」

「……少し、気になった程度です。たまたまだと思っていました」

「ふふ。じゃあ、幸一(こういち)君は本当に何も言わずに君に会うつもりだったのか」

「え……?」


 ――兄さんは私に会いに来た?


 (とおる)の言っていることが理解できず、(けい)は戸惑いの表情を浮かべた。

 そんな彼女に微笑んで、(とおる)は彼女にイヤホンを差し出す。


「もしもの時、君に言いたいことを伝えられなかったら困るからって、幸一(こういち)君が僕にデータを持たせてくれたんだ。本当に使うことになるとは思わなかったけど……あの日、彼が言いたかったことを聞いてあげてくれないかな」


 (とおる)の表情は穏やかなままだ。しかし、瞳に強い意志を感じる。

 ――どうか聞いてくれ。そう言っているように感じた。


「……分かりました」


 (けい)は恐る恐るイヤホンを耳に着ける。

 それを確認した(とおる)は、スマートフォンで音声ファイルを再生した。


『――(けい)。聞こえてるかな』


 お調子者だった兄の、優しい声が聞こえてくる。

 その声を聞くことすら数年ぶりで、(けい)は思わず息をのんだ。


『久しぶり。えっと、幸一(こういち)だよ。思い出すのも嫌かもしんないけど、君の兄の幸一(こういち)です。きっと、俺の声聞くのも嫌だよな。分かってる。でも、とりあえず最後まで聞いて欲しい』


 幸一(こういち)は言葉を選ぶように、少し間を置く。


『……まず、家のことほったらかしにしてごめん。歌手になるって夢を追いかけるために、俺……(けい)にすごく迷惑掛けたよな。ダメな兄貴でごめん。謝ってどうにかなることじゃないけど、生きてるうちに、ちゃんと伝えたかったんだ。(けい)、ありがとう』


 (けい)の胸に熱いものがせり上がって来る。

 彼の言葉で嗚咽を洩らすなんてしたくなかったのに、痛い空気の塊が喉の奥まで出かかった。


『あのさ、俺、ちゃんと歌手になれたんだ。小さい頃から抱えてた音楽で人を幸せにしたいって夢、ちゃんと叶えられた。これから、もっといろんな人を幸せにしたいと思ってる。今度、ライブでアメリカに行くんだけどさ、それも勿論頑張るけど……まずは(けい)を笑顔にしたい。だから、(けい)のために作った曲、今歌わせて欲しい』


 その言葉の後に、ギターの音が鳴った。

 ゆっくりと、穏やかな弦を奏でる音が聞こえてくる。

 その音色は、優しくて、暖かかった。

 傷ついた(けい)の心を癒すような旋律が耳に心地よく広がっていった。

 そして、兄の歌声も。

 感謝と、愛情を紡いだ二分三十六秒の歌が、スマートフォンから静かに紡がれた。


 ――離れ離れの大切な人。どうか幸せで、笑っていて。懐かしい声を思い出して、どうか幸せでいて。


 最後の歌詞が優しく紡がれた後、ギターの演奏が終わり、静寂が訪れる。

 (けい)の瞳から、涙がポロポロと零れ落ちていった。


「兄さん……ごめんね。恨んで、憎んで……兄さんの気持ちに気付けなくて、ごめんね……」


 (けい)は涙を流れるままにした。

 外の雨が止む。

 彼女の涙が、窓から入って来る日の光に照らされて、美しく輝く。


『……喜んでくれてるといいな。もし何かあった時は、今の曲を思い出してよ。俺、(けい)のことずっと見守ってるから』

「……うん」

『……あのさ、あと一つだけ。(けい)にお願いしたいことがあるんだ。俺の息子の……(いと)のこと。もし、俺とエレンに何かあったら、(とおる)(いと)のこと頼んでる。でも、血の繋がった家族の(けい)にも、(いと)の傍にいて欲しいんだ。(いと)に、自分は一人じゃないってことを教えてあげて欲しい。頼む』


