4話 S級冒険者は婚約破棄される
エリーナに連れられるかたちで応接室にたどり着いた。
「……久しぶりね。シド」
「久しぶり。エリーナ」
「何しに来たの?」
「何しにって。君と会うためにきまってるじゃないか。 婚約者なんだから」
本当は、君を迎えるためにと言いたかった。
だが言えなかった。
言うことを躊躇ってしまった。
それは王子との婚約の噂の件も理由ではあるが、それ以上に彼女の態度がおかしいからだ。
話しかけても無言で、部屋に入るなり「何しに来た」なのだから不審に思うのも無理はないだろう。
うだうだしても始まらない。
もういっそのこと尋ねよう。
あの噂について。
「なあ。エリーナ。ここに来る途中である噂を聞いたんだ。君とレジス王子が結婚するっていう噂だ」
「……ふうん?」
「それは、ただの噂で真実じゃないよな? 王子との結婚なんて事実無根のデマだなんだろう?」
「……どうしてそう思うの?」
「どうしてって。それは俺とエリーナが婚約しているからじゃないか。三年前に学園を卒業したら結婚するって約束をしただろう。俺はそれを信じて――」
「はぁぁ? 婚約者ぁ?」
エリーナが大声でそんな言葉を発した。
俺は一瞬、それが彼女の言葉だと思うことができなかった。
だがここには俺と彼女しかおらず、当たり前だがそれはエリーナが口にした言葉で間違いなかった。
「あんたまだそんなことを言っていたのね。くだらない」
固まっている俺を「はっ」と嘲笑するエリーナ。
「なっ……」
「あんたと結婚なんてしないわ。するわけないでしょ。だって私はレジス王子と結婚するもの。噂は本当よ」
「どういうことだ! 君は俺と婚約したじゃないか!」
「あ~そんなこともあったかしらね。若気の至りだわ。ほんっっと、なんでこんな奴と婚約なんてしたのかしら。自分でもわからない。婚約なんてナシよナシ。ぜ~んぶなかったことにしましょうよ」
心の底から面倒臭そうな顔をして、エリーナはそう告げる。
なんだ?
なんだこれは?
目の前にいるこの女は本当に俺の幼馴染のエリーナなのか?
明るくて、優しくて、朗らかな笑顔を見せていた昔の彼女とは似ても似つかないその姿に、俺は面食らっていた。
「ていうかそもそもね、私があんたみたいなただの鍛冶屋の息子と結婚するわけないじゃない。あ、いまは冒険者なんだっけ。ま、どっちでもいいわ。くだらないただのそこら辺の街人なことは変わりないし。それに対して私はなに? わかる? あんたのお馬鹿な脳みそでわかる? 聖女なのよ? それであんたはどこにでもいる低級冒険者。聖女の私がそんなただの冒険者を相手になんてするもんか。結婚なんて、何を夢見てんだか」
「低級冒険者……?」
「なによ、あたりでしょ。プライドに触っちゃった? えーと、D級だっけ? C級だっけ? あーもしかしてB級にあがってんの? へーカスの癖にがんばったじゃん。まあどうでもいいけどね。アタシから見ればどれも同じカスだし」
「…………」
俺がC級だったのは2年も前の話だ。
定期的に送っていた手紙には、俺がS級冒険者になったことが書かれていた。
低級冒険者どころか最高峰の冒険者だ。
俺が送った手紙を読んでいたらこんな言葉は出てこないはずだ。
「エリーナ。もしかして手紙を読んでないのか?」
「手紙? あーなんかよく送られてきたやつね。まー初めの方は読んでやったけどさ、途中で飽きて読まなくなった。うざったいから私の方に送らないで捨てるように学園の管理人に頼んだわよ」
「……そんな」
やっぱり手紙を読んでいなかった。
それどころか受け取ってすらいなかった。
「ねえシド。あなた勘違いしていない? 私はもう聖女なの。昔とは違う。ただの街娘じゃないのよ。わかったら低級冒険者らしくそこら辺にいる酒場の女でも口説いてなさい? 平民は身の丈に釣り合う恋愛をしよっか?」
フッとこちらを鼻で笑うエリーナ。
「聖女の私は王子様と結婚して華やかな日々を送るから。それをどっか片田舎でゴブリンでも倒しながら祝福してね?」
「……そうか」
エリーナの言葉を聞いて、その言動を受けて、よくわかった。
三年前までの、俺が好きだったころの彼女はもういないということが。
エリーナは変わってしまった。
なぜそうなったのかはわからない。
聖女としてちやほやされるうちに増長してしまったのだろうか。
それとも元からこういう性格で、三年前は隠していただけ?
