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リボンワンピース・プリンス  作者: 月島
第二章 君を知る文化祭
33/54

33 励ませない、進めない

 (かなで)が新聞部部室のドアを開けると、しらべが机の上で頭を抱えていた。

 思えば、先ほど(いと)のことを呼びに来た時の様子もおかしかった。やはり何かあったのだろう……と、(かなで)はそう思いつつ彼女の隣に座る。


「しらべちゃん、大丈夫?」

「……周防(すおう)君。何か用ですか」


 しらべは、(かなで)と顔を合わせないようにしながら彼に尋ねた。声は震えている。

 それに対して、(かなで)は静かに微笑みながら「僕の質問に答えるのが先」と告げた。


「質問を質問で返すのは良くないでしょ」

「……」

「しらべちゃん、大丈夫?」

「……私は、間違ってしまったのかもしれません」


 しらべは声を震わせながら、ぽつぽつと語り始めた。


日和(ひより)君のご両親に会って、彼のことを聞きました。彼の、出自のこと……」

「ああ、本当の両親が亡くなってるってことか。僕も聞いたよ。それがどうかしたの?」

日和(ひより)君が、今まで、どんな思いで生きて来たのか……私はそれを知らずに、無邪気に彼のことを追いかけていました。彼にとって、ピアノというものがどんなに重くて大切なものなのかも知らずに、私は彼のピアノを肯定しようとしていた。無責任にも程があります」


 しらべの言葉を聞き、(かなで)は首を傾げる。


「価値を肯定するのが無責任になるって、どういうこと? それ、別に悪いことじゃないよね?」

「そうですね。でも、私が……私みたいな、何の事情も知らない人間に、日和(ひより)君のピアノを肯定する資格なんてなかったの。日和(ひより)君のピアノに価値をつけることができるのは、日和(ひより)君だけ。だから……私は、日和(ひより)君の両親の言っていたことを肯定したの」


 しらべの瞳から、涙がぽろぽろと零れ落ちた。白い長テーブルの上に小さな水たまりができる。

 しらべの様子が深く傷ついているように見えて、(かなで)は思わず彼女の背中に手を当てた。


(いと)の両親は何て?」

「……(いと)君を、海外に連れて行きたいと。海外に、(いと)君の才能を認めてくれるピアニストがいるから、彼に師事させたいと言っていて……そうしたら、(いと)君も自分のピアノが好きになれるんじゃないかって」


 (かなで)は目を丸くした。


 ——(いと)が海外に行く? そうなったら、しらべちゃんや(りん)ちゃんはどうするんだ?


周防(すおう)君。私は間違ってしまったわ。沢山のことを……」


 しらべは溢れる涙を必死に拭いながら、苦しそうな声で続ける。


(いと)君の両親を肯定するべきじゃなかった……。そうしたら、涼風(すずかぜ)さんは絶体に苦しむって分かってたのに、私は……(いと)君が自分のピアノを好きになってくれるなら、それでもいいって思ってしまった。私は……こんなことをしてまで、(いと)君の理解者になろうとしてる……!」

