元作家の小説のどこが駄目か?
1.
わたしがこれから述べようとしているのは、注文のなくなった作家が、このサイトに書いている小説に対する批判である。
1人称複視点が駄目なのは言うまでもない。
言うまでもない理由が、この作家はわかってないからこそやっているのである。
「わたし」や「おれ」を繰り返すと、誰が主人公なのかわかりにくい。
当然読者は混乱することになる。
一人称単視点でも「おれ」を主語にした小説は、個性の強い主人公の場合にしか使うべきではない。
3人称複視点は認められるが、あまり多いのは、感心しない。
その作家がブログに書いていた小説をこのサイトにも書いているが、前よりもっと駄目になっている。
その作家はブログには、章のタイトルとして視点の人物の名前を書いていた。
ブログ時代は、最初の方はずっと同じだった。
そのほうがマシだったのである。
それを格好が悪いと考えたのかもしれないが、初めから視点を5人以上に動かしている。
これでは、何が何だかわからない。
登場人物が多く、全部の視点で全員の人間関係を書く必要はない。
2.
しかもファンタジーでは、読む気がしない。
3.
余計な状況描写が多い。
ファンタジーで、しかも一人称複視点では、カーテンの色がどうかなど筋に関係ないことを書く必要はない。
4.
難しい言葉の説明を書いていない。
その作家は3流大学しか出ていない。
だから知ったかぶりをしたいのかもしれないが、あまり知られていない単語は説明を加えるべきである。
5.
事実、その作品は書籍化されていない。
何が何だかわからない小説を商業化するはずがない。
今、読んでる人も殆どいない。
6.
勝目梓氏の「悪女が目を覚ました」は、3人称複視点が実にうまく書けている。
「悪女が目を覚ました」は、古本でもアマゾンの電子書籍でも読むことができる。
交通事故を目撃して1億円ネコババした看護婦の視点から始まっている。
初めは看護婦の視点である。
事故の原因になったもう一台の車の運転手の視点に移るが、これは当然である。
看護婦は全く知らないからである。
以下は同書を読んでいただきたい。