 (けい)は目を見開いた。

 自分は文月(ふづき)家の人間だ。しかし、(いと)の傍にいるためには、日和(ひより)家の人間になる必要がある。

 音声が終わった。(けい)はゆっくりとイヤホンを外し、驚いた表情のまま(とおる)を見つめる。


「……あなたは、この音声の中身を知ってたんですか」

「はい。全て承知の上で、あなたに聞いていただきました」

「兄の息子の話も?」

「勿論です。……僕も、幸一(こういち)君と同じ気持ちです」


 (とおる)はそう言うと、静かに頭を下げた。


「お願いします。どうか、(いと)君の傍にいてあげてください。文月(ふづき)家のことは、僕が何とかします。だから、どうか……」


 日和(ひより)家の人間が、仲の悪い文月(ふづき)家の使用人に頭を下げてまで頼み込んでいる。

 そして、兄の遺言。


 ――(いと)に、自分は一人じゃないってことを教えてあげて欲しい。


 もしかしたら、(いと)という少年は、一人で寂しい思いをしているのかもしれない。

 家族と離れ離れになって、親戚でもない日和(ひより)家に引き取られることになって、苦しんでいるかもしれない。

 そんな彼を放っておいていいのか?

 そんなはず無い。何より、唯一の血の繋がった家族を、放っておくなんてできない。

 (けい)は覚悟を決めて頷く。


「分かりました。私が、(いと)君の傍にいます」


 (けい)の答えを聞いて、(とおる)は心の底から嬉しそうに笑ったのだった。




「……と、そういうことがあって、私は日和(ひより)家に来たのです」


 香田はスープを一口飲み、(いと)を見て微笑む。


「なんで泣いてるんですか、坊ちゃん」


 香田の言う通り、彼女の向かい側の席で、(いと)は服の袖で溢れる涙を拭っていた。


「……お前こそ、なんで何も言ってくれなかったんだよ」

「執事は私情を持ち込まないものですから」

「じゃあなんで、今、全部言ったんだよ」


 潤んだ声で尋ねる(いと)を見て、香田は穏やかな笑顔のまま続けた。


「あなたがアメリカに行く前に、伝えておきたかったのです。あなたは一人ではないということを。……あなたが渡り鳥のように世界を飛び回るピアニストになっても、帰る場所は必ずあるのです。その一つが、私の隣です」

「香田……」

「勿論、あなたの大切な人はみんな同じことを考えていると思います。……大切な人がみんな、あなたの帰りを待ち続けている。だから、あなたも……何を迷うことなく、自分の信じた道を進んでください。それが、執事として、叔母としての願いです」


 その言葉を聞いて、(いと)は涙が溢れて止まらなかった。

 先日、連絡も寄越さず帰りが遅くなってしまった時に、どうして彼女があんなに怒ったのか。

 そして、「家族」という言葉に、どうしてあんなに嬉しそうだったのか。

 今まで彼女が、どんな気持ちで自分を見守ってくれていたのかを知り……(いと)の胸が、温かいものでいっぱいになっていく。

 心が満たされて、溢れたものが涙となって零れ落ちていた。

 泣きじゃくる彼を見て、香田は微笑む。

 穏やかに笑ってくれている香田に向かって、(いと)は必死に頷きながら自分の「本当の気持ち」を告げた。


「俺……大切な人に、世界一綺麗な音色を届けたいんだ」

「はい。承知しております」

「ああ。俺……俺、この気持ちを伝えなきゃいけない人がいる」

「そうですね」


 香田は微笑みながら頷く。

 (いと)もまた、涙を止めて真剣な顔で口を開いた。


(りん)に伝えたいんだ。俺の気持ち、全部」

「ええ。それが良いと思います。私に何か手伝えることはありますか?」

「ああ。一個だけ頼まれてくれないか――」


 (いと)の言葉を聞き、香田はいつも通りの落ち着いた笑顔で頷いたのだった。

 

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