「しらべちゃん」


 (かなで)は泣きじゃくるしらべのことを、自分の方に引き寄せた。


「好きな人の一番になりたいのって、そんなにいけないことなの?」

「え……?」

(いと)が好きだから、(いと)のためを思ってそうしたんでしょ。何も間違ってない。最終的に、海外に行くのか決めるのは(いと)自身だしね」

周防(すおう)君……」

「まあ、それは僕も同じだけどね」


 (かなで)はニコリと微笑んで、しらべの頭を優しく撫でる。


「僕も君の一番になりたい。だから……泣きたいときは、遠慮なく僕を頼ってよ」


 (かなで)の言葉に、しらべは目を見開いた。

 彼の表情にも、声色にも、嘘は感じられない。ただ純粋に、自分のことを想って言ってくれている……それが、しらべにも痛いほど伝わって来た。

 しらべはまだ(いと)が好きだ。しかし今、(かなで)の想いが、自分には勿体ないほど暖かく感じられたのも事実だ。

 そんな風に自分を想ってくれたことを無下にするなんて失礼だ。


「…………ありがとう」


 しらべは小さく呟いて、(かなで)の肩に頭を預ける。

 そのまま、しらべの気持ちが落ち着くまで、(かなで)はしらべに寄り添い続けた。


* * *


 片付けも終わり、いよいよ後夜祭が始まる。

 校庭には特設ステージが設けられ、軽音部やダンス部などが楽しそうにパフォーマンスしていた。

 多くの生徒がそれを見て盛り上がる中、(りん)は教室の自分の席で座っていた。

 スマホを確認すると、(いと)から「教室戻る」というメッセージが来ている。だから、彼を待ってから校庭に行こうかと考えていたのだ。

 窓の外は夜の色が濃い。もうすぐ花火の時間だが、ここから見えるだろうか。


 そう思っていると、教室の扉が開いて、(いと)がやって来た。


「いと君……」

「ごめん、待たせた」


 (いと)は小さく謝り、(りん)の席近くの窓辺から外を見る。


「花火上がるんだっけ。そろそろか?」

「そうだね。後五分ぐらいかな。校庭行く?」

「……いや、行かない」

「行かないの?」

「おう」


 (いと)はそう言うと、(りん)の方を見て微笑む。


「今は、(りん)と二人でいたいだ」


 (いと)の言葉に、(りん)は顔を真っ赤にして固まってしまった。

 まさか、(いと)がそう言ってくれるとは思わなかったのだ。

 だって、ここからだと花火は見えないかもしれないし、ステージの出し物も観覧できない。

 クラスメイトは全員校庭にいる。だから、二人きりで残っていたら変に勘繰られる可能性だってある。

 なのに、(いと)は二人でいたいと言ってくれている。(りん)にはそれが堪らなく嬉しかった。


「そ、そっか。じゃあ、私もここにいるよ……」


 (りん)は立ち上がって、(いと)の隣から窓の外を見る。

 その時、花火が上がったのか空がオレンジ色になった。

 やっぱり、ここからじゃ見えない。


「花火、見えないな」

「う、うん……」


 (花火は見えないけど、光は届いてるからジンクスは効くかな……?)


 (りん)は心臓をバクバクさせながら、制服の裾で手汗を拭う。


(うう……つ、繋ぐんだ。頑張れ私!)


 自分を必死に鼓舞しながら、(りん)は勇気を出して(いと)の手を握った。


(つ、繋げた……!)


 それに喜ぶ間もなく、(いと)が手を握り返してくれる。

 彼の大きな手の温もりを感じて、(りん)は顔を真っ赤にしながら繋ぐ手の力を強くした。

 ちらりと(いと)の方を見る。すると彼の表情は静かだった。

 ただ、空を見上げていた。


「……なあ、(りん)

「何?」

「俺は、(りん)に釣り合う人間になれたのかな」

「釣り合うって……私が決めていいことじゃないよ。そんな、上から目線にはなれない。私はただ、いと君が好きで、大切で……」

「俺はさ、お前のお陰で変われたんだ。勉強も頑張れるようになったし、ピアノも……もう一度真剣に向き合おうって努力できてる。だけど俺は、他人からの評価に縋ってばっかりで……自分で自分のことを認めたことなんて無かったんだ」


