32 新しい一歩
幕が下りたステージの下。観客席は熱気で満ちていた。
「ねえ! 日和君も奏君もすごく格好良かったよね!?」
「格好良すぎてびっくりしちゃったあ……私、もう一回見たい!」
「原作とは違う展開だったけど、面白かったよね。鈴様もすごく綺麗だったし!」
盛り上がる生徒達の後方。友人と共に演劇を見ていた響は、憧れに輝いた瞳でステージの幕を見つめていた。
(日和先輩も、奏先輩も、すごく格好良かった。……自信と信念を持ってなきゃ、あんな演技できない)
響は自分の右手を開き、マメだらけの手のひらを見つめた。
(二人みたいになりたい。でも……俺になれるのか?)
不安げな顔で大きな目を細めながら、響は右手をぎゅっと握りしめた。
彼の後方の席では、しらべも真っ直ぐにステージを見つめていた。
「明らかに、日和君と周防君の喧嘩でしたね」
しらべは小さく呟き、柔らかく微笑む。
「あれが二人の「本当の自分」なのかしら」
しらべの小さな声を、隣にいたスーツ姿の男女は聞き逃さなかった。
「ねえ、君。今、弦君の話をしていなかったか?」
「はい?」
しらべが隣を見ると、高そうなスーツを着た、優しそうな中年男性が微笑んでいた。その奥には、妻と思しき女性もいる。
見たことのなかった人のため、しらべは訝し気な目を彼らに向けた。
「あなた方は?」
しらべに尋ねられ、男性は「ああ、失礼」と言いながら、彼女に名刺を手渡した。
しらべは両手で名刺を受け取り、確認する。
——株式会社Luminous 代表取締役 日和透
「僕は日和透。アーティストプロデュース会社の社長で、弦君の父です」
「日和君のお父さん!?」
しらべは彼の顔をまじまじと見た。上品な雰囲気も、きりりとした美しいツリ目も、全く弦に似ていない。
——本当に、日和君のお父さんなの……? と、しらべは彼を信じられずにいた。言わずもがな、目は疑り深く透を見据えている。
そんなしらべの様子を見て、透は柔らかい笑い声を零した。
「ふふ、そんなに驚くことかな?」
「あ、……失礼しました。私は木崎学園高校新聞部、京しらべです。日和君とも知り合いでして。……あの、日和君のことを気にしているようでしたが」
「ああ、実は……弦君と会うのは五年半ぶりなんだ。訳あって、世界中を飛び回っていたものだから」
透は苦笑いしながら頬をかく。
それを見たしらべは、戸惑いながらも彼に質問を重ねた。
「小学生の子どもを家に残して、世界中を飛び回っていたのですか?」
「あ、ああ……はは。普通に考えたら変だよな。やっぱり。全部、弦君のためだったんだけど……」
「……お話を伺ってもよろしいでしょうか」
しらべは恐る恐る透に尋ねる。
しらべにとって、弦は興味の中心だ。彼のお陰で、先輩方が不在になった後も、しらべはこの学校で新聞部を続けることができている。
そんな風に自分の世界を広げてくれた弦に、何か暗い過去があるのだとしたら知っておきたかった。
自分は弦の大切な人にはなれないと分かっていても、だ。
しらべの瞳に強い意志を感じて、透は小さく頷いた。
「分かった。でも、記事にはしないでね」
「ええ。分かってます」
「じゃあ、少し場所を変えようか。沙也加、行こう」
しらべは透について行き、静かに体育館を後にした。
* * *
「日和君と奏君はそこに座って」
演劇が終わった舞台袖、委員長に指示され、弦と奏は正座していた。
「台本から大幅に逸れてたけどさ、二人共、ぜーったい劇の間に喧嘩してたでしょ! 二人がイケメンじゃなきゃ劇大失敗だったんだよ!? ちゃんとしてよ!」
委員長に叱られ、弦は不服そうな顔で、奏を指さす。
「だってこいつが……」
奏はいじけた笑顔で弦に言い返す。
「元はと言えば弦が言い出したことだろ」
「はあ!? お前だって断らなかったじゃねーか!」
「もう、喧嘩しなーい! 反省しなさい!」
「はい……」
二人はしゅんとして頭を下げた。それを苦笑いしながら見ていた鈴の元に、桜庭が歩いてくる。
「鈴様、お疲れ様でした!」
「あ、桜庭さん。ありがとう」
「すごく素敵でしたよ。観客も私たちも、鈴様に見惚れちゃいました」
「そうかな? ……そうだといいな」
鈴は明るい顔になり、桜庭と笑い合った。
それを見て、弦は安心して表情を和らげる。
(いい笑顔じゃねーか)
弦が内心そう思っていると、隣から奏が小突いてきた。
「デレデレしてるなよ」
「は? してねーし」
「ふん、してたね。……まあ、君の幸せも応援してやるよ」
「ああ?」
奏は立ち上がると、まだ座っている弦に手を差し伸べた。
「お互い、前に進もうってことだよ。振り返らずにね」
