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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

とある兄弟の悲しい話

作者: むぎしゅ

精神的な病の描写があります。

救いのない話です。

 セオドア第一王子の逃げ場は裏庭である。

 裏庭とは単に園芸用具倉庫と校舎の隙間をセオドアがそう思っているだけだ。生徒たちがお茶会をする日当たりのよい庭とは正反対の、薄暗くジメッとした狭い場所である。

 セオドアは倉庫に寄りかかりぼんやりしている。


(疲れたなぁ……)


 冷たい秋風がセオドアのプラチナブロンドを強めに撫で、彼はただ力なく笑う。


(風も僕には優しくないらしい)




 今日は婚約者であるブレンダ・ライラ・グローヴァー公爵令嬢とお茶をする予定だった。しかし彼女は現れない。これで何度目か。周囲の生徒たちはチラチラとセオドアの様子をうかがっていた。


「テオ様ー!」


 明るい声で叫ばれてもセオドアは振り返らない。声の主はユーニス・スワン男爵令嬢、ミルクティー色の髪をした小柄な女生徒だ。彼女は勝手にセオドアの隣に座り体を擦り寄せたが、彼は体を引いてかわした。


「美味しそう。食べていい?」

「これはブレンダの分だ。それにスワン嬢、私を愛称で呼ぶのはやめてほしい」

「いいじゃない!私とテオ様はお友達だもの!」


 いちいち周りに響く声で話す。マフィンを手で持ち頬張るとボロボロと口元から欠片がこぼれる。セオドアはただ苦笑するしかない。


 ふとユーニスはハンカチで口を拭うと、セオドアの耳元で囁いた。


「ね、テオ様。私と楽しい事しましょ?いいじゃない、来ない婚約者を待つよりもずっと楽しい事。王様になったら自由なんてないもの。行きましょうよ」


 ユーニスはセオドアの赤い目をじっと見つめた。しかしセオドアは力ない微笑みを見せるだけ。


「君も大変だね。雇い主はブレンダかな?」


 さぁっと青ざめたユーニスを残してセオドアは席を立った。

 彼がいなくなると周囲の生徒たちがざわざわと噂を始める。まるで示し合わせたかのように。


「ブレンダ様は来なかったみたいね」

「それはそうよ。ブレンダ様は無能王子よりキャロル第二王子殿下を推してらっしゃるもの」

「しかし仲よさげだったな」

「無能王子と無作法令嬢ならお似合いなんじゃないか?」




 生徒会室と札が下げられた扉を三回ノックする。返事はない。セオドアはそっと小指が入るほどの隙間分扉を開ける。


「グローヴァー嬢、ありがとう」


 キャロルは書類を整えながら隣に座っているブレンダに礼を言った。


「いいえ。お役に立てて嬉しいです」


 ブレンダはキャロルに笑顔を向ける。その頰は薄っすら赤くなっていた。


「ほら、ブレンダ様を呼んだ方が早いって言っただろ?」

「フィリップ様!貴方の手柄にしないの」

「ブレンダ様助かりました。これから皆でお茶会をしようと思うのですがいかがですか?」

「えぇ。是非」


 ブレンダはすぐに返事をした。書類を書類袋に入れながらキャロルは質問をする。


「今日は兄上と何か約束があったりはしないのですか?」

「いいえ今日は何も。最近は別の方にご執心みたいでして」

「またか……」


 ブレンダは黒い髪と同じ色のまつ毛を伏せて悲しそうに俯く。すると役員たちは次々と彼女を慰めセオドアを批難する。


「酷い!婚約者を大切にしないなんて」

「いえ、いいんですの」

「良いわけないでしょう!あの方は成績も剣術もダンスも何もかも……キャロル様を見習ってほしいよ」

「だから無能王子なんて言われるんだよな。あんなのが次代の」


 バンッ!とキャロルが書類を机に叩きつける。役員とブレンダは思わず黙り一斉に彼を見る。キャロルは赤い目で役員たちをきつく睨んでいた。


「不敬だぞ。件の令嬢の事は私が兄上に注意する。グローヴァー嬢、それでいいですか?」

「は、はい!」

「……驚かせてすまなかった。さぁ、早く片付けてお茶にしよう」


 キャロルが笑って謝罪する。セオドアよりもずっと穏やかで甘い笑顔だ。すると役員たちは先ほどよりも手早くテーブルの上の書類や文具を片付けていく。ブレンダは片付けながらキャロルをチラチラと見ていた。


 セオドアはざわめきに合わせて、そっと扉を閉めるしかない。




「無能王子」


 セオドアの蔑称。

 彼は双子の弟キャロルと比べて何もかも劣るとされてきた。


 キャロルは天才だった。

 成績は常に一位。学内の剣術大会でも三位の実力者。パーティーでダンスを踊れば皆が見惚れる。公務をこなしながら生徒会会長も務める。容姿も同じプラチナブロンドとルビーの瞳を持つはずなのに、キャロルの方がずっと気品があり美しい顔をしていた。