真相はわからない。
だがそれを知ったところでもう意味がないということはわかる。
「あー。でもそっか。あんたちょっと都合悪いわ」
「はぁ?」
「まー若気の至りとはいえ? あんたとは婚約してたわけじゃん? それを王子には知られたくないのよね」
「別に吹聴する気はないよ」
言葉の通り、俺はエリーナに婚約破棄されたことを他人に言う気はない。
言ったところで何にもならない。
既に王子と婚約している聖女と昔は恋人だった。
本当は自分が婚約していた。
そんなことを他人に行ったところでなんて信じられるはずもない。
妄想も大概にしろと言われるだけだ。
仮にそれを信じられたとしても、最終的に聖女に振られた男として認識されるだけだ。
どちらにしろみっともない。
「はぁ……」
なんだろう。
なんか、冷めてきた。
心の中の彼女に対する愛情と呼ばれるものが、スーッと引いていくのを感じる。
彼女に関わるのは嫌になってきた。
一方的に手紙をよこさなくなり、そしてかつての婚約をこんな形で破棄にする。
呆れもあり怒りもあるが、エリーナへの嫌悪感が心の大部分を占めていた。
別に俺だって執着心が強いわけじゃない。
どの時期でもいい。
自分は心変わりした、他に好きな人ができた。
だから婚約をなかったことにしたい。
どこかでそう伝えてくれたなら、涙を呑んでそれを受け入れたさ。
忙しいとはいえ手紙だって出せただろう。
人をよこして連絡することだってできたはずだ。
それが不可能な立場ではなかったはずだ。
それで俺が納得したかどうかはともかく、それすらせずに黙ったまましれっとなかったことにして、別の男と結婚しようとするなんて筋が通らない。
そしていざそれを言及されたら悪態をつくなんてひどすぎる。
百年の恋も冷めるというものだ。
彼女の方は、百年どころか三年ももたなかったらしいが。
「もういいよ。婚約破棄は受け入れるし、周りにも言いふらさない。それでいいだろ?」
ぶっきらぼうにそう告げると、エリーナはまなじりを上げた。
「なにその態度。もしかしてフラれたこと根に持ってんの?」
「はあ?」
こいつはなにをいってるんだ?
いや、こんな形でフられたら普通は根に持つだろうが。
文句の一つでも言いたくなるのが人情だろう。
「あーあー。ほんっと器の小さい男。仮にも私の元婚約者なら王子みたいに大きい度量をもってほしかったわ」
「そうかよ」
「むしろ感謝してほしいわよね。一時とはいえ私と結婚できるかもしれないなんて夢を見れたんだから」
感謝ね……。
まあ、S級冒険者になるまで努力できたのは、エリーナと結婚するときに彼女の夫として恥ずかしくない立場になろうと奮起したからだ。
彼女との結婚の話がなければ俺はここまで努力することはなかったし、冒険者として栄達することもなかったろう。
その意味では感謝してもいいかもしれない。
「感謝って。本気で言ってるなら馬鹿としか言いようがないな」
いややっぱ無理だな。
今のひどい態度でそんなもんチャラだ。
「は? いまなんつった平民」
彼女の声が怒りのあまり低くなった。
「バカ? あたしが? 低級冒険者のカスが、あたしを馬鹿にした?」
もういい。
遠慮することなく思ってることを言ってしまおう。
「馬鹿じゃなかったら自意識過剰だな。どれだけ頭がおめでたければ人にこんな仕打ちをしておいて感謝されると思うんだか」
「偉そうな口叩きやがって平民の癖にぃ!」
「あと平民ってさっきから言ってるけど、お前も平民だろ。聖女は別に貴族になるわけじゃないし、王子と婚約してるだけで別にまだ結婚したわけでもない。まだ平民だよ。それとも貴族に混じって暮らす中で貴族ごっこがしたくなったのか?」
「――――‼」
口をパクパクさせて震えているエリーナ。
どうやら言葉もでないらしい。
まさか俺から嫌味を言われるとは思ってなかったのだろうか。
「……ざっけんな。ムカついた。大人しくしてたらこのまま帰してやろうと思ったけどやめとくわ」
そうしてエリーナは出口の方に向かって行ってドアを少しだけ開ける。
一瞬、怒ったエリーナが不貞腐れて帰るのかと思ったが違う。
ドアを開けた後にそこから離れた彼女は俺の近くの位置に来て、そして床に倒れこんだ。
「? 何をして――」
「きゃあああああああああああ!」
倒れたエリーナは大声で叫びをあげた。
「……え? ほんとに何をしてるの?」
さすがにちょっと意味が分からない。
どうしたんだ急に?
