ひとりしりとり
あくまでもフィクションです。良い子はマネしないでね……
ひとり〈一人・独り〉……自分だけで、仲間・相手がないさま。人手を借りずにするさま。
しりとり〈尻取り〉……はじめの人が言った物の名の語尾の一音を、次の者が頭字として別の物の名を言い、これを順につづけてゆく遊戯。
ひとりしりとり……ひとりで遊ぶしりとり。
必要な道具……白い紙、クレヨン、生きている人間ひとり。(年齢は問わない)
オススメの環境……長時間ひとりを維持できる場所。
これが『ひとりしりとり』の遊び方だよ。 わかったかい?
いいかい? やめるなら、今のうちだよ。 戻るなら、戻ってもいいよ。
へぇ、そう やる気満々なんだ。
準備は出来たようだね。
それじゃあ、はじめようか……
「お買い物に行ってくるから、お留守番頼んだわよ」
「はーい」
新学期がスタートした。始業式があった日の、午後三時過ぎ。
十歳の“マモル君”は、お母さんから家の留守番を任された。
家にひとりでいると、なぜだかワクワクしてくる。部屋にあるものすべてが、遊び道具に見えてくる。「悪戯しちゃダメ」と言われたものだって、ひとりだったらいくらでも弄くり回せる。包丁でも、コンロでも、洗剤でも、お父さんのものだろうと、お母さんのものだろうと、独り占めできる。
今なら何でも、自分の思いのまま自由に支配できる。王様の気分に浸れるのだ。
「オレはここの勇者だぞ!」
マモル君は、刃をすべて出し切ったカッターナイフを片手に持ち、お母さんのスカーフをマントのように首に巻いて、ゲラゲラ笑いながら家の中を駆けずり回っていた。
「こんなところにヘビの魔物が……オレがやっつけてやるぜ!」
勇者マモルは、グルグル巻きになった延長コードの束を蛇の怪物に見立て、勇者の剣で魔物に斬りかかった。何度も、何度も、滅多斬りだ。
「くそっ! しぶといヤツだ……これでもくらえ!」
ビクともしない蛇の怪物に対しテンションの上がった勇者は、必殺技の“天空斬り”をお見舞いすることにした。勇者は剣を振りかぶって垂直ジャンプすると、落下の力も加えつつ、化け物の腹を斬り下ろした。
すると、もともと脆い作りだった勇者の剣は、天空斬りの衝撃に耐えきれずパキンと音を立てて折れてしまった。折れた刃は、目にも留まらぬ速さで弾き飛び、マモル君の頬を高速で切り返した。あまりの一瞬の出来事に、マモル君は何が起きたかわからなかった。傷は浅いものの、怪我したことすら気付いていない。傷口にはうっすらと血が滲んでいたが、そのことにも全く気付かない。
「やべ、壊れちゃった。 あーあ、怒られる」
一気に興醒め顔となった勇者のテンションはガタ落ちとなり、怒られる恐怖に対するテンションは逆に急上昇した。そして、危機的状況は更なるピンチを招く。
ガチャン……
玄関のドアが、開いた。
なんと、凶悪な大魔王の方から直々に、勇者マモルへ決闘を挑んできたのだ。
現状では、どんな魔物をも凌ぐ強さを持った、お母さんという最凶のボスだ。
ボスが買い物に出掛けてからまだ十分ほどしか経ってない。帰ってくるのがやけに早かったのは、買い物リストの紙を持参し忘れていたことに途中で気付いて、それを取るために引き返してきたからだった。レベルの低いまま戦う羽目になった勇者は、当然のことながらボスにこっぴどく絞られた。しかも、ボスお気に入りのスカーフを遊び道具に使っていたことが、ボスの逆鱗に触れたらしい。勇者の剣は、スカーフも切り裂いていたのだ。
「いいわね! 今度こんなことしたら承知しないわよ! おとなしくお絵描きでもして
なさい! ……わかったの? わかったら、すぐ返事!」
「はい」
「声が小さい!」
「ハイ!」
大魔王の破壊力抜群の剣突を食らわされた、青菜に塩状態の勇者。大魔王に首根っこを押さえられて連行され、学習机の前の椅子に座らされた。まだまだ修行が足りないからである。
「ああ、それと。最近この辺りで変質者が出没しているそうだから、誰か来ても絶対に
鍵を開けちゃダメよ。このマンションには来ないと思うけど、念のためにね。