 セオドアはキャロルに何一つ勝てない。

 しかし彼は第一王子である。最も次代の王に近い者が無能というのは罪だ。罪人は罰せられなくてはならない。


 いつしか蔑称が広まり、周りから人は離れ、嘲笑が普通になった。キャロルは周囲の言葉を信じて自分を諌めるだけ。

 

 全てを諦めたセオドアは力なく微笑むしかなかった。




「おーいテオ!何してんだよ」


 裏庭に隠れていたセオドアの前に現れたのは従兄のフレドリック・ジョン・レイクス公爵令息。明るく気さくな人柄を持つ人気者。セオドアは少しばかり驚いた。


「ここがよくわかったね」

「それより顔色が悪いぞ?次期国王がそんな調子でどうするんだ!」


 がははと笑う彼を見てセオドアは赤毛の熊のようだと思った。フレドリックはセオドアをひたすら鼓舞しようとする。


「……だからキャロルのお小言なんか気にせずにどんと構えてればいいんだよ!ウジウジするから皆言いたい放題なんだもっと王族らしく胸を張って」


 フレドリックが何を言ってもセオドアは笑うだけ。業を煮やしたフレドリックは少し小声になりある提案をした。


「なぁ、気晴らししようぜ?」

「気晴らし?」


 フレドリックは悪い笑顔を見せ、ポケットの中から鍵を出した。


「生徒会室の鍵だ」

「あぁ……」

「イタズラしてやろうぜ?あそこにはちょっと金があるらしいんだ。なぁに借りるだけだ、キャロルだって大事にはしないだろ。どうだ?」


 そう言ってゆらゆらとセオドアの顔の目の前で鍵を揺らすフレドリック。


「面白い事を言うね」

「な?じゃあさっそく」


 セオドアはすかさず鍵を奪った。驚くフレドリックを無視して、セオドアは少し先にある木を指差す。


「木の後ろにいるのは誰だい?君の友だち?それとも目撃者役かな?」

「な……!」


 フレドリックは一気に顔を赤くすると「無能王子が」と吐き捨て、隠れていた他の生徒たちとともに去って行った。


(馬鹿だなぁ。生徒会室の鍵の場所は役員しか知らないんだ。これは偽物だ)


 セオドアは目を瞑りため息をつく。

 最初は屋上前の踊り場、次は空き教室、そして裏庭。人目のつかない静かな場所はもう学園にはない。


(僕はどこに逃げればいいんだろう)




 突然聞いたことのある声が耳に響いた。


「セオドア様?寝ているんですか?いい気なものですね、国王になる自覚はあるのですか?さぁ起きてください」


 驚いて目を開けると、幼い頃礼儀作法を教わった際の教師が立っている。

 彼はセオドアを見下ろしている。声は失望に満ちている。だが表情はわからない。顔に黒い霧がかかっている。

 次第に人が増える。別の教師、幼馴染、生徒、そして婚約者。皆同様に顔に黒い霧がかかっている。

 セオドアは何も言えない、動けない。彼らはあっという間に彼を取り囲んだ。


「キャロル様は既にこの本を完璧に理解しておられます」

「キャロル様ならもっと上手くできますよ」

「キャロル様が第一王子なら」 

「キャロル様は優秀なのに」

「キャロル様が私の婚約者なら」

「双子なのに」

「余の子らはなぜこうも」

「キャロル」

「セオドア」

「お前は」

「無能だ」



 

 意識は途絶えた。

 




 数日後セオドアとブレンダの婚約が白紙になり、彼は隣国に留学した事が発表された。そして新たにキャロルとブレンダの婚約が結ばれた。




 キャロルはセオドアが悪いと思っていた。

 自分やブレンダたちが諫めてもへらへらと笑い直さないのだから。


「兄上は勉学は得意だったじゃないですか。もっと努力すれば悪い噂をする者も黙るはずです」

「どうして生徒会に入らないのですか?次代を担う優秀な者たちばかりですよ」

「婚約者以外の異性と噂になるなど王族としての恥ではないですか。自分を律してください」


(私は間違っていた!)


 セオドアが消えた後、学園は異様な雰囲気に包まれた。

 セオドアの悪口を言い、フレドリックを中心にキャロルを大げさに賞賛する。ブレンダは生徒会室に入り浸り色目を使う。役員たちはキャロルを以前よりさらに持ち上げる。


「無能王子が逃げ出したぞ!」

「キャロル様の時代だ!」

「キャロル、王になるんだからきちんと用意しとけ……ってお前は無能とは違うもんな!がはは!」

「キャロル様。ずっと辛かった。ようやく貴方の隣を堂々と歩けます。私はどんな責務も貴方となら負う覚悟です」


 キャロルは熱狂に困惑する。まるで神か何かのように崇める者たちの群れだ。


 周囲に無頓着すぎた。

 キャロルは自分の役割しか見ていなかった。王となるセオドアを支える未来しか。兄を諫めても、排除しようなど一度も考えた事はない。

 

 そして皆は自分と同じように兄を敬っていると。あれは嘲笑ではなく心からの心配だと。王子を笑い貶めているなどとは考えなかった。


 今やキャロルは、彼らが自分に群がるおぞましい何かにしか見えなくなっていた。


(兄上もこう見えていたのか?私も兄上にとっては……)




