38 原点
打ち上げの週、鈴と弦はぎこちないままだった。
しかし、二人の様子とは裏腹に、「弦が将来海外に行くこと」は噂としてどんどんと広がっていく。察するに、先日の打ち上げの会話が自然と他の生徒にも広まったのだろう。
そして、その噂はD組の美琴の耳にも入って来た。
「りんりーん!」
帰りのホームルームを終えた後、美琴が鈴のクラスに飛び込んできたのだ。
美琴は鈴の席に走って来ると、彼女に緊迫した表情で尋ねる。
「日和君、海外に行っちゃうの!?」
「うん。そうみたいだよ」
今、隣に弦はいない。彼なら少し前に帰ったばかりだ。そのため、本心を話しても何も問題は無い。
しかし、鈴は笑顔で取り繕いつつ頷いた。そうでもしないと、泣き出してしまいそうだったからだ。
しかし、美琴にはそんな嘘お見通しだ。
「りんりん……このままでいいの?」
美琴は小さな声で尋ねる。
本当は、精いっぱい大きな声で尋ねたかった。しかし、ここは教室。あまり大きな声を出したら鈴と弦の関係が周囲に知られてしまう。
「りんりん、日和君にちゃんと自分の気持ち伝えたの? りんりんは日和君が海外行くことに納得してるの?」
美琴は繰り返し尋ねる。
しかし、鈴は首を押さえて俯くだけで何も答えない。
その態度が「本当は納得していないこと」を如実に表しているようだった。
大切な従姉妹が、何も話せないまま大好きな人と離れ離れになってしまう——そんなの、美琴は嫌だった。
「私、相談ならいくらでも乗るよ! りんりんが自分の気持ちが上手く言えないなら、ちゃんと言えるようになるまで練習も付き合う——」
「ごめん、美琴」
鈴は目を伏せたまま、冷たい声で告げる。
「今は、一人にして」
「あ……」
美琴の心臓がドキリと跳ねる。
こんな風に鈴から拒絶されるのは初めてだった。そのため、驚きと悲しみが同時に襲ってきて上手く息ができなかった。
「っ……ご、ごめんね」
美琴は小さく謝ると、パタパタと教室を出て行ってしまった。
急ぎ足で教室を出ていく美琴を、職員室での用事を終えて丁度教室に入ろうとした奏が見かける。
「ん……?」
奏は不思議に思いながらも教室に入った。
自分の席に着き、斜め前の鈴に「お疲れ」と声を掛ける。
「あ、お疲れ様……」
鈴は奏の方を見て必死ににこりと笑う。
そのぎこちない笑顔を見て、奏は何となく事態を察した。
奏は鈴を威圧しないように気を付けながら、微笑んで話し出す。
「さっき美琴ちゃんとすれ違ったよ。涼風美琴ちゃん。君の親戚でしょ?」
「……うん」
「悲しそうな顔してたけど、大丈夫かな?」
「……」
鈴は何も答えない。それを見て、奏は優しい声で続ける。
「鈴ちゃんさ、辛いときは誰かに頼っていいんじゃない? 僕じゃなくてもいいからさ」
「……そうだね」
「うん。それが分かってるならいいや」
奏はにこやかに笑って、帰り支度を済ませる。
鈴は前の方に向き直り、小さく俯く。
胸が苦しくて辛い夕方の時間が、ゆっくりと過ぎていった。
* * *
その日の放課後はスイートレッドのステージだった。
今日は木崎市公民館でのステージで、客が大勢来てくれた。彼らの期待に応えるべく、美琴も精いっぱいの笑顔で歌って踊った。
しかし、心の中は鈴のことでいっぱいで、いつもよりもステージに集中できなかった。笑顔も歌声もダンスする身体も、自分の物ではないように感じてしまう。心が、鈴のいるところに行きたくて仕方ない状態だった。
そのどこか上の空な美琴の様子に、客の中でペンライトを振っていた響もすぐ気づいた。
(今日、ちょっと元気ないな……。どうしたんだろ)
響は心配そうな顔でステージの美琴を見つめる。
いつも身近に感じる彼女の笑顔が、どういう訳か遠く感じた。
ステージが終わった後、美琴と瑠美はステージ袖で逢坂に呼び止められた。
「ミコちゃん、ルミちゃん、ちょっといいかしら?」
「あ……はい」
もしかして、今日のステージに集中できていなかったことを叱られるのだろうか……美琴はそう思い、眉を下げながら逢坂の顔を見る。
「何ですかー?」
隣の瑠美はいつも通り飄々としている。彼女の方はステージに納得できているのだろう。
二人の対照的な様子を見て、逢坂は真剣な顔で口を開いた。
「大事な話があるの。落ち着いて聞いてね。実は……二人のことを、スターリンクの社長がうちに来ないかって誘ってるわ」
「は……?」
「え、それスカウトってことですか?」
美琴が口を開けたまま固まる横で、瑠美が目を丸くして尋ねた。
