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リボンワンピース・プリンス  作者: 月島
第二章 君を知る文化祭
19/54

19 もう戻らない夏の記憶

 六月二十七日、金曜日。(りん)は、朝食の目玉焼きを食べながらテレビを観ていた。

 朝のニュースバラエティ番組。天気予報を終えて、次はいつも通り、音楽コーナーのゲスト紹介だ。


「本日のゲストは、フローラ・フローラの皆さんでーす! おはようございます!」


 ニュースキャスターの声と同時に、スタジオに見慣れた顔の人物が現れて、(りん)は思わずむせてしまう。


周防(すおう)君だ……)


 驚く(りん)に気づくはずもなく、画面の向こうにいる(かなで)は他のメンバーと共に「おはようございます」と微笑んだ。


「本日はお越しいただきありがとうございます! いやー、世間は梅雨ですが、フローラ・フローラの皆さんの服装は、なんだか夏らしいですね?」


 キャスターの言う通り、(かなで)も含めたメンバーの三人はみんな爽やかな色のワイシャツを着ている。パンツはそれぞれだが、(かなで)は水色のシャツによく合ったベージュのストレートパンツを履いていた。靴はサンダルだ。これも衣装だろうか。


「そうですね。空はどんよりしてますが、僕たちを見て気持ちだけでも爽やかになってもらえると嬉しいです」


 (かなで)が「奏でるスマイル」の自己紹介に相応しい柔らかな笑顔で答える。


「今日、僕達が皆さんにお伝えする曲も、涼し気で夏らしい曲なんです」

「それは楽しみですね! おや? ステージの用意ができたようですが……ピアノがありますね?」


 キャスターの声で、画面が切り替わる。歌唱用のステージ内には、確かにグランドピアノがセットされていた。


「どなたか演奏されるんでしょうか? 楽しみですねー! では、フローラ・フローラの皆さんも、準備の方をよろしくお願いいたします!」


 キャスターの司会に従って、フローラ・フローラの面々はステージの方に歩いて行く。メンバーの二人がステージの前方で並ぶ中、(かなで)は一人、グランドピアノの前に座った。それを見た(りん)は、目を丸くする。


周防(すおう)君が演奏するんだ)


「では、フローラ・フローラの皆さんで、『Marrow』」


 (かなで)が、優しく最初の一音を奏でた。柔らかくつながるピアノの旋律は(いと)のピアノは違う音ではあるのもの、美しく、夏の夜空に漂う蛍のように、儚くて綺麗だった。ひと時の夢を見ているような……そんな音色。

 彼のピアノと共に、メンバーの二人が語り掛けるように歌い出す。

 葵色の浴衣を着た「君」に対する愛の歌。

 夏らしく、爽やかな歌詞なのに、ピアノの調べは切なく甘い。


(これが、周防(すおう)君の音色なんだ)


 先日、(いと)と共に見たしらべの調査報告が頭に過る。


 ——周防君の闇は、彼を愛してくれた人との死別です。彼が涼風さんに想いを寄せるのも、涼風さんが彼女に似ているから、という可能性があります。


 もしかしたら、この曲は(かなで)の大切な「彼女」に向けたものかもしれない。甘やかな旋律も、切なげな調べも、全て彼女に宛てたものなんじゃないか。

 だとしたら尚のこと、(りん)(かなで)の想いに応えてはいけないような気がした。

 だって、(りん)は彼女の代わりにはなれないのだから。


(りん)、そろそろ家出たほうがいいんじゃない?」


 (りつ)の声で(りん)はハッとした。


「ほんとだ……急がないと」


 (りん)は慌てて朝食を片づけ、「行ってきます」と家を飛び出した。


* * *


「ねえ、(かなで)!」


 西日が差し込む夏のアパートの一室。ヘッドフォンをして、電子ピアノの前に座っていた小学六年生の(かなで)に、艶やかな黒髪をショートボブにした少女……葵衣(あおい)が抱きつく。彼女は中学三年生で、体つきも(かなで)に比べてずっと大人だ。思春期を迎えつつある(かなで)は、彼女にベタベタされるのがほんの少し恥ずかしかった。


