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リボンワンピース・プリンス  作者: 月島
第二章 君を知る文化祭
29/54

29 柔らかな光の中で

 桜庭と別れた後、(りん)は帰路についた。

 学園前の道を通り過ぎ、住宅街へ続く遊歩道を歩く。

 この辺りは、十数年前に木崎市のボランティアが植えてくれた木々が立派に成長して、現在の市民の癒しの道となっている場所だ。自然豊かなこの遊歩道も、昔はただの更地だったと(りん)は聞いたことがあった。

 この辺りの植林のきっかけになったのは、古くからあった教会のリフォームだったらしい。

 木崎市は古くからヨーロッパの国と交流があり、キリスト教を信仰する移民も多い。それもあってか、木崎市周辺にも二か所ほど教会が存在していた。

 しかし、そのうちの一か所――今(りん)が歩いている遊歩道の近くの教会は建物が老朽化しており、市の調査で災害時に崩壊する恐れがあると判明したのだ。

 そこで、当時の市民達が資金を集め、リフォームをしたのだという。それに伴って、殺風景だった教会周辺の更地も緑豊かにしようということになったらしい。

 植林の方も、街の景観を良くするためにと多くの人が参加してくれたのだ——と、(りん)は小学校の社会科の時間に習った。


 まだ青い銀杏並木を歩くと、木々の間から白い教会が見える。昔、(りん)も一度だけ見学したが、ステンドグラスが綺麗だったことを薄っすら記憶しているだけだ。

 その教会の近くを通りがかったときだ。美しく、透き通った和音が聴こえてきた。


「ピアノ……?」


 (りん)は立ち止まり、耳を澄ませる。

 曲名は分からない。しかし、音色には聴き覚えがあった。


(いと君の音に似てる)


 (りん)はその音色に吸い寄せられるように、教会の方へ歩いて行った。

 木漏れ日が心地よい教会の入り口。木々の薫りが爽やかな教会前の広場には、特に礼拝者の姿はいなかった。

 礼拝が行われているのでなければ、なぜピアノの音色が聴こえてくるのか。(りん)は疑問に思いながらも、教会の大きな扉を開けた。


 聖母の描かれたステンドグラス。そして、美しい意匠が施された窓ガラス。

 外から漏れてくる優しい日の光を浴びながら、木崎学園高校の制服を着た少年が、静かな表情でピアノを演奏していた。


「いと君……」


 (りん)の声が教会内に反響する。彼女の声に気付いた(いと)は、ぴたりと演奏を止めて(りん)の方を見た。


(りん)。なんでここに……」

「いと君のピアノが聴こえてきたから、気になって」

「ああ……はは。お前、俺のピアノに誘われる習性でも持ってんのかよ」


 (いと)は小さな声で笑いながら、頭をかいた。

 (りん)(いと)の方に歩み寄りながら、「何弾いてたの?」と尋ねる。


「バッハの『コラール一番』。昔、母さんと一緒にたくさん聴いてた……俺が初めてピアノで弾いた曲」

「お母さんって、日和家の?」

「いや、前の母さん。母さんさ、キリスト教徒だったから。これ聴いてると、前の父さんと母さんの顔、忘れずに済むんだ」

「そうだったんだね……」


 悲しそうな顔をする(りん)を見て、(いと)は静かに微笑みながら続ける。


「この教会にいるとさ、前の両親が傍で微笑んでくれてるような気がして……なんとなく、勇気が出るんだよな」

「勇気が欲しくて、ここに来てたの?」

「おう。今の父さんと母さんに会う前に、前の両親に励まして欲しかったんだ。でも、正直驚いた。一番会いたかった(りん)が来てくれるなんてな。この教会、やっぱすげーよ」


 (いと)は明るい笑顔を作って(りん)を見上げた。

 彼女に、心配を掛けたくなかったのだ。

 今の両親のことは不安だし、前の両親がいないことへの寂しさもある。しかし、今、彼女に伝えるべきなのは「会えた喜び」だった。

 しかし、その笑顔は、誰が見ても無理して作った笑顔だと分かってしまうような固い笑顔だった。それに気がついて、(りん)の胸が痛む。

 しかし、今こちらが悲しい顔をしたら(いと)に気を遣われてしまうだろうと思い直し、必死に微笑んだ。


「うん。いと君が辛いときは、どこへだって駆けつけるよ」

「へっ、王子みたいなこと言いやがって。でも……それもお前の一部なんだよな」

「私の一部?」

「おう。可愛いものが好きな所も、王子みたいに優しい所も、全部俺が好きな(りん)の一部だ」


 (いと)はくっきりとしたタレ目を優しく細めて、(りん)を見つめる。


「始めは俺が(りん)のこと支えてたつもりだったのに、いつの間にか支えられちまってたな。お前の王子みたいな振る舞いは気に入らなかったはずなのに……その振る舞いにも救われちまってた」

