37 嚙み合わない気持ち
文化祭が終了した二日後。振替休日を使って、鈴のクラスは打ち上げをしていた。
会場は鈴が提案した「海老丸」という中華料理屋で、クラス全員三十人が座った長テーブル二つの上には餃子やエビシュウマイなど、様々な料理が並んでいる。
「みんな、文化祭お疲れ様ー! 今日は美味しいもの食べて、沢山盛り上がりましょう! かんぱーい!」
「かんぱーい」
委員長の音頭に合わせて、それぞれが近くの席の人と飲み物のグラスを鳴らす。
鈴も隣に座った桜庭と乾杯した。
「鈴様、お疲れ様でした!」
「うん。桜庭さんもお疲れ様」
「はい! それにしても……今日の鈴様の服装、可愛すぎませんか!?」
桜庭に目を輝かされて、鈴は頬を赤らめる。
彼女の言っていた通り、今日の鈴の服装は今までのカジュアルな格好ではなく、白と青の小花柄のロングワンピースだ。
正直、普段通り半そでパーカーとジーンズで行こうかギリギリまで迷った。しかし、せっかく文化祭でなりたい自分になれたのだ。それを無駄にしたくなくて、勇気を出してワンピースを着て来たという訳だ。
周囲に受け入れてもらえるか、少しばかり不安は残っていたが……桜庭が褒めてくれたことで、鈴は心の底から安心できた。
桜庭のみならず、周囲の女子もキラキラした目で鈴を見ている。
「涼風さんって、そういうのも似合うんだね!」
「ほんと! すごく素敵……!」
「文化祭でもお姫様似合ってたもんね」
周囲から褒め倒され、鈴は気恥ずかしくなって頬を掻いた。
「あ、ありがとう……」
「ふふ、照れる鈴様も可愛いです」
桜庭に微笑まれ、鈴は笑顔で誤魔化すことしかできなかった。
そんな彼女を、別のテーブルから弦が見つめる。
鈴が自分らしく笑えるようになったのは嬉しいことのはずなのに、魅力的に変わってしまった彼女が眩しくて、相対的に自分が醜く見える。
(鈴は変わった。だから、俺も……あいつに相応しいように、もっと魅力的になりたい。この気持ちは本心だ。でも——)
弦の脳裏に一昨日の鈴の泣き顔が浮かぶ。
直接言葉には出ていなかったが、あの時、鈴は間違いなく「行かないで」と言いたかったはずだ。
——ピアノだけがいと君の全部じゃないよ? 私、いと君のピアノは好きだけど……他にもいと君には素敵なところが沢山あるでしょ? それだけじゃダメなの?
あの日の鈴の言葉を頭の中で繰り返す。
(鈴は、俺の良い所を見つけてくれてるんだと思う。だけど、俺にはそれが分かんねー。てことは、結局そんなの他人と比べて大した長所でもないってことだ)
弦は机の下で拳を握りしめる。
(やっぱり、俺が鈴の隣に立つためには、ピアノしかないんだ。俺自身が納得できる程、価値のあるピアニストになるしか——)
「弦」
隣から奏の声が聞こえて来て、弦は我に返った。
「な、なんだよ」
「エビシュウマイと餃子トレードしてくれない?」
「はあ?」
奏ににこやかに尋ねられ、弦の力が抜ける。
「何でだよ」
「アレルギーなんだよ。エビは食べられないんだ」
「あ、ああ……まあそういうことなら」
弦は自分の取り分の餃子の乗った皿を奏に差し出す。
奏はそれを受け取って、自分のエビシュウマイの皿を弦に差し出した。
「どうも」
「おう」
二人のやり取りを聞いていた近くの男子が、興味津々といった顔で尋ねてくる。
「日和と周防って、幼なじみなんだっけ?」
「まあ、そうだね」
「家が近所だったとか?」
「家はそんなに近くないよ。ピアノのコンクールで毎回顔合わせてたってだけ」
「あー! ピアノか。そういや、日和ってピアノ上手かったもんな」
男子が明るい顔で弦を見る。
周囲の他の女子も、「そうだよね!」と同意してきた。
「日和君、たまに部活の時間にピアノ弾いてるよね? めっちゃ上手くて毎回感動してる」
「あー、俺もそれ思った。グラウンド走ってると聞こえてくんだよな。この前聞き惚れてたら監督に「集中しろ!」って怒られたわ」
男子の話に、周囲が笑いに包まれる。
一方の弦は複雑だった。自分のピアノを肯定してくれる人がいることが嬉しい反面、自分は自分のピアノに納得できていないからだ。
「まだまだだよ、俺のピアノなんて」
弦は溜息交じりにそう口にした。
「もっと……上手くなりたいよ。俺も含めて、誰が聞いても納得できるピアノが弾けるようになりたい」