奏の表情は清々しく、翳りなんて感じない。心の底からスッキリした笑顔だった。
弦はそれを見て小さく笑い、奏の手を握って立ち上がった。
「これでようやく対等になれたな」
「ふふ、ついでに友達にもなっておく?」
奏の言葉に、弦は頭をかく。
「やめろ。俺ら、そんな感じじゃねーだろ」
「あはは、それもそうだね」
二人が親し気に話している脇で、クラスメイトが「打ち上げどうする?」「肉がいいなー」「えー! もんじゃにしようよ!」と話している。
「じゃあさ、涼風に決めて貰おうぜ」
「いいねー! 劇の主役だったもんね!」
「私が決めていいの?」
全員が「もちろん」と頷く中、鈴は恥ずかしそうに小さく呟く。
「えっとね、駅前の中華料理屋さん……今、私が好きなキャラクターのシール配ってるんだ。もし良ければ、そことか……」
鈴の言葉を聞き、クラスの男子が「海老丸だろ? いいじゃん」と笑う。
「まるぺんのシール配ってたよな? 妹が欲しがってたから、俺もそこで賛成ー」
「あー! 私もまるぺん好きなんだよね! そこにしよ! 委員長、どうかな?」
「いいよ! じゃあ、私予約しておくね!」
クラスの中に、もう鈴が可愛いもの好きでも変な顔をする生徒はいなかった。
鈴も、本当の意味で、自分らしく生きられるようになったのだ。
クラスメイトと笑い合う鈴を、弦は遠くから見つめる。
弦の視線に気が付いて、鈴は弦に微笑んだ。
鈴が王子様として気張っていた時には見られなかった、幸せそうな笑顔。その笑顔を見ているだけで、弦の胸が暖かくなっていく。自然と顔が綻んでしまう。
——ずっと見ていたい。
弦はそう思わずにはいられなかった。
不意に、舞台袖に続くドアが開いた。
生徒達が注目すると、しらべがふらふらしながら中に入って来たのだ。
「しらべさん?」
「あ……日和君、いますか? ご両親が、日和君に会いに来ています」
「え……」
弦の目が見開かれた。
弦の心臓が嫌な音を立てる。決まったはずの覚悟が揺らぐ。
息を詰まらせて固まる弦を見た鈴は、静かに彼の傍に寄り、背中をポンと押した。
「いと君」
穏やかな声で、名前を呼ぶ。弦が顔を上げると、優しい目をした鈴と目が合った。
——大丈夫。
弦は、そう言われているように感じた。
弦はゆっくりと息を吸い、吐く。そして、覚悟を決めた目でしらべの方へ歩いて行った。
「ありがとう。父さんと母さん、どこにいる?」
「体育館の入り口です」
「分かった。行ってくる」
弦は舞台袖を出ていく。その後ろ姿を、鈴は心配そうな顔で見送った。
(いと君、頑張って……)
* * *
その後、ステージで閉会式が行われ、残すは後片付けと後夜祭のみとなった。
鈴は劇で使った段ボール製の背景をカッターで切り分け、ゴミ捨て場に持っていく。
すると、丁度D組もゴミ捨て場に来ていたようで、燃やせるゴミの袋を持った美琴と鉢合わせた。
「あ、りんりん! お疲れ様!」
「美琴、お疲れ。二年D組、大盛況だったみたいだね」
「そうなの! お客さん、沢山来てくれたんだ」
美琴は空いた手でピースサインを作る。
「一時はどうなることかと思ったけど、ちゃんと文化祭に参加できてよかったなあ」
「ふふ、一日目、スイートレッドの衣装で来たんだよね?」
「あ、噂になっちゃってる? えへへ、そうなんだ。それもあって、ファンの人も来てくれたりとかしたんだよね」
「なるほど。それで大盛況だったんだ」
鈴が段ボールを指定の場所に置きながら微笑む。
美琴は「それもあるけど、みんなで頑張ったの!」と笑顔で答えた。
「ステージに立ってる時は文化祭には絶対間に合わないって諦めてたんだけどね、響君が迎えに来てくれたお陰で、頑張れたの」
美琴はゴミ袋を指定の場所に置きながら続ける。
「私ね、アイドルも学校生活も、周りの人を笑顔にしたくて頑張ってるんだ。だけど、そうやって頑張れるのって大切な人が傍で支えてくれるからなんだなって思ったの。もちろん、その中にりんりんも入ってるよ」
そこまで言って、美琴は鈴に向き直ってニッと笑った。
「だから、りんりんに何かあったら、私が一番に笑顔にしてあげるから!」
美琴の言葉に、鈴は微笑みながら頷く。
その後、二人で教室へ戻る道を歩き出した。
「でもさ、私すごく驚いたんだよ? りんりんが菖蒲姫の役やるって知った時」
「ああ……色々あって」
鈴が頬を掻くのを見て、美琴はニヤリと笑った。
「色々? 気になるなあ。噂だと、奏君と日和君がりんりんのこと取り合ってたんでしょ? イケメン二人に取り合いされるなんて、りんりんじゃなきゃ嫉妬の嵐だよ」
「う……それは劇の話だし。第一、私が好きなのはいと君だから」
