18 教えて欲しい
弦が鈴のお見舞いに行っている頃、校門から出てきた奏は、ある女子生徒に呼び止められた。
「周防奏君」
その凛とした声に振り返ると、自分よりずっと背の低い、眼鏡を掛けた黒い三つ編みの生徒……しらべが微笑んでいた。
見た目こそ地味なのに、彼女からは強く涼し気な空気を感じる。ただのフローラ・フローラのファン、という訳でもなさそうだ。
奏は柔らかい笑顔を作り、彼女の方に歩み寄っていった。
「こんにちは。僕に用事?」
「ええ。あなたに食べさせたいものがあるんです」
「食べさせたいもの?」
予想もしなかった言葉が返って来て、奏は首を傾げた。
この学校に来て数日。自分に用がある生徒の大半は、デートしてくれだの連絡先をくれだの、そういうことばかり言ってきたからだ。そんな中、彼女の申し出はかなり異質だった。
戸惑う奏を見て、しらべはにこりと微笑む。
「来週の火曜日、六月十七日……あなたのお誕生日ですよね?」
「ああ、そうだね」
「その前日、六月十六日は私の誕生日なんです」
「そうなんだ」
「少し早いですが、文化祭準備で忙しくなる前にお祝いしませんか? 駅前の喫茶店の誕生月クーポンがあるので。あの喫茶店は隠れ家のような場所ですし、人目も引きません」
見ず知らずの女子に誕生日祝いを申し出られている。この状況がよく分からず、奏は困惑の滲んだ笑顔で首を傾げた。
「僕の誕生日を知ってるのは、まあ事務所のサイトに書いてあるから分かるよ。でも……なんで君が僕のお祝いをするの? 君は誰なの?」
「ああ、申し遅れました。私、新聞部で二年D組の京しらべという者です。日和弦君と涼風鈴さんともお知り合いでして」
「へえ、弦と鈴ちゃんの知り合いなんだ。しかも、新聞部……」
しらべの意図を何となく想像することができて、奏はククッと笑う。
「察するに、弦から僕について調べるように頼まれたのかな?」
図星を付かれたしらべは、ぎくりと肩を竦める。二人の名前を出せば警戒を解いてくれると思ったが、やはり少し強引だったか。
しかし、弦の頼みだ。引き下がるわけにはいかない。しらべは笑顔を崩さないようにして続ける。
「……お察しの通りです。しかしながら、私自身も、あなたには興味があります。ですから、少しお話を伺いたいのですが」
「僕に興味? 国民的アイドルの、フローラ・フローラだから?」
冗談めかしく言う奏に、しらべは首を横に振り……真剣な眼差しを向けた。
「アイドルとしてではなく……「周防奏」という、一個人に興味があります」
しらべの言葉に嘘はない。弦からの頼みであるから調査している、というのも事実ではあるのだが、しらべ自身、気になっていたのだ。弦が、あそこまで気にする恋のライバルが、どんな人間なのか。
そして奏も、しらべの言葉に驚いて一瞬息を飲んだ。国民的アイドルというレッテルには目もくれず、自分自身に興味があると言ってくれている。そんな風に自分を見てくれるのは、「葵衣」だけだと思っていたが……。もしかしたら、京しらべという女子生徒は他の生徒とはちがうのかもしれない。そう思ったら、がぜん彼女に興味がわいた。
「……分かった。いいよ。君の望む話をしてあげる」
「ほんとですか?」
「うん。その代わり、君のことも教えてよ。僕、君に興味があるんだ」
「ああ、もちろんです。一方的な取材はフェアじゃありませんから」
しらべは微笑み、奏を「喫茶店まで案内します。行きましょう」と促した。奏はそれに柔らかく頷き、彼女についていった。
* * *
しらべと奏は木崎駅前の喫茶店、「Old clock」の店内に入り、店の一番奥の席に向かい合わせで座った。メニューを確認し、苺のショートケーキとブラックコーヒーを奏が、紅茶とチーズケーキをしらべが注文する。
頼んだものが来るまでの間で話を進めようと、しらべは鞄からメモ帳とペンを取り出した。
「では、お話を伺いましょうか」
「うん。どうぞ」
奏はゆったりと机に頬杖をついて、しらべに微笑む。まるで写真集の表紙にでもなりそうな画だ。ファンが見たら発狂ものだろう。しかし、しらべは特に動揺するでもなく、尋ねる。