 五ヶ月後、卒業パーティーの日がやって来た。この日王太子が発表されるのが慣例だ。


 キャロルの白を基調にした正装を見てブレンダはうっとりとしている。ブレンダはキャロルの目の色と同じ赤のドレスを着ている。髪飾りは赤い薔薇、ネックレスはダイヤモンドだが、真ん中だけはルビーだ。


「素敵ですわキャロル様」

「ありがとう。ブレンダも美しいよ」

「まぁ……」


 だがキャロルは何の言葉を聞いても何を見ても不愉快でしかない。

 

(気持ち悪い)


「キャロル様よ。ブレンダ様もなんてお美しい……」

「やはりこれがこの国のあるべき姿だな」

「我が国の未来は明るいな!」


 次々とキャロルとブレンダを褒めそやす声が聞こえる。


(気持ち悪い……!)


 予定通りキャロルは王太子に指名された。会場は大きな歓声に包まれる。

 周囲の熱狂とは反対に、キャロルの胸は暗い感情に満ちていた。




「どうしてだよ!?無能王子を消すのに手を尽くしてやっただろ!?」

「何の用事かと思えば、くだらない」


 卒業後すぐにフレドリックは素行不良を理由に廃嫡されそうになり、キャロルに泣きついた。


「私の前でよく言えたものだ」

「畜生!こんな事ならブレンダと手を組んでお前なんて担がなきゃよかった!」

「誰が担げなどと言った?」


 フレドリックは呪詛の言葉を吐き続けながらキャロルの護衛に引きずり出された。フレドリックは結局この件で勘当され、行方はわからなくなった。


 生徒会役員は皆側近になれると信じていた。しかしキャロルは誰も選ばなかった。フレドリックのように泣きついた者もいたが、彼はただ「不適合だからだ」としか言わなかった。


 結婚から三年後、ブレンダが子を成せないのを理由に第二王太子妃を娶る事が決まった。


「よ、よりにもよって男爵家の娘などを!?あの娘を愛しているのですか!?」

「愛など意味はない。それに君が子をなせないからだ。あの家は国内屈指の資産家、援助の約束もしてくれた。政治には手を出さないとも。王家には利益しかない」


 子をなせない。

 そう言われればブレンダは黙るしかない。唇を噛む姿を見てキャロルは鼻で笑った。


「君だって男爵令嬢を使った事があるだろう?」

「え……」

「確かスワン嬢だったか?」


 彼女の顔はすうっと青ざめた。言葉にならない何かを数回呟いた後、震えながらブレンダは尋ねた。


「ま、さか復讐ですか。フレドリック様も、フィリップ様も……す、全てセオドア様の」

「復讐?違うよ。ただ、君たちが無能な役立たずだからさ」


 キャロルはブレンダの顔を覗き込むと、そう言って微笑んだ。




「薬を飲めばこのように落ち着き、正気を取り戻す事もあります。しかし現代の医療では完全には、難しいでしょう」

「一生閉じ込めなければならないのか」

「……」




 キャロルが国王となって十年以上が経過した。


「テオドール・ゴルトベルク殿ですよ。今回は惜しくも受賞を逃しましたが、私としては今一番有望な作家殿です」

「は、初めまして陛下……今日は友人を祝いに来ました、はは」


 キャロルは王国文学賞のパーティーでやけにそわそわとした小柄な青年を見つめていた。それに気がついた公爵がテオドールを紹介した。

 彼は隣国の作家で、温かい家族や友情を描く小説を得意としている。ちなみに彼の国には王も貴族もいない。


 キャロルは小説を読んだ事がある。

 仲の良い兄弟、それぞれの恋人、親友たち。誰もが互いを慈しみ、苦難にあっても絆は切れる事はない。

 それはそれは「荒唐無稽な」話だった。


「君には兄弟がいるのか」


 思わずキャロルは尋ねた。テオドールは首を縦に振った。緊張からか何度も余計に。


「兄がいます。優しい、自慢の兄です」


 何の含みもない笑顔だった。

 

「……大切にな」 

「は、はい!」


 一瞬キャロルは目を伏せた。テオドールはそれに気がついたが意味はわからなかった。

 



 王国は栄えた。

 国民は賢君とキャロルを持て囃した。

 一方冷血という噂も絶えなかったが、それを信じる者は僅かだった。

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― 新着の感想 ―
王が早めに王太子とか決めてればここまで悲劇にならんかったとも言えるんじゃあ。 無能呼ばわりの兄も、弟より劣るにしろ無能では無かったんだろうし(まあ心折れたからそういう面では向いてなかったとも言えるが)…
まぁ兄貴が無能なのは間違いないな。 「君も大変だね。雇い主はブレンダかな?」 の時点で「ユーニスが王家の婚約について王族に口出しした」不敬を王族として「王に伝わるルートで」報告する必要があった。 公爵…
結局とりまきは有能か無能か知らんが、他人(セオドア)を貶めておこぼれに預かる卑しい存在にすぎんよな。 自分らの行為でそれを証明している。 ならばそれを配下に置く側である王としては排除一択だわな。 だっ…
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