「何……」


 (かなで)はヘッドフォンを外しながら、ぶっきらぼうに尋ねる。すると、葵衣(あおい)は明るい笑顔でこう続けた。


「今日、花火大会だね!」

「うん。そうだね。だから何」

「美鳥さんがね、浴衣買ってくれたんだ。葵色の浴衣」

「へー、母さんが」

「そう。私、それ着て歩きたいんだけど……ほら、こんなに可愛い女の子が一人歩きしたら心配じゃない?」


 可愛いって、自分で言うのか……と、(かなで)は呆れ顔だ。しかしまあ、葵衣(あおい)の容姿が整っているのは認めている。悔しかったが。


「まあ、心配ではあるかな」


 照れくささを堪えながら、なんとかそう答えた。すると葵衣(あおい)は「その言葉を待ってました!」と言わんばかりに、(かなで)を抱きしめる力を強くした。


「ね? じゃあさ、(かなで)が一緒に来てよ!」

「ええ、僕が? 小学生に用心棒しろって言うの?」


 心底嫌な顔をする(かなで)を見て、葵衣(あおい)は「だって」と唇を尖らせる。


「お父さんは海外にコンサート行ってていないし、美鳥さんはパートで疲れてるじゃん。(かなで)が一番適任だよ」

「友達とか、彼氏とかいないの?」

「友達はみーんなデート。私に彼氏はいませーん。てことで、ほら、一緒に行こ!」


 葵衣(あおい)に満面の笑みを向けられ、(かなで)は赤い顔で溜息をつく。本当に、この姉の笑顔には敵わない。見ているだけで、何でも言うことを聞きたくなってしまう。


「分かったよ。行く」

「ほんとに!? やったー!」


 葵衣(あおい)(かなで)の肩に腕を置き、彼をぶんぶんと振り回す。脳が揺れてしまって気持ちが悪い。なのに、逆らう気持ちになれなかった。

 本当に悔しいが、(かなで)葵衣(あおい)の喜ぶ姿が見られれば、もう何でも良いぐらい幸せだったのだ。



 夜が来て、花火大会が開幕した。名前と同じ色の浴衣を着た葵衣(あおい)に手を引かれながら、(かなで)は屋台の並ぶ通りを歩いて行く。

 不意に、葵衣(あおい)が立ち止まった。どうしたのだろうと思って彼女の顔を見ると、その視線はすぐ傍の屋台に注がれていた。


「いちご飴! ねえ、買っていい?」

「勝手にすれば」

「ありがとう! じゃあ、(かなで)の分も買ってあげる!」

「僕はいいよ」

「遠慮しなーい! ほら、行くよ」


 半ば強引に連れていかれた上、勝手に押し付けられたいちご飴を、彼女から受け取る。正直なところ、(かなで)はいちご飴よりも焼きそばが食べたかった。しかし、自分の隣で美味しそうにいちご飴を頬張る葵衣(あおい)を見て、まあこれも悪くないかと一口齧った。

 甘い。酸っぱい。でも、美味しい。まるで、葵衣(あおい)への気持ちのようだった。


 花火が上がる。彼女は空を見上げて笑った。ただ、その笑顔が眩しくて……同時に、胸が痛かった。


「ねえ、葵衣(あおい)

「何?」

葵衣(あおい)は、これからもずっと、僕と一緒にいてくれる?」


 赤い顔で尋ねると、葵衣(あおい)は一瞬目を丸くして……やがて、頬を染めながら笑ってくれた。


「もちろん」


 ——ねえ、なんで顔が赤いの。僕と同じ気持ちって、期待していいの?


 喉の奥まで出かかった言葉を、ぐっと飲み込む。


 ——こんな気持ちになるなら、姉弟じゃなきゃよかった。なんで、僕と葵衣(あおい)は父親が同じなの。


 胸が切られるように痛くて、(かなで)は俯く。すると、葵衣(あおい)(かなで)と繋ぐ手を強くしてくれた。


「一緒だよ。ずっと」


 彼女は花火を見つめながら、微笑む。


「私には、(かなで)だけいればいいの」


 その言葉の意味を尋ねることすらできないまま、(かなで)はただ、花火に照らされる彼女の横顔を見つめていた。


* * *


 朝のニュースバラエティでの演奏が終わり、キャスターの「フローラ・フローラの皆さんでしたー!」と言う声の後に、ステージからはける。

 楽屋に戻る途中、茶色い癖毛のメンバー……冴島隼人(さえじまはやと)が、(かなで)の顔を見てぎょっとした。


(かなで)君、大丈夫?」

「え?」

「えって……泣いてるじゃん」


 隼人に指摘され、(かなで)は目を擦った。確かに、目元が濡れている。どうやら、本当に泣いているらしい。


「なんで泣いてるんだろう」


 (かなで)は目を潤ませながら苦笑いする。


「ステージ、失敗した訳でもないのにね?」


 そう言って、(かなで)は笑顔を崩さず首を傾げた。

 そんな彼を見たもう一人のアッシュのショートヘアのメンバー……桐山薫(きりやまかおる)が、心配そうに彼の背中を擦った。


「辛い時は泣きな? 何があったか知らないけど……泣いていいよ」

「ふふ、何も辛くないよ」


 ——そう。辛くなんてないんだ。 (かなで)は自分に言い聞かせる。

 ファンもいて、活動も上手くいっていて、恋もしていて、学校にも行けている。

 ただ、葵衣(あおい)がいないだけなのだ。


「僕、高校に顔出さなきゃいけないから急ぐね。行かないとさ、母さんが心配するんだ。今から行けば、きっと学園祭の準備には間に合うから」


 (かなで)は早口でそう言うと、戸惑うメンバーを置いて急ぎ足で楽屋に戻っていった。

 荷物を纏めて、制服に着替える。いつも通りの準備だ。なのに、胸が痛くて視界がぼやけた。


(泣いたって、仕方ないのにな)


 笑顔を作って、必死に気持ちを誤魔化す。


(そうだ、(りん)ちゃんに会えば、きっと落ち着く。だって、(りん)ちゃんは葵衣(あおい)に似てるから——)


 そう、僅かな可能性に縋りながら、(かなで)は楽屋から学校へ向かった。

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