34 同じ恋心
鈴が学校から逃げかえる頃、涼風家には歌香の姿があった。
リビングの椅子に座り、律と共にゲームのシナリオを書いたノートを広げる。そう、今日はシナリオの最終確認日だったのだ。
大学で確認することも考えたのだが、今日は休日であること、そして鈴の文化祭と被っているため律の帰りが遅くなると鈴に負担がかかるということで、涼風家へ歌香を呼ぶ形になったのだった。
「律君のシナリオ、卒業式のイベント以外は大丈夫そうですねえ」
歌香がシャーペンを顎に当てながら言う。
彼女の言葉を聞いた律は、苦笑いしながら頬をかいた。
「うう、やっぱりドラマチックさに欠けるかな?」
「告白の台詞がもう少しヒロインちゃんのことを考えたものだといいかもです。今のままだと、ここまでのシナリオが無意味になっちゃう気がするんですよねえ」
歌香は律が書いた卒業式の告白イベントの台詞に線を引いた。
——君と出会えて、俺は変われたんだ。君が俺を救ってくれたから、俺は絵を描くことを諦めずにここまでこれた。だから……これからもずっと、一緒にいて欲しい。
シナリオとしては、色覚異常を持つヒロインが、スランプに陥った美術部のヒーローを救い、支えていく……そんな物語だ。
このエンディングに至るまで、ヒロインとヒーローの間には様々なイベントがあった。しかし、この台詞だけだとそれは伝わらないような気もする。
「確かに。直さなきゃだ……」
「一緒に考えましょ」
「うん」
歌香に微笑まれ、律は頷く。
上手く直せるか不安もあったが、歌香さんがいるなら大丈夫——と、彼女の笑顔を見てそう思えた。
(なんか安心するんだよな。歌香さんが笑顔だと)
律は心の中で呟きながら、これまでのイベントを目で追いかけ始める。
その真剣な眼差しを見て、歌香は幸せそうに目を細めていた。
(ずっと見ていたいなあ)
心に秘めた恋心。それを伝えることはせず、歌香もイベントの確認を始める。
その時だった。
「……ただいま」
玄関が開く音と共に、鈴の小さな声が聞こえて来た。
「あ、ごめん。妹が帰って来た。……あれ、でも少し早いよな……?」
「何かあったんでしょうか」
「うん。様子見てくるから待ってて」
律は立ち上がり、玄関へと向かう。
そして、靴も脱がずに目を擦っている鈴の姿を見て、目を丸くした。
「鈴? 何かあったの? 大丈夫……」
「お兄ちゃん……」
鈴はふらふらと靴を脱ぐと、そのまま兄に抱き着いて泣きじゃくった。
「鈴……!?」
「わ、私……いと君のこと、応援できなかった……!」
「え……」
「親友だったら、応援できたのかな……こんなに苦しくなることも、なかったのかな……?」
すっかり冷静さを欠いてしまっている鈴を見て、律は静かに頭を撫でる。
「話聞いてあげるから、とりあえず落ち着こう」
「うん……」
「そうだ、冷蔵庫にグレープサイダーがあるよ。飲む?」
「……うん」
「決まり。ほら、家に上がろう」
鈴の手を引いて、律はリビングへと向かう。
二人の様子に気付いた歌香は、静かに「私、今日は帰りましょうか」と律に告げた。
「ごめん。また今度、シナリオの確認しよう」
「はい」
歌香が荷物をまとめて家を出ようとしたその時だった。
ピカッ!と雷が落ち……家の電気が消えた。
「え、停電……?」
律は部屋の明かりのスイッチを点け直すが、明るくなる気配はない。
歌香がスマホで情報を調べると、どうやら木崎市から黄花市にかけての一帯が落雷により停電しているようだった。
「ここら辺一帯、停電してるみたいですね。どうしよう、電車も止まってるかも……」
「そうだね……今外に出るのは危ないし、歌香さん、今日はうちに泊まって」
「え? と、泊まり……ですか?」
歌香の声が裏返った。
まさか、好きな人の家に泊まることになるだなんて思わなかったのだ。
もちろん、律に下心が無いことは分かっている。しかしそれでも、ドキドキするなと言われる方が無理だ。
「だ、大丈夫かしら。私、着替えも何も持ってませんけど……」
「母さんのためにとってある予備の着替え、確かタンスに入ってたと思うんだよな……歯ブラシも父さんと母さん用に予備があるから。シャワー……は、浴室暗くて危ないから待って欲しいけど、停電が直ったら鈴の石鹸貸して貰って」
律はそう言うと、スマホの明かりを頼りに棚に置かれた電池式のルームライトを探して、点灯させた。
リビングの中が、優しい明かりで満たされる。
「俺、歌香さんの着替え探してくるよ。鈴と歌香さんは少し待ってて」
律はそう言い残して、二階の両親の部屋へと向かった。