「そういうことね。スターリンクに誘われるって、すごいことよ。二人の努力が認められた証だって、アタシは思うわ」
逢坂は優しく目を細める。
しかし、美琴と瑠美は顔を見合わせて不安げな顔になった。
「あの、事務所移籍したらスイートレッドはどうなるんですか? 解散?」
瑠美が尋ねる。それに逢坂は寂しそうに頷いた。
「そういうことになるわね」
「そんな……」
「あ、でも、スターリンクに入ったら活動の幅は広がるわ。うちにいるよりも沢山の人と関われるし、大勢の人を笑顔にできる。もちろん大変なことも増えるけど……アタシは二人なら大丈夫だと思う。ただ、決めるのは二人だから……よく考えて、来週のステージに答えを聞かせて」
「分かりました」
瑠美は頷く。美琴も不安を押し殺して頷いた。
二人の空気が緊張してしまったことに気付いた逢坂は、パチンと手を鳴らしてニッコリ笑った。
「じゃ、そういうことで。今日のステージも素敵だったわ。でも、もう少し心からの笑顔があると百点満点ね。それじゃあ、気を付けて帰ってね」
「お疲れ様でしたー。ミコ、帰ろっか」
「う、うん。お疲れ様でした!」
美琴は丁寧に頭を下げて、瑠美と共に着替えをしに更衣室へ向かった。
その後、着替えを済ませて二人は公民館を出た。
早く帰ろうとする美琴のことを、瑠美が「ちょっと待とうよ」と止めてベンチに座る。
「待つって、誰を?」
「ミコの彼氏。今日も来てたよ。気づかなかった?」
「うん……そっか。今日ちょっと他のことで頭がいっぱいで」
美琴は瑠美の隣に座る。
美琴の浮かない顔を見て、瑠美は「どうりで」と笑った。
「ミコ、今日二番の歌詞間違ってたもんねー」
「え!? うそうそ! 私間違ってた!?」
「嘘だよ。冗談」
「もー! ルミ!」
頬を膨らませる美琴を見て、瑠美はケラケラ笑った。
「ごめんって。でも、間違ってたか分からないぐらい追い詰められてたのは事実じゃん? 何があったかは聞かないけど、気晴らしなら付き合ったげるから元気だしな」
「……うん。ありがとう」
美琴が辛そうに微笑む。
それを見て、瑠美は大きく伸びをした。
「あーあ。でも、事務所変わったらミコとステージ出来なくなるのかなー」
「あ……それは、スターリンクの人次第かな」
「そうだねー。……ま、私はぶっちゃけスカウト断りたいんだけどね」
瑠美があっけらかんと言うのを見て、美琴は目を丸くした。
「そうなの?」
「だってさ、私がご当地アイドルやってるの、地元の人の笑顔が見たいからだし。お世話になってる地域のおじちゃんおばちゃんがニコニコしてんの見るのが生きがいっていうか……逢坂さんは活動の幅が広がるって言ってたけど、スイートレッド解散したら地域興しのイベントには出づらくなるじゃん? 私的には幅狭まってるんだよね」
「そっか……たしかに」
「ミコはどう思ってるの? やっぱ、スターリンクは魅力的?」
美琴は夏の夕焼け空を見ながら考える。
「逢坂さんの言う通り、スターリンクに行ったら大勢の人を笑顔にできるかもしれない。それはすごく魅力的だよ。だけど……私がアイドルする理由って、そういうんじゃないんだ」
「どういうの? そういやミコがアイドル始めた理由、初めて聞くかも」
興味津々な顔を向ける瑠美に微笑んで、美琴は口を開いた。
「私ね、中学校の時に、大好きな従姉妹を元気づけたくて色んな方法を探してたんだ。美味しいもの食べたら元気になるかなーって思って、お菓子作ってみたりとか。可愛いものをあげたら喜ぶかなーって思って、裁縫でマスコット作ったりとか。でもね、どれもあんまり上手くいかなくて……従姉妹が一番元気になってくれたのがね、カラオケで私の歌を聴いた時だったの」
小学生の頃。美琴は今よりもずっと人見知りで、友達を作るのが苦手な子どもだった。
そんな美琴のことを、従姉妹で同級生の鈴が、いつも気に掛けてくれていたのだ。
美琴が教室で一人きりでいる時は、鈴が必ず傍に来てくれたし、自分の友達の仲間にも入れてくれた。
そうやって自分のことを気に掛けてくれる従姉妹のことが……美人で何でもできるだけじゃない、誰よりも優しい従姉妹のことが、美琴は大好きだった。
時は流れて……中学二年生の時、美琴は自宅で鈴と一緒に夏休みの課題をしていた。
その時、美琴が使っていたスズメのキャラクターのシャーペンを鈴がじっと見つめていたのだ。
「りんりん、シャーペンがどうかしたの?」