 花火の光に彩られる教室の中、(いと)は静かに目を閉じる。

 瞼の裏に、先ほど両親とした会話が思い返された。




 あの後、(いと)が体育館の外に出ると、丁度入り口の脇に、品の良い男女が立っていた。

 二人とも値が張りそうなスーツに身を包んでおり、男性の方は背が高く美しいツリ目。女性の方は柔らかい雰囲気の顔立ちだ。

 二人は(いと)に気が付くと、嬉しそうに顔を綻ばせた。


(いと)君……久しぶりだね」

「元気だった?」

「父さん、母さん……」

 二人の優しい表情を見て、(いと)は気まずそうに目を逸らす。

 元気だったか、と聞かれれば、身体は健康だった。しかし、心の方は荒れ放題だった時期がある。二人がいなくなってすぐの頃は特に。

 しかし、二人にこれ以上がっかりされたくないと思い、(いと)は小さく頷いた。


「……元気は、元気だった」

「そっか。良かった」


 両親は顔を見合わせて安心した顔で微笑む。

 (いと)の長年抱えていた「寂しさ」には気づいていない様子だ。

 本当は文句の一つでも言うべきなのかもしれない。だが、二人に嫌われるのが嫌だった(いと)はそれも飲み込む。


「……父さんと母さんは?」

「ああ、元気だよ。ねえ、母さん」

「そうね。帰国したてで、少し疲れてるけど」


 二人の様子は朗らかで、(いと)に呆れているような様子は無かった。

 しかし一方で、(いと)が二人のことで長年悩んでいたことにも言及しない。

 (いと)は二人に嫌われていなさそうなことに安心すると同時に、二人が自分への関心が薄いことに傷ついていた。


「……何してたんだよ。五年半も家に帰って来ないで」


 (いと)は俯き加減に二人へ尋ねた。


「俺のこと、嫌いになったのかと思ったよ」


 そう弱々しく笑う(いと)を見て、(とおる)は静かに首を横に振った。


「嫌いになんてなる訳ないよ。寧ろ、その逆だ」

「え……?」

「父さんと母さんはね、ずっと「君のピアノの才能を受け入れてくれる人」を探していたんだ。世界中の音楽家とコミュニケーションを取りながら、「(いと)君にピアノを教えたい」と言ってくれて、かつ君に相応しい人を探していた。君の才能を、信じていたから」


 (とおる)の言葉を聞いて、(いと)はゆっくりと顔を上げた。

 すると、両親が(いと)に向かって微笑んでいた。


(いと)君。もしよかったら海外に行かないか? もちろん、父さんと母さんも一緒に行く。仕事で留守にしてしまうことはあるかもしれないけど……」

「海外に?」


 (いと)が戸惑いながらも聞きかえすと、(とおる)は穏やかに微笑んで続けた。


「ああ。(いと)君。君には、ピアノの才能がある。だけど、それを認めてくれる人は日本にはいなかった。君自身も含めてだ。だから、父さんと母さんで、君の才能を受け入れてくれて、君にぜひ師事して欲しいと言ってくれるピアニストをずっと探してたんだ」

「それで、家に帰って来なかったのか? 連絡も寄越さずに?」

「……うん。分かってる。ごめんね、寂しい思いをさせて。この機会が……君と君の両親への誠意だよ」

「機会って……突然言われても。俺に、海外でやっていけるだけの力なんて」


 (いと)の頭に、(かなで)のピアノが過る。

 あの、「自分に無い魅力」を持っていて、誰もが最優秀賞に相応しいと判断した音色が。

 あいつを差し置いて、俺が海外に――? (いと)はまだ、自分のピアノに価値を見出せずにいたのだ。

 どんなに(りん)や両親が褒めてくれても、自分で自分のピアノに自信が持てなかった。

 (いと)が小さく弱音を吐いたその時、(とおる)は、彼の肩に優しく手を置いた。


(いと)君。自分の価値を決めるのは、自分自身なんだよ」


 その言葉を聞いて、(いと)は目を見開く。

 どんなに他人が評価してくれたからといって、最終的に自分に価値をつけるのは自分自身なのだと、(とおる)はそう言いたいのだろう。

 その言葉を聞いて、(いと)の頭に今までの自分の行動が蘇った。

 今まで(いと)は、(りん)の隣に立つのにふさわしい人間になりたくて、必死に努力を重ねて来た。

 その結果、周囲から「王子様」だと言われるまでに成長したのだ。

 しかし、(いと)自身はそれで良しとせず、「まだ足りない」と努力を続けている。

 ピアノや、人間関係だってそうだ。


 ――僕は、「(いと)に勝てた」って心から喜んだことは一度も無いよ。お前は、僕に無いものを全て持っているだろう? ピアノの才能も、幸せな恋も、家族の愛情も……全部持っている癖に、まだ足りないのか?


