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リボンワンピース・プリンス  作者: 月島
第二章 君を知る文化祭
14/54

14 しらべと弦

 (いと)は新聞部部室に来ると、がらりとドアを開けた。中にはパソコンのキーボードをタイピングするしらべがいる。

 彼女は(いと)に気が付くと、目を丸くした。


日和(ひより)君?」

(かなどめ)、今、時間いいか」

「別に構いませんが……どうしたんですか?」

「頼みがあるんだ」


 (いと)の真剣な顔を見て、しらべはフッと微笑み、パソコンを閉じる。


「まずは話を聞きましょうか。どうぞ座って下さい」


 しらべに促されて、(いと)は彼女の向かいにドカッと座る。しらべは手帳を取り出して、ボールペンをノックしながら彼に尋ねた。


「それで、頼みとは何ですか?」

周防奏(すおうかなで)について、調べてくれないか?」

周防(すおう)……ああ、フローラ・フローラの。たしか、日和(ひより)君のクラスに編入してきたんでしたよね」

「知ってんのか」

「ええ。話題になってましたから。アイドル事務所のサイトに出てること以上の情報は知りませんが」


 彼女の答えに、(いと)は意外そうに目を大きくした。


「お前のことだから、とっくに取材でもしてんのかと思ってた。人気アイドルの編入生なんて、良いネタだろ?」

「彼には、あまり興味が無いんです」


 しらべはニコリと微笑む。


「私は自分の興味に基づいて調査を進めているんですよ。何でもかんでも取材していたら身が持ちません」

「そーいうもんか」

「ええ。それで、周防(すおう)君の何が知りたいんですか?」


 しらべに柔らかく尋ねられ、(いと)は静かに口を開いた。


「あいつが抱えてるものを調べて欲しい」

「抱えているもの……というと、悩みやトラウマ、といったものでしょうか」

「ああ。あいつ……ふーりんのことが好きっぽいんだ。だから、俺にとってはライバルなんだ。だけど……どこか辛そうで、絶対何か抱えてるんだ。そんなハンデを抱えてる状態のあいつを、ライバルとして対等に見ていいのか分かんねえ。本気で、打ち負かせていいのか分かんねえんだ」

「なるほど。彼を対等なライバルとして認めるために、彼の闇を知り……助けたいと、日和(ひより)君はそう言っているのですね」

「ああ。実は……あいつ俺はピアノのライバルでもあったんだ。前に話したと思うけど、あいつが、俺がピアノで一回も勝てなかった相手でさ。だから、俺にとっては因縁の相手で……ぶつかるなら、お互いに万全の状態でぶつかりてー。どっちかにハンデがあるまま戦うなんて嫌なんだよ」