「いと君……」


 (いと)の言葉が嬉しくて、(りん)の目の奥が熱くなる。

 (りん)はずっと、自分らしく生きるべきなのか、それとも周りの期待に応えるべきなのか悩み続けてきた。

 どちらかしか選ぶことができないと思っていたし、王子らしい自分は作り物だとも思っていた。一方で、可愛いものが好きな自分も長いこと受け入れられずにいた。

 しかし、今の(いと)の言葉で納得した。

 ——どっちの私も、私だったんだ……と。


 目に涙が浮かんでいる(りん)に優しく微笑んで、(いと)は彼女の手を握った。


(りん)、ありがとな」

「……ううん。こちらこそだよ」


 (りん)は泣きたくなるのを必死に堪えながら、精いっぱいの笑顔を(いと)に向けた。


「私、いと君のお陰で変われたんだ。今の私があるのは、いと君のお陰だよ。だから……これからも、いと君と一緒にいられたら嬉しい」

「ああ、俺もだよ」


 (いと)の脳裏に、文化祭準備期間に彼女がしてくれたキスが蘇る。


 ――あの日、(りん)は俺への想いを伝えるために、そうしてくれた。(りん)がそうしてくれたように、俺も彼女に想いを伝えたい。

 今の俺があるのはお前のお陰で、どんなお前も俺は大好きなんだって――。


 教会の窓から降り注ぐ、柔らかな光。それに照らされる中、(いと)は立ち上がった。

 静かに目を閉じ、(りん)の唇に優しく口付けする。

 (りん)にとって、異性からのキスは中学時代から続くトラウマだった。

 しかし(いと)からのキスは優しく、恐怖など全く感じなかった。寧ろ、当時から消えずにいた心の傷が、ゆっくりと癒えていくように感じた。

 (りん)のお陰で(いと)が前に進めたように、(いと)の存在が(りん)を前に進めてくれたのだ。


(いと君、ありがとう)


 (りん)は心の中でそっと呟いた。


* * *


 十七年前の木崎市立総合病院。その一室にて、二人の夫婦が語らっていた。

 片方の夫婦は高級スーツを身に纏っている。もう片方は、夫が白いTシャツとジーンズ。妻は入院服を着てベッドに座っていた。彼女のお腹は大きく膨らんでおり、小さな命が宿っているのが目で見て分かる。


幸一(こういち)さん、もうすぐ生まれるのよね」


 高級スーツを着た女性の方、日和沙也加(ひよりさやか)が、おっとりとしたタレ目を優しく細める。


「楽しみだなあ。幸一(こういち)君の息子さんの顔を見るの」


 沙也加(さやか)の夫、日和透(ひよりとおる)も、愛らしいえくぼをつくりながら笑った。

 日和(ひより)夫妻の嬉しそうな様子を見て、幸一(こういち)君——凪鳥幸一(なぎどりこういち)は、くっきりとした目元をくしゃりとさせる。


「ありがとうな、(とおる)沙也加(さやか)さんも」

「ああ。小学校からの親友に子どもが生まれるなんてなあ。ふふ、お互い年を取ったな」

「おいおい、何言ってるんだよ。俺もお前も、まだ三十代だ。まだまだ人生これからだよ」

「はは、それもそうだね」


 笑い合う(とおる)幸一(こういち)を見て、妻二人は顔を見合わせて微笑む。


「ねえエレンさん。お名前はもう決まってるの?」


 沙也加(さやか)幸一(こういち)の妻——凪鳥(なぎどり)エレンに優しく尋ねた。

 するとエレンは、愛おしそうにお腹を撫でながら口を開く。


「自分の音色を響かせながら、世界に調和をもたらす人になりますように……そんな願いを込めた名前を付けようと思うの」


 エレンは幸一(こういち)に微笑みを送る。彼女の意図を汲んで、幸一(こういち)も穏やかに笑った。


「俺達の息子の名前は、(いと)凪鳥弦(なぎどりいと)


* * *


 ワシントンから日本に向かっていた飛行機も、もうすぐ着陸する。

 ファーストクラスの席に座っていた日和透(ひよりとおる)は、手帳に挟んでいた親友夫婦との写真をしばらく見つめ、ぱたりと閉じた。


「……(いと)君は元気かな」


 彼がぽそりと呟くと、隣に座っていた妻の沙也加(さやか)が優しく肩を叩いてくれた。


「大丈夫よ、きっと。(いと)君のこと、信じましょう。私達、今日までずっとそうしてきたじゃないの」

「ああ、そうだね。……それが、(いと)君と幸一(こういち)君達への誠意だものね」


 (とおる)は疲れたツリ目をそっと細め、無理やり笑顔を作って頷いたのだった。

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