わかったの? わかったら返事でしょ!」
「……」
マモル君は、気持ちをすぐに切り替え、絵を描くことに夢中になっていた。ほんのわずかな時間であったにも拘らず。白い画用紙には異形の魔物の絵が何十体も、黒いクレヨンだけで描かれていた。
「ふぅ。 あら、遅くなっちゃったわ。 早くお買い物に行かないと」
お母さんは、リビングルームのテーブルの上に置かれた買い物リストを手に取ると、再び出掛けていった。お母さんの手で、外から家の鍵が閉められる。これで、マモル君も再びひとりになった。
マモル君は、薄暗い部屋の中で勇者の職を捨て、前職を生かした画家になっていた。白かった画用紙は、無数の魔物で真っ黒に埋め尽くされる。ふと、頬に痛みを感じたマモル画伯は、左手で右頬に軽く触れてみた。黒みを帯びた血が親指に付着する。マモル君は、血を拭うために画用紙の端を使った。すると、一体の隻眼の魔物がマモル君の血でなぞられた。黒い顔料と赤黒い血液が、矢庭に混ざり合ったのだ。
頬にキリキリとした痛みが走るのを自覚したマモル君。洗面所に行って、自分の顔を鏡で確認した。確かに、右頬に二センチメートル程の切り傷があり、固まりかけの血が傷口表面に溜まっていた。マモル君は、流水でその血を洗い流した。出血はすぐに止まった。
お絵描きもすぐに飽きてしまったマモル君は、テレビゲームで遊ぶことにした。本来は複数人で遊ぶゲームをコンピューター相手にひとりで楽しんでいると、家の電話が鳴った。マモル君は、電話に出る気などさらさらない。どうせすぐ切れるだろうと高を括っていた。しかし、十コール無視しても電話は鳴り続ける。マモル君はゲームを一時中断して、しょうがなく電話に出てみた。
「……もしもし」
「……」
「もしもし、どなたですか?」
ガチャ
無言電話は、切れた。
悪戯電話だと思ったマモル君は、留守番電話のボタンを押して居留守を使うことにした。
これで、ゲームに集中できる。と、思っていたが、悪戯電話の主は案外手強かった。
マモル君がゲームを再開したのと同時に、再び電話が鳴り始めたのだ。マモル君はもちろん、電話の呼び出し音など意識的に無視している。すると、先程とは違い、四コール目に電話は切れた。少しして、また電話が鳴る。四コール目にまた切れる。これが繰り返された。執拗な嫌がらせに苛立ちと不気味さを感じたマモル君は、受話器を電話機本体から取って、脇に置いた。これで向こうは電話を掛けられない。
電話機があるリビングルームでテレビゲームを楽しめなくなった、マモル君。自分の部屋に戻って、マンガを読むことにした。
大好きなマンガを手に取って椅子に座った時、何か違和感があった。魔物の絵が裏返しになっているのである。
「あれ?」
マモル君は「絵をそのままにして洗面所に行った」と思っていた。だが、それは気のせいだったのだろう。おそらく、描きあげた後、無意識的に絵をひっくり返したのだろう。
マモル君は画用紙を裏返してみた。やはり、真っ黒な魔物達が所狭しに、びっしりと描かれていた。
「あれ?」
画用紙の真っ白な裏面。その左上方の端っこに、赤い文字が浮き上がっている。
しりとり ⇒ り
プリントアウトされた文字みたいだ。多分、お父さんがミスプリントしたのだろう。
それにしても、何を印刷しようとしていたのだろうか? 画用紙なんかに……
「しりとり?」
マモル君は赤い文字を見ているうちに、無性にしりとりの続きをやりたくなってきた。白い画用紙を、赤い文字で埋め尽くそうと思ったのだ。そう、しりとりで遊びながら。これなら言葉の勉強にもなるし、お母さんも褒めてくれるだろう。
早速マモル君は、真紅のクレヨンを右手に持つ。準備は整った。
こうして、マモル君の“ひとりしりとり”が、ひとりでに始まった。
しりとり ⇒ りんご ⇒ ごりら ⇒ らっぱ ⇒ ぱせり ⇒ りん……
早くもマモル君はつまずきかけたが、彼はこんな簡単に挫ける少年ではない。「ん」に赤い×印をつけて、ひとりしりとりを続ける。「ん」は、そうそう安易に使えない。別にそれでもいい。気にしなければいけないのは、書き直しが「甘えの裏返し」でもあることだ。