「ふーん。お熱いねー」
「もう、揶揄うのやめて」
鈴が赤くなった頬を膨らませるのを見て、美琴は彼女の腕に抱き着いた。
「可愛いやつめー! りんりんの可愛さ、もっと広まればいいのに!」
「や、やめてよ、そういうの……美琴と違って、私はアイドルでもなんでもないんだし」
「ふふ、それもそっか。りんりんの可愛さは、私と日和君だけ知ってればいいし」
美琴は明るく笑いながら、鈴から離れる。
生徒玄関で靴を履き替え、二人は教室棟の階段を上った。
「あ、そうだ。りんりん、後夜祭は日和君と一緒?」
「ううん。特に約束してないけど……」
「せっかくだから、一緒にいなよ。うちの後夜祭、恋のジンクスがあるからさ」
「ジンクス?」
首を傾げる鈴を見て、美琴は得意げな顔でビシッと人差し指を立てる。
「そう! 後夜祭の花火、好きな人と手を繋いで見ると、つよーい愛で結ばれるって話!」
「あ、愛……」
直球な言葉が返って来て、鈴は思わず赤面してしまった。
それを見て、美琴はニヤリと笑って鈴の脇腹を小突いた。
「じゃ、早速日和君を誘ったら? 一緒に手を繋いで見るんだよ。絶対だからね!」
「う……わ、分かった」
「決まり! じゃ、私D組に戻るから! じゃあね!」
二年D組の教室へ戻っていく美琴を見送り、鈴は赤い頬を抑えてしゃがみこんだ。
こんなに真っ赤な顔で、教室になんて入れない。だから、ひとまず落ち着こうと思ったのだ。
(いと君と、手を繋いで、花火を見る……)
心の中で繰り返す。単純なことをしようとしているだけなのに、相手が弦だと想像した途端に心臓がうるさくなってしまう。
今の鈴は、すっかり恋する乙女だった。
「あれ、鈴ちゃん?」
上の方から、低く柔らかい声で名前を呼ばれた。
鈴が顔を上げると、そこには奏のきょとんとした顔があった。
「何してるの?」
「わ! す、周防君……! なんでもない!」
鈴は慌てて立ち上がり、両手をブンブンと振った。
それを見て、奏は心配そうな顔をする。
「顔真っ赤だけど……」
「あ! これは……熱出してるとかじゃないからね? 大丈夫だから、心配しないで」
「……ふふ、分かってるよ」
奏はクスッと笑った。
「さしずめ、弦のことでも考えてたんでしょ?」
「へ!? あ、いや…………わ、私って、そんなに分かりやすいかな?」
「鈴ちゃんは素直だからね。ずっと見てればすぐ分かる。僕もそれぐらい素直に表情筋が動かせたらなあ」
奏はそう言うと、鈴の前を立ち去っていく。
「周防君、どこ行くの?」
「昨日の取材のことで、しらべちゃんに用事。新聞部の部室を見てくる」
奏はそう言うと、鈴に柔らかい笑顔を残して歩いて行ってしまった。
(しらべさん、まだ片づけ中なのに部室にいるのかな?)
そう疑問に思っていると、教室の中から桜庭が出てきた。手には文化祭で鈴が着ていた葵色の着物がある。
「鈴様、ゴミ捨てありがとうございます! この衣装のことなんですけど、もし良かったら貰ってくれませんか?」
思いもよらない提案に、鈴は目をパチパチさせた。
文化祭で使ったものは、もう全て処分してしまうのだと思っていたからだ。
「いいの?」
「もちろんです!」
桜庭から着物を手渡され、鈴は頬を染める。
この衣装は、鈴にとって自分の殻を破るきっかけになった衣装だ。思い入れも深いし、できることなら手元に置いて何度でも見返したいと思っていた。
だからこそ、桜庭の提案を鈴は心の底から嬉しく思ったのだ。
「ありがとう。大事にするね」
鈴は衣装を受け取り、大事そうに抱きしめた。
桜庭はそれを見て、嬉しそうに目を細めて続ける。
「あの、もう一ついいですか?」
「何?」
「私、趣味で服を作ることがあるんです。でも、可愛すぎるからかなかなか着てくれる人が見つからなくて……もし良ければ、鈴様に着て頂きたいなって……」
「え……!」
鈴は目を丸くした、頬も先ほどと同様真っ赤だ。
まさか、自分に可愛い服を着て欲しいと言ってくれる人が現れるとは思わなかったのだ。
可愛い服は好きだし、もっと沢山着たい。でも、今まではそれが周囲に申し訳なくて、同じ学校の生徒に気付かれないように必死だった。
しかし、今は違う。
「……私でよければ、着てもいいかな?」
鈴が真っ赤な顔で尋ねるのに、桜庭は目を輝かせながら何度も頷いた。
「はい! ぜひ!」
「あ、ありがとう……そうだ。まだ片づけって残ってるかな?」
「いえ。さっき鈴様が持って行ってくださったので最後です。あとは後夜祭ですね!」
「そっか。花火、楽しみだね」
桜庭と談笑しながら、鈴は教室へと戻っていったのだった。