鈴と二人きりで残された歌香は、鈴に優しく「お話しながら待ってましょうか。座りましょう」と声を掛ける。鈴は素直にそれに従った。
「鈴さん、って言うんですよね。初めまして。私、四宮歌香って言います。律君の同級生です。今日はお邪魔しちゃってごめんなさい」
「い、いえ……兄がいつもお世話になってます」
鈴はぺこりと頭を下げる。歌香はそれに対して穏やかに微笑んだ。
「いえいえ。お世話になってるのは、私の方ですよ。律君はしっかりしてるから、いつも私のことを助けてくれるんです。本当にありがたくて……このまま卒業しちゃうの、ちょっと寂しいくらいです」
歌香がお茶目な声でそう言うのを見て、鈴は遠慮がちに尋ねる。
「兄のこと、好きなんですか……?」
「へっ!?」
「あ、いや……すみません。何となくそんな感じがしたので。すみません、変なこと聞きましたね」
「だ、大丈夫ですよ! ただ……初対面で言い当てられてびっくりしただけですから」
歌香は「へへへ」と笑いながら両頬に手を当てた。
「私の片思いなんですけど、なかなか告白できなくて。ずっと一緒にいられたらいいなーって思ってるんですけど」
「そんなに好きでいてくれてるんですか……なんというか、ありがとうございます」
「えへへ、照れちゃいますね」
素直に照れる歌香が可愛らしくて、鈴は少し羨ましかった。
——私も、こんな風に素直で可愛かったらいいのになあ……。 そう思って、鈴はほんの少し目を伏せる。
彼女の表情の変化に気付いて、歌香は口元に手を立てながら、そっと尋ねた。
「鈴さんにもいるんじゃないですか? そんな風に思える人」
「あ……」
鈴の頭に、先ほどの弦の真剣な顔が蘇った。
——俺は自分の価値を認めるために、アメリカにピアノの修行に行く。
弦のことは好きだ。彼が選ぶ道なら、どんな道だって応援すべきだと思う。
だが、自分の傍から弦がいなくなってしまうことが、鈴は堪らなく苦痛だった。
こんな独占欲に満ちた気持ちと、歌香の綺麗な恋心を比べてもいいのだろうか……そんな考えが思考を占め、鈴は首を横に振った。
「ずっと一緒にいたい人はいるけど、私、アメリカに行きたいっていうその人の夢を応援できなかったんです。私から離れて欲しくなくて、どんな時でも一緒にいて欲しくて……こんな自分勝手な気持ち、歌香さんの恋と同じだなんて思えないです」
「そうですかあ。ふむふむ、そうですかねえ?」
歌香は自分のこめかみに両手の人差し指を当てて、難しい顔をする。
彼女の考えていることがよく分からず、鈴は首を傾げた。
「私は、私の恋と鈴さんの恋は同じだと思いますよ?」
歌香はそう言うと、人差し指をこめかみに当てたままニッコリと笑った。
「どっちも一緒にいたい気持ちには変わらないですから。だから、そんな風に自分を卑下しなくたっていいんですよ」
「で、でも……」
「よーく考えてみてください。鈴さんは、お相手さんにずっと傍にいて欲しいだけなんですよ。夢を応援できなかったことは置いといて、何があっても一緒にいたいぐらいお相手さんを大切に考えてるんです。それは周りから否定されていい気持ちなのでしょうか」
歌香の言葉を聞き、鈴はハッと目を丸くした。
じわりと、胸に暖かいものが広がる。恋心が、身体に優しく広がっていく。
「そっか……私は、いと君と一緒にいたいだけだったんだ」
涙がポロポロと零れ落ちていった。
「いと君の応援ができない、心の狭い人間じゃなくて……ただ、いと君が好きなだけだったんだ」
涙を拭う鈴を見て、歌香は優しく微笑む。
「鈴さん。お相手と一緒にいたいと思う鈴さんも素敵ですよ」
「……ありがとうございます」
「ふふ! 女の子は、恋をして成長するものですからね!」
「あはは……そうかも、ですね」
鈴がふにゃりと笑う。
丁度そこへ、律が戻って来た。
「歌香さん。着替え、これ使って」
律は新品の下着とパジャマ一式を歌香に手渡す。
「わあ、ありがとうございます!」
「ううん。……あれ、鈴、少し元気になったかな?」
律が鈴の顔を見て目を丸くした。
まだ顔は涙で濡れているが、表情が先ほどより明るい。薄暗い中で妹の些細な表情の変化を見抜くのだから、律は本当に妹のことをよく見ているのだろう。
律が鈴のことを大切にしていることに気が付き、女子二人は顔を見合わせて微笑んだ。
「素敵なお兄さんですねえ」
「ふふ。そうなんです。ちょっと過保護だけど」
「え……二人、何の話してたの?」
不思議そうな顔をする律に向かって、二人は「内緒」と笑ったのだった。