ぱせり ⇒ り×す ⇒ すずめ ⇒ めだか ⇒ かめ ⇒ めーる ⇒ るびー
長音が出た場合にどう対処するのか。普通のしりとりならばメンバー同士の相談で決まる。マモル君は、友達としりとりをする時と同様に「びー」を頭字として使うことにした。
るびー ⇒ びーだま ⇒ まり ⇒ りく ⇒ くーる ⇒ る……
「ら行」は嫌いだ。しりとり界では、キラーワードに満ちているからである。流石のマモル君も、次のワードを繋げるのに多少の時間を要した。
はやく……
くーる ⇒ るーる ⇒ るーれっと ⇒ とり ⇒ りーる ⇒ る……
はやく……
考えても、言葉が出てこない。
「そうだ! 辞書を使えばいいんだ!」
マモル君は、リビングルームのキャビネットの中から電子辞書を持ってきた。これさえあれば、自分は無敵になれる。早くも最強になったつもりで、マモル君は電子辞書の赤い電源スイッチを入れる。誰も知らないような難しい言葉を取り出してやろうと思ったのだ。
が、そううまくいくはずもなかった。最近の電子辞書には、ユーザ認証機能が付いているものがあるのだ。マモル君のお父さんとお母さんは、教育的配慮から子供に電子辞書を使わせないようにしていたのだった。せっかくのアイテムも、パスワードの壁にぶつかって宝の持ち腐れとなってしまった。
「くそ」
マモル君は、お父さんの書斎に行って、埃まみれの国語辞典を引っ張り出してきた。電子辞書に比べればダサいアイテムかもしれないが、役に立つことには変わりない。マモル君は、黄ばんだ紙のページをペラペラと捲りながら「ルアー」の言葉を見つけた。
「よし!」
りーる ⇒ るあー ⇒ あー……
マモル君は「あー」で始まる言葉を、黒字で埋め尽くされた辞典から得意気に探していた。
どんな言葉があるかなぁ……あー……アー……あ、
ズルしたな
バシャン!
水面を棒で叩きつけたような鈍い音。マモル君の部屋まで、はっきりと響いた。水の音がするとしたら、電話機横の、熱帯魚を飼っている水槽ぐらいしかない。マモル君は、不吉な音がしたリビングルームに舞い戻った。そこでマモル君は、自分の目を疑うことになる。
「うう……」
さっきまで元気に泳いでいたはずのエンゼルフィッシュが二匹、水槽の中央でプカプカと漂っていた。まざまざと、その屍骸をマモル君へ見せつけるように。
あーあ、家族みんなで可愛がっていたのに……可哀相。オマエのせいだぞ。
しかし、痛ましい気分など、すぐに息が切れる。それよりも、妖光でライトアップされた魅惑の“スイソウ”のステージに、観客マモルは釘付けになっていた。なぜなら、さっきまで仲間だったグッピーやネオンテトラが、エンゼルのボロボロの亡骸を口でつついて嬲り始めたからだ。
集るわ、集る、鮮やかな色の悪魔達。死体だろうと何だろうと、餌と見るなり容赦はしない。エアポンプから出る気泡に翻弄されようが関係無い。魚眼を血眼にして、無抵抗な餌食に噛り付く。彼らは、お腹がペコペコなのだろう。死肉にがっつくだけの、飢えた雑魚だ。分別のかけらも無い。
仕舞いには、エンゼルの白濁した目玉を穿り出し、ボールをパスするかのように食いつきあって遊んでいる。粘液つきのヌメヌメした眼球は、さぞかし歯切れが悪いのだろう。口に入れては吐き出し、また口に入れては吐き戻している。
ガラスの外で手を出せずにいた見物人マモルは、いい加減に生命の惨たらしさを見ていられなくなった。
「やめろよ……」
マモル君は、無惨な姿となったエンゼルフィッシュ達を網で掬いあげた。水を含んだ網は、魚の“死に水”をも滴り落とす。その汚い水に満ちた、ビチョビチョの網に手を添えることもしない。恐ろしくてできないのだ。マモル君は、屍骸を入れた魚網を持ってウロウロしながら、ティッシュペーパーを数枚引き抜いた。よく水を切ればよかったものを、それすらしなかった。可愛いペットの突然死に狼狽えて、できなかったのだ。
垂れるわ、垂れる、ばっちい水。ほら、電話機にも水滴がたくさんかかっているぞ。マモル君は全くそのことに気付かない。濡れた魚の屍骸が、クシャクシャの白い紙で無造作に包まれただけだ。