「ふむ……分かりました」


 しらべは手帳に「周防奏の闇」とメモをし、パタリと閉じる。


「良いですよ。調べて差し上げます」

「ほんとか? あ、そうだ。何か報酬とか……」

「金銭は頂かないのがポリシーなんです。お気になさらず」


 そう言って、しらべは微笑む。彼女の笑顔を見て、(いと)は戸惑いの表情を浮かべた。


「いいのか?」

「はい。まあ、もし日和(ひより)君が何かお礼をしたいと思ってくださるなら……あなたのピアノが聴きたいです」


 意外な答えが返って来て、(いと)は目を丸くした。

 そういえば、初めて会った時も……しらべは、のピアノを知っている風だった。しかし、小、中学生時代を思い返しても、自分の学校に彼女はいなかったように思う。


「なあ、(かなどめ)。お前、俺のピアノを知ってるのか?」

「ええ。もちろん。たまに、第二音楽室から弾いているのが聴こえてきますから」

「そうじゃない。今の俺のピアノじゃなくて……もっと、昔。小中学生時代の俺のピアノだよ」

「ふふ、日和(ひより)君は知りたがりですね。……そうです。昔から、あなたのピアノを知っていました」


 しらべは柔らかく笑って、立ち上がる。

 窓から差し込んでくる夕日が、彼女の微笑みを優しく照らした。


「あなたが生み出す全ての音が……私の光だったんですよ。日和弦(ひよりいと)君」

「光……?」

「ええ。あなたは覚えていないでしょうが……」


 しらべは、愛おしい思い出を振り返るように、目を閉じて語り始めた。


* * *


 しらべと(いと)は、小学校の同級生だった。

 しかし、当時はお互いに親しかった訳ではない。地味で大人しいしらべと、活発な(いと)は、住んでいる世界が違ったのだ。

 それに加えて、しらべは小学生時代、今よりずっと太っていた。そのため、当時はクラスメイトから心無い言葉を掛けられることも多かった。

 朝、教室に入って来ると、毎日必ず数人の男子に笑われるのだ。


「うわ、デブが来た」

「重すぎて、床に穴が開くわー」


 ケラケラと笑われながら、しらべは涙を堪えて席に着く。そんな日が、毎日続いていた。

 しかし、ある日。その地獄が突然終わりを告げたのだ。

 小学四年生の夏。「デブ」「ブス」と笑われながら、しらべが朝の会までの時間を必死に耐えていたその時。


「だっせーな」


 教室の奥の席から、よく通る大きな声が聞こえてきた。声変わりが始まったばかりの少し掠れた声。その声の主が誰か、しらべはすぐに分かった。


日和弦(ひよりいと)君……?)


 しらべが恐る恐る窓際の一番後ろの席を見ると、(いと)が自分を揶揄ってくる男子たちに鬱陶しそうな目を向けていた。


「毎日毎日、一人の女子相手に複数人で悪口言うとか……お前ら、恥ずかしくねーのかよ」


 (いと)に睨まれた男子たちは、一瞬怯んだが、すぐに笑顔を作って誤魔化す。


「べ、別に悪口じゃねーよ。事実じゃん」

「そーそー。てか、あれが女子って……全然可愛くねーし」


 男子たちの言葉が苦しくて、しらべは痛む胸を押さえた。

 反省の色を見せない男子たちに向かって、(いと)は舌打ちする。


「そうやって、よってたかって女子一人をいじめてるお前らの方が不細工だわ。悪口言ってる時の自分の顔鏡で見て見ろよ。てか、周りの奴らだってお前らのこと煙たがってんだぞ。空気読めよ」