「苺が好きなんですか? あなたが苺のショートケーキを頼んだの、少し意外でした」
「ん? そんなことが聞きたいの?」
「いえ、少し気になったものですから。事務所のサイトにはティラミスが好きだと書いていたので、てっきり今日もティラミスを頼むのかと思ったんです」
しらべは笑顔で尋ねる。
いきなり核心をつく質問をしたところで、答えてくれる可能性は低い。そのため、まずは些細な質問から尋ねていって、彼に気を許してもらおうと思ったのだ。
ただ、奏にもそれはお見通しだった。——きっと僕の気を緩ませようとしてるんだろうな。そう思いながら、柔らかく微笑む。
「ティラミスは好きだよ。でも、誕生日祝いは苺のケーキが食べたいんだ。定番じゃないか」
「そうなんですか?」
「うん。僕としては、チーズケーキを頼んだ君の方が不思議だね。どうして、それにしたの?」
奏の質問に、しらべは真剣な顔で即答する。
「ケーキの頂点はチーズケーキだからです」
「え?」
「ただ甘いだけではなく、かと言って苦いわけでもない。そして、胃の中ですぐに溶けてしまうこともない。……要するに、美味しくて腹持ちの良いチーズケーキは最高だということです」
「ふーん、なるほどね」
奏は面白そうにクスクスと笑う。それを見て、しらべはムッとして頬を染めた。
「何がおかしいんですか?」
「ううん。チーズケーキにそこまでの熱量を注いでる人、初めて見たから面白かっただけだよ。しらべちゃんは食通なの?」
「む……通とまでは言えません。プロの舌には敵いませんから。しかし、まあ……食べることは、昔から好きでしたね」
「へえ。しらべちゃん、すごく小柄で胃も小さそうなのに。意外」
「悪かったですね」
しらべは頬を膨らませる。それを見て、奏はニヤニヤと笑った。
「意外と、大食いタレントとか向いてたりして」
「う……もう何でもかんでも食べまくるなんてことしません。私は変わったんです。食事は栄養バランスに配慮し、腹八分。これが今の私のモットーなんです」
「変わったってことは、そう意識するきっかけでもあったの?」
柔らかい笑顔で尋ねられて、しらべは言葉に詰まった。弦の名前を出すのはやめた方がいいのは明白だ。弦の話を聞く限りだと、彼は鈴を巡って弦をライバル視しているだろうから。
考えた末、「好きな人の隣に立ちたかったから、変わったんです」と小さく答えた。
その答えを受けて、奏は僅かに目を伏せた。
「……しらべちゃんは、努力家なんだね」
「はい?」
「好きな人から好きになってもらうために、努力をする。僕にはそれが理解できない」
奏の声色が、先ほどと比べて低くなった。きっとこれは、彼の本音だ——。しらべは動揺を押し殺しながら、「どういうことですか?」と尋ねる。すると、奏は小さく笑って続けた。
「僕なら、無理に自分を高めたりしない。自分を愛してくれる人を探す。今のままの……そのままの自分のことを愛してくれる人を」
「それが、涼風さんだと?」
「うん。彼女ならきっと僕のことを大事にしてくれる」
奏は悲しそうに、眉尻を下げながら微笑む。その表情は、現実を理解しているからこそ辛そうにしているようにも見えた。
「そのままの自分を愛してくれる人」「涼風さんに縋ってしまう理由」この二つが、彼の抱える闇の核心なのだろう、と、しらべは想像しながら口を開いた。
「なぜ、涼風さんなら自分を愛してくれる、と言い切れるのですか? あなたの表情から察するに……本当は、彼女の気持ちに気づいてるんじゃないですか」
「……そうかもね」
「なら、どうして彼女に縋るのです? あなたほどの人なら、きっと他にも自分を愛してくれる人を見つけられるはずです。違いますか?」
「……僕は、そんなに愛されるような人間じゃないよ。才能も、思いやりも持ってない。でも、鈴ちゃんなら……彼女に似ている鈴ちゃんなら、きっと僕を愛してくれる」
「彼女とは誰です?」と聞こうとした丁度その時、店員が飲み物を持ってきた。