マモル君は、憖じに愛魚の仮葬を済ますと、足早に洗面所へ手を洗いに行った。必要以上の量のハンドソープを掌にぶちまけ、気の済むまで念入りに手を洗った。手を洗い終えると、まっすぐ自分の部屋に戻った。マンガを読んで、気を落ち着かせようとしたのだ。もう、椅子に座ってではなくベッドの上でマンガを読もう。
仰向けになってマンガを読み始めたマモル君。ひとりしりとりが、まだ終わっていないことなど知る由もない。
はやくしろ……
マモル君の机の下で、バサッという音がした。机上の縁に置きっぱなしにしていた国語辞典が、突如落っこちたのだ。突然の物音の連続で、マモル君の心はナーバスになっていた。マンガ本を枕元に放り投げ、椅子の脚元でうつ伏せ状態になった辞典を面倒臭そうに拾い上げた時。辞書の中から、ワシャワシャした小さな黒いものが、ポロポロと零れ落ちた。黒いものは、マモル君の白い靴下の上にも降ってきた。
「うわ……」
夥しい数の、蟲の塊だ。胡麻粒ほどの大きさの蟲は、どこかのページに挟まって蝟集し、古びた紙を食い荒していたらしい。床に散らばった薄気味悪い蟲の大群は、落下したことに驚いているのか、ウジャウジャと蠢いている。
マモル君は、男の子らしからぬ悲鳴を上げた。悲鳴と共に、奇しくも手に持ってしまった蟲だらけの辞典をゴミ箱に投げ捨てた。ほら、足にも付いているぞ。何と悍しいことか。マモル君は、狂ったように足をばたつかせて、蟲螻共をソックスから振り落とした。
どうやら、ジタバタした時に机の角にぶつけたらしく、足の甲がひどく痛む。腫れ上がった足を摩っていたマモル君。すると目の前に、赤と白の二色で塗れた、ひとりしりとりの案内状。足をぶつけた衝撃で、机上からスルリと滑り落ちてきたのだ。楽しいリサイタルの主催者が、途中で逃げ出してはいけない。整然と書き並べられた妖美な文字列が、またしてもマモル君を蠱惑する。
はやくしろ……
蟲が知らせた。マモル君の心中にいる蟲も、それを悟った。だが、これ以上ひとりしりとりを続ける気など、疾うに失せている。マモル君は、画用紙をグシャグシャに丸めて捨てた。
強がる一方で、怖気の蟲を駆虫できずにいたマモル君。またまた部屋を離れると、押し入れから電気掃除機を運んできた。蟲を吸い込むために、である。こんなに気持ちの悪い生き物を、自分の棲処にのさばらせて堪るか。心配はいらないよ。ひとりでできるもん。
ガチッとプラグを差し込む音。カチッと電源を入れる音。騒々しい排気音。掃除機のヘッド部分とフローリングの床がゴリゴリとぶつかりあう音。蟲がゴボゴボと吸引される音。断末魔の蟲の音。邪魔物を一掃してスイッチを切る音。小気味良い残響。ベッドに飛び乗る音。笑い声……
マモル君は、頤を解く。ああ、おもしろい。誰にも邪魔されずに、思う存分読めるマンガが一番楽しい。ひとりでも淋しくない。いっそ、ひとりの方がいいかもしれない。何でも自由にできるから。
そうだ。やっぱりひとりがいい。ひとりがいい。ひとりでいい。ひとりきりがいい。
本当に? ……うん。
だったら、ひとりしりとりを続けるがいい。
「アーッ!」とマンガの中の主人公が叫んでいた。勧善懲悪マンガの生け捕りとなるマモル君。だが、マモル君の頭の中では、ひとりしりとりが自由勝手に進行する。再度、孤独なゲームの火蓋は切られていたのだ。
黒血を分かち合った、もうひとりのマモル君のチカラによって。
るあー ⇒ あーけーど ⇒ どーなつ ⇒ つな ⇒ なのはな ⇒ なし ⇒
しか ⇒ からす ⇒ すいか ⇒ かもめ ⇒ めいど ⇒ どらま ⇒ まっち
⇒ ちこく ⇒ くうき ⇒ きいろ ⇒ ろっかー ⇒ かーと ⇒ とけい ⇒
いるか ⇒ かいこ ⇒ こ……
十歳のマモルの語彙力ではこれがせいぜいか。これ以上やったとしても面白くなさそうだし、どうせまたズルをするだけだな。マモルから奪える物はこれっぽっちか。
まぁ、いいや。これで終わるか。
でも、勝負の鳧はついていない。
さて、どうする?