 (いと)の言葉を聞き、男子たちは周りを見渡した。すると、他の児童たちも、迷惑そうな顔で彼らを見ていた。


「いつもいつも、うるさいよね」

「ねー。聞いてて嫌な気持ちになる」

「まじ、空気読めよ」


 周囲の児童たちの反応に気が付き、男子たちは青ざめる。しかし、自分たちのしてきたことが悪いことだと認める勇気は出なかったのか、バタバタと教室から逃げて行った。


「もう(かなどめ)のこといじめんなよ!」


 彼らに向かって、(いと)は言い放つ。

 彼らの姿が見えなくなった後、(いと)は溜息を吐いて、しらべの席にやって来た。


「おい」


 ぶっきらぼうに声を掛けられ、しらべはビクッと体を竦める。恐る恐る彼の顔を見ると、くっきりとした二重のタレ目で、真剣に見つめられていた。


「嫌なことは嫌だって言えよ。あんな奴らに気を遣う必要なんざねーんだぞ」

「で、でも……そんな勇気、ない、し」


 声が震える。しらべの煮え切らない様子が鬱陶しかったのか、(いと)は溜息を吐いた。


「あのなあ(かなどめ)……」

「は、はい」

「まず、背筋を伸ばせ」

「はい?」


 唐突に姿勢を正すように言われて、しらべは困惑する。そんな彼女を真剣に見つめながら、(いと)は続けた。


「次に、自分の長所を忘れんな。自信持て」

「ちょ、長所? そんなのない……」

「お前、勉強得意だろ? 夏休みの自由研究、学年の中で最優秀賞だったじゃねーか」

「で、でも……そんなの別に長所じゃない……だって、勉強って、頑張ればみんなできる」

「んなことねーんだよ。俺は勉強苦手だ。だから、お前はすごい」


 真っ直ぐに言ってのけられ、しらべは顔を赤くして俯いた。まさか、(いと)に褒められるなんて……信じられなかったのだ。


「だから堂々としてろ。お前は、不当に扱われていい人間じゃねーよ」


 (いと)はそう言うと、フッと表情を和らげる。彼の優しい微笑みが、しらべには眩しく映った。

 チャイムが鳴る。(いと)はそれに気が付き、自分の席に戻っていった。

 しらべの心臓がうるさい。頬が熱い。(いと)の微笑みが、頭から離れてくれなかった。


(いと)君のあんな顔、初めて見た……。もっと、知りたい。(いと)君のこと)


 この日、しらべは(いと)に淡い恋心を抱いたのだった。


* * *


 その日から、しらべはダイエットを始めた。家族に協力してもらい、食事のバランスに気をつけ、朝は父と一緒に街を走った。それを半年続けているうちに、しらべはいつの間にか、痩せて可愛らしい女の子になっていた。

 ——これで、(いと)君の傍にいても変じゃない。そう思い、しらべは(いと)に声を掛けようとした。

 帰りの会が終わり、ランドセルを背負って教室を出て行こうとする(いと)を追いかける。


(いと)君……!」


 名前を呼んだが、よほど急ぎの用があったのか、彼はしらべに気づかずに教室を出て行ってしまった。ちらりと見えた横顔は、普段の彼と比べて、どこか悲しそうだった……。

 

 ——(いと)君、どこに行くんだろう……。

 

 後を付けるなんてしてはいけないと分かっていた。しかし、気になってしまったのだ。何が、彼にあんな悲しい顔をさせるのか。

 しらべは、こっそり彼の後を追った。

 教室を出て、渡り廊下を歩く。彼は正面玄関を出ずに、特別教室棟の音楽室に入って行った。

 さすがに中に入る訳にはいかないと思い、しらべは外の壁にもたれかかる。


(いと)君、音楽室で何してるんだろう)


 不思議に思いながらも、しらべが静かにしていたその時だった。


 ぽろん……。


 透き通ったピアノの音色が、耳に入って来た。

 曲名は分からない。だが、流れるように美しい旋律が聴こえてくる。

 綺麗だった。まるで、月明かりを音色にしたような……そんな調だった。

 しらべは、(いと)にバレてはいけないことも忘れて、聞き惚れてしまった。

 

 ——綺麗。(いと)君の音色、本当に素敵……。

 

 彼のピアノを聴いているだけで、心が穏やかになっていく。今まで、ずっといじめられ続けて傷ついた自分の心が癒えていくような気がした。

 しらべにとって、(いと)のピアノは希望の光だった。

 このまま、何もせずにずっと聴いていたかった。

 しかし、その音色は突然鳴りやんでしまった。

 ピアノの代わりに聞こえてきたのは、彼のすすり泣く声だった。


「なんで……上手く弾けない?」


 震える声が、教室の外に微かに漏れてくる。


「やっぱり、俺のピアノに価値なんてないんだ」


 ——違う。そんなことない。(いと)君のピアノは、私を救ってくれた。こんなに素敵な音楽が、無価値なはずない。


 しらべは、そう彼に伝えようと思い、教室の扉に手を掛けて……やっぱりダメだと離した。

 素人の私の言葉なんかじゃ、彼を元気づけられない。彼の事情も知らないのに、偉そうなことなんて言えない……そう思ったからだ。


 ——もし、(いと)君を元気づけたいと思うなら、(いと)君の世界を知らないといけない。そして、自信を持って「あなたの音楽は素敵だ」と伝えられるようにならないと……私の励ましに価値なんて生まれない。


