5話 悪役令嬢は婚約破棄される
――『アリシア・エーゼンフローヌ』視点――
「フリージア王国第一王子である僕がここに宣言する。アリシア・エーゼンフローヌ! 君との婚約を破棄させてもらう!」
学園のホール内にてレジス王子の声が響く。
時は王立学園の卒業式の日。
卒業式後のパーティーのただ中にておこったことだった。
私の名前はアリシア・エーゼンフローヌ。
ここフリージア王国の公爵家であるエーゼンフローヌ家の長女だ。
私は公爵家の長女。
人生は産まれた頃から決められていたと言っても過言ではない。
いや、産まれる前からと言ってもいいかもしれない。
男であるならば家を継ぎ、女であるならば王子と結婚。
それが公爵家当主の父が決定した人生だった。
そして女に生まれた私は、王子の婚約者になることが決まっていた。
公爵家の長女として恥ずかしくないように。
将来の王妃として恥ずかしくないように。
その言葉の下、私はあらゆる教育を受けてきた。
勉強。魔法。礼儀作法。人心掌握術。
公爵家の用意した最高の教育を受け、最高の技術を叩きこまれてきた。
最高の教育と言えば聞こえはいいが、しかし決して楽なものではなかった。
その教育についていくために睡眠時間を削ってまで自身の向上に努めてきた。
全ては次の王である王子と結婚して王妃となるためである。
それらを重圧と思ったことも、不満に思ったことも、ないと言えば嘘になる。
逃げ出したい、放り出したいと思ったことも。
しかしそれでも私は公爵家の長女として、ひいては将来の王妃として、逃げることも放り出すこともしなかった。
その責任を全うし続けた。
全うし続けた、と思っていたのに……。
学園の卒業式の日に私は王子から一方的に婚約破棄された。
「ど、どうしてですか? なぜ急にこんな……」
「どうして? そんなの、君が性悪で不埒な最低の女だからに決まっているだろう。一時でも君のような女性と婚約をしていたという事実がもはや恥ずかしい」
「性悪? 不埒? どういうことですか。私が何をしたと――」
「ふん。シラを切る気か。クズめ。いいだろう。言い逃れができないように僕が説明してやる。君が聖女エリーナにしたことを」
「エリーナさんに?」
エリーナさんは私や王子と同学年の女生徒だった。
平民の身ではあるが、聖女にしか使えない人を癒す光魔法が使えるため三年前に教会に聖女として迎えられた。
また修行の一環として王立学園に通っていた私の同級生でもある。
正直、彼女に対してはあまりいい印象はない。
彼女が一年目の始めの頃はまだよかった。
聖女という教会を代表する身分でありながらも、彼女は謙虚で人当たりもよかったのだ。
それに努力もしていた。
これまで貴族の教育を受けてこなかった彼女には、王立学園の高度な教育についていくのは大変だっただろう。
さらに他の貴族たちと日夜交流し、ツテをつながりをつくっておく必要があるのだから、それも負担になったに違いない。
王都という田舎出身の彼女には不慣れな場所で、彼女は勉強に交流にと忙しくも頑張っていた。
その姿には好感をもっていたし、実は陰ながら応援もしていたのだ。
しかし時が経ち、学園生活に慣れ初めてから彼女は変わっていった。
権威・贅沢・人間関係。
それらすべてが謙虚で努力家だった彼女をダメにした。
教会から支給される金を使って贅沢をし始めた。
聖女の権力を使って他者に学園の課題を代行させたり、教師すらも利用して成績の改ざんも行っている。
周りには聖女である彼女を慕う人間ばかりだから、諫められることもなく増長していった。
それだけならばまだ、自分とは関係ない人間のことだと無視することができたろう。
しかし彼女はあろうことか、レジス殿下に近づき始めた。
エリーナさんはイベントでも普通の日でも、ことあるごとにレジス殿下と共にいたがった。
それだけならばまだ可愛い方だが、人目をはばからずに手を繋いだり腕を組んだりと接触したがった。
聖女が殿下を狙っていることは明白だった。