 殺陣の練習の時に(かなで)にそう言われた。しかし(いと)は自分の価値を認めていなかったがために、この瞬間ですら(かなで)に嫉妬していた。

 (いと)の価値を誰よりも認められていないのは、(いと)自身だったのだ。


「もし、自分の価値を信じることができるようになったら……」


 (いと)は言葉に詰まりそうになりながらも、両親の顔を見て尋ねる。


「俺の大切な人達は、喜ぶかな?」


 彼の問いに、両親は優しい笑顔で頷いてくれた。

 その笑顔を見て、(いと)は無理やり覚悟を決める。


(もし、大切な人が……家族や、(りん)が喜んでくれるなら、俺は自分の価値を認められるようになりたい。いや、そうならなきゃダメだ)


 (いと)はそう強く思い、口を開く。


「分かった。俺、海外に行くよ。海外に行って……自分で自分のピアノの価値を、認められるようになる」




 (いと)はゆっくりと目を開けて、その瞳に花火の光を映した。


「さっき父さんと話してて思った。俺の価値を認めるのは、俺自身だ。だから……俺は自分の価値を認めるために、アメリカにピアノの修行に行く」


 (いと)は真剣な眼差しで(りん)を見つめた。

 彼女に、喜んでほしい。応援して欲しい――なんて、思いながら。

 彼女がそう思ってくれること可能性は限りなく低いということに気づいているのに、(いと)は気づいていないふりをしていた。

 そして(りん)は、彼のその透き通った瞳から、目が離せずにいた。

 一方で、胸の奥がズキズキと痛くなっていく。


「……じゃ、じゃあ、私とは離れ離れ……?」


 (りん)は震える声で尋ねる。それに対して、(いと)は申し訳なさそうに目を逸らした。


「……ごめん」

「私と離れてでも、ピアノがしたいの……?」


 言いたくない言葉ばかりが、(りん)の口をついて出てくる。

 本当は応援したいのに、「頑張って」と言えない。

 胸が苦しくて、励ましの言葉が出てこない。


(りん)、俺は……」

「ピアノだけがいと君の全部じゃないよ? 私、いと君のピアノは好きだけど……他にもいと君には素敵なところが沢山あるでしょ? それだけじゃダメなの?」


 ——行かないで。アメリカになんて行かないで。ずっと一緒にいて。


 彼女が言わんとしていることが、(いと)にも痛いほど伝わってくる。

 しかし、先ほどの両親とのやりとり……両親が自分のためにしてくれた助言やチャンスを無下にすることが正しいとも思えなかった。

 そして、今のままの自分で……自分の価値すら認められない自分のままで彼女の傍にいることも、正しいだなんて思えなかった。


「……ダメなんだ」


 (りん)の瞳から目を逸らして、(いと)は絞り出すように答えた。


「俺、自分が認められる自分になって、お前の隣にいたいんだ。だから……ごめん」

「そっか……」


 (りん)の瞳から、涙が溢れる。花火に照らされた雫が、赤くなった頬を伝って流れていった。


「ごめん。私、帰るね」


 (りん)は小さな声でそう言うと、鞄を持って足早に教室を去ってしまった。

 彼女の後ろ姿を見送って、(いと)(りん)と繋いでいた右手を見つめる。


「これでよかったんだ。今の俺じゃ、あいつの隣にいられないから。みんなに胸を張って生きることができないから……」


 (いと)の薄茶色の瞳から、透明な涙が流れる。


「これでよかったんだよな……?」


 答えの出せない問いが、花火の明かりに照らされる教室に零れ落ちた。

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