ドアを開けて床の上に転がって叫んで。
王立学園の教育でおかしくなってしまったのか?
それとも俺が知らないだけで、これが貴族なりの抗議の意思を示す方法なのだろうか。
「わかんねーの? ハッ。馬鹿はお前の方だな」
「はあ?」
老化からバタバタと人が走る足音がする。
大声を聞いた誰かがやってきたのだろう。
「どうかしましたか!?」
来たのは学園の警護を担当する衛兵だった。
先ほど門の前にいた奴とは違う人が、服装が同じだった。
やってきた衛兵を見るやいなや、エリーナは俺のことを指さす。
「この人が急に襲ってきたの! 助けて!」
「……嘘だろ。この三問芝居で騙される人いるの?」
俺が寝てるエリーナを押し倒してるならまだしも、別にそういうわけでもない。
少し離れて立っているだけだ。
この状況で彼女を襲っていたなんて信じる馬鹿がいるか?
「なんだと貴様!? 見ない顔だな。学園生ではないな! どこから侵入した!?」
「門から入ってきたけど。この聖女に連れられて」
「助けてください。衛兵さん……」
エリーナは先ほどまでの横柄さはどこへやら、涙声で小さい声で衛兵に助けを求めていた。
「聖女様!? 貴様聖女エリーナ様に襲い掛かるなど、恥をしれぇ!」
「信じる馬鹿がいたよ。嘘だろ」
この学園の衛兵ってこんなに質が低いの?
一応貴族の学園だぞ?
いや、貴族の学園だからこそ生徒の言うことは絶対信じるように教育されているのかもしれない。
先に入って来た衛兵が応援を呼び、応接室に衛兵数人がやってきて俺の両腕を掴んだ。
「変質者め。すぐに牢屋にぶち込んでやるから覚悟しろ」
「聖女様。もう大丈夫ですから安心してください」
「ありがとうございますっ……! 頼りになる衛兵さんがいてくれて心強いです……!」
「お、おお。聖女様が俺なんかにお礼を」
「尊きお方と最後の最後に会話できるなんて」
「今日は素晴らしい日だ」
一連のクソみたいなやり取りを見ていたんだが。
なんだかなあ。
「どーやらこの三年間で他人に媚びを売る方法はうまくなったようで」
「貴様ぁっ! 聖女様を愚弄するかぁ!」
俺の言葉に怒った衛兵が頭を殴りつけてくるが、その程度でS級冒険者がダメージを受けるはずもない。
「ぐ、が……。なんて固い頭だ」
逆に殴った方の手を抑えていた。
「殴った拳の方を痛めるなんて、やわな鍛え方をしてるな。冒険者ならD級がいいとこだぞ」
「ぐっ……! 何をしてるお前ら! この不届きものをつれていけ!」
「「「は!」」」
恐らく上役の命令に従った衛兵たちに両腕を掴まれて、衛兵の詰所まで連れていかれる。
こいつらを振りほどいて別に逃げることもできるが、ここで逃げれば犯罪者として追われることになるからやめておこう。
そんなことをしても何の得にもならない。
詰所で俺は紐で縛られて拘束された。
「ふん! 弁解は牢屋でしろ、この犯罪者め。聖女に不埒な行為を働いたんだ。どんなに弁解しても極刑は免れんだろうがな!」
「あーはいはい。わかったよ」
そうして俺は牢屋に連れていかれることになった。
彼の言う通り弁解はそこですることにする。
「……はあ」
しかしそれにしても悲しいな。
婚約破棄されたこともそうだが、もっと悲しいのはエリーナの変わりようだ。
誰に対しても優しい女の子だった。
あんなことをするような人じゃなかったはずだ。
聖女になって、街を離れて、学園に入ってたった三年。
人は異なる環境に入れられれば、こんなに簡単に変わってしまうのか。
三年の思いを裏切られて婚約破棄された俺は、なんだか喪失感にも似た妙な寂しさを覚えた。
しかし、この日婚約破棄されていた者は俺だけではなかったことを後に知ることになる。