26 君に誇れる俺に
図書室を出ていく二人を見送った後のこと。弦は再度、鈴の読み聞かせに集中していた。
澄んだ声音で物語を紡いでいく彼女がとても綺麗で、弦はつい見惚れてしまう。
やはり彼女は、本を持っている時が一番嬉しそうだ。昔から本が好きだったから――彼女の読書後の笑顔が脳裏に蘇り、弦は優しく目を細めた。
本を読むときの彼女は幸せそうだ。
でも、彼女はこう見えて運動だって得意なのだ。
更に言えば、「王子様」と呼ばれるだけ優しくて格好いい。
かと思えば、実は可愛いものが大好きだったりする。
不思議だ。どれも全然違う一面なのに、弦は全部好きだった。
本を読むときの真剣な顔に見惚れて。
運動神経の良い彼女に憧れて。
王子様の優しさに救われて。
可愛いもの好きな一面が愛おしくて――。
(そっか。全部、鈴なんだな)
弦は胸が暖かくなるのを感じながら、微笑む。
(全部、俺が好きな鈴の一部なんだな)
彼女への恋心を実感しながら、弦は幸せそうに彼女の読み聞かせを聞いていた。
「シンデレラは王子様と結婚し、幸せに暮らしましたとさ」
第二図書室で行われていた読み聞かせの、午前の部の一回目が終了した。
鈴がぱたりと本を閉じると、席に座った客から拍手が起こる。
無邪気に「もう一回聞きたい!」「お姉ちゃん、読んで!」とはしゃぐ子ども達もいれば、「鈴様の読み聞かせ、耳も目も幸せ……」と幸福な溜息を吐く女子生徒達もいた。
鈴はそれらにニコリと微笑んで、「次の回は十一時半からです。今とは違う絵本を読むので、もし良ければまた遊びに来てくださいね」と彼らに伝えた。
それを聞いて、客は各々返事をしながら去っていく。
人の少なくなった図書室で、鈴は小さく息を吐いた。
「上手くできてよかった……」
「鈴」
後ろの方で読み聞かせを聞いていた弦が、鈴の元に歩み寄っていく。
「おつかれ」
「ありがとう。いと君も聞きに来てくれたんだね」
「おう。今、新聞部の手伝いで、文化祭の出し物の取材をしててな。それで、鈴からも話聞きたいんだけど、今いいか?」
「もちろん。十一時半までならここに人も来ないと思うから、話せるよ」
「あんがと。じゃあ、前の方の椅子借りるわ……」
弦は前の方の席に座り、メモ帳を取り出した。読み聞かせ席に座った鈴とは向かい合わせだ。
「じゃ、無難な質問から。文化祭、楽しめてるか?」
弦の質問に、鈴は「本当に無難だね」と小さく笑った。
「うん、楽しんでるよ。たくさんお客さん来てくれたし、みんな楽しんでくれたみたいだったから。もちろん、いと君も含めて」
「そっか。はは、お前が楽しめてんなら何よりだ」
「うん。いと君はどうなの? 文化祭、楽しい?」
「俺? 俺はまあ……今、楽しくなったかもな」
弦は照れくさそうに頬を掻く。鈴と話せたから、退屈な取材も楽しくなった——なんて、照れくさくて言えなかった。
鈴は彼の言葉を聞いて、「そっか」と微笑む。
「いと君が楽しいならよかったよ」
彼女の穏やかな笑顔を見て、弦は頬を緩ませた。
この笑顔は、王子スマイルじゃない。鈴の心からの笑顔だと分かったからだ。
ガーデンパーティーや文化祭準備など、色々なことを経て、鈴も自然な笑顔を見せられるようになったのだろう。その過程には間違いなく弦の存在も関わっている。
鈴が自分らしくいることの手助けができて、弦は心から嬉しかった。
「いと君、次の質問は?」
「ああ、次は準備期間に頑張ったこと——」
その時、第二図書室の扉がゆっくりと開けられた。
弦と鈴は扉の方を見る。
そこにいたのは、執事服に身を包んだ女性……弦の執事の香田だった。
「香田。文化祭に来てたのか?」
弦は目を丸くする。鈴も驚いた様子だった。
二人の顔を見て、香田は柔らかく微笑む。
「坊ちゃん、涼風様、ご機嫌麗しゅう」
香田から上品な挨拶をされて、鈴は戸惑いを隠しきれない様子だ。