かいこ ⇒ こうさん
しりとりを終わらせるにはこれしかない。「降参」だ。
はい、マモルの負け。
もちろん、負けたからにはしっかりと罰を受けてもらうからな。
オレの言うことは何でも聞けよ。
そうだな……
罰ゲーム! マモルを『エンドレスひとりしりとり』の刑に処す!
ジリリリリリ……
マンションのどこかで非常ベルが押されたらしい。建物全体に響き渡るけたたましい音。マモル君の自由で楽しい時間も、一気にぶち壊しとなる。煩い。一体誰が押したのか。バカなヤツの悪戯だろうか。迷惑この上ない。お母さんが言っていた変質者かもしれない。それなら質が悪い。絶対に、外には出ないほうがいい。
非常ベルの音 ⇒ びっくりする ⇒ 外に出る ⇒ 変質者に襲われる
ジリリリリリ……
しかし煩い。我慢できない。こうなったらしょうがない。人になんとかしてもらおう。
マモル君は電話機に駆け寄った。マモル君に壊された、水滴だらけの電話機に。使えない。助けを呼ぼうにも、手段が無い。別の手段はないのか。携帯電話は、持っていない。これも、教育的配慮からである。パソコンは、使い方がよくわからない。まったく、あれもこれもダメダメだ。
人手は借りさせないぜ、マモル?
ドンドンドンドンドン……
誰かが玄関のドアを叩いている。ドアノブまでガチャガチャと動かしている。変質者に違いない。何やら大声で呼びかけているが、聞く耳を持たないほうが良さそうだ。マモル君は両耳を塞いだ。
ドアを叩く音 ⇒ 動揺する ⇒ 鍵を開ける ⇒ 変質者に襲われる
マモル君は部屋に戻り、布団の中へ潜り込んだ。耳障りな音から逃れるために。しかし、それだけではない。外的なものを一切合切シャットアウトし、自分の殻に閉じこもったのだ。これで、束の間の安心感は得られる。
ただし、罰ゲームのひとりしりとりは、切れ目がない。恐怖は止まらない。
その頃、マンション正面の道路は黒山のような人集りとなっていた。マンション四階の一室が激しい火事になり、白いベランダから黒煙をモクモクと上げていたからだ。買い物から帰ってきて、ただならぬ状況を即座に把握したマモル君のお母さんは、愕然とした。
「上の階に私の子が……」
脇目も振らずマンションの入り口へ急ぐ、小学生の子を持つ母。しかし、屈強な体格の消防士に羽交い絞めにされ、小柄な体は簡単に抑え込まれた。
「危険です! 下がってください!」
「中に子供がいるのよ! 離しなさいよ!」
「お子さんは必ず救出しますから、少し落ち着いてください」
消防士達の、懸命な消火活動と救出活動は続いた。その結果、火災発生から二時間後に火は鎮まった。しかし、四階と五階に広がった炎は、尊い人命をひとつ奪った。ひとり暮らしの高齢者が、犠牲となったのだ。
「生存者を発見したぞ! 子供だ!」
マモル君は、救出された。
全身大火傷となって、皮膚はほとんど焼け爛れていたが。
奇跡的に、一命は取り留めた。
それから半年が経った。
人里離れた場所にある、巨大な病院。そこに、片目と鼻の穴だけ出し、残りは包帯で巻かれた顔のマモル君がいた。マモル君は、驚異的な回復力で元気を取り戻していた。だが、火災に遭ったショックで声を失ってしまった。PTSDに加え、吸い込んだ煙で喉を痛めたことが原因のようだ。
「手術は勧められません。切除などせずに、しばらく経過を看ましょう」