「お待たせいたしました。紅茶のお客様は……」
「あ、はい!」
店員が自分の前に紅茶を置いてくれる。奏の前にも、コーヒーが置かれた。
「ケーキも持って参りますので、少々お待ちください」
「分かりました」
店員が去っていく。その後ろ姿を確認して、奏は柔らかく微笑んだ。その表情からは、先ほどの辛そうな様子は想像できない。まるで、自分の心を押し殺すことに慣れているようだ。
「話し過ぎちゃったな。ケーキも来るし、ここまでにしようか」
「待ってください。最後に一つだけ」
「ん?」
「……ありのままの自分を愛してくれた「彼女」とは、もう会えないのですか?」
奏の口ぶりから考えた仮説だった。
奏を愛してくれた「彼女」は、もう会えない場所にいて……だから、鈴に執着している。つまり、その「彼女」との別れが、奏の抱える闇なのではないか、という仮説だ。
しらべの質問に、奏は柔らかい笑顔のまま答える。
「そうだね。もう、この世にはいないから」
悲しむ様子も、懐かしむ様子もない。心が持つ「悲しむ」機能を完全に停止させたような、そんな顔。
やはり、「彼女」こそが、奏の持つ闇で間違いなさそうだ。
大切な人との別れ……しかも、死別となれば、その苦しさは計り知れない。そして、今の彼の様子を見ても、その心の傷は癒えていないのだろう。おまけに、今も好きな人に振り向かれることは無いのだ。このままでは、間違いなく彼は壊れてしまう。
なら、自分にできることは何か。
「……周防君」
「何?」
「またお話してくれませんか?」
また、思ってもみなかったことを言われた。奏は目を丸くした後、困ったような笑顔を見せた。
「どういうこと? また、取材を受けろって? もう十分話したと思うよ」
奏の言葉に、しらべは首を横に振る。
「取材ではなく、同級生として、話がしたいのです。私は、あなたの「友人」になりたい」
「友人? 僕と? それで君に何のメリットがあるのさ。言っただろ。僕は才能も優しさもない人間なんだって。しかも、芸能人だし人目を引く。僕と一緒にいても、嫌な思いをするだけさ」
奏は柔らかい笑顔のまま、早口でしらべの申し出を断ろうとする。しかし、しらべは動じる様子もなく、フッと微笑んだ。
「一つ教えて差し上げます。友人とは、メリットがあるからなるものではないのですよ。相手を知りたいと思う過程で、自然になるものなのです」
「自然になるもの?」
「はい。メリットやデメリットは、後からついてくるものですから」
「もし、デメリットが大きかったら?」
「それは人それぞれです。友人を辞める人もいれば、それでも一緒にいたいと関係を続ける人もいる。感情の種類は違えど、そこは恋愛と同じですよ。まあ、一つ言っておくと……私は、そう簡単に関係を切ることはしません」
堂々と言ってのけたしらべを見て、奏はぐっと息を詰まらせる。思っていた以上に、彼女は変わっている。
彼女の言葉を信じていいのか分からない。裏切られるかもしれない。しかし……信じてみたいと、思ってしまった。
「……分かった。また話そう」
「ふふ、良い返事が聞けて嬉しいです」
しらべの微笑みを見て、むずがゆくなった奏は視線をコーヒーに落とした。
(……こんなの、葵衣といた時以来だ)
小さく苦笑いする。
葵衣の他に、自分をここまで振り回す人間がいるとは思わなかった。いや、「振り回されても文句が言えない相手」と言った方が正確か。
「お待たせいたしました。苺のショートケーキと、チーズケーキです」
「あ、私がチーズケーキです!」
しらべは嬉々としてチーズケーキを受け取る。奏の前にも苺のショートケーキが置かれた。
「ごゆっくりどうぞ」
店員が笑顔を残して去っていく。
「では、食べましょうか。少し早いですが、周防君、お誕生日おめでとうございます」
「……ありがと。君もね」
なんとか、しらべに微笑み返して、ショートケーキの苺をフォークで刺して、一口で食べる。
砂糖でコーティングされた苺は、自分には不相応なぐらい甘くて、奏は思わず目を伏せながら笑ってしまった。