「こ、こんにちは。あの、図書部の出し物、次は十一時半からなんです。ですから、少しお待たせしてしまうかも……」
「図書部の出し物にも興味がありますが、私は坊ちゃんに用があって参りました」
「いと君に?」
「はい。……坊ちゃん、お願いがあります」
香田は柔らかい笑顔を消し、真剣な目で弦を見つめる。
「お父様とお母様にお会いしてくださいませんか」
香田の言葉に、弦は目を見開く。
「え……?」
声が震えた。
「父さんと母さんに?」
「はい。今日の夕方、帰国便の飛行機に搭乗なさるそうです。明日には木崎市に到着するとのことでした。お姉様とお兄様にも会いたいけれど、まずは坊ちゃんの元気な顔が見たいと仰ってます」
香田の言っていることが信じられなくて、弦はすっかり困惑してしまった。
だって、両親は自分のピアノに価値が無いから、呆れて家を出て行ってしまったのだと思っていたからだ。
しかし、香田の言葉を聞く限りだと、両親には自分への呆れた感情なんて無さそうだ。
でも……小学四年生の三月、あの時の会話。
――小学生の坊ちゃんを家に残して海外に行く? これが坊ちゃんのためだと言うのですか!?
――圭さん、落ち着いてくれ。僕は何も、弦君に寂しい思いをさせたい訳じゃないんだ。ただ、あの子のピアノが認められないから……。
あの会話が、両親の呆れを物語っているんじゃないか? 弦はそうとしか思えなくて、声を震わせながら香田に尋ねる。
「な、何言ってんだよ。なんで俺なんだ? 姉ちゃんと兄ちゃんと違って、出来が悪い養子の俺に会いたがってんのか? 俺に呆れて家を出てったんじゃないのか?」
「そのことに関しては、お二人から直接お聞きした方が良いかと思います。それが、坊ちゃんのためです」
「でも……」
弦は潤んだ目を下に向ける。
両親の本心を知ることが無性に怖くて勇気が出なかった。
もし、本音を尋ねて自分の想像通り二人から拒絶されてしまったら……もう弦は立ち直れないような気がしたのだ。
「話せないよ。今更……」
弦はか細い声を漏らす。
「どんな顔で会えばいいのか分かんねえよ」
弦の弱々しい顔を見て、鈴は眉を下げた。
(こんないと君、初めて見た……)
相当、両親との関係に不安があるのだろう。
たしかに先日、両親が出て行った時の話をしていた弦はかなり苦しそうだった。あそこまで辛そうにしている彼に、両親と会うことを強要するだなんて酷だ。
しかし……。
「いと君。会った方がいいよ。会わなきゃ、いと君の辛い気持ちは乗り越えられないと思う」
鈴は静かにそう言いながら、席をたって弦の右手を握った。
「いと君が辛くなったら、私が傍にいるから。前に言ったでしょ。誰がどんなに君を否定しても、私は……私だけは、絶対に、君のことを信じてるから」
「鈴……」
「私のこと、信じて」
弦が泣きそうな顔を上げると、鈴の優しい微笑みが目に飛び込んできた。
鈴は嘘を吐いていない。心から、自分のことを案じてくれている……弦にはそれがすぐ分かった。
(俺は……俺を信じてくれる鈴のために、誰にでも胸張れる人間になるって決めただろ。だったら……こんなとこで臆病になってる場合じゃねえ)
弦の表情が真剣になる。覚悟が決まったのだろう。
「……ありがとう、鈴」
弦は鈴が握ってくれた手に自分の左手を重ね、小さく息を吐く。
彼の気持ちが固まったことを確認して、鈴はゆっくりと自分の右手を彼の右手から離していった。
「香田」
弦は香田に向き直り、彼女を真っ直ぐに見つめた。
「俺、父さんと母さんに会うよ。文化祭が終わったら、二人に会うから。そう伝えておいてくれないか」
「承知いたしました」
香田はにこりと微笑み、一礼して図書室を出ていく。
その後ろ姿を見つめながら、弦は静かに拳を握りしめた。
(変わるんだ。鈴に誇れる俺に)