これが殿下に婚約者がいなければ、ただの学生同士の恋愛で済ますこともできた。
好きにすればいい。
しかし殿下は私という婚約者がいるのだ。
そして私と殿下の結婚とはただの政略結婚ではなく、王族と公爵家の婚姻だ。
放置していいわけがない。
私は王子の婚約者としての面子があるし、王子も婚約者のいる身で他の女と仲よくするような男だと甘くみられる可能性がある。
皆に隠れて繋がりをもち、それを他者に知らせない程度に節度を持ってくれるならば、私も何も言わないのだが。
彼らがそんなことをしてくれるわけもなく、人前で体を触り合ったりデートをしたりとやりたい放題だ。
婚約者がいるのだから女遊びを控えろと殿下に進言すれば、友人として仲良くしているだけだと怒鳴られた。
客観的にそう思われない距離感でいるから言っているんですけど。
エリーナさんの方に殿下との距離感を注意しに行けば、翌日には殿下が「エリーナがアリシアにいびられた」とこれまた怒鳴り込んできた。
殿下に泣きついたのだろうが、反論したいならば殿下を通さず私に直接言えばいいのに。
そういうわけで、私は聖女エリーナには良い印象はない。
「エリーナが僕に言ったのだ。アリシアからの日々のいじめや暴行。そしてさらにはアリシアの不貞まで、な」
「不貞もいじめも私は知りません。なにかの間違いではないでしょうか?」
「言い逃れはさせないと言ったろう。証拠も証人もある」
そこから王子の語ったことは、私にはまるで身に覚えのないものだった。
私が日々エリーナさんにいじめをしていたことになっている。
私物を盗む。教科書を破く。公然で罵倒する。複数人で暴力を加えていた。
そんな身に覚えのないこと。
曰く、その動機はエリーナさんと王子との仲を嫉妬したことが原因らしい。
あとは少し前まで平民だった彼女が気に入らないとか。
成績が私を上回ったことへの嫉妬だとか。
くだらない動機だ。
そんな程度の低い理由で行動を起こすわけがない。
そして証拠や証人というのもこれまたお粗末なものであった。
私にされた被害の書かれた日記。
私によって破られたという教科書。
私が暴行を加えた瞬間を見たという者。
これらは確かに証拠・証人と言えなくもないではあろうが、確実なものではない。
だって、被害の書かれた日記なんて。別にいくらでも創作できるでしょ?
そもそも三年間使ってた日記というには随分きれいだ。
それいつ頃買いました? 今年?
それに破られた教科書なんて見せられても。
破られたことは事実でも、私がやったという証拠にはならない。
破ったのが私以外の誰かであることなんて十分に考えられる。
殿下もエリーナさんも私がやったと主張しているけれども、なぜそうと確信できるのだろうか。
教科書に私の髪の毛でも挟まっていたのだろうか?
証人については……。
彼らが見たというのならそれを否定できる証拠はいますぐには出せない。
ただ、一つ言えることがある。
彼らは見覚えのある顔だった。
もちろん私の取り巻きではない。
公爵家の派閥ではなく、聖女の所属する教会の派閥の人間だったのだ。
もしかしてですけど、エリーナさん。
自分の派閥の人間に証人として無理矢理に私がしたという悪行を言わせているのでは……?
そう私が述べると、殿下は顔を歪めて怒りを露わにし、エリーナさんは泣き出した。
「ひどい。ひどいです。アリシア様。私に対して卑劣な行いをして、それを認めないどころか私の虚偽などとおっしゃるなんて」
「アリシア。貴様、最低だぞ! お前も貴族の端くれならば、潔く罪を認めたらどうだ! それをあろうことか被害者であるエリーナを貶めるような真似までするとは言語道断! この言動からも、貴様が心が汚れ切った毒婦であることは一目瞭然だ」
「一方的に被害者ぶらないでくださいよ。私だって反論する権利くらいあります」
「反論? ならば貴様の淫行にも反論があるのか?」
「それも身に覚えのない行為ですね」
これも本当にわからない。
私と寝所を共にした誰かでも現れましたか?