マモル君の左手は、赤い肉塊となっていた。まるで、人肉をミンチにして作った団子のようだ。火傷は、左手が最も酷かった。グーで握ったまま、全指が焼け付いてしまったのだ。外科の名医でも、小さな指を元通りにすることはできなかった。
「マモル……」
親の心配は、マモル君の火傷だけに止まらなかった。以前のマモル君に比べ、人が変わったようなのだ。「別人になってしまった」のだろうか。どうしても、包帯で巻かれた我が子を見て「案ずるな」というのは無理だ。これは、親目線の杞憂なのか。
マモル君はまだまだ子供らしいところはあるが、どこか子供らしからぬ陰気な感じを出すようになっていた。
幼くしてこれだけの深傷を負えば、人格が変わってしまうのも当たり前なのか。
本当にこの子は、マモルなのか。
そんな不安を打ち払うかのように、マモル君にはお友達ができた。
骨髄性の白血病と闘う“ユウキ君”だ。十一歳だから、マモル君よりもひとつ歳が上である。
「何、それ?」
種々雑多の遊び道具がある、ふれあいルーム。ユウキ君が、一心不乱に絵を描き続けていたマモル君に、絵のことを尋ねた。
「……」
マモル君は、すっくと立ち上がる。すると、友達のユウキ君に向かって右手を手刀の形にして、斬りつけるようにした。「オマエを斬るぞ」とジェスチャーで表現したのだ。
斬る ⇒ きる ⇒ キル ⇒ kill ⇒ マモル君がユウキ君を ⇒
「魔物? すげーな、絵うまいよ」
右手に鉈を持った黒い魔物は、白い画用紙にリアルなタッチで描かれていた。
マモル君は、ユウキ君と片目だけ合わせてニタリと北叟笑む。
濁った目の、奥深いところで……そして、絵を裏返すと、ひとりで御手洗いに行った。
個室トイレに入って鍵を閉めるマモル君。
ふれあいルームから秘かに持ち出してきた鋏を右手に持つと、左手の肉団子へ思い切り、その切っ先を突き刺した。飛び散る黒い血。だが、マモル君はニタニタしていて、どういうわけかとても気持ち良さそうだ。顔を崩さずニコニコしながら刃先を引き抜くと、一輪の深紅の花が咲いた。医者が匙を投げていた左手が、ヌチャっと音を立てて開いたのだ。その手中には、黒い蟲達と一緒に、血みどろの圧縮された画用紙が入っていた。
画用紙の真っ白な裏面。その左上方の端っこに、赤い文字が浮き上がっている。
しりとり ⇒ り
はやく……
…… ⇒ かまきり ⇒ りか ⇒ かん
「完」
はい、オマエの負け。
もちろん、負けたからにはしっかりと罰を受けてもらうからな。
オレの言うことは何でも聞けよ。
そうだな……
最後までお読み頂き、ありがとうございました。
私の些細なこだわりを御紹介します。
カタカナ表記にした言葉、別の意味を含ませています。例えば「リビング」。居間の意味だけでなく「生きている」の意味でも使っています。本作の「死」の雰囲気と対照的に使っているのです。これと似た使い方をしたのが「マンガ」。マンガマンガマンガ……「ガマン」に見えてきませんか? ひとりにじっと耐える(ガマンする)ことが、本作のメッセージであり、キーポイントだったりするんですね。
最も注目して頂きたかったのは“スイソウ”。これには三つの意味を込めました。辞書を使ってもいいので、是非考えてみて下さい。
どうです? 読み直してみたくなりましたか? 私からの罰ゲーム?は「本作を何度も読んで頂くこと」です!