弦の言葉を聞き、周囲は顔を見合わせる。
「すごい向上心だな……将来はやっぱピアニストか?」
「海外でピアノの勉強するとか?」
周囲の生徒に尋ねられ、弦は息苦しくなりながらも頷く。
「……そうだな」
絞り出すような声でしか答えられなかったのは、脳裏に鈴の泣き顔が浮かんだからだ。
本当にアメリカに行っていいのか、分からない。
でも、このままの自分でいることもいいとは思えない。
寧ろ、魅力的に変わりたいという本心に従うのなら、アメリカに行くべきなのだろう。
だが、それだと鈴は……。
魅力的になりたい。自分に自信を持ちたい。そのために、アメリカに行くことは間違っていないと思うし、そうするべきだというのが弦の本心だ。
でも、鈴を悲しませたくないというのも本心なのだ。
自分が両親と離れ離れになって苦しんだように、彼女にも同じ苦しみを強いるのか? それは本当に正しいのか――。
そんな葛藤で、自信を持って答えを出すことができなかったのだ。
しかし、その葛藤に周囲が気づくはずもない。どの生徒も「すごいじゃん」「頑張れよ」と笑うばかりだ。
そして、その会話は鈴にも聞こえてきていた。
(やっぱり……本気なんだな)
それを知ってしまったから、やはり自分の気持ちを伝えようだなんて思えなかった。
(いと君がここまで本気なのに、邪魔していいわけないよ)
鈴の胸が痛くなって、表情が曇る。
「鈴様?」
隣から桜庭に声を掛けられた。
「どうかしましたか?」
「あ……ううん! 何でもないよ」
「そうですか? ならいいんですが……あ、そうだ! ここの中華料理屋、デザートが期間限定でまるぺんとコラボしてるみたいですよ!」
「ほんとに!?」
鈴の表情がぱっと明るくなる。
「どんなデザートなんだろう……写真撮ってもいいかな?」
「ふふ、楽しみですね」
和やかに打ち上げの時間が過ぎていく。
しかし、その水面下で、弦の気持ちと鈴の気持ちは噛み合わないままだった。
* * *
打ち上げが終わり、二次会に行きたい面々だけカラオケに行くことになって、他の人は解散ということになった。
それぞれが帰路につく中、鈴と弦はその場に残っていた。
鈴は兄が迎えに来てくれるのを待っていて、弦は暗い中彼女を一人残すことが不安で残っていたのだ。
鈴が兄に迎えを頼むメッセージを打ち終わって顔を上げると、隣に弦がいて目を丸くした。
「あ……いと君。帰らないの?」
鈴が尋ねると、弦は小さく「別に」と答える。
「そんな可愛い格好したお前を一人で残しとくなんてできねーから、待ってただけだ」
「そっか……ありがとう」
鈴は感謝を伝えたが、表情はどこかぎこちない。
あの文化祭以降、二人の間に流れる空気は気まずいままだ。
無理もない。だって、お互いの本心を知らないまま、仲違いしたようなものなのだから。
このままの状態でいるだなんて、弦は嫌だった。
まだ答えは出せていない。自分の気持ちを言うことで、かえって鈴を困らせてしまうかもしれない。
でも、何も言わずに彼女を不安にさせるくらいなら、全部正直に言うべきだ。
「……鈴。あのさ、この前のこと……」
弦が切り出す。
「急にあんなこと言ってごめん。俺——」
自分の気持ちを伝えなければ。
アメリカに行くべきだと思っていることも。
でも、鈴を悲しませたくはないということも。
どちらも自分の本心で、結局俺はお前が大事なんだということも――。
「分かってるよ。応援してるから!」
しかし、弦が何か言いかけたのを遮って、鈴は明るい笑顔を作った。
「いと君にとって、ピアノは大事なものだもんね。私、分かってるから。だから応援してるよ」
鈴は必死に笑った。
本当は胸の奥が痛かった。目の奥が熱くて、今すぐここで泣き出してしまいたかった。
しかし、ここで泣いてしまったら、弦の本気の夢を邪魔してしまう。そう思い、必死に堪えた。
そんな彼女の作り笑いを見て、弦は何も言えず俯く。
そうしている間に、律の車が駐車場に停まった。
「あ、お兄ちゃん来たから、私帰るね。じゃあ、また明日」
「おい、鈴……!」
鈴は弦の返事も待たずに律の車へ走っていった。
律の車に乗り込んだ、鈴は、両手で顔を覆い小さな声で泣き始める。
それを、運転席の律は何も言わずに聞いていた。
律の白い車が走り去っていくのを、弦は辛そうに見つめていた。