「これも知らないふりをするのか。やれやれ。公爵家の名誉のためにこれは言わないでおこうと思ったのだがな。エリーナに対するその不誠実な態度への罰だ。公表させてもらう」
公表もなにも本当に身に覚えのないことだ。
そうと勘違いされる行為すらないと言っていい。
いずれ王妃となる以上、醜聞につながるような男性関係は注意深く避けてきた。
手を繋ぐことはおろか、殿下以外の男性と二人きりになったことすらない。
「貴様が夜な夜な、王都の歓楽街にいたことが確認されているのだ。しかも男と一緒にいるところをだ。連れだって宿に入るところも確認されている」
「私が夜の王都に? それは誰の証言ですか?」
「エリーナの知人が見たというのだよ」
「またエリーナさんの知り合いですか」
はあ、と嘆息する。
これもきっと、彼女の派閥の人間の証言なんだろうな。
「あなたの知り合いは色んな所にいますね。そして、よく私のことを見ているのですね。不自然なほどに」
「何が言いたいのだ?」
「いいえ、なんでも。とにかく、私はそんなところに行ったことはありませんし、男性と夜に一緒にいたこともありません」
「アリシア様。もう言い訳はよしてください。己の罪をいさぎよく認めることも上の立場の人の行いですよ」
「だからその罪を犯していないと言っているのです」
「ふん。仮に貴様の噂が真実でなかったとしても、そのような噂が立つ時点で貴族としては失格だ。己の体面すら守れない者にこの国の貴族を名乗る資格はない。この時点で貴様は王妃として失格なのだよ。婚約破棄の理由としては十分だ」
「そんな無茶苦茶な……」
不貞の噂を流されただけで貴族として失格ならば、あなた方も失格になりますよ。
二人の関係性、バレてないとお思いですか?
学園の生徒なら皆知ってます。
そうならないために注意してたんですけどね。
「今日をもってアリシアとの婚約は破棄させてもらう」
そう一方的に宣言された。
「だが将来の王として、妻となる者は必要だ」
あー。
話の流れが見えました。
これもしかして。
「その相手として、聖女であるエリーナを迎え入れたい」
「殿下。本当に私でいいんですか……?」
「ああ。王妃にふさわしいのは君しかいない。悪女の卑劣な行いにも負けず努力し、聖女として人々からの支持を得ている君ならば誰も反対しないだろう。それに、僕個人としても君の優しさに何度癒されたことかわからない。愛しているぞ、エリーナ」
「殿下。嬉しい……!」
ヒシッと抱き合う殿下とエリーナさん。
公衆の面前でよくやると思う。
エリーナさんは感激して泣いているけれども、三問芝居としか見えないですね。
あとさらっと言ってましたけど、悪女って私のこと?
「去れアリシア。もはや王族に貴様の席はない。恨むならば、己自身の悪辣さを恨むのだな」
「アリシア様。私も過去に貴方にされたことをこれ以上咎めようとは思いません。ただ己の罪を認め、償いの道を探してください。それだけが私の望みです」
彼らからすれば、もう言いたいことは言い終わったらしい。
締めに入っている。
だが、言われっぱなしではいそうですかと引き下がっていてはたまらない。
少なくとも先ほどの流言に対する反論くらいは言わなければとその場で声を上げようとしたが。
「去れと言ったぞ、アリシア。それとも無理やりにでも連れていかれたいか?」
周囲に学園に務める衛兵が集まってきた。
「大人しく来てください。我々も公爵令嬢に手荒な真似はしたくありません」
「――。わかりました。ここは大人しく引き下がり、婚約破棄を受け入れさせていただきます」
王子に婚約の意思がない以上、どうすることもできないだろう。
冤罪を用意されてまで公然と侮辱してくるような相手とは、私だって結婚なんて考えられない。
だから別にいい。
結婚しないというのは、いい。
構わない。
だが、私の名誉を傷つけたことは許すつもりはない。
公爵家の長女を敵に回したことを許すつもりはない。