美琴が不思議に思って尋ねると、鈴は顔を真っ赤にして目を逸らした。
その様子が余計に不思議で、美琴は首を傾げながら鈴の気持ちを考える。
「……あ、もしかして、りんりんも、チュチュメさん好き?」
美琴は鈴もこのスズメのキャラクター——チュチュメさんが好きだと思って尋ねてみた。
すると、返って来たのは意外な答えだった。
「チュチュメさんも、好き……だけど、一番好きなのはまるぺんさん、かな。可愛いキャラクターとか、服とか、アクセサリーとか、そういうの好きなんだ。私……」
鈴はこれ全部を早口で答えた。
鈴の顔は真っ赤で、普段学校で「王子様」と呼ばれている彼女の面影はない。だから、美琴も驚きを隠せなかった。
美琴が目をパチパチさせていると、鈴が眉を下げながら悲しそうに笑う。
「変、だよね……私、王子様なのに」
「へ、変じゃない! 変じゃないよ!」
美琴は鈴が悲しそうな顔をするのが耐えられず、机を叩きながら立ち上がって言った。
「りんりんが可愛いもの好きなの、すごく良いと思う!」
この時は、何が良いのか美琴自身もよく理解できていなかった。
ただ、大好きな鈴に笑って欲しくて、必死だったのだ。
「私、りんりんが可愛いもの好きでも全然平気! 王子様なんて周りが言ってるだけだし、りんりんは自分の好きなものを好きでいていいんだよ!」
美琴は明るい笑顔を鈴に向けた。
その屈託のない笑顔を見て、鈴は照れくさそうに笑った。
「ありがとう、美琴」
その日から、鈴は美琴に少しずつ自分の悩みを打ち明けてくれるようになった。
周囲の期待に背きたくないから、可愛いもの好きなことは隠している。でもそれが辛いこと。
周囲の期待に応えるのが苦しいこと。
本当の自分が分からないこと。
美琴はそれを受け止めながら、どうしたら鈴が笑顔になるかをずっと考え、様々な行動をしてきた。
まず、美味しいものを食べたら元気になると思い、頑張ってクッキーを焼いてプレゼントしたことがあった。しかし、そのクッキーは砂糖と塩が間違って入れられており、大変な味だったのだ。鈴が泣きそうになりながら食べているのを見て美琴も一個食べてみたのだが、塩辛くて涙が止まらなかった。
次に、可愛いもの好きな鈴を喜ばせようと思い、まるぺんのマスコットを自作してプレゼントしようとしたのだが、縫い方が甘かったのか中身の綿がはみ出して完成できなかった。
一応鈴にも見せてみたのだが、彼女は「ありがとう」と言いつつも困惑した様子だった。もちろんそのマスコットは渡さなかった。
その次に、鈴をカラオケに誘ったのだ。鈴はあまり目立つことをする方ではないため、カラオケに不慣れな様子だったが、その分美琴が沢山歌った。
美琴がフローラ・フローラのデビュー曲を歌い終えた後、オレンジジュースを飲んで喉を休めていた時、鈴が嬉しそうな声で美琴に声を掛けた。
「美琴、ありがとう。歌、すごく上手だった」
「あ、ほんと!? りんりん、元気になった?」
美琴に尋ねられ、鈴は優しく微笑む。
「うん。美琴の歌声って、人を元気にする声なのかも。なんていうか……アイドル、みたいな」
この鈴の言葉が、美琴に「アイドル」という職業を意識させるきっかけになった。
——私がアイドルになったら、りんりん、もっと元気になるかな?
そんな思いを抱えていた頃、テレビでフローラ・フローラの新メンバーの奏が笑顔でこんなことを言っていた。
「夢を追いかける子って素敵だよね。目標に向かって努力して、頑張ってる子、僕は見ていて元気が出てくるな」
その言葉に背中を押されて、美琴はダンスと歌を思い切り頑張った。
勉強の合間を縫って、残りの時間は全てアイドルの特訓にあてたのだ。
その結果、見事スイートレッドのオーディションに合格して、今がある。
美琴のアイドルとしての原点は、鈴を元気づけたいという思いだったのだ。
「……という訳なんだ」
「へー。なんか、「大切な人を元気づけたかったから」っていうのが最高にミコだ。超応援したくなった」
瑠美が微笑む。
美琴もそれに笑顔を返した。
「えへへ……ありがと」
「うん。あ、彼氏来たんじゃない?」
瑠美が玄関の方を見る。すると、丁度響が出てきたところだった。
「じゃ、私は帰るね。ミコのこと、応援してるから。悩みの方は彼氏に聞いてもらって」
「ふふ、うん。じゃあ、また来週ね」
「うん。おつかれー」
瑠美が手をヒラヒラさせながら去っていく。
美琴はそれを微笑みながら見送って、玄関にいた響の元へと歩いて行ったのだった。