 しらべは彼に気づかれないうちに、音楽室から立ち去った。

 そして、家に帰って、動画サイトでピアノの曲を聴き漁った。すべては、(いと)の世界を知るために。

 しかし、しらべの思いとは裏腹に、あれ以降、(いと)がピアノを弾くことは無かった。

 その後、クラス替えで別の学級に別れてしまい、二人で話すことも無くなってしまった。

 時折、彼の教室を見ると、彼は一人で不機嫌そうに窓際の席に座っているだけで、誰とも話そうとしなかった。そんな彼の頬には、不自然なガーゼが貼られている。

 廊下を歩いていると、「(いと)君、またクラスメイトと喧嘩したんだって」「殴ったりしてたらしいよ」「こわーい」という噂話が聞こえてくる。

 何が彼を変えてしまったのか、しらべには分からなかった。だからこそ、(いと)のことが知りたかったのだ。

 中学は離れてしまったが、彼が木崎学園高校に進学しようとしている噂を耳にし、しらべも同じ高校に進学した。

 高校で久しぶりに会った(いと)は、「学園の王子様」と噂されるようになっていた。それが意外で、でも嬉しかったのだ。

 

 ——(いと)君が、いい人に戻った……。

 

 そう心の中で喜んだのも束の間、彼が教室で見知らぬ女子生徒と話しているのを見てしまった。

 彼の表情は、しらべが今まで見たことがないくらい、明るい笑顔だった。


「見て、(りん)様と日和(ひより)君が話してる」

「王子様二人が並んでると眼福だよねー」


 周りの生徒の言葉で、彼女は涼風鈴(すずかぜりん)という名前なのだと知った。彼女が、学園の王子様なのだということも。

 (りん)(いと)が教室から出てくる。


「ねえ、いと君。今日はピアノ弾くの?」

「おう。今日は第二音楽室借りる」

「聴きに行ってもいい?」

「いーけど、大人しくしてろよ。お前がいるとファンが押しかけてきてうるせーんだよ」

「分かってるよ」


 (りん)と親し気に話す(いと)は、しらべに気づくことも無く第二音楽室へ去っていく。彼の後ろ姿を見て、なぜだか胸が痛かった。

 しかし、彼が笑顔でいられるなら……もう一度、ピアノを弾けるようになったのなら、これ以上なく嬉しかったのも事実だ。

 しらべは涙を堪えながら、微笑む。


 ——(いと)君が、笑顔になった理由が知りたい。彼が幸せになった理由を知ったら……この恋は終わりにしよう。


 そう心に決め、しらべは新聞部に入って、学園の王子様二人の調査を続けた。

 そして、(りん)(いと)の仲を調査し、駅でのイベントの後にぎこちなくなっていたをアシストしようと、彼に写真を持って接触した。その際、彼のピアノのことも知り……(りん)と想いが通じ合って、照れ笑いする彼を見ることができただけで、もう満足だった。

 でも、欲を言うなら……。


「あなたのピアノが聴きたいんです。私のために、弾いてほしいの。一曲でいいから」


 新聞部部室へ差し込む夕日に照らされながら、しらべは優しく微笑んでいた。


「私を救ってくれた、あの音色を……もう一度、聴きたい」


 しらべの言葉を聴き、(いと)は真剣な顔で頷く。


「分かった。聴かせてやるよ。何の曲がいい?」

「『亡き王女のためのパヴァーヌ』……私が初めて聴いた曲。もし、あなたが弾けるなら」

「ラヴェルだな。いいよ。第二音楽室に行こう」


 (いと)に促されて、しらべは荷物を持って立ち上がる。

 夕日に照らされる廊下を、二人で並んで歩く。


「……なあ、(かなどめ)


 不意に、(いと)が真剣な顔で口を開いた。


「お前の気持ちには応えらんねーけど……ありがとな。俺のピアノに、価値を見出してくれて」


 (いと)の言葉を聞き、しらべは幸せそうに笑ったのだった。

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